猫ってかぶるもの以外なにがある?(1)
直、起きろ。
遠くでそんな声が聞こえてくる。身体が揺れる。しだいに意識が浮上していく。
「起きないとキスするよー?」
確実に聞こえてきたセリフにめはぱっちりと開いた。開いた目に一番に写ったのは、本気でキスをしようとする凛久の顏だった。その額をぺしっと叩いた私は悶える凛久を無視して携帯で時間を確認する。
「ああ、寝すぎた」
昼前になった時計を見て、頭をかいた。しまったと思いながらベッドから起き上がると、クローゼットから服を取り出す。
「あんたいつまでいるのよ。着替えるんだから出てってよ」
「なんでー?別にいいじゃん。もうお互いの裸見てんだし」
「それとこれは別でしょ」
額を赤くした凛久を追い出して、スウェットを脱ぐ。鏡に映った姿を見ると、身体のいたるところに赤い痕が残っている。そんな身体を見るとため息がこぼれてしまう。
「そんな憂いたため息こぼされたらつけがいがあるなぁ」
「…ってなんであんだ入ってきてんのよ!とっとと出てけ!」
私は凛久を足蹴りして部屋から追い出すと、また入ってきそうだからぱぱっと着替えを済ませた。そしたら案の定、凛久は部屋に入ってきて、すでに着替え終えた私を見て残念そうな顔をした。
「着替えんのはやくね?」
「うっさい、この色情魔」
「直限定ね」
嬉しくもないことをさらりと言われて、言い返す気にもならず、私は洗面所の方へと向かった。顔を洗って歯を磨いて髪を整えて、外に出れるように化粧もして、リビングに戻ると凛久がコーヒーをいれてくれていた。
「ありがと」
「どーいたしまして。あ、親父がもうすぐ迎えに来るって」
「は?悪いから!そんなの新年のあいさつなんだからこっちから行くってば!」
「そう言うと思ったから黙っといたんだけどね。もう来るから」
「…てめ、」
文句を言おうとした矢先、インターホンが鳴って、部屋に入ってきたのは今話に上がっていた秋穂さんで。私たちが出迎えるよりも早く玄関のドアを開けたくせに、靴だけはあの時と同様律儀にそろえていた。
「明けましておめでとうございます」
靴をそろえ終えて前を向いた秋穂さんにぺこりと頭を下げると、秋穂さんはふわりと優しい笑みを向けて同じ言葉を返してくれた。
「さ、急で悪いがもう出ようか。母さんと由良が早く連れて来いとうるさくてね」
「すいません、本当なら私から行かないとだめなのに、迎えなんて‥」
「ああ、気にしないで。電車だとけっこうかかっちゃうし、私も凛久の父親として君とはいろいろ話してみたかったから」
秋穂さんに言われて、私は笑顔でその言葉に返した。そして、下に停めてあった秋穂さんの車に凛久と乗り込むと、凛久の実家がどこにあるのかもわからないまま発進された。
「じゃあ、まだ1年も経ってないのか!」
車の中でなれ初めのようなものを聞かれて話していたら、秋穂さんにとても驚かれた。そりゃあまぁ、1年も付き合ってない男女が同じ部屋に住んでるって違和感しかないよね。つーかむしろ、こいつらどうなんだよって思っちゃうし。
「まぁ‥はい、実は」
こんなこと相手の親に知られていいのか?いや、まずいだろ。相手が男の親だからまだあれだけど、それでもまずいだろ。
「由良たちが聞いたら両手あげて喜ぶな」
「ふん」
…喜ぶのか?いやいやいや、普通は喜ばないだろ。自分の息子が1年も付き合いが満たない女と同棲してるって、まったくもってよろしくないだろ。いや、それを実践してる身からすれば許してくれるのはありがたいけど。
「あと20分もしたらつくから、リラックスしてくれていいよ」
秋穂さんは鏡越しに目を合わせてそう言ってくれた。まぁそんなこと言われても、彼氏の家族に会いに行くんだから、緊張しかしない。これでリラックスしろなんていうほうがよっぽど無理な話だ。さすがの私でも緊張するって。
「そういや直、それなに?」
私の隣に置いてあった紙袋を見た凛久は首をかしげながら言った。本当にこういう仕草は似合うんだから。なんで女の子じゃないんだろう。ほんっと残念。
「これ?まぁ着いてからのお楽しみってことで」
「ふぅん?」
「さ、ついてぞ。直ちゃんも降りて。俺は車戻してくるから凛久案内してくれるか」
秋穂さんの言葉に凛久はうなずくと、私の手をとって家の門をくぐった。予想していたよりも大きな家にびっくりしていると、凛久は苦笑しながら「口閉じれば?」なんて言ってきた。いや、開けっ放しにもなるでしょうよ、このでかさ。
「ただいまー」
周りに呆気にとられて、玄関をくぐってしまったということに気が付かなかった私は、凛久の言葉にびくりと肩を震わせた。
「心配しなくても俺の親とか堅物じゃないから。もっとフランクでいいよ」
いや、相手の両親に対してフランクってなんだ。なんて思っていたら、中からばたばたと音が聞こえて、リビングだろう扉から出てきたのは、きれいな女の人と、めちゃくちゃ可愛らしい女の人だった。‥やっぱりこいつ美形一家だったんだな。
「あ、り、凛久君とお付き合いさせていただいてます、雪瀬直です、」
頭を下げて礼をすれば、聞こえてきたのはとんでもない言葉。
「やだ、男前!」
「美人さんじゃない!凛久にはもったいない!」
「いや、あのな、」
凛久がなにか言おうとしたがそれを遮って現れたのは車を車庫に戻してきた秋穂さんだった。
「直ちゃん、中に入って。みんな、お客様なんだからちゃんとお通しして」
…やっぱり秋穂さんが一番まともなのかな‥?なんてことを初対面ながらに感じたりして。




