プロメテウスの火
DIVE4
青年の眉間にしわが寄せられた。表面的には表情を作るようにその顔を動かすことはあっても、滅多なことでは表情の動かない青年の顔にしわが刻まれる。耳に当てられた電話の相手は、青年、ヒロイがその素顔を見せる数少ない人間ではない。
「何?ソシオパス?」
聞き返し、相手の言葉を聞くとさらにその顔は険しくなった。民間人の電話ではあり得ないことに思われるが、この電話はしっかりと盗聴防止措置が為されている。
「サイコパス?」
社会病質者。精神病質者。どちらの言葉にもヒロイは顔をしかめる。
相手が言葉をつごうとする声に重ねるように、ヒロイは背筋が凍るような冷たく厳しい声を叩きつけた。
「二人のシンクロ率が高いということは対象そのものとシンクロしやすいということだ。そんな理由で、しかもそんな危険な対象に二人を行かせるのは断る」
きっぱりとしたヒロイの言葉に、相手が一瞬言葉に詰まった。が、すぐにその相手の声にも険しさが加わる。
『そんなことが許されると思っているのか。そこまで影響を受けると決まったわけではない。あの二人は単なるダイバーの一人でしかないんだぞ』
「単なる?」
ヒロイの声はさらに冷える。怒れば怒るほど冷えていくヒロイの声は、激した感情をそのまま声に出されるよりも恐ろしい。
「わたしが二人がダイブする対象は決める。そのためにダイバーにわたし達がついているんだ。今回の話はなしだ」
『お前は自分を何様だと思っている。組織に従え。お前も、組織の構成員なんだぞ』
ヒロイは鼻で笑い飛ばした。笑わせてくれる。第一、確かに構成員だが、単なる構成員ではない。だからこそ、何よりも貴重な二人のダイバーについているのだから。組織の言葉を断れるからこそ。
「わたしを怒らせる気か?これ以上この話をするつもりはない」
ヒロイはそう言い捨てるとそのまま受話器を静かに置く。ヒロイの足下では、ヒロイの声に反応したバーニーが緊張したように座っていた。
昇降口で靴を突っかけながら外に出たさろは、友達に手を振りながら校門に歩いていく。校門にいるスーツ姿の人物を目にして少しその顔をしかめた。
が、見覚えのある相手ではない。自分には関係ないだろうと判断してしまう。校門に人がいると顔をしかめてしまうのは、自分を迎えに来ている人物であることが多いからだろう。ムクやヒロイが。
が、その横をすり抜けていこうとするとそのスーツの男は不作法にさろの肘を掴んだ。
驚いて振り返り、思わず声を上げそうになったさろは咎めるように、訝しむように相手を見た。硬い印象を与える三十代と思われる人物。整った顔は怜悧な印象を与える。ヒロイとは違う意味で、怖い印象を人に与えるだろう。どちらもその容姿のおかげでそれは打ち消されてしまうだろうが。
ヒロイのことは少しも怖いと思わないさろは、この相手にはしかし、思わずその背中を伸ばした。緊張して相手を見る。
「さろだね?」
言葉は柔らかい。しかし、声もまた硬質だった。さろの顔にあからさまな警戒が浮かんだ。
「仕事だ」
聞いた瞬間、さろの目が鋭くなった。それまで呆気にとられた様子のあったさろは、相手を見据えるように真っ直ぐに見る。そうして、掴まれたままの腕をやんわりと、しかしきっぱりと振りほどいた。
「あなたが誰か知りませんが、お断りします」
そう言いおいて踵を返そうとする。
が、それは許されなかった。肩を掴まれ引き戻される。通り過ぎて行く生徒たちが訝しげに二人の様子を見ていた。そのうち教師でも出てくるだろう。
相手もそれは分かったようだ。そのままさろの腕を掴んでその場をとりあえず離れようとする。
が、さろも大人しくついていく気はない。ヒロイ以外が自分達に仕事を持ってくるのはあり得ないのだ。
「離してよ。行かないって言ってるじゃない」
さろの声に棘が加わる。そのまま大きな声を出せばいくらでも人はいる。だが、この相手が読めない。場合によっては何でも適当なことをいって人を納得させてしまうことも考えられるのだ。それなりの立場のある人物ではないと言いきれないのだから。
「ダイバーの君に仕事を選ぶ権利はない」
全く表情を変えずに男はさろを引っ張って行く。
が、さろが混乱し、恐怖に捕らわれる前に助けは入った。ほとんど打ち払うようにして男の手がさろの腕から引き離された。
「ムク」
さろの声にほっとした響きがある。一見すればムクの方が一般に怖がられる外見だと言うのに。少なくとも男はきっちりした格好をしているのだから。
「嫌がっている女子高生連れてどこ行くつもりだ、おっさん」
ムクが挑発するように男を見据える。さろも掴まれた腕を無意識にさすりながら相手を睨み据えた。
「ムクだな。君の方にも迎えがいったはずだが?」
「ヒロイ以外から仕事の話が来るはずがないんだよ。ヒロイが接点なんだから。ダイバーとは直接接触しないんだろ?」
ムクの言葉に男は改めて二人と向き合った。それなりに学校からは離れた。人通りもほとんどない。ならばここで話してもいいだろうと。
「組織が決めた君達の仕事だ。ヒロイを通せなければ直接ということもある」
「ヒロイを通せないってのはどういうことだ?はっきり言ってもらいたい」
ムクは引き下がらない。外見で判断すれば外見だけで中身のない少年に見る大人もいるだろうが、そうすると痛い目を見る。
隣でさろも口を開いた。その声にはもう落ち着きが戻っている。
「ヒロイが断ったって事でしょ?だったら、わたし達はやらない」
「君達が従うべきは組織であってヒロイではない」
ムクがむっとしたように顔をしかめる。相手の論理が理解できないのだ。と言うよりも、こうして話していると組織にとってダイバーは取り替えのきく駒に過ぎないのだと言われているような気がしてくる。自分達がそれでも扱いがいいであろう理由は、貴重な優秀なダイバーだからだろう。同じクオリティで取り替えられる人間がいないから。
が、その横でさろが言葉を返した。穏やかな口調だが、辛辣な言葉を。
「わたしが潜るのはヒロイがわたし達にダイブさせると判断したから。ヒロイが断った、そんなものに潜りたくないわ。人の心に潜るのがそんなに気分がいいものだとでも思ってるの?」
言ったさろは、ヒロイ本人には絶対に言わないだろう言葉を男に向けた。この組織があの機械を手に入れるのと入れ代わりに、発明したさろの叔父は死んでしまったのだ。
「わたしは組織を信用してない。潜るのはヒロイがそう言うからよ。信用しているのはヒロイ。信用してない人間から言われたものに潜れるほど心臓強くないの」
外見で判断すると痛い目を見るのはさろも一緒だ。さろは厳しい言葉を向けることがある。相手と場合によっては。きっぱり言わなければ分からないと判断すれば躊躇わない。
男が一瞬言葉を失ったすきにさろとムクは踵を返した。踵を返した先に、ムクを迎えに行っていたスーツ姿の男が立っている。挟まれた、と言うよりも囲まれた形になった。一人で迎えに来ていたわけではないのだ。
苦々しげにムクが言う。
「そんなに潜る必要があるならてめぇで潜ればいいだろうが」
「君達のそのクオリティが必要なんだよ」
言って男達は二人を連れて行こうと近づいてくる。二人の言葉など結局、聞き入れる気がなければ意味がないのだ。
ムクが力尽くで抵抗しようと言うように身を低くした。潜った時に見えるものがどれほどダイバーに影響を与えるか分かっていないのだ。その必要があると思えるからダイバーは潜れるのだ。ヒロイが断ったと言われて、潜る気にはなれない。
ムクにとってもさろにとっても、ヒロイを信じる根拠など聞かれても答えられなかったが。あんな身勝手な奴を、と思ってしまう。ただ、今ここにいる連中よりははるかにいいと思えるのは確かだった。ヒロイは自分達を一人の人間と考えている。駒とは思わない。人を人とも思わない奴だが。
「勝手なことをしてくれているな」
冷たい声がその緊張に割って入った。スーツ姿の男達がその声にまるでショックを受けたように振り返る。
バーニーを連れたヒロイが立っていた。涼しげな顔で。
バーニーは人を襲わない。それでも、唸られれば怖いだろう。男達はそのバーニーにも少し警戒の目を向ける。
「まさかと思って来てみれば。いつから組織はこんな事をするようになったんだ」
「お前が断るからだろう」
その言葉にヒロイは嘲るような笑みを浮かべた。
「それはまた都合のいい理屈だな。ダイバーに潜らせるかどうかはオレ達に決める権限があるはずだ。そこで断ればそこまで。単に断る者が今まではいなかったと、それだけだろう」
言ってヒロイは男達を見据えた。今回のことはどうせ組織全体の決定ではない。その一部が強引にやろうとしているだけだ。こんなばかばかりの組織なら、ヒロイはいつまでもそこにいない。
「帰ってもう一度はっきり、断ると伝えるんだ。そこまでやりたければ自分で潜れと言うんだな。これ以上こいつらに強要するのなら、こちらも出方を変えさせてもらう」
きっぱりと言ったヒロイは囲まれたまま呆れたような顔で自分を見ているさろとムクに目を向けた。どこか小馬鹿にした調子で二人に声をかける。
「いつまでそんなところにいるんだ。人に手をかけさせて。さっさと来い。帰るぞ」
「………」
さろとムクは思わず顔を見合わせた。どういう理屈なんだろうか。むしろそっちでうまくやってくれなくて迷惑を被ったのはこっちではないかとまで思ってしまう。
が、それをヒロイに向かって言うほど無謀ではなかった。
大人しく男達を避けてヒロイの方に行く。ヒロイの言葉の何がそれほどきいたのか、男達は動こうとしなかった。ヒロイは一体何者なのか、という疑問が浮かびはするが、聞いたところで素直に答える相手ではない。
さっさと踵を返しているヒロイに待っていたバーニーと一緒に追いつきながら、さろとムクはもう一度男達を振り返った。彼らもおそらくは下部構成員だろう。それなりの権限を持った者もいたかもしれないが。
組織よりの人間に会ったのはこの前はいつだったろうかと思いながら、二人ともヒロイの後ろについた。
ヒロイの家に落ち着くと、ムクが思い出したようにさろをからかう。
「お前本気で怯えてたよな。気の強い奴が珍しい」
「うるさいな。力ではかなわないんだからしょうがないでしょ」
そんなところを見られたのが不本意で仕方ないさろはぷいっと横を向いてふくれてしまう。が、そうでなければ強引に連れて行かれかねなかったが。
それを黙って聞いていたヒロイはまったく、とかすかに顔をしかめた。
ダイブ前のダイバーにそんなことをしてどうするつもりなのか。危険なことだというのにダイバーの方の気持ちが落ち着いてなければどうなるか分かったものではない。大人しく潜る子達ではないが、潜らせたいと思うならそこまで考えて当たり前なのだ。何も分かっていない奴だな、やはり、と思っていたヒロイは視線を感じて顔を上げた。
二人がじっとヒロイを見ている。ムクの方が口を開いた。
「で、どんな仕事だったんだよ、お前が断ったのって」
ヒロイは二人を見て少し考える。確かに、知っておいてもいいだろう。というよりも、言わなければ大人しくなる二人でもない。まったく、厄介な子達だ。
「ソシオパスやサイコパスの犯罪者に潜ってその精神状態を解明したいんだそうだ」
「は?」
ヒロイは二人の顔を見ながらそれ以上は言わない。それはダイバーの仕事ではない。心理学者達がやる仕事だろう。ダイバーにやらせた方が確実で正確だという話だが、安易にもほどがある。その人物達は話せるのだろう。真実を話そうが、人に理解できないことを話そうが。ダイバーを持ち出して危険にさらすことではない。
ヒロイは二人に向かってにやっと笑った。
「単純な二人では、簡単に影響を受けてしまうだろう?」
その言葉にむっとしたようにヒロイを見ると、それぞれあらぬ方に目を向けてしまった。言葉の調子とは関係なく、ヒロイが自分達のことを思っているのは伝わってくるから。ただ、それが分かったことを伝えたくない。
微妙なその場の空気にバーニーが鼻を鳴らした。
ヒロイは自分の判断が絶対ではないことも分かっている。それでも、気にかけなければいけないものを忘れなければ絶対ではなくてもそこそこいい判断ができるだろうと思っている。どうせ今回のことは組織に資金を提供している誰かが言い出したことか何かだろうと思いながら。
「さろ、うちに来たんなら夕飯作れ。ムクはバーニーに散歩に連れて行ってもらってこい」
「ヒロイ!」
怒ったようにムクが振り返るのにくすくす笑いながらさろはキッチンに向かった。この間潜ってからそれほど時間が経っていない。もともとダイブの仕事など、そうそうあるものではないはずなのだ。安易に使っていいものではないのだから。
叔父の作ったこの機械は、人に火を与えたプロメテウスのように先につながるのか。それとも神の怒りをかって言葉が通じなくなったようなバベルの塔となるのか。どちらも禁じられたものではあったけれど。
全ての機械は使う人次第。
叔父が言っていた。おかしなおもちゃを作ってくれながら。
だったら、プロメテウスの火であってほしい。
それが正しかったかは、きっと答えが出ていない「火」だけれど。