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小さな飯屋の繁盛記  作者: 大原雪船
第1部
17/55

16話:マサハルの決断(中編3)

大久保邸の離れにある古い建物。その中は道場の態をなしていた。

そこはマサハルも幼い頃から鍛錬に励んだ場所だった。

懐かしき空気と匂いの中、マサハルは過去に戻った錯覚に陥る。


強くなるために忘れるくらい膨大な数の素振りを行った。

何度も何度も祖父に打ち据えられた。吹き飛ばされて壁にぶつかった。

その度に起き上がり時には力尽きるまで立ち向かった。


今はなき祖父の弟子や部下と酒を飲み、倒れた事もあった。

戦死した彼らを偲んで、夜にこっそり泣いた事もあった。


椿が武芸の稽古をする時には稽古台をさせられた。

寸止めのはずが、椿の手元が狂って気絶した事もあった。


(四刃とも仕合った事もありましたね。一度も勝てませんでしたが)


そっと壁に触れる。今でも過去の情景ははっきりと覚えている。

殆ど勝った事などなかったが、それでも鍛錬のおかげで自分は今でも生きている。

昔に誓った椿を守るという目的は遂げた。そして、家族も出来た。


(そして、今は一介の飯屋の主。しかし、それは続かない・・・)


分かりきっていた事だった。分かりきって、それでも始めた事だった。

望外だった椿と刹那との婚姻も果たし、王配であり大久保良太である事は変えようもない。

ずっと飯屋をやっていたいと考えた事があったが、責務とやらから逃げる気もない。


大久保良太に課せられた役割は十分以上に果たしたつもりだった。

他人からの評価はあまり気にしない性質ではあったが自分ではあれ以上は出来ないと考えていた。

限界を超えてやれたと感じていた。

そして、まだまだ不安定だが一応の平和は訪れた。

次は王配セイヨウとしての役割を果たさなければならなかった・・・はずだった。


(まあ、それもまた人生。やる事は変わりはありません)


懐かしい限りではあるが、あまり感傷に浸ってもいられなかった。

己の得物を取ってマサハルは振り返る。


「さあ、始めましょうか。酒は抜けましたか?」


なぜなら、マサハルがこれから立合うのは己の祖父でこれまで一度も勝てなかった人物。


「お前が気にする事でもないじゃろうて。腕がなまってないか見てやろうか」


ヒノモト最強、「武神」大久保幻斎その人だからである。






木刀を持って互いに向かい合う。

マサハルは両手で握り刃上に向ける八相の構えを取り、対する幻斎は片手正眼の構えを取った。

動かずに睨み合う両者の間に張り詰めた空気が流れる。


(打ち込めませんね、どう動くべきか・・・)


マサハルは開始から一歩も動けずにいた。額には既にうっすらと汗が浮かぶ。

何度も間合いに踏み込もうと考えるも、全て倒される気がしてならなかった。

幻斎の構えを改めて観る。自然体で無駄な力が入ってないにもかかわらず、

大樹がそびえ立つかの如く泰然としている。

そこから感じる威圧感は今も昔も変わらなかった。


「来ぬのか?」

「本当はずっと動かなくても良いんですけどね。そうも言ってられぬでしょう」


挑んだのはマサハルの方である。膠着した場合、彼から動くのが礼儀であった。

意を決したのか、マサハルは構えを正眼へと切り替える。


息を吸っては吐き、吸っては吐く。

次第に心は澄み渡るように落ち着き、五感が敏感になる。

空気の流れ、幻斎の呼吸や剣気が次第に鮮明になる。


幻斎もマサハルの気配の変化に気付いたのか上段へと構えを変える。

マサハルの全身から発せられる気に呼応するかのようにジワジワと剣気が膨れ上がっていく。


吸っては吐き、吸っては吐く。

呼吸を繰り返すにつれマサハルの気は次第に小さく鋭くなる。

対して幻斎の剣気はますます濃く膨れ上がっていく


ぶつかり合う気と気。震える空気。揺らぐ蝋燭の焔。

心なしか床や壁が軋む音がする。


吸っては吐き、吸っては吐き、吸って・・・マサハルは一瞬息を止めた。


「ヒュッ!」


吐くと同時に構えは正眼のまま前に踏み込む。


「カハッ・・・」


一瞬呼吸が止まった幻斎は呻き、構えを僅かに崩してしまう。

呼吸を相手と合わせ、乱す。マサハルは作ったその隙を見逃さなかったのである。

剣士同士の立合いでは致命的な隙であった。


(届くかっ!?)


マサハルは床の上を滑るように幻斎の間合いに入り込み、袈裟斬りを放つ。

木刀が相手の肩に入り、それで一本。

普通なら、その流れで立会いは終わっていた。


しかし、ヒノモト最強は人智を超えていた。


瞬時に立て直すと半歩下がり、マサハルを遥かに超える速度で唐竹の斬撃を放ったのである。

武神によって放たれた一撃はマサハルの木刀の峰の部分を押し潰し、一気に斬り落とした。


カラカラ・・・


飛んだ刃先が地面に落ち乾いた音を発した。

両者は時が止まったかのように静止する。

勝負あり。


幻斎の勝ちであった。






「届きませんでしたか」

「実際には紙一重じゃったよ。あんな易々と入り込まれるとは思いも寄らなかったわい」

「紙一重ですか。ずいぶんと厚いですね」


座り込んで木刀の断面を撫でながらマサハルは呟いた。

幻斎も胡坐をかいて先程の余韻を楽しむ。

初手は確実にマサハルが制した。

しかし、幻斎が常軌を逸していた。

硬直から立て直すまでの反射の速さ、ギリギリで避ける見切り、斬撃の速さと破壊力、

全てが人の域を超えていた。長年に渡って勝ち続けていた人間の真骨頂であった。


人々が神の称号を呼び称えたのは伊達ではなかったのである。


「これで盛りを過ぎたのですから、堪ったものじゃないですよ」

「よく言うわ。お前とてまだやれたじゃろうに」


幻斎の言う通り、マサハルは本気で立合ったが全力ではなかった。

しかし、それは幻斎にも言える事であった。なにより、


「あれ以上は私では最後まで止まれませんでした。あくまで仕合なのですから」

「ワシとしては大丈夫だと思うがな・・・いや、無理か」

「え、ええ・・・どっちにしろ、あれで終わりだったようですね」


何かに気付いたのか二人は入り口を凝視しながら会話を交わす。


「ふっ。精々怒られるんじゃな」

「いや、冗談にもなってませんよ!?本当に怖いんですからね」


この後の結末が予想できたのかマサハルは慌てふためき、幻斎は苦笑する。


「きょ、今日は家に戻りますので失礼します」

「おいおい、此処がお前の家じゃろうに」

「それじゃ今日は店に戻りまっ!?」


「そこまでよ。」


冷たく涼しい声が道場内に響き渡る。刹那だった。

顔には笑顔が浮かび上がっているが目が笑っていなかった。

それを見たマサハルの顔が引き攣る。


「ねぇ、良太?」

「な、なんでしょう刹那?」


美しい笑顔、美しい声色。街を歩けば殆どの男達が魅了され振り向く美貌である。

それが今、マサハルに向けられていた。しかし、向けられたマサハルは真っ青になっていた。

端々に怒気を感じていたからである。武神の喉笛に食い込まんとした男の姿は微塵もなかった。


「久しぶりのお爺様との手合わせですもの。はしゃぐのは分かるわぁ」

「そ、そうですか。たまには男らしくあらねばと頑張ってみました」

「でもね?やり過ぎるのは良くないと思うのよ?」


重ねて言うが、その美しさから戦場では剣姫と呼ばれた美貌がマサハルに振り向けられていた。

しかし、現実は甘くなかった。キレても損なわれない美しさというものが存在していた。


「物騒な気配が寝室まで感じ取れたのよ。アスカがビクついて大変だったんだからね!」

「それはお爺様の気じゃ・・・」

「あんたが仕掛けたんでしょうが!」

「ソノトオリデス」


捲くし立てる刹那と言い立てられて小さくなるマサハル。

幻斎は刹那と初めて会った頃から変わらぬ二人の関係に懐かしさを覚える。

当時の大久保家の格は決して軽くはなかった。大久保良太といえば次代を期待された少年だった。

それでも良太の頃のマサハルは刹那に殆ど頭が上がらなかったのである。


「さて、ワシはそろそろ寝るとしようか」

「大体ねぇ、あんたは・・・あ、おやすみなさいませ、お爺様」

「わ、私達もそろそろ・・・」

「あんたは駄目よ。これからお説教」

「そ、そんなぁ」






腰を上げ、道場を後にする幻斎。背中には刹那の怒った声が届く。

これも夫婦の仲の良さと笑いながらも、改めて先程の立会いを思い返す。


(本当に紙一重じゃったなぁ)


己の衰えは感じていたものの、マサハルの成長は想像を超えていた。

確かに長らく剣を握っていなかったのか腕は若干錆付いていた。

しかし、それがマサハルの評価に大きく減点を加える事はない。


(奴の強さはそこではない)


長きに渡る戦乱で武こそが男の価値、強さと見なされた風潮の中で大久保幻斎は絶対だった。

武の才能が圧倒的だった祖父と乏しかった孫。

幻斎が絶対的であればあるほど、それに嫉妬した者は大久保良太を侮蔑した。

しかし幻斎は孫の本当の才を見抜く事が出来なかった。いや、殆どの人間が見抜けなかった。

見抜き最も評価したのは、よりにもよって敵の王であったムネシゲであった。


「お前が武の才に恵まれていないとかはどうでもいい。お前の使命は戦を生き抜き、

 平和な世の役に立つ事だ。」


かつて自分の無力で椿を守れないのではと悩む孫に言い放った幻斎の言葉である。


「お爺様は誰よりも強い人間です。けど、お爺様が一人で頑張りすぎる必要はないと

 思いますよ。」


自分の無能があまりにも多くの犠牲を生んだと悔いる幻斎を救った孫の言葉である。

そんなマサハルの優しさが生む強さに魅かれたのが刹那であった。


(そして、刹那も大したものじゃ)


椿と大久保良太。

この関係は戦乱当時、多くの人間が比翼の鳥を想像しえた。

しかし、それはどこか歪で狂っていた。

その関係に割って入り、歪みを叩き壊したのが刹那だった。


そんな刹那を幻斎は高く評価していた。

たとえ、孫が彼女にボコボコにされようとも。


幻斎はふと空を見上げる。

そこには雲一つない夜空に満月が輝いていた。


バトルシーン初挑戦です。

リアルでは一瞬の描写がしっかり書けてますでしょうか?


次回が続き物の完結編となります。

果たしてマサハルの決断の内容とは??

ご期待ください。

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