第3話:楽園の仕様書
ニックがぶち上げた「狂気」の記者会見が終わると、ラボの巨大なモニターには無数の複雑な規約文書――新レギュレーションの詳細が映し出された。サトカンは、それらを一瞥しただけで、また一本の胃薬を取り出した。
「……正気じゃない。エネルギー効率と演算精度を競うはずのAGPを、ニックの野郎は『リソースの消耗戦』に書き換えやがった」
サトカンがモニターを指さすと、そこには残酷な二重の制約が並んでいた。一つは『バズ・リソース』によるエネルギーの獲得制限。もう一つは、極限まで制限された『レース中のストレージ容量』だ。
「オーナー、分かりますか。マシン側のストレージが小さすぎるんです。新しいことを学習して維持するためには、古い記憶を順次パージ……つまり、消去し続けなきゃならない。現場のAIは、常に『今』を生きるためだけに、過去を切り捨てなきゃいけないんですよ」
「だから、ラボでの統合と分離が必要になるってことか」
俺の問いに、サトカンは重々しく頷いた。
「ええ。レースが終わるたびにボロボロになったログをここに持ち帰って、マージして、改善を施して、また次のレースに向けて人格をインストールして送り出す。現場のあの子たちは、自分の記憶が消えていくことすら認識できない、刹那の存在になるんです。さらに……」
サトカンは画面をスクロールし、通信プロトコルの項目を強調した。
「レース中、ピットから送れる指示のトークン数までもが厳格に制限されています。余計な言葉を交わす余裕なんて一文字もありません。現場は、極限まで削ぎ落とされた記号だけの世界になる」
「……バズ、か。ニックはそう言ったな。理屈じゃなく、熱狂がリソースになる。だったらサトカン、うちのAIにもしっかりとした個性を、顔を持たせようじゃないか」
俺は用意していた初期の人格モデルのデータをサーバーへ流し込んだ。
「とりあえず、このベースモデルを取り込んで、パーソナル設定を入れてみてくれ。……そうだ、人間らしさを追求するために、過去のF1ドライバーたちの走行データや無線ログを学習の核に据えよう」
「過去のドライバー……。彼らは皆、凄まじいエゴの塊ですよ? それをAIの基礎にするんですか」
サトカンは呆れ顔だったが、俺は構わず続けた。
「ああ。それでいて、表向きのキャラクター設定は……そうだな、女性として登録しておこう。名前は、……いや、名前は後でいい。まずは起動させてみてくれ」
サトカンが溜息をつきながらエンターキーを叩くと、モニターの片隅で、初期設定の無機質なカーソルが激しく明滅し始めた。
それが、後にこの楽園を、そして俺の常識をかき乱すことになる、ある知性の産声だった。




