静かな夜と聖なる夜と、(5)
「結婚した、だと?」
「らしいよ。結婚式とか行ってないからどこの誰と結婚したかは知らないけどね」
ていうか、いい加減姉貴のこと諦めればいいのに。いつまで姉貴のこと好きでいるんだろう、っていうかいつまで執着してるつもりなんだろう。
「どこだ、どこに住んでる!?陽は、今どこにいる!?」
あの人はすぐ剣幕で、私の前まで来ると、首根っこをもって顔を近づけた。それは、まるで、殴られる瞬間のようで、とっさに目をつぶってしまった。それがいけなかったのは、気付けばあの時と同じように、私はあの人に脇腹を殴られいた。手加減など知らないその拳は、思い切り奮われる。うめき声のようなものを上げると、あの人は私から手を離して鼻で笑った。
「こんなことでそんな声を出すな。それじゃいつまで経っても弱いままだろうが」
「…別に、弱いままでいい、」
「んだと?」
俯いていた顔を無理やりあげられて、傲慢なその顏が目に映った。怒りをあらわにしているその表情からは、昔を思い出させる。
「お前は男だ。それ以外は許さん!」
あの人はそれだけ言うと、どこかへ行ってしまった。その後ろ姿をじっと見てから、のそりと身体を起こした。瞬間、お腹にものすごい激痛が走る。
「いってぇ、」
お腹を押さえながら車に乗り込んでため息をつく。せっかく晩ご飯の買い出しをして今日は煮込みハンバーグでもしようと思っていたのに。なんだか萎えてしまった。いや、正確には疲れがやってきた。やるせない思いをため息と一緒に吐き捨てて、とりあえず家に帰ることにした。
家に帰ると、凛久はまだ帰っていなくて部屋は暗いままだった。明かりをつけて荷物を置いてから自分の部屋に行く。そっと上の服を脱いで殴られた個所を確認する。……色、変わってきてる。
「ばれないようにしないと」
きっと骨には異常はない。また、あの時と同じように、紫色の痣がしばらくできるだけ。2週間もあればきれいさっぱりなくなる。そう割り切って、私は脱いだ服をもう一度着てキッチンへと向かった。
「ただいまー」
「おかえり、早かったね」
「そうかぁ?もう6時前だけど」
「あれ、ほんと?」
あの人と話していたからだろうか。凛久の言うとおり、時計はもう6時をさしていた。私は慌てて晩ご飯の準備にとりかかる。あまりやる気はでなかったけれど、せっかく食材を買ってきたから煮込みハンバーグを作ることした。あまり体を動かすと痛くて声が出てしまうから、なるべく負担をかけないように。でも普段と何も変わらないように。殴られた痛みがまだ残る身体を酷使し、着実にご飯を作っていく。
「お、うまそうな匂い」
「当たり前でしょ、私が作ってるんだから」
「言うねー。まぁあながち間違いでもないんだけどな」
「でしょ。あ、凛久、梨央と旬が付き合ってるって聞いてる?」
「は?なにそれ?その気はあったけど、付き合ったってのは聞いてねぇ。え、なに、あいつらくっついたの?」
「今日2人でデートなんだって」
と、そこまで言って昼過ぎの会話を思い出す。
「いいなー、デート」
…しばらくデートって単語はNGワードだな。よし。
「あとは陽斗と奈津子だけだねー。あそこも時間の問題だと思うんだけど」
「あー‥だろうな。結局身内でくっついちゃったし」
「ねー。お互い違う大学に行ってるのにね」
別に出会うために大学に進学したわけじゃないんだけどね。でも、もう少しみんな周りの人見てもいいと思うんだよね、
「今日の晩ご飯なに?」
「今日は煮込みハンバーグです」
「お!うまそう」
煮込まれているハンバーグを見た凛久は今にもつまみそうな勢いで鍋の中を覗くから、おもわず笑ってしまった。そんなにお腹空いてるのか。
「もうできるからご飯とかよそっといてくれる?」
茶碗を2つ凛久に渡して、私はお皿にハンバーグをのせる。少し重たくなった皿を持つのに力を入れると体が少しいたんだ。その痛みに気づかないふりをして、盛られたサラダを一緒にお盆に乗っけて持っていく。温まったコーンスープを器に入れて一緒に並べて今日の夕飯は完成した。
「いただきます」
お箸をそろえてそう言うと、凛久はよほどお腹が空いていたのか、がつがつと食べ始めた。その食いっぷりに苦笑いをして、私も湯気が上がるハンバーグを食べた。
「そういえば凛久どこ行ってたの?けっこう長い時間出てたみたいだけど」
「ん?あー‥まぁいろいろ」
「ふうん?」
凛久はへらっと笑ってごまかした。全然ごまかしにはなってないけど。私は凛久の言葉を流して、凛久が付けたテレビを見る。別にこれといった番組がないのか、普段はあまり見ないものがかかっていた。
「あ、そういや最近不審者がこのあたりで出るんだってさ」
「不審者?」
聞き返したその言葉に、ドキリとした。頭の中に今日のことが浮かんできて、少しだけ痛い個所がうずいた。別にそうと決まったわけでもないのに、今日の一件があったせいか、嫌な予感がしてならない。
「‥もしかして、なんかあった?」
「え?いや、そういうわけじゃないけど、」
気付かれたかと思った。そんなに不自然に装ったつもりはない。いたっていつもと同じように反応したつもりだ。ただ、ほんの少しだけ、今の言葉から凛久の目が鋭くなったのは、間違いじゃない。
「なんかけっこう出没範囲広いみたいでさ、ここら一帯らしいから直も気を付けてよ」
凛久は優しい顏もちで言うと、「ごちそうさま」と言って、「風呂先入るね」と付け足して自分の部屋に戻っていった。
…もしこの時、凛久に今日あったことを言っておけば、あの日来なかったかもしれないのにね。なんて、今の私が知るはずもなくて。ただただ、脇腹の鈍い痛みを耐えるしかなかった。




