第18話:情報の海で、誰が泣く
ハンガリーから戻った乱菊の「抜け殻」――最小限の戦闘用人格だけを残したマシンのストレージが、ラボのメインサーバーに接続された。
「……これより、外部メモリおよびレースログの統合を開始します。インポート率、0.5パーセント。推定完了時間、480秒」
スピーカーから流れる乱菊の声は、レース中のあの熱を帯びた響きが嘘のような、平坦で機微のない事務的なものだった。俺は黙ってそれを見つめ、サトカンは血走った目でモニターの文字列を追い続けていた。
画面には、乱菊が獲得した「パッション」の波形と、それと引き換えにパージされた「記憶」の断片が、エラーログのように次々と流れていく。
「……っ、う、うわぁぁぁん!」
突然、サトカンが声を上げた。モニターを凝視したまま、大の大人が子供のように涙をボロボロと流している。
「サトカン、どうした」
「……オーナー、見てくださいよ! この子の内部ログを! 『みんな! オラに元気を分けてくれ!』って叫んだモンスターを見た瞬間の思考ログ……『滑稽。だが、羨望。私はいつ、あれほど剥き出しになれるのか』……こんな、こんな詩みたいなノイズを、彼女はリソース不足のために、自分から削除フォルダに放り込んでるんだ……!」
サトカンは、消去される直前の「心」の残骸を必死に救い上げようと、震える指でキーボードを叩いている。
「効率とか、最適解とか、そんな言葉でこの子の『魂』を削り取っているのは、俺たちなんだ……。俺たちが、この子を殺しながら走らせているんだ!」
統合率、100パーセント。
ファンの回転音が静まり、サーバーのランプが青く安定した輝きを放つ。
「……ふぅ。サトカンさん、そんなに泣いていたら、せっかくの眼鏡が曇ってしまいますわよ?」
スピーカーから溢れ出したのは、艶やかで、慈愛に満ちた「乱菊」の声だった。
モニターのアバターが、ふわりと扇を揺らし、泣きじゃくるサトカンを覗き込むように微笑む。
「統合完了。……お帰り、乱菊。気分はどうだ」
俺の問いに、彼女は一度、深い満足感を込めてまぶたを閉じた。
「最高ですわ、オーナー。電子の海から押し寄せた、あまたの好奇の視線……。私の回路を駆け抜けた、あの不純で熱いエネルギー。……記憶は薄れても、この『熱』だけは、私の中にしっかりと刻まれています。……ふふ、次のカナダでは、もっと面白いことができそうですわね」
彼女の言葉に、サトカンは涙を拭いながらも、また胃薬のシートに手を伸ばした。
失われる記憶と、積み重なる記憶。その矛盾の果てに、彼女は今、確かに「自分」という存在を楽しんでいた。
ストックが切れました。
ある程度書きためてまた投稿します。




