23話:老龍の凱歌(その2)
「じぃじとおでかけ」
「そんなに腕を振り回すでない。ちゃんと前を向きなさい」
足取り軽く走り回るアスカを幻斎は嗜める。
幻斎の屋敷からマサハルの店までは歩いて四半刻という極々近い距離である。
アスカのような子供の足ではどうだろうか?
歩けると言えば歩けるであろう。
「ちょうちょ」
「おはなしゃん」
それでもアスカの如くあっちへフラフラこっちへフラフラしようものなら、
自然に距離は長くなり子供は疲れ知らずといえどもばててしまうであろう。
「お団子お団子父しゃまのお団子」
「帰りに買ってやるから歌うのはやめなさい。髪を引っ張るでない」
「じぃじ、もっと速く」
案の定、疲れ果てたアスカは幻斎に肩車される羽目となる。
歩く事に疲れてもアスカのテンションは尽き果てることを知らない。
幻斎の頭の上でひたすらに自作の歌を口ずさむ。
手は幻斎の頭や髪を弄り回す。
その姿からはかつて戦場の絶対者として君臨し、
今なお神格化されている存在の威厳は欠片すら存在せず、
ただただ幼子に甘い老人の姿があった。
「お祖父様がここに来るとは珍しいですね」
「わしとて孫の仕事振りが気になる事があるわい」
「これはまたきつい冗談ですね」
幻斎達の来訪をマサハルは意外そうな顔で出迎える。
幻斎とて店を訪れる事は度々あった。
その全てが店が終わってから。決して始まる前、特に仕込み中に来る事はなかった。
本来の責務を放り出している事には眉を顰めても現状では上手く回っており、
なおかつ本気で心血を注いでいる孫の仕事の邪魔はしない、
そんな祖父の気遣いでもあった。孫馬鹿とでも言い換えればいいのだろうか。
(さてさて、面倒事でなければ良いのですが)
心にもない事を呟きつつマサハルは幻斎に茶を入れる。
最近、周囲の老人が絡むと碌な事が起きない。
どれもこれも一筋縄ではいかない古強者ばかりである。
自分の眼前で茶をうまそうに飲んでいる祖父もそんな一人。
「それで用件は?」
仕込みも終わってないのだ。
手早く片付けたいという想いとともにマサハルは切り込む。
その返答は彼にとって意外なものであった。
「しばしの間、小僧を借り受けたい」
「ガウを・・・ですか?」
「わしが小僧と呼んでるのは奴しかおるまいて」
「いや、すごく意外に思いましてね。何のつもりです?」
繰り返しになるが、マサハルにとっては最近老人が絡む面倒事が多い。
当人達からすれば「お前が言うな」と口を揃えて言うであろうが。
「何か面倒事ですか?」
「ふむ。面倒といえば面倒か」
「ほう。お祖父様をしてそこまで言わせるとは・・・翁絡みですか?」
「直接は絡んでおらんが、当たらずとも遠からずといったところかの。
とは言え、最終的にはお前も胡蝶も絡んでくる事じゃからなぁ」
「本気でやめて欲しいと思うのは私だけでしょうか・・・」
幻斎が面倒事を持ち込む事は少ない。
大部分において独力で解決できてしまう武力と影響力を兼ね備えているからである。
ゆえに、持ち込まれる面倒事はマサハルにしてもとんでもなく厄介なのである。
「話は簡単なんじゃ。近い内にわしの業を誰かに引き継いでもらいたい」
「業を・・・」
マサハルの顔色が変わる。
幻斎が何を言いたいのか即座に判断できたからである。
「それをガウにですか?」
「いや、小僧を使ってお前達の尻を叩きたいだけじゃ」
マサハルは腕を組み目を瞑る。
「当て馬に使うなら断固として反対しますよ?」
「阿呆が。小僧にだけ足らんもんを多少補ってやるだけじゃ。
あの小僧の才だのは見て分かるわい」
「実際にはガウには足りてない物が多すぎるんですよ。
それを少しずつ仕込んでる最中なんですがね」
「ん?」
幻斎が考えてるガウに足りていない物は一つ。
他にもあるだろうが誤差に過ぎないと思っていた。
だが、マサハルは多すぎると言う。
慎重な性質のマサハルの考え過ぎとも取れるが彼を日頃から見ているのは
マサハルである。
そして、幻斎はマサハルが言うならその通りなのかも知れないと考え直す。
己より孫の方が確かな目を持っているのだから。
それでも幻斎にも時間がなかった。
マサハルがガウに教えきるまで保つかどうか自信が持てなかった。
着流しから左腕をはだける。
衣擦れの音に目を開けたマサハルは幻斎に何が起こったのか悟る。
「あまり長くないのかも知れぬのじゃよ」
「そんな・・・考え過ぎかもしれないじゃないですか」
「人としての運命じゃ。大概は長く生きたものから命は尽きる」
マサハルの眉が歪む。
「それでもまだ早過ぎるんですよ」
「だが、わしは見たいんじゃよ。
これはお前達に対する懇願であり、お前達の義務なのじゃ」
マサハルはまだ腕を組んだままである。
彼の心中に様々な葛藤が巻き起こっているのは明白である。
その間に幻斎は子供達の様子を伺う。
ミコトがせっせと拵えた団子をガウが頬張っていた。
アスカもそれに張り合って口一杯に団子を詰め込んでいる。
頬がリスのようにパンパンに膨れ上がっていた。
その姿にミコトが笑いながら茶を用意してやる。
「分かりましたよ・・・」
マサハルは観念したかのように肩を落とす。
「忝い(かたじけない)な」
「業には興味はありませんが、私も孝は果たしますよ」
意表をつかれた幻斎の眉がピクリと動き口は緩む。
その言葉はマサハルの加担を意味し、
それを引き出すためにはもっとごねると考えていたからである。
そしてなにより“考を果たす”。
その言葉に孫からの誠意を感じ取れたことが幻斎には嬉しかった。
「ぬかしよるわ」
「ただ、教えるなら全力で当たってください。
その拍子に悟ってくれるかもしれませんので」
「もとよりその心積もりじゃわい」
「いえ、十分のお祖父様で当たってくださいと言ってるのです。
そうでないと意味がない」
「むぅ・・・」
開かれた目は険しく、視線が幻斎を射抜く。
「私は後三年はかかると思ってたんですよ。
それを急に詰め込むとすれば、その位してもらわないと無理な話です」
「後三年って・・・お前、奴は今でさえ元服してもいい歳じゃぞ?
これ以上遅らせてどうするんじゃ」
元服。
それは成人に達した事を示すための儀式であり、通過儀礼の一つである。
時期に幅があるものの大抵は十一歳から十六歳の頃に行われた。
実際にマサハルも齢十三で元服をすませ、
マサハルの元の名である征遥の字を貰っている。
マサハルと大陸で出会った時、ガウは自分の年齢を分かっていなかった。
故にヒノモトに連れてきた時にマサハルの当てずっぽうで十歳としていた。
それから七年。齢で言うと十七。
とっくに元服を済ませて一人立ちしてもおかしくはない。
そして、まだ三年はかかるという。
例外があるとはいえ、いくらなんでも遅すぎである。
幻斎の不満はそこにあった。
「元服とは己の生き方に責任を持ち、周囲に示すための儀式。
今行っても構わないですが、別に何かの起点で行っても構わないだけの事。
そしてお祖父様が全力で当たって足らない物が多少埋まれば、
その場で行う事も是非もない事です。
そもそも私はガウを武士にしようとは考えた事がないですよ?
ミコトやアスカの友であり、良き兄となってくれれば良いとは考えてましたけどね」
如実に幻斎とマサハルとの考え方の違いが現れた。
幻斎のいう元服とは武士としての。
マサハルの考える元服とは人としてのものである。
「そんなに未熟なのか?」
武人としての未熟と考えていた幻斎の中で不安が急速に大きくなる。
「お祖父様の業を継ぐだけの器です。
お祖父様の考える足らない点を補うだけの才もあります。
ですけど武士には私と同じくらい向いてないですよ」
少々大喰らいですから手に職は身に付けさせてやりたいですがね、と続けた瞬間
面倒事を持ち込んだ幻斎が大きな面倒事を背負う羽目になってしまった。
幻斎の身体から力が脱ける。
「この馬鹿孫がぁ・・・」
「かなり厄介ですがお祖父様なら適う事です。
我侭を通すための仕込みと思ってもらいたいですね」
苦笑しながらもマサハルは一つの徳利を出す。
それは幻斎の好物で“良庵”の逸品である氷室の中の酒であった。