7話:独白(後編)
近年の調査で大久保良太征遥(以後、大久保良太と呼称)の存在は以下の点において、
国家にとって極めて取り扱いが難しいものであったとされている。
・当時の西側勢力の約三分の一の領土を所有する大久保家の当主であった
・戦国時代に近代レベルの戦略・戦術を駆使していた。
特に綿密な情報網と自身の卓越した直観力で奇襲や策略の類が殆ど通用しなかった
・政治経済については細かい事務処理において無能ではあったが、
大まかな基幹に関しては熟知していた
・良太派と呼ばれた人材達を駆使すれば一つの国家の運営が可能であった
・世に言う四刃の台頭に大きく貢献していた
・女王派随一の過激派として周囲の一部から気違い扱いされていた
これほどの人物が王配になる。
本来の実力に加えて、極めて高い権力を得ることで最強ともいえる絶対者が誕生する。
古今東西の国家運営において、これほど危険な事があるだろうか。
以後、大久保良太の行動に何かと制限を付けようとした「天敵」斎藤琴音の苦労が伺える。
<中略>
筆者は研究を進めていくにつれ、二点の仮説を考察するに至った。
・大久保良太は、戦乱期において未来の明確なビジョンを持っていた。
女王椿を中心とした極めて正常な王権政治を遂行するために大久保家は邪魔であること。
よって、統一の暁には大久保家の力を大きく減退させるもしくは消滅させる必要があること。
そのためには王家の実力を高める事と大久保家内での大久保良太の実力を高める事、
大久保家の影響力の減少を同時に遂行する必要がある。
そして、女王椿と自分の結婚を契機に大久保家の所有する人・モノ・力を王家に譲渡する。
その後自分は一切政治・軍事に関わらない。
王家に強過ぎる人間が君主以外にいる事は内乱の原因となるからである。
・大久保良太は一時期、王位に就く事を目論んでいた。
それは野心からではなく打算に基づくものである。
彼の誤算は大久保家の力を完全には消しきれなかった事だった。
一つは神楽刹那(後の側室第一位)との婚姻。
もう一つは「良太派」と呼ばれる配下が自分の思惑を超えて動いた事。
故に一度王位に就いて清算してから次の世代へ譲位した方が良いと考えた。
在位期間は椿の二の舞とならぬように、その者が物心付くまでの間の約十から十五年。
その後は椿と共に政治・軍事の後ろ盾になれば良い。
「武士として最も矛盾した存在」として彼の私心のなさは有名である。
しかし見方を変えれば私欲まみれの行動を繰り返したようにも取れる。
公式記録にもある通り、彼の最大の野心は女王椿との婚姻であった。
そんな彼の資料が一切出てこない期間が存在する。俗に言う「空白の7年」である。
彼はその間に何をしていたのか。様々な憶測が飛び交ってはいる。
しかし、筆者は彼がヤマトに潜伏していたのではないかと推測した上で、
彼の行動を・・・
<<以後、検閲により削除。>>
-○○年度指定機密情報第一種より-
ヒノモトへ帰国した私は大陸で得た知識や技術を師匠に報告した。
本当に些細な量ではあったが師匠なら何かの切欠にして新しい料理を開発すると期待していたからだ。
しかし師匠の答えは違っていた。
「協力はしてやるから自分でやってみろ」
そう言って師匠は私に弟子入りを勧めたのである。
私はミコトとガウの面倒を協力するという条件付きでその話を受けた。
駒鳥屋での住み込みの修行はかなりの多忙であった。
追回しとしての雑用をこなしながら先輩の仕事振りを学び、
暇を見つけてはミコトの面倒を見たりガウに文武の手解きをした。
師匠が直接教えてくれる事は殆ど無かったが、様々な技術を見せてくれた。
ただ切るだけなら他の弟子達にも負けなかった。対象が違うだけで四六時中切ることを考え続けてたのだから。
ただ煮るだけ焼くだけなら戦場で万人を相手の料理の指揮を取ったことさえある。
一部の食材に関しては師匠よりも詳しかった。
駒鳥屋の修行でよく聞かれた厳しさは私にとっては大した事なかった。
先輩の怒鳴り声も拳骨もあらゆる作業の細やかさも戦場での体験からすれば温いくらいだった。
師匠に歪だと言われたのはその辺りの部分である。
切る・蒸す・焼く・煮る・飾るなどの料理の基本の技術を他の弟子達と血眼になって見続けた。
食材の知識も書物や先輩に尋ねながら必死に勉強した。
結局、その時は全てをモノに出来なかったが今でも研鑽は続けている。
時々大久保家の用事と称して刹那が訪ねてくる事もあった。
師匠にとっては私に対する飴のつもりだったのだろう。
さすがヒノモト一の料理人にして商人。人を動かす機微を心得ている。
厭らしいが良い手だった。
刹那がアスカを身籠ったのも、この時の事だ。
約2年。
ミコトが立ち上がり、喋れるようになって文字を書く事も出来るようになるくらいの期間。
私は全てを習得しきれないながらも、師匠に見送られて駒鳥屋を後にした。
色んな意味で特別な扱いをしてもらった。甘さも厳しさも修行の濃さも。
それを含めて一応の及第点を貰っている。
丼もこの期間に作って師匠に褒めてもらった。
店を出して実践に移ろうとしたが、ここで大きな壁に行き着いた。
どこに店を出せば良いか迷ったのである。
最初はエドとヤマトの中間地である町に出そうと考えていた。
それは椿が遷都を行うだろうと見越したからだ。
しかし、その動きが出ているようには見受けられなかった。
また、これから遷都の準備を始めようとすると非常に時間がかかる。
そんな余裕は我々にはなかった。
そうなると大都市に選択肢が限られる。
私の任地のエドか椿の治める首都ヤマト。
どちらに店を構えるにも一長一短であった。
決め手になったのはミコトの
「母様に会いたい」
という言葉であった。
ミコトが良い子である事は分かっていたが、子供なのである。
母親が恋しいに決まっていた。
早速、師匠を通じてお爺様へ連絡を入れてもらい椿に潜伏していた町に来てもらった。
そこで親子の対面を果たし、私は椿にヤマトで店を構える事を話したのである。
ヤマトに店を構える利点はいくつかある。
大都市であるが故に競争も激しいが店を出しやすい事。
正体がばれる可能性もあったが店の数が良い隠れ蓑になってくれると取った。
ミコトとガウに良い教育を施せる事。
首都に人は集まる。文武の心得を持つ者も各人の野心を胸にヤマトへやって来る。
私個人が施せる教育にも限界があり、
二人に必要とされる教養がそれだけ多岐に渡るという事である。
そして、ミコトに政を体感させやすい事が最大の利点であった。
店を構える事は客の表情や感情を観察する場でもある。
単純に言ってしまえば政が良ければ人々は活気に溢れ、店の雰囲気もそれに染まる。
逆に悪ければ店は閑散とし、物流が滞り仕入れに影響を与える。
店の経営も国家の運営も規模は違えど根幹は同じである。
繁盛すればよき糧となり、潰れればよき反省の材料となる。
それが私がヤマトに「良庵」を開いた理由であった。
店の評判はあまり気にしないが、お客にも恵まれ私自身満足している。
家族が食っていけるだけの金を稼げるという自信も身に付いた。
どうやら店を開いた事でミコトとガウだけでなく、私も育てられていたようだ。