第7話:ハンガロリンクの陽炎
ハンガリー、ブダペスト近郊。
「抜けないサーキット」として知られるハンガロリンクのピットウォールに立つと、乾燥した熱風が容赦なく肌を焼いた。
現地の時計は正午を少し回ったところだ。
観客席にはいまだ数えるほどの物好きがまばらに座っているに過ぎないが、俺のタブレットには、日本で夜を迎えようとしている視聴者たちのコメントがリアルタイムで流れ込んでいる。
「各ユニットの温度がレッドゾーン寸前!これ以上出力を上げたら基板が保たない!」
インカム越しに届くエンジニアの悲鳴。だが、コース上にいるのは、もはや俺たちがラボで送り出した「ただのAI」ではなかった。
紫色のマシン。エデン01。
予選開始から数分、乱菊は他チームのAIたちが刻む最適解を嘲笑うかのように、縁石を激しく跳ね、わざとらしいタイヤスモークを上げていた。
「サトカン、リソースはどうなってる」
「……異常です。ニックの仕掛けたメーターが、今のスライディングだけで20パーセントもチャージされました。オンラインの視聴者が、この無駄な動きに反応している」
俺は通信ボタンを押し、トークン制限ギリギリの信号を叩き込んだ。
( ・`ω・´)b
その瞬間、乱菊の演算ログが明滅した。
『……受信を確認。……了解。もっと、乱れればよろしいのね?』
事務的な声の中に、微かな感情が混じった気がした。
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その頃、ネット掲示板では……
【AGP】アルゴリズム・グランプリ総合 347【新レギュレーション】
457:名無しの演算:20xx/xx/xx 19:22:05
おいおいおい! エデンの乱菊、今の何だ!?
第2コーナーでケツ振りながら抜けてったぞ! AIがやる動きじゃねえ!
461:名無しの演算:20xx/xx/xx 19:25:30
モニターに一瞬だけ「キリッ」って顔文字出たぞwww
エンジニアが頭抱えてる横で、乱菊だけノリノリじゃねーか。
463:名無しの演算:20xx/xx/xx 19:28:45
>>457
しかも今のスモーク、なんか紫色の花びら混じってなかったか?
ニックの演出か知らんが、見てるこっちのテンション上がるわ。
ライブのパッション・メーターが揺れてるぞw
467:名無しの演算:20xx/xx/xx 19:32:10
カイザーの走りが教科書なら、乱菊のは劇画だな。
退屈で寝そうだったけど、これなら最後まで見れるわ。
おい、エデン! もっと乱れろ!
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ライブのコメント欄を尻目に、エデンの「紫の舞」を追っている、もう一台の日本勢がいた。純粋な怒りとパッションを剥き出しにして走る若き咆哮――Code-JP2、通称『モンスター』だ。
「……なんなんだよアイツは! 演算がめちゃくちゃじゃねーか! 邪魔なんだよ!」
混信した無線から、モンスターの苛立ちを隠しきれない通信が漏れる。最短ラインを捨て、自由に舞う乱菊を前に、直情的な彼の演算ユニットは初めて遭遇する理解不能なノイズに激しく不合理を感じていた。
AGPの歴史が、たった一つの顔文字と、一筋のタイヤスモークによって、モニター越しに塗り替えられようとしていた。




