7話:闇に咲く華(後編2)
先程までの幻想的な雰囲気とはうって変わって、部屋はただ静寂のみが支配していた。
お互い特に気負った様子もなく酒を手酌で呑む。
「ほんま言うと・・・」
胡蝶がふと言葉を発する。
マサハルの様子は変わらない。
「良太の頼みは断る気はさらさらないけど、直接行く気もなかったんよ。
誰かに言伝頼んでそれで仕舞い。
それでええと思てた」
一瞥するだけでマサハルは言葉を発さない。
胡蝶の言を聞く事に専念しつつ、酒をちびちびと呑む。
「あんたが心底勝ちたい、王になりたいと思てるなら話は別や。
うちかて全力で支援してるやろ。
けど、あんたは勝とうが負けようがどっちでもええ。
だからあんたは積極的に動かへん。
椿様の所に行かせてるもんの報告聞いてそこまではすぐ分かった」
マサハルに大久保良太としての過去があり、ある意味偽者としての人生を歩んでいるように、
胡蝶太夫にも過去があった。
ただ、マサハルとの違いは胡蝶太夫としての生き方を真の意味で第二の人生としている事。
胡蝶太夫。
不知火屋風牙の孫にして、大久保良太付の元忍びであり幼馴染。
それが胡蝶の過去。
また椿が城中を抜け出し良庵へ入り浸れる理由は
胡蝶が護衛として忍びを配置しているに他ならなかった。
「あんたがあん子らの為に動こうとしてるて思てたけど、
それ以外に何をしようとしてるのかはさっぱり分からんかったわ。
本命は家族のためやとしてや。付録として何しようとしてるん?」
遊郭にもかかわらず、遊女とその馴染みの客としてではなく主とその従者として、
それ以上に幼馴染として対峙する二人。
胡蝶としては何かと暴走しがちだったマサハルの過去もあって心中を問い質す必要があった。
「付録ですか・・・」
マサハルが口を開く。
椿は誰よりも長く共にいたせいで彼の心中の殆どを読み取る事ができた。
「大君」と言われた椿の半身。それが大久保良太の存在価値であった。
刹那は何よりも彼を信じているために心中が分からずとも待つ事ができた。
大久保良太が人としてあれた枷。それが神楽刹那という存在だった。
そんな椿や刹那にすら心中を明かさなかった彼も胡蝶になら明かせた。
大久保良太の影のような存在を胡蝶が長年担っていたからである。
知る人間はごく僅か。椿すら忍びの存在を知っていても胡蝶の存在を知らなかった。
「私はね、強欲で我侭なんですよ」
「そんなん前から知ってるわ」
「そして貴方に負けず劣らず狂ってる」
「それも知ってる」
神妙に語るマサハルに呆れた目を向ける胡蝶。
愛する女性の為に全てを捧げる。
男性なら一度は思う事ではあるだろう。
だが全くの躊躇なく実行できる者は恐らく数少なく、
それは無欲か狂っているかの差異はあれど常人ではない。
椿の為に祖父が興した大久保家の身代を潰す事を考えた。
刹那の為に築いていた名声を壊す事を考えた。
どちらもそうする前に事態が変わった為に有耶無耶になったが、
準備ができ次第迷わず実行したであろうと胡蝶は考えていた。
マサハルが自身を狂っていると言った点はそこであった。
胡蝶もまたマサハルに狂っている。
それもどうしようもなくだ。
過去にこんな出来事があった。
胡蝶はマサハルの横にいる人物になりたかった。
己よりも長い付き合いの椿は我慢できた。
しかし、後から出てきた刹那にマサハルが気持ちを向けていた事に嫉妬が芽生える。
その思いは募り、刹那の暗殺へと気持ちが動いた。
間一髪で察知したマサハルと最初で最後の殺し合いが勃発した。
結果はボロボロになりながらもマサハルの辛勝だった。
いや、圧倒的に胡蝶が勝っていながら己だけに向けるマサハルの純粋な殺意に絶頂を感じ、
勝手に自爆したという方が正しかった。
以後、胡蝶の心境は変化する。
マサハルを自分の物だけにしようという強い独占欲はなりを潜め、
マサハルの愛しいものは自分も愛しいと同一視しはじめる事となる。
マサハルが胡蝶を狂っていると言った点はそこであった。
「純粋に家族が一緒になるためにどうしたら良いかと考えてたんですよ。
今の生活が続く方がどう考えてもおかしいですから。
そりゃ色々考えましたよ。
椿を王位から退け、私が王位に就く事。
椿から実権取り上げて、その下で合議制によって為政を行う事。
いっその事、他の誰かに王位を渡して皆で隠遁生活を送る事」
ヒノモトの政治体制は封建制度から絶対王政への急激な変化の過渡期を迎えていた。
その中でマサハルの述べた考えは狂気の沙汰もいい所であった。
さらにマサハルは独白を続ける。
「けどね。駄目なんですよ。手遅れなんですよ。
どう考えても椿を超える為政者なんて今後百年は出てきませんよ。
私は椿ほど苦を機に変えて克服してきた人間を知らない」
幼い時から女王に祭り上げられ不自由な生活を送っていた椿。
しかも戦時。負ければその身がどうなるか分からない。
そんな過酷な状況の中を椿は生き抜いてきた。
大久保幻斎という絶対的な存在に守られているとはいえ、
人の思念というものはその隙間を縫って椿の身に降りかかった。
それは利を求める臣や民であり、理を拒絶する野党であり、
欲を持った外敵という存在に姿を変えて椿の身に立ち塞がった。
そして彼女はその悉くを平伏せ、手中に収め、手を携えていった。
そこには子供が浴びるべき愛情、少女が感じるべき楽しさ、
女性が受け取るべき幸せなどが立ち入る隙も存在しなかった。
「そして今の状況は椿だからこそ御せるんですよ。内外問わずね。
今更他の者が王につこうとしても、椿が居なければどうにもなりません。
結局椿は為政者という立場から逃れられない」
だからこそ胡蝶は感じていた。
いや、胡蝶だけではなく琴音や刹那、他の者達も口ではどう言おうが感じている。
そんなどうしようもない孤独な牢獄とも言える状況において、それにいち早く気付き誰よりも理解し、
椿を開放すべく狂気の赴くままに突っ走り戦乱終結という途方も無い偉業を成し遂げた、
そして椿に人として感受すべき幸福をもたらし続けた、
マサハルという人物がどういう存在であるかを。
「私が出来る事は、現時点での問題点の是正の契機となるくらいです。
一つは東西の融和。
政府が二つあってどうするんだ。
それは椿だけではなく皆感じている事です。
けど、それも時間がたてば解決していくことなんでしょう。
だから皆何も言わない。
私だけなら良かった。ミコトとアスカに寂しい思いをさせる。
それが私には我慢ならない。
だから私がその時間とやらを縮めてみせましょう」
無欲で控えめな性格のはずなのに、どうしようもなく自分本位。
「次に現時点で各所が抱えている問題点。
その解決に私が秘密裏に協力しましょう。
今の私ほど制約がない者などいない。
だから、私に押し付けてみればいいんですよ。
名分は王に相応しいか試すとかで構わないのです。
成功したらその者の手柄。失敗すれば責任。分かりやすくてやりやすい。
ただ、これは気付く者がいるかどうか・・・椿は間違いなく気付いてるんでしょうね。
気付いている上でまだ放置されているという事は面倒事になれば押し付けられますねぇ。
怖い怖い」
自分の存在すら駒のように扱う識見とその状況に楽しそうに笑って対応する胆力。
「最後は本当にどうにかしないと不味いでしょうね。
椿が致命的に間違っていて、それに気付いている人間がいるかどうか。
私も自分自身の事で精一杯だったので人の事は言えないんですけどね」
目に見えない弱所を見抜き、それを徹底的に突ける人間。
「やるなら抜本的にやるしかないんでしょうね。
勝とうが負けようが四刃がいる地位を入れ替えましょう。
最低でも琴音殿だけでも何とかしないと面倒だ。
刹那はいざとなればどうにでもなりますし」
それがマサハルだった。
マサハルの独白を終え、二人は再び酒を呑み始める。
興奮もあったのであろう。
マサハルにとっては多少火照った身体に酒と窓から吹く風が心地よかった。
胡蝶もマサハルの話を聞いて自分がすべき事を考える。
あまりありそうになかった。
ならば、本来の仕事にいつも通りに取り組むだけ。
いつでもマサハルが自由に動けるように準備してやるだけ。
そして彼が望みの為に己も動くだけ。
マサハルがギオンの建設に協力した真の意味を果たすだけ。
情報とは金と酒と女のいる所に自然と集まってくる。
その情報を収集し、吟味し、落とし込むべき場所に落とす。
それがギオンの存在意義であり、不知火屋の役目であった。
仕事を果たす。
その代償として褒美を渡す。
主従関係における関係維持のための基本である。
しかし、胡蝶にとって真に欲しい褒美をマサハルから与えられた事はない。
金銭での褒賞が常であるが、胡蝶もマサハルと同じであまりそれに対して欲がなかった。
ここでマサハルが指し示す、不知火家の狂気が問題となってくる。
実の所、胡蝶は誰にも身体を許した事はない。
胡蝶にとってマサハルにしか興味がなかったからである。
突き出しの相手が幻斎というのも本人の許可を得て流したデマである。
風牙は一国の恩領より、幻斎との生死を賭けた極限の死闘を求めた。
そして胡蝶はマサハルとの一夜の閨を求めた。
幻斎はそれに応えた。
しかし、マサハルが応える事は終生なかった。
その求めに対し、彼は全力で逃げ続けた。
マサハルが大久保良太であった頃の手足であり影。
戦闘における才能は傑出しており、不知火に代々伝わる忍術を継承し、
同時に古代の大陸の宮廷の守護者の武術をも得た忍び。
人間における致命的な代償を捧げた結果、飛翠をも超える戦闘力を得た、
マサハルの世代の真の最強。
されどその価値を知る者は少ない。
祖父である風牙。契約主の幻斎。そしてマサハル。
狂気やその存在価値、あらゆる意味でマサハルが秘密にしておきたかった切り札。
それが胡蝶太夫という”男”の正体であった。
胡蝶の設定は当初から決めていました。
有名な武侠小説の設定をオマージュしてはおります。
マサハルの考えるヒノモトにおける最後の問題点。
伏せてはいますが単純です。
ただ皆様賛否両論あるんだろうなぁと考えております。
ギオン編の本筋はこれで終了ですが、余話を一話だけ挟みます。