17話:マサハルの決断(後編1)
翌日早朝、意識が朦朧としながらもマサハルは朝餉の準備をしていた。
昨日の幻斎との立合いによる精神的疲労か刹那の説教の影響からかは定かではないが、
頬がこけゲッソリとしている。最早、身体に刻み込んだ技量だけで調理をしている状態だった。
そんな状態でもいつも通りの手順で食材を切り、飯を炊き、味噌汁を作る。
「ふぁ~・・・久しぶりによく寝た」
背伸びをしながら椿が酒の影響を微塵も感じさせずに炊事場に入ってくる。
いつもならマサハルが気付いて挨拶をするのだが、何も言わない。
白い寝巻きをはだけてマサハルに見せ付けようとするが、意識が飛びかけてる彼は
全く反応しなかった。
「おい、良太?」
「・・・」
夫から期待した反応がないことに不満を覚える椿。
後ろから抱きついてみたりマサハルの目の前で手をヒラヒラさせたりするも応答がない。
「ふむ・・・精根尽き果てておるな。刹那め、久し振りだからと激しく求め過ぎたな」
刹那が聞けば顔を真っ赤にして否定するような事をはっきりと呟く椿。
その顔はちょっとした悪戯を思いついた子供のようなものへと変化する。
おもむろに両手で良太の頬をはさみ、自分の顔へと近づける。
「良太よ。お前は少し寝ていろ。我の布団は片付けたゆえ、昔のお前の部屋で寝ると良い。
布団はもう敷いてあるからな。」
「・・・」
椿がそう囁くとマサハルはフラフラと炊事場を離れ、言われた場所へと移動し始めた。
マサハルの移動を確認した椿は調理中の料理を確認する。
竃からは沸騰した水分が吹き出している。まな板には切ったばかりの食材が置かれている。
そして、ある重大な欠陥に気付く。
それは椿にとっても致命的なことであった。
「しまったな・・・この後どうすればいいのか皆目検討がつかん。」
昔から王であった椿は料理をしたことがなかったのである。
そして、その後すぐに女性の甲高い悲鳴と強烈な張り手の音が大久保邸に響き渡った。
「父様のほっぺた赤いね~」
「まっかっか」
「なぜ私は叩かれたのでしょう?」
朝餉の時間。マサハルは両の頬に見事に真っ赤な手形を付けて膳についた。
手形の作成者はもちろん・・・
「自分の胸に手を当てて考えなさい!」
「おやおや夫婦ならば同衾も当たり前のはずだが?刹那はその年になっても初心だな」
「もとはと言えば椿の仕業でしょうが!!ちょっとは反省しなさい!」
「刹那、もっと落ち着きをもたんか。姫様も悪戯が過ぎますぞ」
先程の出来事に憤慨する刹那。そして、コロコロと笑いそれを茶化す椿。
幻斎はそんな両者をいい年してみっともないと嗜める。
結局のところ、無意識な状態のマサハルはなぜか椿の言われるがままに寝室に移動。
布団に潜り込んだはいいが、そこには刹那が寝ていた。
当然気付かないまま倒れ込み刹那を抱きすくめる。
目を覚ました刹那が羞恥のあまり悲鳴をあげ、往復ビンタをお見舞いした。
それが、マサハルの身に起きた出来事のあらましである。
そして、幻斎の呆れた原因はまだあった。
椿は料理が出来ない。それは仕方のない事だった。
生まれた時から包丁すら握った事がないのである。
そこで椿は料理の出来る者を起こして調理場に連れてきた。
それがよりにもよって自分の娘のミコトだったのである。
母親としてそれはどうかと幻斎は頭を抱えたくなった。
結果としてはマサハルが仕込み、ミコトが仕上げた事になる朝餉は見事だった。
米は甘く炊き上げられ、味噌汁も塩辛過ぎずコクある味わいに仕上がっている。
中の具の豆腐も角が欠けておらず煮崩れもしていない。
魚の塩焼きも皮は焦げ過ぎずに香ばしく焼き上げられており食欲をかきたてる。
「うむ。良太の薫陶が行き届いているな。ミコト~、城で我に毎日飯を作ってくれ~」
「えへへ。お店が忙しいから毎日は無理だよ母様」
椿は愛娘の上達振りに顔をにやけさせる。ミコトも母親に褒められて嬉しいのか上機嫌である。
それに反応し対抗しようとする者がいた。アスカである。
「母しゃま。アスカもお料理したい。おしえて?」
「ご、ごめんね。母様はお仕事忙しくて、なかなか時間が取れないのよ」
アスカにせがまれた刹那は口ごもる。それもそのはず、刹那は料理や裁縫が
全く出来なかったのである。ミコトやガウの不在時で刹那が休日の時は時折「良庵」にて
マサハルの仕事の手伝いをしている。
しかし、任される仕事は接客のみで調理場には入っていない。
マサハルが調理場に入れないからである。
マサハルは刹那の料理を知っているからこそ頑として譲らなかった。
そして悪い事に刹那はそれを娘に教える機会が中々巡ってこず、アスカにせがまれては
仕事の多忙を理由に逃げ回っている有様だった。
余談ではあるが、マサハルを除いた面々で一番家事が出来るのは幻斎、次いでミコトという
有様である。
アスカは幼いゆえに除外しても、椿・刹那・ガウは団栗の背比べの状態だった。
朝餉も終わり解散しようという空気が流れる中、マサハルが皆に声を掛けた。
「椿と刹那に話があります。残ってくれませんか。他の皆は朝餉の片付けをお願いします」
「分かった。ミコト、アスカ皿を集めなさい。小僧は他の物を炊事場へ頼む。
わしは膳を運ぶでな」
「お願いします。お爺様」
こういう時は常にマサハルが率先して片付けを行っていた。それを他の者に頼んだ。
何か大事な話があるのだろうと察した幻斎が子供達にテキパキと指示を出す。
そして食器や盆などを手早く纏めると連れ立って出て行ってしまった。
部屋にはマサハル、椿、刹那の三人だけとなる。
マサハルは予め用意していた急須から妻達の湯呑へ茶を注ぐ。
茶の清々しい香りがほのかに鼻腔をくすぐる。
そして、自分の湯呑にも茶を注ぎ一口、二口と口に含み飲み込むと妻達の顔をじっと見詰める。
「な、なによ。朝の事はやり過ぎたと反省してるわよ!」
「いえ、その事じゃないんですよ」
「ふむ、一服の茶というのも乙なものよの」
マサハルの意外に強い視線に狼狽する刹那。対する椿は悠然と茶を飲んでいた。
そんな二人の美しい妻達のいつも通りの反応にマサハルも苦笑を浮かべる。
しかし、すぐに表情を引き締める。それほど、これから話す内容は重大だった。
「これからの事について、私の考えを述べます」
「「!?」」
妻達もすぐに真剣な面持ちになる。
これからの事、それすなわち自分達にも関係し、ヒノモトにも関する事になるだろうと
直感したからである。
椿もさすがに茶化さない。それだけの空気がそこに存在していた。
「色々考えました。これからの事もそうですが、これまでの事もです」
マサハルの脳裏には店での様々な光景が浮かび上がる。
試作した料理を無我夢中でかき込む常連達。
暴れる客を店の外へと追い出すガウ
客に自分の手伝いをしてえらいと褒められ照れるミコト。
「大久保良太である事。征遥である事。マサハルである事。
名に込められた思いや願い」
戦乱時に命を掛けて共に戦った仲間や部下。
そして、常に大きな背中を見せて多くの人を率いた幻斎。
自分に料理を作るという喜びを具体的にしてくれたヨネ。
「そしてミコトやアスカ、もちろん椿に刹那、私には守るべき者が増えました」
マサハルにとっての宝。
離れていても自分を支えてくれる妻達、日に日に大きく成長する娘達。
「障害となる事が多いでしょう。場合によっては斬らねばならぬ者もいるでしょう」
今から述べる事は大なり小なりヒノモトを騒ぎに巻き込む。
一応の対応策は考えている。それでもやると決めた。
やりたくない事なら全力で逃げる。やると決めたら全力で成し遂げる。
それがマサハルの信条であり、成してきた道であった。
「椿、私に王位を譲ってください」
「あ、あんた何言ってるのよ!?」
それは禅譲の要請という名の爆弾発言だった。
マサハルの決断。それが明らかになりました。
それまで逃げ回っていた王配という身分から王へと変わろうとする
マサハルの真意はいかに!?
今回が完結編と前回述べましたが、申し訳ありません。
次回こそ本当に完結編です(汗)