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就職先の人間関係がブラックだったので、飛ぶ鳥跡を濁してみました

作者: 上田 成
掲載日:2026/06/18

 難関と言われる採用試験を突破し、王宮官吏という国の中枢を担う重要な職へ就職できた私は浮かれていた。

 婚約者のアンセルと彼の両親には反対されたが、どうしても折れない私に根負けして期限付きなら、という条件付きで就職を許してくれたことに感謝しつつ職場の門を潜る。


「イリスです。至らない点はあると思いますが精一杯頑張りますので、皆さまどうぞよろしくお願いいたします」


 家名を名乗らなかった私に、配属された職場の管理達は、あからさまに見下した視線を向けたが些細なことだ。

 王宮官吏は貴族が多いので階級社会なのは仕方がない。仕事で認めてもらえばいいと気持ちを切り替えた。


 そんな私の教育係として指名されたのはラビニアという伯爵令嬢だった。

 シンプルなワンピースに髪飾りのないハーフアップをした装いの私とは対照的に、ラビニア先輩はパニエこそつけていないが、レースがふんだんにあしらわれたドレスと煌びやかなアクセサリーを纏っていた。


「困ったことがあればいつでも相談してね」


 頼もしく言ってくれたことに感激する。


「ありがとうございます」


 お礼を述べると、真っ赤な唇が弧を描く。

 濃いめの化粧とキツイ香水の香りが少し気になったが、優しそうな先輩で良かったと初日は胸を撫で下ろした。

 それから数日、幸いにもラビニア先輩の手を煩わせることはなく、私は順調に仕事を熟していった。


 しかし、そう上手くは行かないもので……。


 ある日、ラビニア先輩が作った資料が目に入った時に、計算ミスに気づいてしまったのだ。


 すぐに言えば良かったのだが、チラッと見ただけなので私の見間違いかもしれないし、新人が指摘するのは差し出がましいかもしれないと悩んでいる間に、その資料は室長へと提出されてしまった。


 このままでは間違いに気づいた室長にラビニア先輩が怒られてしまうと考え、申し訳ない気持ちになったが、私の心配を他所に資料は室長の上役まで回付されたらしい。


 やっぱり私の見間違いだったのかと、余計な指摘をしなくて良かった、と安堵していたのだが数日後、室長が上役に呼ばれ叱責されていると職場が騒然となった。

 戻ってきた室長は酷く機嫌が悪そうに、ラビニア先輩を呼びつける。


 やっぱり指摘するべきだったと、先輩を申し訳ない気持ちで見ていたのだが……。


 私の不安とは裏腹に、何故かすぐに室長の席から戻ってきた先輩は、例の資料を私の机に置いた。


「これ、計算が間違ってたみたい。チェックしなかった私も悪いけれど、次回からはちゃんと確認してね」

「え?」

「え、って、もしかして自分で作った資料忘れちゃった?」

「いえ、あの」

「新人だから仕方ないけど、自分の仕事にはちゃんと責任もってね」


 ラビニア先輩は完全に私が作った資料だと思い込んでいるらしい。

 他の人も新人が作ったなら仕方ないかという風に私達のやり取りを見ていた。

 私が作ったのではなく「ラビニア先輩です」とは言える雰囲気ではなかった。


「……気を……付けます……申し訳ありませんでした」


 教育係としての先輩の顔を潰すわけにもいかず、私は納得できないながらも謝罪をして、その場は収まった。

 ただ、私のミスだと知った室長からは、部署の不名誉だと厳重注意を受けてしまった。


 そんなことがあったため私は考えを改めた。

 先輩だからと躊躇せずに、これからは資料の誤りを指摘するようにしようと。

 勿論、みんなに聞こえるようにではなく、こっそりではある。


 注意して観察してみると、ラビニア先輩はかなり間違いが多かった。


 私の指摘に最初はお礼を言ってくれたが、その後も何度か同じような誤りを指摘するうちに、段々と苛立たし気な態度になっていくのが見て取れた。


 今考えれば、こっそり指摘するのではなく、こっそり黙って修正してあげれば良かったのかもしれない。

 だが私も自分のミスではないのに自分のせいにされ、ちょっと意地悪になっていたのかもしれない。


 その後もミスに気が付く度に指摘する私に、とうとうラビニア先輩は明確な敵意を向けてくるようになった。

 挙句に指摘しても修正しようとしないばかりか、他人の書類を見れる位に暇ならと、本来先輩がやるべき書類や他の人の分まで押し付けられる始末で……。

 大量の書類を捌くのに必死で、周囲とのコミュニケーションが取れなかった私は、最初から平民だと蔑まれていたこともあり、気づけば職場で孤立していた。


「作成資料をミスりまくるんだってラビニア嬢が困ってたよ」

「あ~、そういえば最初の頃も単純な計算ミスして、上司に注意されてたことがあったよね」

「代わりに謝るラビニア嬢が可哀想だよな。これだから平民は嫌なんだよ」


 コソコソと囁かれる悪意ある噂話。

 その元凶がラビニア先輩だと気付いて噂を払拭しようとしたが、その時には既に遅く、私は室長に呼び出されてしまった。


「君には失望したよ。こんなにミスが多くては給料泥棒と言われても仕方がない。それに比べてラビニア嬢の資料はどうだ、早い上に完璧な仕上がりだ」


 何故か私が作成した資料はラビニア先輩のものとされ、見覚えのない間違いだらけの書類を机に叩きつけられた。


「ち、違います。私はこんな書類知りません。そちらの資料が私の作ったものです」

「人の手柄を横取りか? もしかしたら採用試験も不正だったのではないか?」


 幾ら違うと否定しても信じてもらえなかった。

 採用試験だって頑張って自力で合格したのに疑われて、目の前が真っ暗になる。


 今日中にやり直せ、できなければクビだと命じられて、放り投げられた書類を搔き集めている私を、ラビニア先輩がニヤニヤと笑っているのが見えた。


 私の悪い噂も、室長への虚偽の報告も、全てラビニア先輩がしているのは気づいていた。

 それでも私は、きっと室長は自分の頑張りを見ていてくれていると、甘く考えていた。

 先輩だっていつかは心を入れ替えてくれると、本気で思っていた。

 でもそれは私の希望でしかなく現実は無常だったのだ。


 悔しくて堪らなかった。

 だが、こんなことで辞めるのはもっと悔しい。

 婚約者の反対を押し切ってまで就職したのに、こんなくだらない嫌がらせで終わりたくない。


 室長から投げ捨てられた書類を手に自分の机に戻る。

 見覚えがないと思ったが、確かこれは数日前にラビニア先輩が計算していた書類だと気が付いた。

 いつもミスを指摘されて不満だったのか、最近のラビニア先輩は私が通ると書類を隠してしまっていたが、まさかこんなにもミスだらけの書類を提出していたなんて、国政を預かる者としてゾッとする。


 王宮官吏がミスをすれば、国家への信頼がなくなる。ミスが発覚し差し戻した場合でも時間ロスとなりその分、民への施策が滞る。


 そんな責任ある仕事だというのに、なんだ、この様は。普段は温厚な私の婚約者やその両親でも、絶対に怒り狂うだろう。


 しかし今はそんなことを考えている暇はない。


 ラビニア先輩への憤りを無理やり抑え込んで、無心で計算して書類を捌いていく。

 一枚、また一枚と重ねてゆく書類にラビニア先輩が目を剥いた。


「そんな速度で計算できるわけないでしょう? またミスばかりの書類を提出するつもりなの?」


 不機嫌も露わに言い放たれた言葉に、私は瞳を瞬かせる。

 クビになりたくなくて一心不乱に仕事をしていたが、速度的にはいつもと大してかわらないはずだ。それに、ちゃんと一度計算をしてからミスのないように再計算までしている。


「これが通常ですが? 王宮文官たるもの、この位の速度で計算できねば務まらないと聞いていましたので」


 現に婚約者のアンセルはもっと計算が早い。

 違うのですか? と首を傾げる私に、ラビニア先輩が眦を吊り上げる。


「強がりを言っても無駄よ。その書類の量じゃ今日中に終わらせるのは絶対に不可能だから、適当にやっているんでしょ」


 その言葉に目を丸くするが、そういえばラビニア先輩は私が1日で終わる書類を5日もかけてやっていた。

 私の分まで確認作業をしているせいかと思ったが、単純に遅かっただけらしい。

 既に信頼も尊敬も底辺まで落ち込んでいたが、今の言葉で私の中で先輩に対する敬意はマイナスへ振り切られた。


 その後も何やらギャーギャー喚いていたが、こちらもクビがかかっているため一切相手にせずに書類と向き合った。



 昼休憩もせずに打ち込んだおかげか、なんとか終業時間ギリギリで終わった書類にホッとする。

 まとめた書類を持って立ち上がるが、室長が席にいない。

 キョロキョロと辺りを見回す私に、ラビニア先輩が意地悪い笑みを浮かべた。


「室長なら今日は早退したわよ。誰かさんのせいでミスが多くて、上役に謝罪ばかりしていて体調が優れないんですって。私も無能な新人のせいで余計な仕事が増えちゃって大変だったけど、やっと解放されるわ。その書類、今日中に室長に提出できないのだから、貴女はクビね」


 笑いながら退勤するラビニア先輩の後ろ姿を、茫然と見送ることしかできない。

 最初の挨拶の時に私を見下していた数人の同僚も、鼻で笑いながら出てゆく。


 彼らが去った職場で、私は力なく自分の席に座り込んだ。


 この国をもっと豊かにしたかった。

 誰もが住みやすく、貧困のない、理想の国に。


 その夢のために王宮官吏になって、内政手腕を上げたかったのに、こんなくだらない嫌がらせに屈して、道半ばで挫折してしまうなんて……。


 悔しくて情けなくて、涙が後から後から零れてくる。

 ずっと誇り高いと思っていた職場は夢見た高潔な場所ではなく、悪意と無能が蔓延る居心地の悪いものでしかなかった。

 そんな真実なんて知りたくなかったのに。


 泣き濡れているとドアが開く。


「イリス?」

「アンセル……」

「帰りが遅いから心配した……って泣いているのか?」

「うっ……アンセル、アンセル……」

「イリス、大丈夫だ。私がいるから、ほら落ち着いて何があったか話してごらん?」


 しゃくりあげながらこれまでのことを話した私を、アンセルが優しく抱きしめる。

 このところ塞ぎこんでいた上に、いつもより帰りが遅かったため心配して迎えに来てくれた彼は、私が泣き止むまで黙って背中をさすってくれた。



 優しい婚約者のおかげで、なんとか平静を取り戻した私の視界に、室長に無茶を言われる前までやっていた予算申請書の書類が目に入る。

 各方面から申請された予算書を精査・調整しリストにまとめて国王に奏上する、いわば国の心臓部のような大切な書類。


「暇なら出来るでしょ?」と放り投げられたそれらは、本来なら新人に任せる書類ではない。

 それなのにこの部署の人達は、ラビニア先輩が私に書類を回しているのを薄々知っているくせに「平民だから」という理由で、見て見ぬふりをしていた。

 そのくせ先輩が言う私が不出来だという噂は鵜呑みにして、蔑んだ眼差しを向ける。


 粗方、終わっていたその申請書を提出しても、またラビニア先輩の手柄にされるのだろう。

 そう考えたら――。


「何それ、すごい嫌」


 気づいたら口走っていた。


「こうなったら仕返しをしてやるわ」


 ズビビッと鼻を啜り上げた私は、きょとんとするアンセルに向かいニヤリと笑う。


 孤児院の予算、病院への補助金、その他慈善活動の協力金、無言のまま書類を手にとった私は、不自然に見えない程度に金額を嵩増ししてゆく。

 代わりに官吏達の給料や、王宮維持にかかる経費を減額し、帳尻を合わせる。

 

 ラビニア先輩の計算ミスの書類を上に回付してしまったことといい、室長はきっと内容を確認していない。

 上役が確認したら、すぐにバレて大目玉を食らうだろうが、その時にはクビになった私はいないのだから、怖いものなどない。


「ついでに貴族への支援金も減らしてしまいましょう。特に伯爵家以上は激減させちゃって、変わりに学校教育、公共設備、介護認定者の予算を増やして~っと」

「おっ、いいね。じゃあ税収も民の利率を下げて、貴族の利率を上げちゃおうか」


 始めはちょっとした嫌がらせのつもりだったが、アンセルも乗ってくれるし、日ごろからこんな風に予算を組めればいいのにな、と考えていたことが作成できてしまって、なんだか楽しくなってきた。

 嬉々として予算申請書を修正しまくる私の気分は国王だ。かなり不敬ではあるが。


 ラビニア先輩と室長は気づかなくとも、どうせ上役のところで発覚して通ることのない書類だ。

 好きに割り振って何が悪い。いや、とても悪いだろうが、知ったこっちゃない。


 こうして全ての予算を修正した私は書類を机の上に置くと、アンセルを振り返り眉尻を下げる。


「アンセル、私の我儘を許してくれたのに、こんな結果になってごめんね」

「こちらこそ君の苦しい状況に気づいてあげられなくてごめん」


 抱き寄せてくれる腕は温かくて、また泣きそうになってしまう。

 自分の甘さが招いた結果だというのに、アンセルはいつも私に甘い。


「帰ろっか」


 アンセルはそう言うと私を横抱きにした。


「ちょっ、アンセル?」

「このまま君の部屋まで抱いていってあげる」

「重いし大変だからいいってば!」

「イリスは羽のように軽いよ。でもすぐに着いちゃうからつまらないな」

「もう、アンセルったら」


 甘やかしてくれるアンセルに体を預ける。

 職場を出て数分、やっぱりすぐに着いてしまった私の部屋にアンセルは不満気だったが、優しい婚約者は私を再度抱きしめると、名残惜し気に自室へ戻っていったのだった。


 ◇◇◇


 翌日、ラビニアから提出された予算申請書を確認しないまま上役へあげた室長は、偶々所要で上役の所へ来ていた国王がその場で受け取り絶賛され、王太子の元へ隣国から嫁いでくる王女のお披露目パーティーで褒章されることとなった。


 いつものように自分が作成したと嘘を言ったラビニアも、室長と一緒に招待されることになり、職場はその話で持ち切りとなる。

 いなくなった新人のことなど、誰も気にした者はいなかった。


 パーティー当日、気合を入れてめかしこんだ室長と、この日のためにドレスと宝石を新調したラビニアは、居並ぶ貴族の前を玉座に向けて歩を進める。


 レッドカーペットの上を歩く名誉に心が打ち震え、並み居る高位貴族よりも近い距離で国王に拝謁できる優越を感じながら、玉座に向かって頭を下げる直前、ふと王太子の隣に座る隣国の王女に見覚えがあるような気がして、二人は不安に駆られた。

 しかし緊張のせいだろうと思い、すぐに頭の隅に追いやってしまう。


 そして始まった褒章の場。

 まず提出された予算申請書が室長の上役である宰相より読み上げられた。

 書類を手にした宰相が一瞬室長とラビニアを睨んだ気がしたが、国王が絶賛する申請書を作成した自分達への嫉妬だろうと、内心で見下していた。


 しかし……。


 申請書が読み上げられるうちに、居並ぶ貴族たちから冷たい視線が向けられてゆく。

 特に支援金を大幅に減額された高位貴族からは射殺すような眼差しを向けられ、室長とラビニアの背中に冷たいものが伝った。


 こんな申請書は知らない。作ったのは私じゃない。


 室長もラビニアも、そう訴えたいが、それを言えば国王に嘘を吐いたことになる。

 動揺と困惑、そして恐怖で身を固くするしかない二人は、宰相が読み終わる頃には蒼白となり、顔を上げることが出来なくなっていた。


 貴族たちは誰も彼も不満も露わに顔を顰めている。

 今回の貴族や官吏にばかり不利益な予算申請書を通した室長は侯爵家の次男であり、作成したラビニアは伯爵令嬢だ。

 自らの首を絞めて、一体何を企んでいるのか。もしや自分達だけ国王や民からの支持を得て、他の貴族を蔑ろにするつもりではないのか。


 そんな険悪な雰囲気になった時、鈴を転がすような無邪気な声が広間に響いた。


「国民のことを考えた素晴らしい予算申請書ですわね」


 発した人物に一斉に剣呑な視線が集まるが、刺々しい眼差しを向けられた張本人の王太子の婚約者である隣国の王女は、王族故に日ごろからそういった視線に慣れているのか、平然と微笑み返している。


「さすが長年、王宮官吏を務める方は、この国のことを想っていらっしゃるのね。私の実家や他国であれば貴族の反発は必至の内容ですのに、国王陛下まで申請書が通ったということは、それさえもお二人が矢面に立って解決なさる方法がおありなのでしょう?」


 そんな方法なんて知らない! どうして火に油を注ぐようなことを言うのだ!


 そう思った二人が反射的に顔を上げた先には、生意気だと思って辞めさせた新人イリスが、絢爛豪華なドレスを纏って悠然と着座していた。


「な、なんでアンタが……平民のくせに……」


 思わず零れたラビニアの言葉に、周囲の貴族が「何をバカなことを……」と眉を寄せる。

 既に次々代となる甥までいる侯爵家次男の室長も、伯爵令嬢でしかないラビニアも、このパーティーが始まった時に催された王太子の婚約者紹介の時には、王族からかなり遠くに案内されていたため、イリスがこの場でどう名乗ったのか知らなかったのだ。


「申し訳ないけれど、私、生まれてこの方、平民になったことはございませんわ。王族ですので家名はありませんけれど。あら? もしかしたら私がファーストネームしか名乗らなかったために、誤解されてしまったのかしら」


 そう困ったように微笑むイリスの笑っていない瞳は、確実にあの日――新人として配属された日に家名を名乗らなかった時のことを指しているように思えた。


 平民だと思って意地悪をした相手が、まさかの王太子の婚約者であったことに、ラビニアは後悔と混乱の極みで気を失いかける。

 隣の室長も一方的にクビを言い渡した相手が、自分よりもはるかに高貴な人物だと知って、体をブルブルと震わせた。


「それで? 王族に家名がないことをご存じないようなお二人ですが、どのような素晴らしい方法で、税収や援助金が減額される貴族達を納得させるのかしら? 出来ないなんて仰りませんわよね? ラビニア先輩が作成して室長が許可された申請書ですもの、ね?」


 笑みを深めたイリスの追い打ちに、二人の心が完全に折れる。


「それは……その申請書は……私が作成したものではありません……。今まで私が提出していた書類も……全て……他人に作らせて……手柄を横取りしていました……」


 ラビニアの告白にどよめきが起こる。

 さらに隣にいた室長が頭を下げた。


「私も……碌に確認せずに上役へ回しておりました。ですから……その申請書に対する貴族への対処方法など……わかりません」


 泣き崩れる二人だが、国王に嘘を吐いた罪は消えない。

 栄光と名誉に彩られる未来を夢見て歩いたレッドカーペットに、屈辱と後悔の涙で幾つもの染みを作った頃、王太子アンセルが静かに口を開いた。


「残念ながら虚偽が判明したため此度の予算申請書は却下とする。だが、国政を蔑ろにする王宮官吏がいたことは断じて許容できぬ。よって、そのような輩を縁故にて重要な職に就かせた貴族や、不正を見抜けなかった我々王族は猛省せねばならない。今回のような極端な予算申請は通らずとも、罰は受けねばと考えているからそのつもりでいるように」


 アンセルの言は言い換えれば「激減にはしないが確実に貴族や官吏の予算は減らす」ということだ。

 静かではあるが、断固たる王太子の姿に少なくない数の貴族達が項垂れ、パーティーは解散となった。



 その後――。


 虚偽を認めたラビニアと室長は王宮官吏を懲戒解雇となった。

 元々、父親の権力だけで採用された二人に実務能力などなく、重要書類はいつも上役の宰相府で審議・修正されていたのだが、イリスが入ってからはミスのない書類が上がってくるため、やっとまともになったと思っていた矢先のやらかしだったらしい。


 官吏の無能を見抜けなかった王族にも罪があると国王が認めたため、不敬罪には問われずに済んだが、国中の貴族が集まる中で醜態を曝した二人に社交界は厳しく、家族に疎まれ家を放逐された。

 貴族として甘やかされ適当な仕事しかしてこなかった二人が、平民として生きていくためには真面目に働くしかない。

 そうすれば厳しくとも何とか生きていけるかもしれないが、今までと同じであれば野垂れ死ぬだけである。


 イリスを平民だと思い込みバカにしていた同僚も、王宮官吏として能力不足の烙印を押され、僻地の地方官に配置転換され、猪を素手で倒す堅気に見えない猟師や、巨木を軽々担ぐ筋骨隆々な樵を相手に、毎日怯えながら過ごしているという。


 ちなみに室長やラビニア、それにイリスを蔑んでいた同僚らは、心を入れ替えたとしても、罪が減刑され王宮に戻れることはない。

 ましてや、自身の境遇を嘆き出奔などすれば更に過酷な未来が待っているだろう。


「だって私の可愛いイリスを泣かせたんだよ? 本来なら車裂きの刑でも軽いくらいだよね。出奔したら、どうしてくれようかなぁ」


 残虐な刑罰を温和な笑顔で宣り、瞳を昏い色に染めた王太子に、宰相以下官吏が全員震え上がったというのは、王宮では割と有名な話である。


 そして、その王宮では……。


 官吏を一新したアンセルとイリスは自分達の予算を大幅に削ったため、王族にしては質素な服を纏い、ああでもない、こうでもないと言いながら、予算申請書に手を加えつつ、他の書類も高速で捌いていた。

 勿論、対外的な場では威厳を保つため豪奢な衣装は用意してあるが、執務をするのにフリルのついた袖は邪魔だし、宝石は重く、濃い化粧やキツイ香水は書類が汚れそうなので不要なのだとはイリス論である。


「この国を知るために王宮官吏になりたい」と言った時には心配したアンセルから、お披露目パーティーまでの期限付きで渋々了承を得たが、難関の官吏登用試験にあっさり合格してしまうあたり、イリスはかなり優秀だ。


 彼女が秘密裏に官吏になったおかげで、貴族や官吏の不正が糺せたことは国にとって大きな前進であり、今もまた王太子と仲睦まじく執務に励む息子の婚約者を、これまた少し質素な格好をした国王と王妃が温かく見守っていた。


今回のお話は、王族は家名がない設定にしました。それが常識の世界だと、そう思ってくだされば幸いです。この注意書きを前書きにした方が良かったのでしょうが、そうするとネタバレになってしまうということで、後書きで言い訳させていただきました。

ご高覧くださり、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
「立つ鳥跡を濁さず」ですよね。「飛ぶ鳥を落とす」と間違えてません? わざと何かにかけてるんだったらすみません
楽しかったです! 止まると思ってても予算編成嬉々としてやってる2人が不安になったけど部屋に早く着いて。おや?と安心できました\(^o^)/ ねぇ。名乗りの時は国の名前と第⚪︎王女とかですから家名なしで…
世界五分前仮説というか、 こういう「主人公の前にその仕事をやっていた先代は存在しない」系の展開って、書いている作者自身はなにか違和感を持ったりしないんだろうか? 「主人公が入る前のミスも主人公のせい…
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