3話:闇に咲く華(前編)
遊郭。
夢か現か人によって見方を変える場所、いや世界というべきなのかも知れない。
男と女が一夜の夢を紡ぐ為に愛を囁き嘯き騙し騙される世界。
男達は夢を紡ぐために足を踏み入れ、女達が迎え入れる。
その日もまた、一人の男がその世界に足を踏み入れた。
「こ、腰の物をお預かりいたします」
大門の四郎兵衛達は顔を引き攣らせながらも丁重に男に対応する。
遊郭では刃傷沙汰を防ぐ為に特別な許可がない限り、刃物の類は大門にて預かる事となっている。
男もその決まりを当然として腰の物を四郎兵衛に差し出す。
四郎兵衛はさっそく受け取った物を自分が培ってきた全てで確かめる。
目で確認する。問題なかった。
手で確認する。問題なかった。
鼻で確認する。問題なかった。
男が何を考えてるのか分からないが受け取った物に問題は全く無かった。
というか、なぜ男がそれを腰に差してるのか訳が分からなかった。
ギオンには様々な男が女を求めてやってくる。
世から世へ流離う渡世人がいれば百戦錬磨の遊び人もいる。
何を考えてるか時折分からなくなる酔狂者に今の世では廃れようとしているかぶき者もだ。
そして、目の前の男もまた屈指の変人であった。
分類するとなると酔狂者に属する。それも飛び切りの、だ
そして今日はもう一つ。
仕方ないといえば仕方ないのだが、
「アスカのもあらためる」
「い、いえ。お嬢様のは結構です」
「父しゃまがつくった」
「そ、そうですかい」
「とってもおいしい」
「そ、そうですかい」
男は持ってた飴を差し出す少女を伴っていた。
「あめしゃんおいしい」
夜というのに行灯の明かりで昼のように明るいギオンの街をアスカとマサハルは闊歩していた。
脇を見ると視界には屋台が立ち並び、耳には響き渡る祭囃子が飛び込んでくる。
アスカの両手には飴が握られていた。
棒の先端に兎を模った飴細工で、色も鮮やかで透き通るような橙色である。
「だいだいいろのうさぎしゃんってへんだね」
「父様の修行不足ですね。うさぎしか作れないんですよ」
「父しゃまがんばる」
飴職人達が売り出さないでくれと泣いて土下座した曰く付の特製の飴。
細工の可愛らしさもさる事ながらアスカが夢中になるのは味だった。
工夫は至極簡単。
マサハルは飴を作る際に大量の蜜柑を絞り果汁を練りこんだのだ。
砂糖だけではくどくなりがちな甘さに爽やかな甘みが加えられる。
また、陰干し・乾燥させていた蜜柑の外皮は陳皮と呼ばれる生薬となる。
それも混ぜ込む事で健康にも気を使っていた。
丸薬程度、金平糖程度の大きさで売り出せば大ヒット間違いなし。
砂糖と大量の果物、作る費用は非常に莫大となるが十分に元が取れる事が容易に想像できた。
しかし、それだけなら他の職人達が真似て商品化することができただろう。
ならば何故真似る事が出来ないのか。
それはマサハルの作った飴が俗に言うグミキャンディであり、誰も作り方が分からなかったからである。
マサハルは大陸料理の知識から、鶏の足からゼラチンを抽出できる事を知っていた。
砂糖を煮詰めて固める飴とは異なる発想が職人達の足かせとなっていた。
それを利用し動物の形の木型に流し込んで冷やして固める。
噛むと不思議な弾力と共に徐々に千切れる。
舐め続けると甘さがずっと持続する。
そしてマサハルも気付かない事ではあったが食べ続けるとコラーゲンの効果で
なぜか美容と健康にいい。
当然、それ自身もさる事ながら糖分も多く含むのでカロリーは高くなるのだが、
大量に消費する術をもっていた椿と刹那や加齢と共に食が細くなっていたヨネが、
世の女性達の為にと称して血相を変えてマサハルに迫ったほどの物であった。
「あんまり食べるとご飯が食べられなくなりますよ?」
「つばき母しゃまいってた。あめしゃんはべつばら」
「酔ってる椿の言う事は真に受けちゃいけません」
「けど、あめしゃんおいしい」
初めて食べる菓子にアスカはすっかりご満悦の様子である。
本当に食べ過ぎるのは良くないと思いつつも久方ぶりの父との外出で喜んでいる娘の姿に、
マサハルの顔もゆるむ。
ミコトも連れて来れば良かったとふと思う。
ミコトは休店日なのに店に来た椿の相手をしている。
今頃は酔った椿に絡まれてじゃれ付かれて苦笑しながら相手をしている事だろう。
今はアスカとの時間を大切にしよう。
改めてマサハルはそう思った。
しかし好事魔多しとはよく言うものである。
マサハルは騒ぎを起こして周囲を掻き回すのが得意である。
だが、それ以上に騒ぎに巻き込まれやすい体質にあった。
「し、不知火屋だあぁっ!?」
「胡蝶太夫の花魁道中だあぁっ!」
その叫び声に騒がしかった通りがさらに熱を帯び狂騒へと成長する。
ギオンの顔とも言える人物が現れたからである。
金棒を突き鳴らし歩く露払いの男を先頭に胡蝶と書かれた提灯を掲げる提灯持ち、
ミコトと変わらないか少し年上の顔立ちの禿と続き、
すれ違う人を陶酔させる美貌の持ち主が後に大勢の女性を引き連れて練り歩く。
胡蝶太夫。
夜の闇にあってもなお輝いて咲くギオンの遊郭が誇る華達の中でも別格とされる人物である。
美貌と触れたら壊れそうな雰囲気、男を惑わせる芸事と有名になる要素には事欠かない。
しかし、名声を一際大きくしているのはそれだけではなかった。
一つは三回目に辿り着いた者がいない事。
初会・裏と客が花魁とは離れた場所に座り花魁を眺め、逆に花魁が客を品定めしている場で、
花魁が客を気に入れば三回目で馴染みとなり床入れ出来るようになる。
しかし胡蝶の場合、馴染みとなる者達は存在しても床入れを許す事がなかった。
入れあげている大河もその口である。
同席させるだけでも大金を要するのに肝心の床入れが出来ない。
太夫の特権とはいえ明らかに男の払い損である。
しかし馴染みとなろうとする男達が後を絶たず、手の届かない天上の華として君臨している。
もう一つは遊女が初めて客を取る突き出しの相手が大久保幻斎であるという事である。
これには二つの意味の捉え方が存在した。
側室を持たない事で有名だった「武神」が手を出した。
大久保幻斎は大きな権力を持っていたにもかかわらず娶った女性は終生で一人だけであった。
一人息子を産んだ後にその相手とも死別。
その後も後妻も作らず戦に掛かり切りになっていた。
唯一の血縁者であった大久保良太の価値もヒノモト国内においてはそんな側面があったからこそ、
落ちこぼれと揶揄されてなお高いものであったのは言うまでもない。
そんな男が手を出した人物。
「武神」のみが手を出せた。
大久保幻斎という人物はヒノモトの男達にとっては立身出世の代名詞ともいえる人物である。
そして庶民の間で非公式に広がっていた「ヒノモト伊達男番付」という番付では、
彼のみが最高位の大関を冠していた。
近年では別の栄誉称号を作って、とりあえずは評価の対象外にしようという動きもある。
これがヒノモトにおける後の横綱という称号の誕生に繋がる
決して床入れを許さない胡蝶が男嫌いなら諦めも付いた。
しかし、それを許した人物がいる。
たとえ相手が今なお語り継がれる「武神」であっても。
武では天地が割けても敵わないだろう。
しかし別の部分で並ぶ事が出来るかもしれない。
その事が男達の心に火を付けた。
二つの要素の相乗効果は恐ろしいまでに噛み合った。
元々の美貌に加え男達を夢中にさせる何か。
その影響で胡蝶太夫は表の世界で或る称号を得る事になる。
ヒノモト四華。
ヒノモトの女性の中でも代表的な才色兼備の女性を称える呼び名である。
構成されたのは椿、大久保刹那、斎藤琴音、そして胡蝶太夫。
既に既婚者である三者と異なり一寸よりも小さい確率ながらも手を出せるかも知れない女性。
また堂々と表社会で輝いている三者と異なり、裏の世界で輝き続ける女性。
そのコントラストが胡蝶太夫の名をさらに大きくさせていた。
「すごいぎょうれつだね父しゃま」
「これが花魁道中というものです。ギオンの代名詞ともいえますね」
その絢爛さに目を輝かせるアスカの頭を撫でながらもマサハルも花魁道中に目を向けていた。
余談ではあるが、先ほどの「ヒノモト伊達男番付」の裏でとある番付が男達の間で広がっていた。
主に男達の嫉妬で構成された番付は「裏番付」といわれ、
俗に言う「怨念や視線で人が殺せたら」という男達の怒号をかき集めた男のランクが表記されている。
伊達男番付と同様に東西に分かれており、東の小結には遊郭での奮闘振りも目立つ柊大河が入っていた。
一方で西の小結には四華の一角である琴音を娶っている斎藤富嶽の名が記されている。
東の関脇にはよりにもよって四華の二角を手中に収めている大久保良太が堂々と冠されていた。
そして、西には・・・
「あら、まぁ様ではおまへんか」
客のいる店へ赴くための花魁道中にもかかわらず、道中で立ち止まり他の男に声をかける。
遊女に対してそんな不作法を生じさせる男。
他の上位陣が高名な中の唯一といってもいい庶民。
声をかけるは四華の一角である胡蝶太夫。
そう。
上記の三人の番付が一つずつ落ちるほど、ぶっちぎりで怨嗟を集めている男。
西の大関には、否、唯一の大関には、胡蝶太夫の床入れに最も近い男。
その男の名が冠されていた。
通りの見物客の様々な感情の視線を一身に集める男の名は「マサハル」といった。