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5話:闇に咲く華(中編2)

一本の串焼きがある。

カリカリになるまで炙られ、脂が弾けた後の残る皮。

歯を立てると表面のザクッとした香ばしい食感と裏面のほのかにネットリとした食感が同時に楽しめる。

多少のクセはあるものの、脂のほのかな甘みと塩気が口の中で溶け合い何とも言えぬ味に昇華する。

間に挟まれた汁気たっぷりのネギの鮮烈さがその味を引き立てると同時に口直しの役目を果たす。


グツグツと煮込まれた鍋がある。

肉は火が通って若干縮んではいるものの、本来の野趣あふれるコクのある味わいがたまらない。

出汁を十分に含んでクタッと萎びたネギはシャリシャリとした歯触りと甘みが心地よい。

それに具から出た旨みが出汁に溶けてそれ単体でも上質な汁物として舌を躍らせる。


蒸篭の上に盛られた蕎麦がある。

茹でられた直後に冷水にてしめられた麺はツルッとした独特の光沢を帯び、

のどで楽しむ醍醐味を容易にイメージさせる。

また、つけ汁は甘辛い醤油味の割り下に肉の脂が溶け出し絶妙な調和をなす。

そこに加えられるネギもまた調和を引き立たせるアクセントとなる。


そのどれもが酒に合う。

酒を口にすることで濃厚な料理の味が膨らみ、舌を洗いさっぱりとさせる。

濃と淡、冷と温のコントラストがさらに食欲をかき立てていく。




(こんだけ楽しめるとは思わんかった。

 こんな事ならあん時、強引にでも雇っとけばよかったわ)


それらを口にしている老人は眼を細めながらも作り主の事を考え若干の後悔を覚える。

老人の名は風牙。

老躯ながら引き締まった身体に着流しを纏い、細々とした動作に一分の隙も無い。

左目は眼帯で覆われ、残った右目で共に食事をしている幼女を見る。

お気に召したのか黙々と小口を開けながら食べている。


(紋日とはいえガキを遊郭に上げるとは思わんかった。

 あのボケも何を考えとんねや。孫の教育くらいちゃんとしとかんかい)


「今、変なこと考えてませんでした?」


風牙は目の前にいる作り主であるマサハルを一瞥すると鼻で笑うように言葉を吐き捨てる。

良い物が手に入ったから料理を作らせてくれと強引に厨房に入ったのだ。

良く言えば勝手知ったる何とやら。

悪く言えば傍若無人そのものである。


「お前のろくでなし振りを嘆いとった所や」

「酷いなぁ・・・」


酷い酷いと呟きながらもマサハルは杯に入った酒をクッとあおる。


「まあ、あの老いぼれにしてこの孫ありって事やろ。この娘っ子が似ん事を祈るばかりや」

「御祖父様も翁にだけは死んでも言われたくないでしょうねぇ」


再び苦笑しながらマサハルは酒を飲み干す。

そのペースはいつもと比べると大分速い。


料理が旨い。会話が楽しい。場の雰囲気がいい。

酒が進む要因はいくつもあるが、そのどれにも該当しなかった。

これからの事を考えると多少の酒が入らないと踏ん切りがつかない。

それがマサハルの場合の要因だった。


その様子に風牙もまた苦笑する。

マサハルと風牙は長い付き合いである。

マサハルの事を子供の頃を最もよく知る大人の一人とも言える。

自身にとってもマサハルは孫のような存在であった。


一方のマサハルも自分の料理を食す風牙の様子に一応の満足を覚える。

ギオンの顔とも言える胡蝶太夫を抱える不知火屋の主。

そして、その太夫の馴染みの客。

表面上の関係はそんなものではあるが、真の関係はそんな生易しいものではなかった。


大久保家の元当主と大久保家お抱えの忍びの元頭領。


(これで武神の好敵手・・・七戦の決闘を経てなお生きている生粋の修羅)


風牙は大久保幻斎と忍びとしての契約を結び、戦の手助けをしていた。

その功は大きく、望めば一国の領地持ちにもなれていた。

しかし、彼はその話には一切興味を持たず幻斎との決闘にこだわり続け戦績は一敗六分け。

唯一の敗戦は最初の戦いで付いた物で、以後は決着がついていない。

これ程の男が無名であるのは、彼が徹底した隠蔽工作を行ったからである。

そんな人物が亡八物とはいえ一介の商売人になっている。

自分より性質が悪いんじゃないかと本気で思えてくるから不思議である。


(世の無常ここに極まりけり、ですねぇ。不知火がこう落ち着くとは誰が想像できますか)


「今、何か変な事考えてへんかったか?」


思案にふけるマサハルの様子に風牙が問いかける。

相手が物騒な人物にもかかわらず、気取った素振りも見せずにマサハルは返す。


「不知火の狂いっぷりに頭を痛めていた所です」

「お前こそ酷い言い草やんけ」

「それなりに成長したって事ですよ」

「料理かてどんだけ俺の事皮肉っとるねん。

 どんどんあの老いぼれに似てきとんな。あの頃の可愛らしいお前が懐かしいわ」

「極めて真っ当な故事の例えを題目に作った料理ですよ?

 味が良ければ別にいいじゃありませんか」


マサハルの出した料理は三品。

焼き物、汁物、麺と種類は異なる物の必ず使われている食材があった。

鴨とネギである。


鴨がネギを背負ってくる。

男が女を求めて金を持ってやってくる遊郭の主には痛烈な皮肉に取れた。




「しかも極め付けはこの手紙や。

 随分おもろそうな事やるつもりやねんなぁ」


風牙は対面当初にマサハルから受け取った手紙をヒラヒラと見せ付ける。

風牙の名前はなく、胡蝶太夫宛ではあったがマサハルは彼が手紙を読む事を制止しなかった。


「加わりたいなら別に構いませんよ?

 太夫はともかく、翁を動かせるとは思ってなかったんで加えなかっただけですし」


マサハルの勧めにも風牙は鼻で笑って返す。


「はん。こういうのは参加するより外から酒呑みながら見物するのがおもろいんや。

 特にお前がカミさんに弄くられるのは、ええ酒の摘みになるやろなぁ」

「相も変わらず悪趣味ですね。血というのは本当に恐ろしい・・・」


もっともらしく頷くマサハル。

悪趣味。

マサハルにとって大久保家と不知火家との間であった出来事を思い返すと、

まず思いつく単語がそれであった。


「さて。目的も果たしましたし、そろそろお暇させていただくとしましょうか?」


料理を食べ終え、再び飴を舐めているアスカをみてマサハルは帰宅を決意する。


「はやないか?胡蝶の準備が出来るのももうちょい後やで?」

「だから速く帰りたいんですが?」


笑顔であるものの頬を引き攣らせて答えるマサハル。

覚悟は決まっているものの決意が定まっていないのは誰の目にも明らかであった。


その事に当然気付いている風牙はニヤニヤしながらマサハルにたたみ掛ける。


罠を仕掛け獲物を待ち受ける。

その獲物がその罠にかかろうとする瞬間。

今の風牙とマサハルの状況は例えるならそれに近かった。


「そ、それに今日は娘も連れてますし」

「こっちの娘っ子にもギオンの粋って奴を教えたろ思うしな。

 それに胡蝶もお前に会うの楽しみにしてるみたいやしなぁ」


逃れようとしても無駄。

押しても引いても無駄。

年月だけが可能にする老獪さを風牙は存分に発揮していた。


「あ、アスカが水を取りすぎたみたいなので厠に行かせてやらないと」

「逃がすかいな」


瞬間、風牙の手がぶれる。

マサハルも反射的に近くにあった杯を手に取り顔の辺りにもってくる。


「腕上げたやないか」

「危ないじゃないですか!?」


杯には木の箸が刺さっていた。

いや、刺さっているだけではなく貫通していた。


「まあ、諦めや」

「今度街で流行っている春画本を持参しましょう。

 私は興味ありませんが、作家が馴染み客にいますので」

「それは今度持って来い」

「そ、それでは」

「けど、今日は諦めろ」


起死回生の一策も不発に終わり、なお抗おうとするマサハル。

それを受け止めつつも斬って捨てる風牙

二人の攻防はしばし続いた。

退屈したアスカの目が眠そうになっても続いた。


「太夫の準備が整いました」


終焉を告げる一言が掛けられるまでとにかく続いたのであった。

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