静かな夜と聖なる夜と、(4)
買い物からの帰り道。車のダッシュケースに入った文庫本を見つけた。
「…梨央の本じゃん。あいつ忘れてったな」
ため息をついて、家までの道のりを変更する。懐かしい街並みが車の外に広がって、梨央にバスケを誘われた公園を過ぎて少し先にある梨央の家のそばに車を停めた。相変わらずでかい家だなと感心しながら、インターホンを押した。
「はい」
「あ、雪瀬です」
インターホン越しに聞こえてきたのは女の人の声。苗字を名乗ると、急に玄関付近が騒がしくなってドタバタと外からでも聞こえてきた。勢いよく扉があけられて、中から出てきたのは、インターホンから聞こえた声の人、ではなくて、梨央の兄、恭平さんだった。
「直ちゃん!」
「‥あれ、恭平さん、自分探しの旅に行ってたんじゃなかったっけ?」
去年、梨央がそんなこと言ってたような気がするんだけど。帰ってきてたの?
「2か月前に帰ってきたんだよー!直ちゃん相変わらず綺麗だね!」
恭平さんは相変わらず残念なイケメンさんだね!
恭平さんを軽くあしらって玄関の中に入ると、今度こそインターホンから聞こえた声の主、梨央ママが顔を出した。
「お久しぶりです」
「あら、直ちゃん。ほんとに久しぶりね。しばらく見ないうちに綺麗になって。今日はどうしたの?梨央に何か用があったの?」
「あーっと、まぁ用ってほどでもないんですけど‥これ、梨央が車の中に忘れていったみたいで」
「そうなの?梨央ったら。でもごめんなさいね、梨央、今日はでかけてていないのよ」
「そうなんですか?バスケですか?」
「違うよ。今日はデートみたいだよ。何て名前の子だったかな」
「旬君よ、恭平」
「あー、そう。そんな名前だった」
はい?梨央と旬がデェトォ!?いつの間にそんな仲になったの、あいつら。いや、確かに喧嘩するほど仲が良いとはいうけどさ。まさかまさか、そこでくっついちゃうの?じゃあもしかして、ほっといたら陽斗と奈津子もくっついちゃう感じ?旅行でそのけはあったけども!
「直ちゃん、旬君って子、どんな子か知ってる?あの子、なんにも言ってくれなくて」
そう言う梨央ママは楽しんでるのか、本気で心配してるのか。紙一重なその言葉に、私は言うべきか迷ってしまう。まぁ、経験上、前者のほうが多かった気がするけど。
「どんな子って言われるとわかんないけど‥いい人ですよ。気も使えるし、優しいし、男前だし。まぁうるさいけど」
「そう。直ちゃんも仲がいいのね、その子と」
「ハハ、そうですね。よく一緒に遊ぶメンバーなんで」
んー、なんか根掘り葉掘り聞かれそうだ。そろそろ退散しよう、そうしよう。
「あ、私晩ご飯の支度あるんでそろそろ帰りますね」
「あら、食べていけばいいじゃない」
「えーと、そうしたいんですけど、今日家に人を呼んでて、一緒に食べようってことになってるんで」
「ごめんなさい」と付け足して、私は白城家の門をくぐった。車のそばまで行き運転席に乗り込もうとしたとき、数百メートル先にひとりの人が立っているのが見えた。かろうじて男だろうとわかるくらいの遠さだけど、この距離は忘れもしない。私の家と梨央の家との距離だ。だからあの人が立っているあの場所には、私が住んでいた家がある。新しく入った人だろうかと首をかしげたけれど、もう関係ないと思って目をそらした時だった。ずっと家を見ていたその人は、ふいにこちらを見た気がした。その一瞬に感じた悪寒に首をもう一度かしげて、再度あの人を見た。さっきまで立っていたあの人はこちらにふらりふらりと歩いてきていた。だんだんと大きくなって、確かになっていくその人の姿に、また、悪寒を感じて、それは凍るように背筋に走った。声も聞こえるだろうという距離にまでなって、その人は歩みを止めて私を見る。忘れたくても忘れられなかったあの顏が、目の前にいて、そして私を睨みつけていた。
「…どうして、いるの」
「そんなことより俺の家はどうした?」
どこまでも傲慢で、誰もを見下そうとする、相変わらずの目と態度。変わらない。あの頃となにも。何一つ変わってない。
「売ったわよ」
「あ?お前誰の許可を得てんなことしてんだよ?あれは俺の家だろうが」
「いなかったくせに、誰も住んでなかったのにあったって仕方ないでしょ」
あんたのせいで、母さんも姉貴もいなくなって。何もかもがなくなって。なにもないあの家にいるのは、すごくつらかったんだ。
「勝手なことすんじゃねぇ。誰のおかげであの家に住めたと思ってる?誰のおかげでそこまで育ったと思ってる?俺のおけげだろうが!」
「‥なにそれ、」
「恩を仇で返すような、そんな教育、俺はしてねぇぞ。ったく、あの女、ほかの男にいくまえにそれぐらいの教育しろよ」
…なにそれ。なんなの、この人。なんでそんなことが言えるの。
「だいたいなんだよ、その長い髪はよぉ。直、お前は男として育てって俺は言わなかったか?あ?」
「…限界があるって言ったじゃない」
「限界だぁ?んなもん、今の医学の技術でなんとでもなるんだよ」
「なに、言ってんの」
「お前は俺の言った通りの男に育ちゃあいいんだよ。女は陽だけで十分だ。あいつは母さんに似て綺麗になったからな。そういや、陽はどこ行った?」
ぎゃははとなんとも下品な笑い方で笑って、あの人は姉貴のことを聞いた。
「知らない。でも姉貴は結婚したってていうのは聞いた。続いてるかは知らないけど」
そう言ってやれば、あの人はあからさまに顔をしかめた。そんなしかめられても、と思ったけれど何も言わずに見続ける。




