残心足らず
思いがけぬ敵の登場。
梨穂と自分をまとめて飲み込もうとするその強襲に、悠華は目を剥き息をのむ。
「宇津峰さんッ、永淵さん!」
だが側面から自身を呼ぶ声に、悠華はとっさに梨穂の手を取り引き寄せる。
「なにを!?」
いきなりの悠華の行動に梨穂は驚きの声を上げる。だが悠華はそれを無視。梨穂の体を抱えて左に転がる。
固い床との衝突。悠華はその衝撃を腕の内に通さぬように受け身を取り、敵から距離を取る。
そして横転にブレーキ。続いて抱えていた梨穂を解放し、襲撃してきた闇色へ振り返る。
「いきなり何よ……っ!? なに、これ?」
その背中へ、梨穂は身構える間も無かった緊急回避について抗議の声を上げ、その半ばで息をのんだ。
へたり込んだ姿勢で目を剥く梨穂。そしてそれを庇う形で低く身構える悠華。
その二人の目の前で、暗い青を凝縮したような粘土が、徐々に立ち上がっていく。
プラスチックのように固まった指のない足。そこから上に続くのは、同じく硬質な球体関節でつながる脚部。
脚と揃いのデッサン人形めいた腕。その四肢と繋がる胴体の肩と腰は柔らかな粘土質の塊。
そして乱雑に丸めた粘土を無造作に置いたようなのっぺり頭。
それはまさしく、昨日幻想界で悠華を襲ったヴォルスの尖兵であった。
「二人とも、ケガはない?」
しかしヴォルスが動き出すよりも早く、人影が一つ、悠華よりもさらに前に割り入る。
「いおりちゃん!?」
「先、生?」
悠華は弾ませて。梨穂は戸惑い混じりに。二人が呼んだ黒いスーツの背中は、紛れもなくいおりのもの。
「どうやら間に合ったようね」
振り返ったいおりは、教え子二人の姿に目を通す。そして二人の無事を確かめて微笑を浮かべる。
「とっさによく動けたわね、宇津峰さん。いい反応だった」
微笑のまま、先の緊急回避を誉めるいおり。そうしてすぐに黒目がちなつり目を引き締め、ヴォルスへ向ける。
いおりはそのまま、教え子を庇って襲撃者を睨み続ける。しかしヴォルスはそれを意に介した様子も無く、首を直角に捻る。
直後、ヴォルスの踏む床が溶けるように消え失せる。
「なに!?」
「はあ?」
「ええ?」
そして三人が驚きの声を上げる前で、白い虚空へ続く穴が瞬く間に拡がる。
視界を埋め尽くす白。一色の中に何物も見つけられぬそれは、色は真逆であるが闇を思わせる。
そう、白い闇だ。全ては白に埋め尽くされ、己の影すら見いだせぬ闇。
しかしそれも束の間。
やがて影が戻り、色彩が白を押し退けるようにして視界を彩っていく。
そして現れたのは海。
潮騒の歌う砂浜と、果てしなく広がる海であった。
「こ、ここは……?」
戸惑う声に悠華が顔を向ければ、そこには白い砂に座り込んだ梨穂の姿があった。
「海辺? それにこの海の形は……」
また別の声を辿れば、いおりの姿も見つかった。青い薄靄のかかる海の彼方を眺めるその顔はどこか安堵しているようにも見える。
「いおりちゃん! 委員長!」
何故か白い闇にのまれる前とは違う距離にいる二人。悠華が呼びかけると、離れた場所で周囲を見回していた二人も悠華を見つける。
「ほら委員長、腰抜かしてない?」
「だ、大丈夫よ……」
悠華は梨穂へ歩み寄り、手をさしだして立ち上がらせる。
そこへいおりが小走りに砂を踏んで合流する。
「二人とも無事ね?」
「はいな。委員長が砂に汚れた以外は何ともないッスよ」
「宇津峰さん!?」
安否を問う言葉への軽口に、梨穂が声を上げる。
悠華はスカートや脚についた砂を払うその姿を一瞥すると、右手を飾る指輪へ視線を落とす。
『おぉいテラ? なんか学校でヴォルスが出てきたんだけど?』
『え、ホントに!? それで今は……幻想界? 悠華、幻想界にいるの?』
指輪を介して送った念話に、頭の中で驚きの返事が響く。
合わせて響いた現在地を確認する問いかけに、悠華は改めて辺りに目をやり、心の内で頷く。
『うん、そう。襲われたと思ったらいきなり幻想界。どうなってんの?』
『奴のせいで世界の境界が崩れてそれに巻き込まれたんだ。待ってて、今そっちに行くから』
意気込み、契約の法具を通り道に転移して来ようとするテラ。
『いや、ちょい待ち。先生はともかく、これ以上混乱させたらまずそうなのが一緒だから、まだ様子見で』
だが悠華は梨穂を見やり、相棒を抑える。
「ちょっとなによ……どうしたのよ」
すると梨穂は悠華の向けた目の意味を深読みしてか、不安げにその先を追う。
「おおう、ごめんごめん。変なモンを見つけたわけじゃないから。変なのは今探してるトコ」
そう一言謝って、悠華は頭ごと視線を動かして辺りを見回す。
「か、勘違いさせないでよ……それに、別に怖がってるわけじゃないんだから……」
勤めて冷静な声を返す梨穂。しかしその目は辺りを落ち着きなく探っている。
無理もない。いきなり訳の分からないものに襲われて、見たこともない場所へ放りだされたのだ。パニックを起こしていないだけで充分精神的に強靭であると言える。
昨日の今日の体験でそれを実感している悠華は、梨穂の強がりに突っ込まず、敵の姿を探る。
「それにしても、姿が見えないのは不気味ね……」
周囲に警戒の目を向けていたいおりが呟き、息を吐く。
「……あの、先生?」
そこで投げ掛けられた声に、いおりは梨穂へ柔らかな顔を向ける。
「なに? 永渕さん」
教え子の不安を和らげるためか、いおりは穏やかな顔と声で本題を促す。
すると梨穂は辺りの砂浜に視線を巡らせてから、先を促すいおりの顔を見て口を開く。
「あの、先生はこの場所を見ても……こんな変なところにも、全然動じてないですけど……もしかして、ここが何なのか知ってるんですか?」
途切れ途切れに、言葉を選びながらの質問。その内容に、悠華は自分にも向けられないようにと息を殺す。
だが当のいおりは、柔らかな笑みを深めて口を開く。
「昔神隠しにあって、ここに来たことがある……って言ったら信じてくれるかしら?」
「は……?」
にこやかに放たれたいおりの言葉。それに梨穂は呆けて聞き返す。
そして悠華もいおりの言い放った言葉には思わず目を剥いた。その顔に書かれている言葉を具体的にセリフに起こすならば「なんば言いよっとかこん人はぁあッ!?」と言ったところであろう。
「確かに出た場所は違うし、何もかも同じとは言わないけれど、その時は帰れたから大丈夫よ。必ず無事に、戻れるから。心配いらないわ」
しかしいおりは、そんな教え子二人の反応は織り込み済みとばかりに表情を変えず言葉を続ける。
事実を多少ぼやかしたものであるが、気休めの作り話と取られてもおかしくない話ではあった。
「は、はい……帰れる、戻れたんですね」
が、実体験の裏打ちされた確信と梨穂の中にあった考えが上手くかみ合ってか、梨穂はその顔に安堵の色を浮かべる。
「そう。だから大丈夫。心配いらないわ」
梨穂の内に生まれた安堵を固めるように繰り返すいおり。
それに梨穂が頷くと、いおりは未だ姿を現さない襲撃者を探して視線を陸の方へ向ける。
刹那、音も激しく波が裂ける。
白波を割って現れた暗い色の塊は、梨穂めがけて真一文字に空を横切る。
「いやぁあッ!?」
「永淵さん!?」
「委員長ッ!」
悲鳴を上げる梨穂。
それにいおりと悠華が振り向いたときには、夜の色を練り込んだような粘土質のものに梨穂の腕や足が深々と沈んでいた。
そしてすぐさま梨穂の体を取り込んだまま後ろへ跳躍。波から飛び出したときの逆回しに海へ戻る。
「炎よッ!!」
いおりはとっさに叫び、左腕を振るう。すくい上げるように弧を描いたその手から飛び出す炎。矢のように飛んだ紅蓮の礫は暗い色の粘土へ狙い違わず突き刺さる。
爆ぜて粉舞う炎の礫。身を焼くその熱に、邪魔の入らぬ場所へ獲物を引きずり込もうとしていたヴォルスは堪らず捕まえていた梨穂を解き放つ。
「テラッ!」
『待たせすぎだよ!』
宙を舞う梨穂の姿を目で追いながら、悠華は相棒を右手から呼び出す。
拳を打ち出した勢いに乗って空を走るテラ。
『砂よッ!』
そして着地と同時に叫ぶや否や、辺りの砂が応じて鎌首もたげた蛇の如く立ち上がる。
うねり上がった砂の塊は、落ちてくる梨穂を受け止めようと滑り込む。
柔らかな砂がクッションとなって梨穂を襲うはずの衝撃を大きく和らげる。
「永淵さん!」
崩れてなだらかな山となった砂の上に倒れる梨穂。そこへ駆け寄るいおり。遅れて悠華とテラもまた砂を蹴って梨穂の横たわる砂山に走る。
「いおりちゃん、委員長はッ?」
砂山から梨穂を抱き上げるいおり。その背中へ悠華が問いかける。
「大丈夫。気を失っているだけ……」
意識を失った梨穂を抱えたまま頷くいおり。
その答えに悠華は息を吐き、波打ち際を見やる。
そこには炎を灯したまま悶え転がるヴォルスの姿がある。
「それにしても先生……魔法使えたんですね」
「出来たのは多分、ここが幻想界だからね。威力は十年前の半分にも届かないけれど、今回はそれが幸いしたわね」
いおりは今使えた理由を推し量り、余波で焼くことなく救出できた梨穂へ視線を落とす。
『今の幻想界の核が父と母の肉体だからというのも大きいと思います。条件さえ整えられればもう少し何とかなるかもしれません』
その横を通り過ぎて、テラがいおりと梨穂の盾になろうと言うように前に出る。
「君がそうか。アムの、アムとルクスの……」
『お会いできて光栄です。お話は母から何度か』
かけがえのない戦友の子の背に感慨深げに呟くいおり。その声を受けてテラは振り返り、頭を垂れる。
そんな恩師と相棒を見て、悠華は正面の敵へ向けて一歩踏み出す。
「さて積もる話は終わってから。というわけで、一気に叩き潰させてもらっちゃおうか」
砂を踏みしめ進みながら、指輪のはまる右拳を左掌に叩き込む。
両手の間で弾ける乾いた音とオレンジ色の光。
立ち上がりつつあるヴォルスを前に、輝きを胸の前に灯して仁王立ち。
「変身!」
そして叫び、頭上に持ち上げた両手で円を描き、下腹の前で打ち合わせ直す。
再び空気を割る小気味良い響き。同時に出来上がった光輪が回転、拡大。悠華の全身を包んで光の卵を作り上げる。
「ヤッハァアッ!」
そして光の卵は内側からの圧力に耐えかね爆発四散。殻の内に守られていた者が姿を現す。
黒く重厚なヒーロースーツ。ダイナの鎧を纏う巨漢と化した悠華。
「……あの姿、なつかしい……ウィンダイナ」
その教え子の姿に、いおりがポツリと友の名乗っていた名前を呟く。
一方戦闘態勢に入った悠華は、シールドバイザー奥のロボットじみた双眸を輝かせて踏み込む。
「さぁて出し惜しみ無しの大盤振る舞い!」
勢いづいた言葉の通り、装甲表面を走るエネルギーラインが脈動。強まった光は砂を踏む足先へ集束し、輝く足跡を砂浜に刻む。
「翻、土、棒ッ!」
一踏みごとに区切っての呼び声。それに従い、足跡と共に刻み込まれた光が地を奔り、黒い戦士の目前で山吹色の棍となって飛び出す。
「ヤッハァ!」
砂煙を巻き上げ出た翻土棒。それを掴み取った悠華は、得物の飛び出た砂地を踏み切り、跳ぶ。
「えいっしゃらぁあ!」
重々しい足音。そして鋭い気合い。
翻土棒を振り上げた悠華が宙を舞い、波打ち際で立ち上がるヴォルスの尖兵めがけて飛び込む。
「ふん!」
全体重を上乗せした振り降ろし。しなる山吹色の棍は闇色の粘土質に左肩から深々と沈み込む。
「ふぅッ……ハァッ!」
叩き込んだ翻土棒に掌を滑らせて身を引き、長く持った得物を振り上げ逆の肩へ叩き込む。
交差させる形で叩き込んだ一撃。打ち込んだ勢いのままヴォルスの体を抉るように滑らせて引く。
「ハイ、ハイハイ! ハィイッ!!」
さらに頭への突き。その場でターンしての首、肩、腰への三連打。
「イィィヤッハァアアアアアアッ!!」
そして砂が爆ぜるほどに踏み込み、石突からヴォルスへ振り下ろす。
粘土質の胸を貫いた翻土棒は、地へ縫いとめる杭のようにヴォルスを砂浜へはりつける。
もがくそれを目前に、得物を手放した悠華は右足を大きく振り上げる。
黒光りする装甲。その表面を走るエネルギーで輝く高々と掲げられた右足。それはまさに目前の敵を処刑する断頭台の刃を思わせる。
「これでとどめだ! 地に還れッ!!」
そして響く執行宣言。
それを引き金に解き放たれた右踵は、空を一閃。翻土棒の天辺を叩き、杭として打ち込んだそれ砂中へ沈める。
爆音。そして舞い上がる砂と海水。刹那の嵐が柱を成して立ち上がる。
それが収まると、悠華は装甲表面についた汚れを払い落して振り返る。
「ふぅ……ま、ざっとこんなもんっしょ? これで戻れると……」
「まだダメ! 浅いッ!」
気を抜いた悠華を叩くいおりの警告。
「え?」
だが悠華が振り向いた瞬間。手の形をした闇がその顔面を掴んでいた。