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20話:師の壁(その9)

ヒノモトで一番と称される料亭「駒鳥屋」

そこには長い廊下を渡った離れにひっそりと建つ一室が存在していた。

普段は訳ありの男女やお忍びで訪れるお偉いさんなどが案内される部屋である。

そんな少々狭い一室に女性が二人で佇んでいた。


「これが例の料理か」

「あたしと坊やで手を加えましたがね。

 大まかな作り方と材料は間違いございません」


椿とヨネである。

目の前でヨネが料理を拵えるのを摘みに椿はゆったりと酒盃を傾ける。

何度も通った部屋である。

己が部屋も同然の雰囲気が椿の気分を和らげていた。


それに加えて特筆すべきものが存在した。

料理を作る音、匂い、ヨネの手際。

その全てが椿にとっては極上の肴だった。


そうこうするうちに椿が所望した料理が出来上がる。


「なんとも大きながんではないか」

「焼きを均一にするために多少平らにはしております。

 つみれにするのが一般的ですが坊やはこの形で出しました」 


それは熱された小鍋に入った料理だった。

食材を磨り潰した物を草鞋型に焼き固めたシンプルな物。


鍋の熱と料理から溢れる汁がジューッと小気味よい音を起てて、

その蒸気は椿の顔を覆う。


箸を入れる。

香ばしく焼き上げられた表面に一瞬固い抵抗を受けるが、

一旦中に入ると抵抗なく箸が進む。

割った断面からはジュワッと汁が己が身を浸さんばかりに溢れ出す。


「滴り落ちる汁の黄金色が贅沢な気分にさせてくれるな」

「そういう食材だって事ですよ」


椿の賞賛に対して、ヨネの返答はそっけなかった。

年甲斐もなく不貞腐れた様子のヨネに対し苦笑を向けながらも、

椿は料理の匂いを楽しんでから口に入れる。


想像通りの香ばしい歯触りだった。

パリパリに焼かれた表面が食欲をさらに掻き立てる。

しかし、次の瞬間である。


「!?」


歯にも舌にもモノを食べた感触はあった。

しかし、感じた質感に対してあまりにも軽い。

上質の玉子焼きを食べたような柔らかい歯触り。


更に言えば使われている食材は魚。

それでも小骨の一本も感じない。


噛むようにして味わう。

先日に食べたマグロのような強い旨みのインパクトはないが、

滋味溢れる味わいが口一杯に広がり、幾つでも食べられるような錯覚を起こす。


「ん?このクニクニとしたのはなんだ?」

「ああ、ひじきですよ。この方が身体に良いし面白いだろうと坊やが入れました」


しなやかでシャキシャキとした独特の食感が面白いアクセントを加える。


「そもそもだ。なんでこんなにフワリとしてるんだ

 すり身がここまで軽くなるとは聞いた事がないぞ」

「豆腐でございます。坊やは味の薄い豆腐を磨り潰して混ぜ合わせております。

 こうする事で味を損なうことなくフワリとした食感を作ってるんですよ」


題材が海の幸である以上、本来ならそれ以外を大きく使う事は主旨に反する。

そこも見事にクリアしてのけたマサハルが冴えていたという話である。


小皿に添えられた茶色がかったタレを小指で掬い取って舐めてみる。

強い塩気の中に感じる仄かな苦みと深み。


それでも料理にかけて口にすると味が相まって更に旨みが増す。

それだけではなく、不自然なほどに感じられる統一感。

例えるなら、口にした欠片がそのまま数倍に膨れ上がって大きくなったような錯覚。


「この醤油は何なのだ?口では上手く言えないが普通の醤油とえらく違うな」

「地方には魚を塩漬けにして発酵させた醤油がございます。

 産地はわかりませんが、坊やはその魚を使った物を仕入れてきたんでしょう。

 それに加えて、捌いて別に取置きした肝を潰して混ぜる。

 これで、味に苦味が加わり奥行きが産まれるんですよ」


その匙加減は中々に難しいと続けて、ヨネは釜から木勺で液体をくみあげる。

椀に注がれたスープは湯気を立てて椿の鼻腔をくすぐる。


「これはこれは・・・」


透明感のあるすっきりとした上品な味わいの中に隠れる確りとした味。

これ以上何を加えても趣のある味わいになりそうだが、これだけでも十分。

いや、これはこれで完成型に思える。

舌を唸らせるほどに、心をワクワクさせるほどに出来た汁である。


「一晩漬けて昆布の出汁と合わせてみました。

 いくら乾物がよい出汁を取るとはいえ、これをお出しするのは躊躇われるのですが」

「構わぬ。ここまで旨いのであれば文句のつけようがない」


椿はコクリコクリと喉を揺らしながら椀を傾ける。

その様はミコトやアスカの前で見せる素とは違い、上品で非常に絵になるものであった。


椀の汁を飲み干し、鍋のものを平らげ一心地つくと椿はヨネと向き合う。

先程までの料理を心から楽しむ表情から打って変わって椿の顔は真剣その物である。

嘘偽りを述べるどころか、はぐらかす事すら許さない雰囲気にさすがのヨネも姿勢を正す。


「それで、だ。結果としては我としては大爆笑なのだが・・・」

「ええ、そうでしょうよ。あたしの面目は丸潰れにされたのですから」


そう。

椿がヨネのもとを訪れた本題は、過日の経緯を尋ねることであった。

ヨネとマサハルの料理対決が駒鳥屋で行われた。

その結果はヨネの思惑からは完全に外れたものとなっていた。


しかも、その内容が酷過ぎた。


ヨネが選んだ審査員のマサハルの料理に対する審議拒否。

結果としてはヨネの圧勝。


「これが、な。」

「ええ、これがです」


旨いと絶賛されながらも最終的には正体を露見した途端に激怒させた食材。


それは鰯だった。


獲れ過ぎるがゆえに下魚とされる魚。

獲れ過ぎるがゆえに肥料にされる魚。


ヨネと何らかの繋がりがあり舌の肥えた審査員にとって、

人の食べるモノと認識されていなかった魚。


ほぼ毎日、椿に料理を提供するために詰めている料理人達も

決して出さない、出すとしても珍味と嘯くであろう魚。


しかし、食用ではないかというとそうでもない。

庶民の間では一般的に食べられているものであった。

マサハルはそんな魚で勝負に挑んだのである。

鰯は作者の好物です。

刺身で食べるも煮付けもよし、焼くのもよし、フライにするもよし。

けど年々高くなってきて悲しいことですね。

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