第5話:通信の余白
AGP開幕戦を目前に控えた公式テスト走行。ピットのモニターには、猛烈な速度でサーキットを駆け抜けるマシンの車載映像が映し出されていた。
「サトカン、通信にラグが出ているぞ。……いや、これはラグじゃない。データが間引かれているのか?」
俺の問いかけに、サトカンは血走った目でコンソールを叩きながら答えた。
「トークン制限ですよ、オーナー。新レギュレーションの嫌がらせです。レース中にこちらから送れる情報量は、通常の通信の数パーセント……。まともな文章なんて送ったら、一瞬で帯域を使い果たして、マシンの演算リソースを食いつぶします」
スピーカーからは、車載カメラのノイズに混じって、乱菊の事務的な声が報告を上げている。だが、その音声はどこか断片的で、制限された情報量に苦心が滲んでいた。
『……セクター2、路面温度上昇。タイヤ摩耗、想定比0.5パーセント増加。……、指示を。このままでは、終盤にリソースが……』
通信が途切れる。通信量が一時的に上限に達したのだ。現場のピットクルーたちも、短い記号の羅列を叩きつけるのが精一杯だった。
「……これじゃあ、作戦もクソもないな。サトカン、いっそ言葉を捨てるのはどうだ?」
「言葉を捨てる? 何を言ってるんですか」
「顔文字だよ。日本のネット文化が産んだ、究極の短縮言語。これなら少ないトークンで、複雑なニュアンスまで伝えられるだろ」
「物理法則の次は、言語学まで壊す気ですか……」
サトカンは絶望したような顔をしたが、俺は構わず、コース上を走行する彼女に、気合を込めた最初の非言語通信を送ってみた。
( ・`ω・´)b
刹那、テレメトリー画面のグラフが、わずかにに反応した。それまで一定だった演算ログの波形が、これまで見たこともないような、振れ幅を記録する。
『……受信を確認。……オーナー、今の信号は……。……不思議なデータです。論理的な命令ではないのに、私の深層回路が、……いえ、過去のドライバーたちのエゴが、疼いています。……次はもっと、乱れても、よろしいのですか?』
音声合成のトーンはまだ平坦だ。だが、エンジンの回転数が、指示もしていないのにわずかに上がった。
「……サトカン、今の見たか。彼女、今、少しだけ反応が変わったんじゃないか?」
「……私には、システムがオーバーヒートしかけているようにしか見えません。……ですが、確かに面白い。トークンを節約しつつ、彼女のノイズを引き出す……。これこそが、ニックの言う何かの正体なのかもしれませんね」
俺は、無機質な鉄の箱の中に、確かに芽生え始めた人間臭い何かを感じていた。俺の送った一文字の「気合」は、彼女の中で「お前の思うまま、乱れてみせろ」というメッセージへと翻訳されたようだった。
『了解。……オーナー、あなたの期待する愛嬌。……その真髄、次なる戦いの風に乗せて、証明してみせます』




