6話:闇に咲く華(後編1)
胡蝶太夫の待つ部屋へと向かう廊下を歩きながら、マサハルは色々と考える。
アスカをあの翁に預けて大丈夫なのか、であるとか、
客が部屋で女を待つのが常道で普通は逆なのでは、であるとか、
何故、罪人の護送のように男達に囲まれるように案内されているのか、とかである。
自分の周囲を張り付くように歩く男達を見る。
前後左右に一人ずつ。皆、青年になりたてというくらいの顔立ちをしている。
奉公人らしく腰が低くみえるようで、隙無く自分の所作を探っている。
(世が世なら忍びとして働いていたのでしょうね)
「どうか何も起こされる事のなきよう」
「いざとなれば、簀巻きにしてでも太夫の下へお連れせよとの主のお達しです」
どう考えても客商売をしている者の台詞ではない。
我々の世界で言うポン引きも真っ青の言動である。
だがマサハルとて戦乱を駆け抜けた古強者であった。
そんな脅しとも取れる言葉に萎縮するような事はなかった。
(なかなかの手練れですね。ですがまだまだアイツに比べると甘すぎる)
男達はマサハルを中心に付かず離れずの距離を取って囲んでいた。
マサハルが止まれば止まり、進めば進んだのであろう。
左右にずれても同様である。
それだけの練度に基づいた力量を彼らは確かに持っていた。
しかし、マサハルはそんな彼らを見事に出し抜いた。
悟られぬように重心を変え、前に進むと見せかけて後ろに退いたのである。
それはさながら滑らかなムーンウォークであった。
一瞬で後ろの男に並ぶマサハル。
そのまま首筋に手刀を落とす。
ところが、その感触に首を傾げる。
「変わり身とは見事な芸ですね」
目の前には手刀を落としたはずの男の代わりに木の棒が転がっていた。
「あ~・・・びっくりした」
「我々が出し抜かれるとは・・・」
「本当にこの人料理屋の主っすか?」
「まことに簀巻きにしてお連れするしかないですね」
不意をうたれてなお、余裕があるように見える四人。
すぐさまマサハルを取り押さえようと身構える。
一方で、マサハルの表情にもまた余裕が浮かんでいた。
「さすが翁、いい仕込みですね」
微笑を浮かべると足元の棒を拾い上げる。
「変わり身について常に疑問に思っている事がありました。
こんな物を身体のどこに、どうやって隠しているのかと、ね」
軽く上に投げては受け止める動作を繰り返し重さを確かめる。
「翁も秘中の秘と言って教えてくれませんでした。
盗めるのかなと思ってましたが全然駄目ですね。まったく理屈が分かりません」
今度は足をトントンと踏みしめる。
足場の確認である。
「まぁ、ここでそんな事を考える事自体が無粋。
お呼ばれに応じますか、ねっ!」
足で地面を強く踏みしめると同時に持っていた棒を男達の方角に投げつける。
棒は唸りをあげて男達の横を抜け、そのまま遠く離れた正面の部屋へ向かっていく。
「どこに投げてるんですか。」
「投げる動作は見抜けませんでしたが当たらなければどうという事はないっす」
「無人の部屋とはいえ襖が破けると面倒だ」
「そこは御仁に払っていただくしかあるまい」
飛んでいく棒の行方を他人事のように見物する男達。
常人にとっては危険極まりない光景であろう、場合によっては緊張で身体が動かない場合もある。
だが常人より速い領域で活動しなければならない時がある彼らにとっては、
数秒でもゆったりとした時間となりうるのである。
棒はどんどん部屋へと近づいていく。
襖を破って無人の部屋に突入し畳に突き刺さる。
それぐらいの威力を備えていた。
その時、突然襖が開かれた。
同時に丸太が勢いを完全に失い、コトリと落ちる。
「あらけない挨拶どすね?」
「この程度では効き目がありませんでしたか」
そこには扇子を突き出した胡蝶太夫の姿があった。
マサハルのみがその存在に気付いて行動に移したのである。
優雅さと淫靡さ。
時として相反する情景を併せ持つ独特な雰囲気の部屋に琴の音が響きわたる。
曲はマサハルも知らない。
目を閉じて聞くと日常の雑音が掻き消され澄んだ音が心に響いてくる。
その音は脳裏に様々な光景を連想させる。
風。
舞い散る花。
月明かり。
曲が進むにつれ触感までイメージ出来るようになる。
川を流れる水の冷たさ。
肌にやさしく吹き付ける風。
佳境に入ると嗅覚まで引き込まれる。
甘い花の香り。
果実の爽やかな香り
マサハルもそれを摘まもうとしてか無意識に手をのばす。
手に取った物をギュッと握る。
さらに香りが強まる。
もっと嗅ごうと力を強める。
強く機能したのは嗅覚ではなく聴覚であった。
悲鳴が聞こえる。
「いたたたたた。まぁ様、堪忍しとくれやす!」
「ここで曲調を変えますか。これは意外だ」
マサハルが掴んでいたのは胡蝶の顔であった。
マサハルはさらに掴んでいた指の力を強める。
俗に言うアイアンクローの要領だ。
「ちょ、ちょい!?」
「相変わらず油断も隙もないですね、いい加減に元に戻らないと私のたがもが外れますよ?」
マサハルは胡坐をかいたまま一歩も動いていない。
それなのに彼が技を仕掛ける範囲にまで胡蝶との距離が近くなった。
目を閉じた隙に胡蝶が近づいた良い証拠である。
「今日は娘との触れ合いを不知火にぶち壊されて機嫌が悪いんですよ。
どういう事か分かりますよね?分かってますよね?分からないなら分からせますよ?
懇切丁寧に事細やかに緻密に穴のないように」
マサハルの細い目がうっすらとだが開かれる。
家族の誰にも見せない表情であった。
「うふふふ。うちにしか見せないまぁ様の顔って素敵どすね。今のうちには見えやしまへんけど。
そやかて、まぁ様!?これ以上は化粧崩れてほんまに危ないんどすけど!?」
無造作に子供を片手で二丈以上の高さに放り投げる。
それを成す腕力の持ち主が繰り出すアイアンクローの痛みは想像を絶する。
胡蝶も痛がっている様子は見せるものの、余裕があるように見て取れる。
それは痛がりながらも合間合間に媚を売る様子からして明らかであった。
「・・・さて、もう用事は済んだ事ですし帰りますか」
マサハルは胡蝶の顔を掴んでいた手を放し、一瞥もせずに立ち上がる。
それを見て胡蝶も降参といわんばかりに両手を挙げる。
「はぁ、参ったわ。
もう何もせえへんから、良太座ってえな」
言葉使いもこれまで使っていたものから、風牙のようなものへと変化した。
これが地の喋り言葉なのであろう。
マサハルも憮然としながら座り直すのであった。