21話:師の壁(その10)
実際の調理は両陣営が別々の場所に分かれて行われた。
一応形式にのっとり、不正がないように互いに見届け人を出した。
ヨネ側はマサハルと仲の良かった先輩格の弟子、マサハル側はミコト。
己の手際を興味津々の様子で見つめていたミコトに和まされつつも、
ヨネは軽くコツを伝えながら調理を行った。
幼き頃のマサハルや椿の姿が被って見えた所為でもあった。
それはヨネにとって感慨深く、ヨネは食べるまで頭が回らなかった。
マサハルが食材として何を持ち込んだか、をである。
気にはなってはいたがミコトが顔を歪めて口篭る様を見て、
聞く事を躊躇ったのが理由でもあった。
後々考えると、まさか肥料から出汁を取るというマサハルの発想には、
さすがのお嬢様にもまだまだ刺激が強すぎたのだろうという結論に至った。
ヨネも料理人としても商人としても長い人生の中で、
下魚とされていた鰯を食べた経験は当然存在していた。
だが、ヨネの記憶を遥かに超えた味わいであった。
舌の記憶が蘇った時には既に怒号が響き渡っていた。
立ち上がって料理をマサハルに投げつけたり、ヨネに詰めよる審査員。
何を怒っているのか全く理解できず首を傾げるマサハル。
何よりヨネが衝撃を受けたのは、己であった。
懐かしさもあったろう。マサハルの成長振りに感銘を受けた部分もあったろう。
様々な感情が入り混じり、普段なら気付くであろう周囲の機微に気付けないほど
マサハルの料理の味に浸っていた己に、であった。
「おヨネ。お主はこれをどう見た?」
椿の問いに対してヨネは様々な考えを思い浮かべる。
そもそも、これとは何を指すのかも非常に曖昧なのである。
マサハルの意図なのか鰯の事なのか、はたまた勝負の内容についてなのか。
マサハルであればそこを理解し返答が出来るのであろう。
そして椿はそれに慣れてしまっている。
「そうですねぇ・・・とても坊やらしいと言えますねぇ」
しかし、それ以上にヨネもマサハルの突拍子のなさには慣れていた。
ゆえに大凡の見当をつけた答えを椿へ返す。
「なにより料理に思いを乗せたとすれば、
これは少々傲慢な料理なのかもしれません」
「傲慢、な」
ただ美味い料理を出すだけなら食材に何を使っても別に構わなかった。
ただ、それだけではヨネを動かすには至らない。
何かしらのメッセージを料理に込める。
それぐらいの配慮がなければ王は務まるまい。
ヨネはそう考え、マサハルは応えた。
椿は形の良い顎を指にのせて考える仕草をする。
彼女にとっては、その言葉ほどマサハルとかけ離れた言葉はなかったからである。
この料理にしたってそうだ。
あまり見向きされない魚。
そういう趣向でただただ美味い料理を作りたかっただけだろうと考えていた。
なんとも面倒なやり取りをすると苦笑しながらも、それならそれで面白い。
椿という人間は改めて思いについて考え、ある答えに至った。
「イワシを我々のような民。
つなぎに使った豆腐を人を統べ繋いでゆく武士や役人と例えるとすれば、
それを纏める料理人、この場合は坊やですが、王となります。
旨く纏めて良い国にする。
単純ですがそういう見方も出来ますね」
「単純だが正解に近い。 されど、少し足りん」
「ほぉ・・・」
見当外れではない。しかし、その先がある。
ヨネは椿の考えに興味を抱く。
「これはお前が考えている以上に傲慢な料理なんだよ。
なにしろ無駄がないからな」
「無駄で・・・ございますか?」
確かに鰯は無駄がない。
全ての部分、丸ごと全部食べれると言っても過言ではない。
無駄がない事が傲慢と言い切った椿の意図をヨネは掴めないでいた。
それを表情で察したのか苦笑しながら椿は添え物をサクッと音を立ててかじる。
それは芯まで焼いた鰯の骨であった。
「これもなかなか乙だな・・・それよりもだ、おヨネ。
商人でもあるお前に聞きたいが、無駄のない商いの営みは可能か?」
「ええ。全てを省く事は効率が悪くなる事もありましょうが、
限りなく無駄を省いた商いは可能ですね」
突然何を言い出すのであろうか。
ヨネはまだ掴めない。何かが食い違っている。懸命に知恵を回す。
己に見えず椿に見えるモノ。そしてマサハルが捉えてるかは不明なもの。
「ああ、そういう事でございますか」
「ん?」
「為政や人の営みには価値ある無駄も存在しますね」
「ま、そういう事だな」
価値のある無駄。
それは一見とても矛盾している。
そもそも価値と無駄という言葉が相反している。
しかし、その言葉やそれが指す物は実際に存在している。
例えば軍。
軍とは存在するだけで莫大の費用と物を消費する。
それでもヒノモトの軍が一切無くなる事はない。
規模の収縮拡大を繰り返しながらも存在し続ける。
内には犯罪者に対する抑止力として。
外には防衛力や武力として。
「坊やはどう捉えたのでしょうね」
「それも踏まえて上手く使ってみせるという事であろう。
肝など苦くて食えない部分も醤油に溶いて活用したのであろう?」
確かに、とヨネは苦笑する。
彼女とてその有用性は十二分に理解していた。
商人としては限りなく無駄を省くビジネススタイルを構築しても、
料理人としてはそうもいかない。
無駄すらゆとりや癒しに変えないと心地よい空間は生まれない。
無駄がなければ生まれない味もある。
長期間、額に汗をかき管理しながら作っていく調味料も食材もあるから。
そして何より、
「おひぃ様はご存じないかもしれませんが、ね」
「なんだ?」
「他にも価値ある無駄というのが存在します」
ヨネにそう呼ばれるのは椿にとって久しぶりの事であった。
椿が幼き頃よりの付き合いである。
王たらんと背伸びして過剰に胸を張って前に進み続けた姿を知られている。
ヨネはそんな椿を子ども扱いした。
陛下とよばずひぃ様と呼んだ。
こう呼ばれる時に限って、必ずといっていいほど自分の知らない事を教えられてきた。
「ほぉ・・・」
「酒には雑味というのがございましてね。
これらは苦みや渋みなどを総称したものです。
あり過ぎると飲めた物じゃないですが、無ければ無いで・・・」
「なるほど、な。それも含めた調和が大事という訳か」
この年になっても知らぬ事は多いな。
そう呟いて椿は酒を口にする。
鰯の滋味と酒の旨味がお互いを増幅させて得も言われぬ味へと昇華する。
さらにヨネは続ける。
「この魚は一匹、二匹と数で売られてないんですよ」
「どういう事だ?」
「桶一杯、二杯、もしくは重さで取引されてるんですよ。ですから・・・」
あの坊やも今頃捌くのに四苦八苦してるんじゃないでしょうかねと
老人に相応しからず少女のように悪戯っぽく微笑むのであった。
「安いよおいしいよー」
「おだんごー」
朗らかな子供の声が店先に広がる。
ミコトとアスカの声だ。
即席の焜炉のの上に網をひき、串に刺さった団子や蒲焼を売っていた。
時々パタパタと団扇を扇いで炭をいこす。
団子から滲み出た脂が炭に当たりジュウッとした音を立てる。
その煙を通りがかる町人に振りまき興味を向けるのだ。
一方で店の中ではマサハル達が汗をかきながら調理をしていた。
マサハルが鰯を捌き磨り潰すなどの加工を行い、
仕上げはたまたま来ていたヤンがマサハルに頼まれて行っていた。
「マサハルさん。あんた、時々ばかヨ」
「後悔はしてませんが、これはちょっとしんどいですね・・・」
勝負のために鰯を仕入れることを考えたのは良かったが、
いかんせん仕入れる為の最低限の量に問題があった。
取り扱っているがあまり付き合いのない魚屋に掛け合ったために、
桶単位で購入する羽目になったのである。
干鰯にしても同様であった。
様々な料理にしても、それでもまだなお余る。
それぐらいの量を購入してしまった。
マサハルとヤンの処理できる許容量を軽くオーバーしていたのである。
ヨネとの料理対決編はこれにて終了です。
思った以上に時間が掛かりすぎました。
自分の才のなさを嘆くばかりです。