10話:伏する鬼(前編)
時間を刹那がエドに赴いている時まで進める。
マサハルの行動について大河を問い詰め終わった刹那。
冷静になれたのか若干気が和らいでいる。
一方でギオンについて自分の知る限りを吐かされた大河はマサハルの今後を思い、
ご愁傷様と冥福を祈る。
「それにしても」
マサハルからの手紙を読み直した大河が疑問を呈する。
「これって義兄者が王になったらどうするって具体的な方策も何もないじゃないっすか。
よくこんな穴だらけの提案を他の連中が受け入れましたね」
王が変われば、その性格ないし性質によって政策も変わってくる。
臣下としては献策の内容もそれに応じた物となるし、人事も変わってくる。
それは自分達にとっても大きな影響を与えるはずであった。
しかし、マサハルからの手紙にはその事に一切触れていなかった。
「そんなもの王になってから発表すればいいのよ。
椿は良太が王になっても変わらないって言ってたし」
目の前の皿に置かれた芋羊羹を摘みながら淡々と語る刹那。
その様子に大河はこう思う。
(大方、椿様に色々教えてもらった事を理解できなかったんだろうなぁ)
大久保刹那。
無学でも決して頭が悪い訳でもないが、マサハルとの関係にも現れるように力業が目立つ。
いわゆる脳筋であった。
「まだ起きられないの?」
刹那は弟との会話の間もコクコクと舟をこいでいた老人を見る。
大河も既に諦めたという表情で老人を見る。
「最近じゃあ呆けが進んじまって、飯も毎日五度食べますし時々城の中で迷子になってますよ。
それでも毎朝登城してああやって評定がなくても来る日も来る日も正座してますね。
ってか、正座しながらあんだけ寝れるなんて真似しようとしても無理ですよ」
会議の場で寝る。上位者の前で寝る。
我々の場合でもそうであろうが社会においては大きなペナルティを課せられる事がある。
ヒノモトの場合においても、下手をすれば免職もあり得るのである。
されど、この老人は特別であった。評定に出席する閣僚は誰も咎めない。
そして刹那にも彼に対して負い目があった。
「やっぱり良太のせいかしら?昔から付き合って大分無理をされてたから」
かつては老いてなお益々盛んという言葉を体現したような人物であった。
戦時中、刹那は老人に大変世話になっていた。
地方から出てきた刹那がマサハルの紹介で寄宿してからの付き合いだった。
老人とその妻には金銭面のみならず精神面においても支えてもらった。
「お嬢様の大事は若の大事。引いてはこの国の大事ですからな。
無学で無力にござるが、某で出来る事なれば何でも致しますぞ」
と、初陣の際には家宝を叩き売ってまで支度金をこっそり工面してくれた。
「貴様ら、若が連れてこられた将来のご内儀に何たる態度を取っておる!
そもそも大久保家は大殿が一代で興された家。
家の家格が釣り合うどうこうとは百年早いわ。
真にそう思うなら陰口など叩かず直に某に言うがよかろう!!」
と、大久保家中において味方の少なかった中、何かとかばってもらった。
マサハルとの祝言が決まった際も、我が事のように涙を流し祝福してくれた。
そんな老人がこうして老いさらばえている姿を見るのは胸が痛かった。
しかし、大河はそれを笑って否定した。この場にいたとしたら閣僚達もそうであろう。
この老人がそんなタマか、と。
「逆ですよ。義兄者がいなくなって張り合いがなくなったんすよ。
大久保良太一の臣と謳われた人もこうなっちゃ可哀想っすね」
「あんた!?」
刹那は自分の恩人に対する弟の言い草に膝を上げそうになる。
大河はそんな姉の行動が分かっていたのか手を前に突き出して制止させる。
「誤解しないでください。その程度で親父殿を蔑む事なんて俺にはできねぇ。
他の連中だってそうだ。金がねぇ時にご馳走になったりと親父殿には散々世話になった。
そして、今もちゃんと仕事はしてくれてる。義兄者不在の現状で健在でいる事。
それが親父殿にしか出来ない仕事なんですよ」
常に気だるそうな表情の弟が柔らかい笑みを浮かべている。
そこに刹那は弟の成長を感じ取ることが出来た。
「それにね」
大河はまだ話し終わってないと口上を続ける。
「義兄者が絡む事になるとシャキッとするんですよ。
手紙も目尻下げて読んでますし、うるさく指示してきますしね。
もっとも、某は無学ゆえ難しい事は分からん。
失敗の責は腹掻っ捌いて取るから存分に仕事しろってのが口癖になってますが。
本当にするだろうから皆必死で仕事する。
義兄者だってそんな親父殿がここにいるからこそ、あんな事が出来たんです。
親父殿くらいっすよ?俺らの中で料理修行に即座に賛成出来たのって」
トップがいきなり自分の意思で突然いなくなろうとする。
そのトップを慕う部下達はそれに賛成できるであろうか。
例え自分自身に自信を持っていたとしても即断できる人物は少ないであろう。
それが出来た老人に、敵わないっすよねーと苦笑する大河。
それを見て刹那は改めてマサハルと老人との間の繋がりを実感する。
「とはいえだ。
これ以上姉者を待たせるのも悪いし、後で親父殿もそれ聞いたら腹を切りかねないし、
強引ですが起こすとしましょうか」
仕方ないと言わんばかりに頭を掻きながら立ち上がる大河。
一礼して中座に上がる。
老人に近づき肩を揺らして起こそうとするも、老人は一向に起きる様子もない。
大河の頬がヒクヒクと引きつる。
「親父殿。起きてくだされ」
さらに強く肩を揺らす。
しかし、それでも老人の頭が揺れるだけで効果がなかった。
最後の手段だ。
「とっとと起きろ。馬鹿親父」
大河は拳を震わせ、拳骨を老人の頭に落とす。
ガッと響く鈍い音が刹那の耳にも入ってきた。
痛そうだと刹那は顔を顰める。
張本人の大河は冷ますように拳に息を吹きかける。
その効果は絶大だった。
老人が頭をおさえながら意識を覚醒させる。
「いたた。朝っぱらから何しおるんじゃ、この馬鹿息子」
「もう昼っすよ。馬鹿親父」
睨む親に呆れた目線で見下す息子。
「年寄りをもっと労わろうと思わんのか。貴様の乱行に心を痛めているいたいけな老人を」
「そんな事ぁどうでもいいんですよ。それよか親父殿。こっち見てみ?」
そう言って大河は刹那のいる方角をクイッと指差す。
老人もつられるように視線を向け、固まった。
老人と視線が合った刹那は向き直り軽く頭を下げた。
「お、お、奥方様!?」
「お久しぶりです権爺様」
頭を下げられた事もそうだが、刹那が来訪に気付かなかった事に老人は慌てふためく。
「こりゃ馬鹿息子。なんでとっとと起こさなんだ!」
「俺だって知らなかったんだよ!」
「筋目としては国境、もしくは街の外にて奥方様をお待ちするのが常道。
それすら出来ぬとは・・・何たる不覚。かくなるうえは」
老人はカッと目を開き、脇差を抜いて床に置く。
右腕左腕と肌脱ぎを行い、上半身裸となり刹那に頭を下げる。
「略式にはございますが、腹を掻っ捌きまする。
お手間をおかけしますが若には留守を最後まで守れず、
申し訳ござらぬとお伝えくだされ」
「なんで親父殿への使者としてきたのに切腹の見届け人させなきゃなんないの!?
まだ呆けてんのか馬鹿親父が!早く服着て刀も仕舞え」
戦時中、マサハルが表立った行動を起こした際に
「若がいく所に我在り」
と、常に付き従い走り回った老人がいた。
独自の単独行動を取った際には若と叫びながら町中を走り回った老人がいた。
突拍子もないマサハルの行動に独自に開発した胃薬が絶えなかった老人がいた。
マサハルが拾い上げた人材を自分の財産を切り崩しながら面倒を見た老人がいた。
目立った軍功はなく、文武において秀でている部分もなかった。
ひたすら忠に篤く、陰日向に働くのみであった。
されど、マサハルの傍にいた事で目に付く機会が増え王達の評価はすこぶる高かった。
幻斎曰く、
「謹厳実直で金銭にも名誉にも欲がなかった。だからこそ良太の傅を任せられた」
椿曰く、
「彼なくば良太の成長は遅れていた。統一も五年十年は遅かっただろう」
ムネシゲ曰く、
「奴が死なぬ限り、良太の軍の士気は下がらぬ。それだけ胆が太い」
そして、マサハルは言葉少なくこう評した。
「我が師、我が父」
東方統治府筆頭家老兼エド城代、柊権左衛門。
柊大河の養父であり、戦時中に鬼胆権左と呼ばれた男。
それが老人の正体であった。
お気に入りが増えてビックリしてます。
小物ですので、感想いただいたりポイント増えたりすると
モチベーションが上がる作者にございます。
これからも暖かい目で見守ってやってください。