15話:師の壁(その4)
「長いこと生きてきたが、こんな大物は初めてじゃの」
孫の持ち帰った釣果に幻斎は呆れた。
魚を釣ってくると言われ、私船を出港させる手はずを整えはした。
大漁であると良いと思いはしたが、マグロを一匹持って帰ってくるとは想定外であった。
「ずいぶん大きいね」
「おっきいおしゃかな」
マサハルの想像通り目を丸くしたミコトとアスカも大きいとしか言葉が出なかった。
興味があるのか二人でマグロの周りをぐるぐる回っている。
「これはシビか。話には聞いていたが確かに大きいな」
「・・・なんでここに居るんですか?」
そしてなぜか酒を飲んでいる椿がいた
普段であればまだ政務を執り行っている時間帯である。
「良太が何か旨い物を作る予感がしてな。
琴音を叩き起こして夜を徹して今日の分は終わらせた」
「母様すご~い」
着物の上からでも分かる豊かな胸を突き出し当たり前のように言う椿。
マサハルは今頃力尽きて突っ伏しているであろう琴音に対して心の中で合掌をするのであった。
「では始めましょうか」
横たわるマグロを前にマサハルは包丁を構える。
刃渡りは五尺(約1m50cm)を優に超える大刀とも言えるような代物である。
呼吸を整えジッとマグロを見据える。
その雰囲気にミコトとアスカは息を呑み、さすがに椿も茶々を入れる事が出来ないでいた。
「はっ!」
まずは横薙ぎでヒレを落とす。
「次っ!」
気合一閃。
一瞬で狙いを定めると刃を返し、一息で振り落とす。
刃はマグロの皮膚も肉も骨も壁とせず易々と切り裂かれる。
地面スレスレで止めると移動し頭の切断面を前にすると胴体に刃を入れる。
邪魔になる頭はマサハルの動作の継ぎ目を縫ってガウが持ち出し移動する。
今度は胴体半ばで刃が止まる。
「ほう」
幻斎は感心したように呟く。
マサハルの腕がぶれずに止まったのを見て、包丁に骨が当たったから止まったのではなく、
骨に当たる寸前でマサハルが包丁を止めた事を察知したからである。
その間にもマサハルは次々と斬撃を繰り出していく。
腹と背。
それぞれの筋目に刃を入れ身を切り落とす。
切れた身はガウが間髪入れずに引き上げていく。
呼吸が合っていないと到底出来ないやり取りである。
その様はまるで演武。
あっという間に背二本、腹二本の身と骨の五枚に下ろされた。
静寂した空間。
一仕事終えたマサハルの吐息が響き渡る。
「父しゃますごい」
静寂を破ったのはアスカの感嘆だった。
マサハルに近づきピョンピョン跳ね回ってはしゃぐ。
「綺麗な身だね~」
ミコトはガウが持つ切身を見る。
細胞が潰れず綺麗に切られているからか艶もあり、
切断面が身の赤から脂の白まで綺麗なグラデーションを催している。
幻斎は呆れ混じりでマサハルを見ていた。
自分が教え込んだ武を孫がここまで活かすとは思いもしなかったからである。
常在戦場の心得として料理などの家事の手解きは確かにした。
しかし、ここまで昇華されると笑いしか浮かんでこなかった。
(いや、むしろ感心するのは小僧の方なのやも知れぬ)
幻斎は両者を見事と思いつつもガウの方を見る。
今のマサハルを現代風に例えるならあらゆる物を切断する機械。
恐らくはガウが間違ったタイミングで腕を出そうなら寸前で止めるオート機能付きの
超高性能な機械である。
そしてガウはどうであるか。
生粋の武人である幻斎はどうしてもマサハルの動きに武を重ねてしまうが実際は調理である。
どうしても刃を止める、返すという動作に一瞬の隙となる停止の場面が生まれる。
その瞬間に食材を切りやすいように引っ繰り返し、切れた身を引き抜く。
ガウはまさに機械を自由に操る職人であった。
マサハルの動きに悠々と付いていける。
かといって料理には情熱を注いでいない。
むしろ食欲の方が強い。
現にミコトに強請られてマサハルが分けた身を物欲しそうな目で見ている。
料理人あらず武人にあらず。
それでもマサハルに文句一つ言わず従っている。
それは戦人としてのマサハルを尊敬しているからかまでは分からない。
(されど次の世代も育っておる。先が楽しみじゃて)
良太の世代もまた人間として武人として成長を遂げている。
その下の世代もガウが筆頭になるであろうが、未だ見ぬ逸材も隠れているだろう
(わしの役目を果たす時も近い、か)
料理を楽しみにしながらも全く関係ない事を考えてしまう。
大久保幻斎という男は生粋の武人であった。
「絶対に才の使い所を間違えてるよな。ミコト、真似してはいかんぞ」
あまりの見事さに椿もまた呆れ混じりに呟く。
ヨネならば切目に包丁を当てつつ綺麗に捌けるだろう。
だが、どうしても腕力が必要な場面が出てくる。
マサハルのように一瞬で捌くのは不可能であった。
幻斎ならばどうか?
幻斎ならばマサハルの動作を再現する事は可能であろう。
しかし、あくまで動作だけでありどこに包丁を入れなければならないか、
どこを傷付けてはならないかなどの経験と知識を有する部分まで再現は不可能だ。
下手をすれば食材の品質を損ねてしまう可能性もある。
武に心得があるものが包丁を持てばマサハルのようになるのか。
それも否であった。
料理に対する情熱と集中力まで持ち合わせているとは限らないからである。
また長年の修行に耐えれるのかという忍耐力と同じ作業を繰り返す継続力も同様であった。
かつてヨネが椿にマサハルの歪さを含めて語った言葉がある。
「調理の技術はまだまだ未熟。
しかし加工の技に関しては私が足元にも及ばない分野もある。
少し学べば身を外して骨だけで泳ぐ魚という芸も出来るようになるでしょう。
腕が上がるかどうかは、これから次第ですねぇ。
生粋の調理人になるには時間が足らなさ過ぎますが、
良い料理人になる事は確かでしょうよ」
それが包丁人としてのマサハルという人物であった。
料理人と調理人(師)の違い。
この作品の中では、ただ料理の技術および可能性を追求していく者を調理人。料理を作りつつ店を営む者を料理人と解釈しております。