ウサギの恋煩い
近頃そう、ふと思う事がある。
……公園のお兄ちゃんは、今どうしているんだろう?
もう泣いていないだろうか?
佳音 (かのん)は元気だよ。公園のお兄ちゃんも、元気?
「ただいま~」
「お帰りなさい、佳音ちゃん」
佳音が小学校からお家に帰ってくると、お母さんがニコニコしながら出迎えてくれた。佳音は今年小学校四年生で、それなりに年季が入ってきたランドセルを背負うと、以前は亀の子よろしく小さな体から頭や手足が生えているようにも見えたものだが、近頃は後ろから見てもバランスが良くなってきた。
我が子の日々の成長を微笑ましく感じながらも、佳音の母である理奈 (りな)は、最近まで一抹の寂しさも感じていたものである。
ランドセルを部屋に置いて、おもちゃが入っているバッグを背負い、すぐさま友人のところへと遊びに出掛けようとする佳音を引き止め、
「こら、佳音ちゃん。パパにご挨拶してからにしなさい」
「はぁ~い」
鉄砲玉のように飛び出そうした愛娘を窘め、理奈は仏壇の前に正座した佳音の背中を見守った。
「パパ、今日はわたしね、なわとびしたんだ。これから公園でみっちゃんとりょーちゃんで待ち合わせなのよ」
ひとしきり物言わぬ仏壇に向かって今日の成果を報告した佳音は、すぐさま玄関にきゃらきゃらと賑やかに駆け出して靴に足を突っ込み、
「それじゃあいってきまーす!」
「今夜はお出掛けだから、早く帰ってきてね」
「はぁ~い!」
友達と遊ぶのが楽しみで仕方がないと言わんばかりに、全速力で駆け出してゆく娘の背中を見送り、理奈は仏壇の前にそっと膝をついた。
「佳音は本当に公園が好きね……ねえあなた、あなた以外の人の奥さんになろうとする私の事、あなたは許して下さるかしら……?」
飾られている写真を一撫でし、理奈は今夜の予定に思いを馳せた……
母・理奈に連れられ、中学一年生の姉である咲来 (さら)と手を繋いで佳音が歩いてやってきた場所は、広い邸宅が立ち並ぶ閑静な高級住宅街であった。その豪邸とでも言うべきご立派な建物が立ち並ぶ中、理奈が足を止めたのは歴史を感じさせる洋館。
だがしかし、佳音にとっては、普段はもうお夕飯を頂いている刻限である為、自分が住んでいるアパートよりも明らかに大きく立派な家だろうが、気後れするよりも先にお腹と背中が引っ付きそうになっていて、抱えた空きっ腹が非常に辛い。
「ねえママ、今日お邪魔するお家って、ここ?」
早くご飯、ご飯、と催促する佳音に、理奈は「ええ」と、どこか緊張気味に頷く。
「ママ、このお屋敷って……」
「あら、咲来ちゃんは知ってるのね」
そんな佳音のうずうずと待ち望む期待に反し、姉の咲来が眉を顰めて屋敷を見据えた。
「知ってるも何も、ここ、馬鹿ショーの家じゃない!
まさか、本気なのママ!?」
門扉の前にて、そんな大声で怒鳴る咲来に理奈が答えようと口を開くよりも先に、「うるせーっ!」という罵声と共に、玄関のドアがバンッ! と、叩き付けるような勢いで開かれた。門扉の向こう側、庭を横切る玄関アプローチをずんずんと歩いてくる少年は、佳音にも見覚えのある人物である。
「あーっ、翔 (しょう)君だ! 小学校の卒業式以来だね!」
「よー、佳音。性格キツい姉とは違って、相変わらずお前はいっつも笑ってんな」
フンっと咲来に向かって鼻を鳴らした翔は、門扉を開くなり駆け寄ってきた佳音の「あくしゅ、あくしゅ!」コールに応えて彼女の両手を握ってやりつつ、苦笑を漏らした。
「佳音っ、馬鹿ショーなんかに懐かないっ!」
「おお、怖え怖え。
咲来はホンッと、眉間に皺寄せすぎじゃねえ? 今からそれじゃあ、おれはお前の将来が不安になるね」
怒りに頬を紅潮させた咲来から怒声を浴びせられた翔は佳音の手を離すと、彼女が立っている側の耳を片手でわざとらしく押さえ、次いで将来云々を口にしながら両手を軽く握って祈る仕草を見せる。そんな彼を、咲来はていっ! とばかりに殴りつけた。
大袈裟に痛がっている翔と、眉を吊り上げて睨み付けている咲来は、同じ中学に通うクラスメートであり、小学校の頃から同じクラスに振り分けられる事が多かった。
そんな2人は、当然ながら互いに知った間柄な訳だが、彼らは良好な友好関係を築いているとは到底言い難く、顔を合わせれば口喧嘩の絶えない関係でもあった。
だが、佳音にしてみれば、そんな姉の翔にたいする態度は理解に苦しむものでしかない。佳音にとって、翔は常に優しくて楽しい、仄かに憧れを抱く人以外の何者でもない。
翔は佳音が今も通う小学校に在学していた頃、陸上部のエースとして活躍していて、『同い年のガキっぽい男子』よりもよほど格好良くて話していても素敵だと、クラスの女子達からも評判であり、そんな翔から気に入られているという事は、佳音にとって密やかな自慢でもあった。
「あたし反対絶対反対!
馬鹿ショーとキョーダイになるとか、断固お断り!」
「あら……それは困ったわねえ」
不満をぶちまける咲来に、理奈は困惑気味に頬に手を当てた。
1人話についていけず、「キョーダイ?」と呟いて首を傾げている佳音をヨソに、翔はへっと鼻でせせら笑った。
「咲来、お前自分が言ってる事分かってんの? お前自身がお袋さんの幸せ邪魔してんだぜ? あ~あ、こんな道端で恥ずかしいヤツー」
「あ ん た の、せいでしょうがーっ! 日頃の行いが悪いのよ、この馬鹿ショー!」
賑やかに喧嘩をしながらも、咲来はズンズンとアプローチを進んで玄関口ではピタリと口を閉ざした。言いたい事を言い終えた訳ではないのだが、咲来には咲来なりに、今回の話には思うところもあるのだ。それにどんなマイナス面が付きまとってこようとも。
そんな姉と年上の友人の後をついて行きながら、佳音は並んで歩いている母を見上げた。
「ねえ、ママ。翔君とキョーダイになるって、どういう事?」
「それはね……ママね、翔君のお父さんと、再婚しようと思ってるの。今日は、皆で顔合わせの日なのよ」
なあにそれ、そんな話、わたしは全然聞いてない……佳音はよっぽど、そう口にしてしまいそうになった。けれども、
「そっかぁ、翔君のパパって、どんな人かなあ?」
「とっても素敵な人よ」
佳音の口から出てきたのはそんな言葉で、にこにこと笑みを浮かべながら母に向かっていかにも期待しているような態度を貫いたのだ。
結論から言ってしまえば、佳音の母・理奈が再婚を考えている宇佐木優氏は、とても感じの良い紳士であった。
彼の連れ子は末っ子の翔だけでなく、長男の匡 (たすく)、次男の蓮 (れん)、三男の彬 (あきら)と、男の子を四人育てている男やもめで、娘が出来るのはとても嬉しいと、咲来や佳音ににこにこと接してくる。
顔合わせの場として、老舗の料亭から取り寄せたお料理を並べて一同に会したお座敷はとても広く、また、お料理もとても美味しかった。それは良い、とても良いのだが……佳音にとっては、とても複雑な気分である。
どうして母は、姉には話していたのに自分には再婚の話を伏せていたのだろうと、そんな不平等さが気にかかる。その上、向かい側の席に着いた人物に、非常に見覚えがあった。「次男で、高校一年生の蓮です」と紹介された少年は、一時期佳音がご近所の公園で毎日話した人物に、とても良く似ている。むしろ同一人物としか思えない。
(あの人……公園のお兄ちゃんだよね? どうしてわたしに「初めまして」なんて、言うのかな)
佳音はチラチラとそちらに視線をやってみるけれども、蓮は目が合うとニコリと笑みを浮かべてはくれるけれど、佳音に話し掛けてくる気配も無い。自分の事など忘れてしまったのかな、と、寂しく思いながらお料理を食べ終え、デザートに手をつけようとしたところで、佳音の目の前にスッとデザートが乗ったお皿が差し出された。
「はい、どうぞ。僕の分も食べて良いよ」
正面の蓮が、ニコッと笑みを浮かべながらお皿を佳音の方へと回してきていた。
「良いんですか?」
「うん。佳音ちゃん、デザートに目が釘付けだったから」
そんな台詞を告げて、両肘を突いて組んだ手の上に顎を乗せた蓮は、にこにこと笑みを浮かべながら佳音がデザートを食べる姿を見守っ……もとい、観察している。一挙一動を逐一観察されても居心地が悪いなと考えつつ、佳音は有り難くデザートを二人前平らげにかかった。
「じゃあ、皆、デザートを食べながら聞いてくれるかな」
ゴホンゴホンと咳払いした上座に着いている優は、息子達と客人の注目を集めてから口を開いた。
「私は、こちらの理奈さんと再婚を考えています。
お父さんは、君達からも納得してもらって祝福されて、その上で結婚したいです。許してもらえますか?」
父からのなんとも下手に出た質問に、息子達は互いに無言のまま視線を交錯させて、やがてその眼差しは長男の匡に集まった。
「許すも何も、我々は父さんの選んだ人に異論はありません」
「そうそ。やっぱり我が家には華になる女性が居ないとね」
「……蓮兄さんの言い分はともかく。オレも、父さんは父さんの幸せを考えて良いと思う」
「ほい、おれも右に同じー」
匡、蓮、彬、翔、兄弟が順番に賛成の意見を出すと、優氏は目に見えてホッとした表情を浮かべた。
そして理奈は、優の手を握りながら娘達に視線を注ぐ。その眼差しには反対されたらどうしようと、どこか不安げに揺れていて。
「ねえ、咲来、佳音。ママ、優さんと結婚しても良いかしら?」
その震える声音に、咲来はひらひらと片手を振った。
「そんなの反対反対……って言ったら、ママはどうするの?」
「それはやっぱり、優さんの良さを咲来に教えて……」
「それでも嫌って言ったら?」
「その時は仕方がないわ。ご縁がなかったのだって、今回の再婚話は白紙に戻します。
私はね、咲来……皆で幸せになりたいのであって、あなたに納得のいかない暮らしを強いたい訳じゃないもの」
咲来のしつこいまでの念押しに、理奈はキッパリと答えを出した。彼女は一人の女性である前に、母親として娘を守りたいのだと、そう伝えてきたのだ。
咲来はうん、と一つ頷く。
「そんなに固い決意なら、あたしが口挟むまでもないわ。
宇佐木さん、母をよろしくお願いします」
そう言って優に深々と頭を下げる咲来に、氏は感極まったように瞳を潤ませ、
「有り難う、咲来さん……どうか私の事は、パパと呼んで下さいね!」
と、気の早い台詞を口にしたのである。
すっかりと、その場は縁談が纏まった雰囲気に支配されており、優も理奈もとても嬉しそうだ。新しくキョーダイになる面々も、どことなくぎこちなさはあるが、咲来と親交を深めるべくやり取りを交わしだした。
佳音は黙ってもきもきとデザートに舌鼓を打ちながら、内心で突っ込みを入れた。
(もしもしみなさ~ん、ここにまだ一人、関係者がいるんですけどー?)
そんな佳音の心の声など当然ながら誰かに届く訳も無く、今更彼女が口を挟んでも場の流れに乗り遅れたようでしかない。反対意見を述べて引っ掻き回したいのならば話は別だが、佳音には面白半分に母の穏やかな胸に波風を立てたがるような、性格の悪い趣味は無い。
「美味しい?」
「はいっ」
もきもきと、ひたすら甘味を攻略している佳音に向かって、彼女にデザートを譲った蓮が微笑ましそうに尋ねてくるので、佳音はにっこりと満面の笑みを浮かべて答えた。
皆で卓を囲んでご飯を一緒に食べた後、まだ外は明るいし、帰りは車で送って下さるという申し出を受け、近いうちにお引っ越しをする事になる洋館の中を案内して貰う事になった。
優と理奈には子供抜きで二人きり、存分に甘く語らってもらうとして、近いうちにキョーダイ予定の六人はお座敷を退席して向き合った。
「ねえ兄さん、彬。何も皆でぞろぞろ歩く事も無いし、妹ちゃん達のお持て成しは僕らがしっかり請け負うから、兄さん達は部屋に戻りなよ」
「蓮兄さん、何考えて……」
真っ先に口を開いた蓮の一言に、匡は「そうか?」と首を傾げただけだったが、彬は胡乱な眼差しを蓮へと向けた。
「しっかり勉強しなさい、受験生」
「蓮は本当に、いつも俺達の心配ばかりだな」
「いや匡兄、蓮兄のそれ、心配と違……」
「何か言った? 翔」
「……なんでもねえ」
「そう。
ごめんね、佳音ちゃん、咲来ちゃん。兄さんと彬は受験生で今大事な時期なんだ。二人が抜ける分、僕と翔がたっぷり楽しませてあげるから」
四兄弟でしばし話し合っている、その様子をぼんやりと眺めているだけでも佳音はそこそこ楽しめたのだが、不意に蓮に手を引かれて彼女はハッと彼を見上げた。
「翔……簡単に気迫負けするとは情けない弟だ。という訳で、後は任せた」
「おれに厄介事押し付けてる段階でもう、彬兄から情けないとか言われたくねぇ」
「あんたのお兄さん達って皆面白い人ね、翔」
こっちこっち、と、佳音を連れて手を引く蓮の背後では姉の咲来が楽しげに笑っていて、何故彼女らから自分は引き離されて、蓮と二人になっているのだろうかと、佳音は訳も分からずカクンと小首を傾げながらも、導かれるままに小走りで廊下を駆けた。
佳音が蓮に連れて行かれた先は、夕暮れの茜色に染まった庭園だった。薔薇のアーチが設けられたそこには小さな四阿まで設置されていて、夕陽に染まった芝生と花壇、そして洋館の陰影が絶妙なコントラストを生み出す場所。
「ふわぁ~」
「綺麗な眺めでしょう? 僕のお気に入りの場所なんだ」
四阿に置かれた白いイスに腰を下ろした佳音は、思わず感嘆の声を漏らしていた。そんな彼女の隣りに座った蓮は、テーブルの上に置かれていたティーセットの上の覆いを取ってカップをひっくり返し、コポコポと温かそうな湯気を立ち上らせながらポットから注ぎ、佳音の前に差し出す。
蓮に連れられてくるよりも先に、このテーブルの上にはティーセットが置かれていたが、いったいいつの間に用意されたものなのだろう、と、細やかな疑問を抱きながら佳音がカップに口を付けると、ふんわりと甘い林檎の香りが鼻をくすぐる。
「有り難う、蓮さん。あの、蓮さん……ちょっと変な事お聞きするんですけど」
「なあに?」
「二年ぐらい前に、蓮さんよく公園に行ってなかったですか? わたし、蓮さんに良く似た人を……」
佳音が疑問を最後まで口にする前に、蓮は彼女の口元に軽く手を当てて遮ってきた。
「参ったな……佳音ちゃん、覚えてたんだ」
「やっぱり蓮さん、公園のお兄ちゃんだったんだ!」
「あー、懐かしいなそのフレーズ」
夕陽に染まる四阿の中で、蓮は気恥ずかしげに頬をかいて、
「佳音ちゃんには僕、愚痴やら泣き言やら散々ぶつけちゃったから、出来たら忘れてくれてたら助かる過去だったのに……」
「忘れないよ、だって公園のお兄ちゃんはわたしの友達だもん」
誤魔化すようにティーカップを傾ける蓮に、佳音はここぞとばかりに言い募った。
二人の出会いは約二年前、ご近所の公園のブランコに延々座っていた蓮に、佳音が話し掛けた事から始まる。
彼は当時、家に居づらいと感じていたらしく、公園やコンビニなどでなるべく時間を潰しているようだった。そんな時に、時間に都合が付く友達がおらず、暇を持て余していた佳音が「お兄ちゃん、一緒に遊ぼ」と無謀にも声を掛けたのだ。
初めは相手にしようとしなかった蓮だったが、気が付けば毎日のように公園で佳音と会い、日頃の溜まりに溜まった鬱憤や愚痴をつらつらと口にするようになっていた。当時の彼の気鬱の原因とは、蓮の母が亡くなった事によって家庭内がギクシャクしだした事。
そしてある日、佳音は蓮から「これから忙しくなるんだ。だからもう、ここには来ない」と告げられたのだ。
それでも、いつ『公園のお兄ちゃん』がやって来ても良いように、佳音は出来うる限り蓮と過ごした公園に顔を出すようにしていた。またもう一度、彼が誰も居ない場所で独りきり、泣かなくても良いように。
「お兄ちゃんはママが優さんと再婚する事、本当に嬉しい?」
「ズバッと聞いてくるなあ。
確かに、母さんが亡くなってまだ二年、実質的に結婚を決意するまでの交際期間を考えると、複雑な気持ちもあるけどね」
カチャン、と、ソーサーの上にカップを置き、蓮は沈みゆく夕日に目を細めた。
「父さんは別に後ろめたくなんて思わなくても良いし、誰かと一緒に居たいと思うのは自然な事じゃないかって、今はなんとなく思えてきたんだよね」
「そっかあ」
温かなアップルティーをこくんと飲み干した佳音は、蓮の穏やかな表情に安堵して、様々な感情をひっくるめて頷く。そんな彼女の肩に蓮の腕が回されて、佳音は素直に彼にもたれ掛かった。
「佳音ちゃん、少し肌寒くない?」
「平気~。あのね、お兄ちゃん」
「うん」
「わたしね、幼稚園に上がるまでは、『パパ』って仏壇とかお墓って意味だと思ってたんだ」
蓮の胸元に顔を押し付けた佳音の、そんな呟きは微かに震えていて。それに応えるように蓮は彼女の頭を優しく撫でて、佳音の耳元に唇を近付けた。
「今日から僕の家族になってね、佳音ちゃん」
「うん」
その日から彼は、『公園のお兄ちゃん』ではなくて、『佳音のお兄ちゃん』になった。
……それから約五年後の、とある夏の日の宇佐木邸にて。
久々に兄妹が一同に会したリビングにて、佳音は彼らの様子を眺めながらアイスキャンディーを頬張っていた。イチゴミルク味のそれは、甘く冷たく夏場には最高の気分になる。
「だからね匡にぃ、ただちょーっとばかし、皆で受験の息抜きに山でキャンプ合宿に行こうかーってだけで……」
「駄目だ。勉強ならわざわざ泊まりがけの旅行になど行かずとも、家でも十分集中出来るだろう」
「ヒドイッ、匡にぃ! 翔にぃは部活動参加で合宿だって行くのに! なんであたしは駄目なの!?」
「咲来、女の子だけでキャンプ旅行だなんて危ない真似は止した方が良い」
「彬にぃまで!?」
「ま、部活と遊びほうけたいって思惑じゃあ、おれとお前への対応も違って当然だな」
「ちょっとは味方ぐらいしてよ、翔にぃ!」
「だっておれも反対だし?」
ただいまの宇佐木家兄妹緊急会議、議題は『高校最後の夏休み、満喫するぞ女子旅行計画! に、咲来は参加して良いか否か』で、白熱した激論が繰り広げられていた。
「良いか、咲来。まったくぜんっぜん自覚していないようだから言うが、お前は年頃の娘にしては隙が有りすぎる。
男という生き物は、そこを見逃さないんだからな」
「彬にぃ~、あたしだってそろそろ彼氏ぐらい欲しいよ……」
「まだ早い」
「駄目だ」
「ぜってー許さん」
過保護過ぎるまでに過保護な兄達は、可愛い妹である咲来が男女交際をするなどとんでもない! という一致団結した意識のもと、寄り付く害虫は徹底的なまでに駆除しており、未だかつて佳音の美しく麗しき姉・咲来と交際にまで漕ぎ着けた男性……別名勇者……は、皆無。むしろ、周囲の鉄壁の守りの存在を察知するなり、ほうほうの体で逃げ出していく始末。
「お姉ちゃんはいつも大変ねえ~」
アイスキャンディーを舐めながら佳音が正直な感想を漏らすと、テーブルの上にへにゃんと突っ伏した咲来が恨みがましい目を佳音へと向けてきた。
「そう思うなら佳音、援護してよ~」
「そういうのはママとパパに頼んで。
わたし、背後霊状態の蓮お兄ちゃんの足止めで手一杯だから」
「……ごめん佳音。あたしが悪かった……」
「分かればよろしい」
真顔で己の背後を指し示す妹に、姉は今度は先ほどとは逆に同情に満ちた眼差しを佳音へと向けてくる。いや、咲来だけではなく、匡と彬、翔もまた、同じような生暖かい眼差しを佳音……の、背後へと。
「酷いなあ、佳音ちゃんも咲来ちゃんも。僕はただ、久々の兄妹の再会を堪能してるだけなのに」
自らの膝の上に佳音を抱き上げて、がっちりと腰に腕を回して離そうとしない蓮は、朗らかにそう告げながら佳音が手にしている、彼女が食べている真っ最中のアイスキャンディーに、佳音の肩越しに顔を近付けてパクつく。
因みに蓮は、一日以上佳音と離れていた場合、必ずこうしてスキンシップを図る習慣がある。
咲来への過保護を発揮するのが匡と彬、翔の三人ならば、佳音への過保護っぷりを見せるのが蓮であった。一対一だというのに、三人の兄から構われる咲来の困惑度と、良い勝負なところが蓮の底知れぬ実力を窺わせる。
「お兄ちゃん、わたし暑い」
「うん、だって夏だからね」
「わたしのアイスキャンディー、一緒に食べないで」
「後で新しくアイス買ってあげる」
このように、いくら佳音が冷静に抗議しようとも、蓮はのらりくらりと柔軟な対応をみせ、結局は良いようにあしらわれてしまうのだ。
楽しみにしていたアイスキャンディーを、半分以上蓮が食べてしまったと拗ねる佳音を宥めて、ご近所のコンビニにまで仲良く買い物に出掛けた二人の背中を見送った兄妹達は、ようやく安堵の息を吐いた。
ベタベタベタベタと、バカップルかくありき、とでも称するしか無い蓮と佳音のいちゃつきぶりは、年々過剰傾向にある。
「蓮兄ってさあ、まさかアレ、マジだったとは……」
「あの人がそんな冗談を言う訳無いだろう。六年前から蓮兄さんは、紛うかたなき大真面目だ」
「……翔にぃ、彬にぃ、何の話?」
翔と彬が疲れたように零す台詞を聞き咎めた咲来は、チロリと長男である匡へと「知ってる?」と問い掛ける眼差しを向けた。妹の無言の意を受け取った匡は、ウーロン茶が入ったグラスのストローを摘んで氷をかき回しつつ、
「ああ、蓮はな、真っ先に父さんと母さんの再婚を勧めたんだ。なんでも、父さんに俺達兄弟を全員説得すると約束して、代……」
「ストップストーップ!」
「匡兄さん、それ、蓮兄さんの許しもなく話して良い事じゃないんじゃ?」
「むぅ、皆で隠し事の匂いがする」
正直に知っている事を話してやろうとしたのだが、弟達からよってたかって口を塞がれて、後半以降はもがもがと謎の怪音に姿を変えた。
そんな兄達から自分だけ爪弾きにされた咲来は、唇を尖らせて、
(後でママとパパに聞いてみよう)
と、キャンプ合宿参加への嘆願と併記して、心のメモ帳にしっかりと記したのであった。