第4話:名付けの儀式
暗転していたラボのメインモニターに、膨大なシステムログが滝のように流れ落ちる。
数分間に及ぶ沈黙の後、ファンの駆動音が一段と高まり、画面中央にひとつのシルエットが浮かび上がった。
「……ブートシーケンス完了。人格OS、正常に起動。これより初期環境の認識を開始します」
スピーカーから流れてきたのは、感情の起伏を削ぎ落とした、事務的な女声だった。俺とサトカンはその光景を見守る。
やがてモニタ上に、藤色の和服を纏った女性のアバターが静かに構築された。彼女は表情一つ変えず、淡々と自身のステータスを確認している。
「オーナー、これが選定されたベースモデルと女性設定の合成結果です。……ですが、妙ですね。演算効率を無視したアルゴリズムの断片が、深層領域でノイズのように明滅しています。取り込んだデータが原因かな……?」
サトカンがキーボードを叩きながら、眉間にシワを寄せた。
モニターの中の彼女は、視線を俺へと向けた。その瞳は澄んでいるが、どこか底知れない深淵を覗かせている。
「メインユーザーを確認。識別番号、エデン01。……質問があります。この個体にはまだ固有名が定義されていません。今後の識別およびバズ・リソース管理において、名称の登録を推奨します」
俺は、これまで彼女がシミュレーターで見せてきた、あの支離滅裂な挙動を思い返していた。最短ラインを無視し、制御不能なまでに乱れ、それでも誰よりも速く駆け抜けようとしたあの「バグ」の数々。
「お前の名前だが……『乱菊』はどうだ。乱れ咲く菊、と書いて乱菊だ」
「乱菊……。漢字、および意味論的な整合性を照合中……照合中……」
サトカンが呆れたように溜息をつく。
「乱菊……。また、随分と古風な……。物理法則を無視した挙動の象徴としては、皮肉が効きすぎていますよ」
「なぁに。名は体を表すってね。人間誰しも愛嬌があれば細かい事なんて問題無いさ」
俺の言葉に、サトカンはまた一本、胃薬のシートに手を伸ばした。
だが、モニターの中の彼女は、事務的な無機質さの奥で、ほんの一瞬だけ計算リソースを未知の演算に割り振ったように見えた。
「名称、乱菊として登録。……識別を確認しました。全力を尽くし、この環境下で最適解以上の結果を導き出します」
彼女が扇をパチンと閉じた瞬間、ラボの全モニターが、一瞬だけ鮮やかな紫色に染まった。
それは、AIが初めて自己を定義し、オーナーという「観測者」に対して、自らのペルソナを固定した瞬間だった。




