18話:マサハルの決断(後編2)
「椿、私に王位を譲ってください」
「あ、あんた何言ってるのよ!?」
マサハルの禅譲の要請に思わず刹那は立ち上がる。
これまでマサハルは王配という立場も大久保良太という立場も避け回っていた。
そう、本来東にいるはずの大久保良太、つまりマサハルがなぜ西のヤマトにいるのか。
それは東の統治を部下に丸投げし黙ってヤマトに潜伏しているからだった。
その事を知らされているのは椿や刹那など極々一部の者達である。
唯一の例外である飛翠も偶然の出来事で知っただけで固く口止めをされている。
斉藤夫妻や他の役人においてはマサハルの所在が東と少しも疑っていなかった。
そんな人間が王位を望むという事が信じられなかったし、
目の前の夫が野心に目覚めたという事も考えられなかった。
「言葉どおりの意味ですよ刹那」
「で、でも・・・」
いつもはマサハルに対して強く出る刹那もあまりの出来事に混乱する。
野菜や米を強請るのとは訳が違うのだ。彼女の狼狽も当然のことだった。
対して椿は腕を組み押し黙ったまま何も発さない。その様子に刹那は苛立つ。
「椿も何か言いなさいよ!」
刹那の言葉に何の反応もしないまま、椿はジッとマサハルの顔を見ていた。
マサハルも椿の顔を見つめる。まるでお互いの真意を探り合っているかの緊張が漂う。
そして椿から発せられたのは意外にも肯定の言葉だった。
「我も一つの方法としてはありだと思ってたさ。あり得んと思って真っ先に捨てたがな。
これはな刹那、損もあるが得も多いのよ」
「あんたが王のままよりも良いっての!?」
「一概にそうとは簡単には言えぬが・・・ま、刹那にも分かりやすいものだけ挙げようか」
刹那は純粋な武人であった。家老になり政治の世界にも足を踏み入れはしたものの、
自分でも向いているとは思わなかった。そんな刹那に椿は子供に物を教える大人のような口調で
話し始める。握った拳を刹那の前に突き出し、指を伸ばす毎に自身の思う利点を解説していく。
「一つ、大久保派の消滅。元頭領の良太が王になるんだ。
今の体制に不満がある連中も逆らう事はなくなるだろうよ。」
戦乱時代でも統一後でも椿は不安定な基盤の上で統治を行っていた。
戦乱時代では強大な大久保派の台頭。長きに渡る戦乱で人々の価値観は人の上に立つ者は
強き者あるべしという風潮があった。しかし椿は優れた為政者であっても武人ではなかった。
国内では武人を中心とした大久保派や若者で構成された女王派などという派閥が
東の勢力との争いが起きない間は隠れて凌ぎを削っていた。
決して完全な一枚岩ではなかったのである。
大久保派の象徴としては武神・大久保幻斎が挙げられる。
女王派の象徴は当然椿である。しかし、ここからが複雑だった。
女王派の筆頭がよりにもよって大久保良太であり、
女王派最大の庇護者が幻斎であったからである。
良太達にとっては本人達の意思とは別に集団の思惑が存在したのだから面倒な事この上なかった。
そしてさらに大久保派の中でも後に良太派とも言える集団が誕生したりで
事態は混沌としていく。
それにも一応の決着が着くのだがそれを語るのは別の話となる。
さらに統一後は元東の勢力の人員の統率も難航していた。
民としては誰が統治者となろうが知ったことではなく、
長きに渡った戦乱の決着が付いたという事で、椿の統治は歓迎されていた。
しかし民を統べるサムライ達はその限りではなかった。
ここでも椿が武人でない事が影響していた。
表立って戦っていない人間に誰が従うかという考えが彼らの根底にあったからである。
逆に戦場で最大の敵であった幻斎や彼らの王が評価した良太の評判は良かった。
過去の風潮は数年では到底払拭しうるものではなかったという事である。
加えて元西の勢力でも四刃と元良太派の対立や良太の事実上の離脱など課題は残る。
大久保良太の戴冠は不完全にではあるものの打開策となりえると椿は考えていた。
「二つ、我が比較的自由に行動できるようになる。拘束からの解放って奴だな」
幼き頃から女王として君臨していた椿はその殆どを城の中で過ごしていた。
抜け出したとしても行動範囲は大久保邸など城下町の一部に限られた。
そんな彼女の好んだのが良太や若者から様々な話を聞く事であった。
自分が動けない代わりに各地の様々な話に一喜一憂する。
それは行動範囲が制限された人間がペットを飼う代償行為に似ていた。
その拘束が外れるという事は彼女個人としては歓迎できるものであった。
「三つ目がな・・・お前本気でやるのか?」
「やる?ああ、そっちですか。本気ですよ」
「な、何かやるっての?」
椿の中での三つ目の利点。それは彼女にとってもマサハルにとっても博打に等しかった。
改めて聞き直す事で認識の再確認を行う。
「いいや、逆さ。こいつは何もする気がない。良太よ、お前は王位だけが目的で権力なぞ要らんのだろ?
ならば我がこれまで通りに政を主導する。三つ目の利点。それすなわち民にとっては暮らしが変わらん事だ。」
「民を治めるという点では椿の政を超える事は出来ません。だったら私は何もしない方がいいですよ。
権力は椿が持ってるままで良いんです」
「そうなると我は本気でやれるという訳か。腕が鳴るな」
椿のとんでもない暴論をマサハルは事もなげに肯定する。
「そして極め付けがこいつが何もしなければしないほど、悪評は良太に集中する。
我が今後どんな政策を立てようとな。代わりに良い評判は我にかかる」
「ま、そうなりますよね。その辺はあまり気にしてませんが」
統治者が何もせず、他の者が主導で政治を行う。人はそれを傀儡政治と呼ぶ。
それを肯定し嬉々として語るマサハルと椿。
王位を奪おうとする者と奪われようとする者の会話では到底なかった。
そしてそれに着いて行けない人間が一人。
「良太!あんた何考えてるのよ!?」
マサハルの杜撰すぎる展望に憤る刹那である。
彼女には夫の真意がまったく理解できなかった。
マサハルにとっての得が何も感じられなかったからである。
いや、この場合通じ合う二人が異常なのである。そこにも小さいながら嫉妬心が生じる。
「刹那、控えよ」
「私は良太に・・・」
「もう一度言う。控えよ」
そんな刹那を椿が押しとどめる。
その顔には長年女王として君臨してきた覇気が漂っていた。
普段なら受け止める事が出来てもこの状況では刹那も押し黙るしか出来なかった。
椿は刹那が口を噤んだのを確認するとマサハルに向き直る。
「良太。刹那と二人きりで話がしたい。席を外してくれ」
「・・・確かにいきなり過ぎましたからね。刹那が驚くのも無理はありません。
娘達の様子を見てきます」
退室したマサハルを見届け椿は刹那と対面する位置に席を移動する。
マサハルの足音が消えた頃合をみて刹那に語りかける。
「あまり良太を責めてやるな。あれとて苦しんで出した考えだ」
「んな事は分かってるわよ。ただ、なんで王なのよ?あんたが王のままでもいいんじゃないの?
好きな料理を捨ててまで良太がわざわざ手を出す事でもないでしょうが!」
二人ともマサハルの性格など分かりきっていた。
王になる事、王になる事が出来なくても王配として動く事。それを今表明したのである。
同時にそれは「良庵」を閉める事はおろか包丁を握る事すらしない事の表明でもあった。
やるからにはとことんやる、それが自分達の選んだ夫なのである。
刹那はマサハルの表面にみせない苦しみを感じて憤っていた。
「王という立場は決して軽くない。我とてあいつの奥底までは分からぬ。
だがな、あれは言っておらんがお前とアスカのためというのも大きいんだよ。
特にアスカには父親がおらん事になるやも知れんからな」
刹那とアスカの立場は微妙であった。
ヒノモトにおいて武家の男子が複数の女子を娶るという事は決して珍しい事ではなかった。
血脈を次代に繋げるという事も立派な務めであったからである。
名家ともいえる大久保家の血脈を残す。
その点においてはアスカという娘を産んだ刹那は十分な役割を残したといえる。
そしてまだ若い二人である。男児が産まれる事も可能性として十分あった
だが、大久保良太の妻と娘という立場は他にも存在した。それが椿とミコトである。
マサハルと女王椿は夫婦である。そしてマサハルと大久保刹那もまた夫婦である。
マサハルは両者を等しく愛し、娘達も愛した。
椿と刹那、ミコトとアスカの関係も良好であり、
椿はアスカに刹那はミコトに実娘に注ぐそれと同じくらいの愛情を注いだ。
されど女王と王配とその妻。そして娘達。
それは昔からの歴史を辿っても前代未聞の関係であった。
公式の立場としては非常にバランスがおかしく体裁が悪い。
正しい対応の一つとしては、片方の関係を断つこと。
この場合は刹那との離縁を意味する。同時にアスカは父なし子となる。
「そんな・・・」
「そうなりはせぬ。我も望まぬ。それ以上に、あれは何をしてでもお前達を守る。
口出しする者を排除してでもな」
しかしマサハルが王となった場合、その前提がひっくり返る。
王と正室と側室。公的立場では不平等はあれど私的なものとしては問題はない。
そんな事でひびが入るような関係ではないのである。
ふと椿は部屋の襖をそっと開ける。
庭にはマサハルとミコト、アスカがいた。
ミコトをひざに抱えて、アスカを肩車して地に座り込んでいる。
声が聞こえては来ないが歌を謡っているようだ。
「あれにとっては王位とて手段に過ぎんのさ。お前達を守るという結果を得るためのな。
そう考えるとその為だけとも思えてくるな。相変わらず面白い」
(もう一つ利点があったが、それは別に教えなくても良いだろう)
「だからこそ王になんてしたくないのよ」
「それは言ってくれるな。我とて決めあぐねているのだからな」
「あんたに文句を言っても仕方ないことよ、これは」
「ま、どうするにせよ課題は多い。良太にとっては店の事もあろう。
すぐにどうこうと言うわけではない。だが、程度の差はあれ騒ぎになる事も覚悟しておけ」
「城内の・・・いいえ、琴音達との事もあったわね。良太には散々守られてきた。
今度はあたしが良太を守る番よ」
椿は幼き頃から突拍子もない事を言ってはマサハルを振り回していた。
しかし、マサハルも突拍子もない事をしては椿を驚かせ、また笑わせていた。
刹那を連れてきた時も椿は非常に驚いた。
自分以外の女子に興味を持つとは予想外だったからである。
そして拳骨でとはいえ自分以外にマサハルを制御できる人間がいるとは考えていなかったのだ。
その頃から椿は刹那に強い興味を覚えた。
それはマサハルへの恋慕の感情に気づくよりも先の事であった。
マサハル、いや大久保良太と椿と刹那。
彼女達は果たしてどのような経緯で今に至ったのか。
そして、「良庵」の出来た切っ掛けは何か?
それには統一までの歴史を絡めた彼らの過去を語らねばならない。
そして、その物語はまさしく良太が生まれ椿と出会った瞬間から始まるのである。
マサハルの決断は今回で完結です。
そして、第1部が終了です。
自分的にはかなり長かった気がします。
今話は文を纏めるのに手間取り時間がかかりすぎました。
投稿が遅くなりました事をお詫び申し上げます。
さて次回以降ですが、いくつかのシリーズを同時展開させます。
1、鵜様作「もふもふ帝国犬国記」とのコラボ
2、過去編
3、第2部
恐らくその場のノリでどの話を書き上げるのかを決めるので、
ペースに偏りが出てくると思います。
コラボは4話を予定しているのですぐ終わるでしょう。
しかし、他2つは何話になるかを想定しておりません。
そんな無計画な作者ではありますが、温く見守っていただければ
幸いです。感想などもお待ちしております。