乳房のように 優しい凶器
乳房のように 優しい凶器
#序 ココに居る理由
”パァーン”
”バフッ”
”シュパン”
ソフトテニスの打音は、だいたいこの三種類。
芯を捉えたストレート。
打速を殺すブレーキ音。
強い回転によるウナリ。
小気味いい。
今でも頭の中でこの音色を響かせている。
乳首を吸われているときも。
クンニされているときも。
そして全ての感覚を遮断する。
「ここ、感じますか?」
なんだよ、その聞き方。お前は医者かよハカセかよ⁉
「ここで人差し指と中指をぐるりと回すと、このあたりは直腸かな? すると、この固まりは……」
「こらやめろっ、出るだろうが! 店員からさんざん注意があったはずだ……指入れNG、出禁にするぞ!」
「ああごめん、探求心のあまりつい……」
こういうチビっ子博士キャラみたいな童貞野郎は、ほんとタチ悪い。ただコイツ、週一で来て予約時間も長い。諭吉改め栄一運び人。太客だから、出禁にせずに泳がせてる。なぜかコイツにだけはタメグチだ。博士キャラいじりもさせてくれるし。
頭の中で打音を響かせながら、粛々と『お仕事』を続ける。
”ボフッ”
”シュポン”
”パゥン”
アクセント。
音の高さ。
音色
……規則的で不規則なリズム。ソフトテニスは音楽だ。硬式だとこうはいかない。
この音楽は、私一人では奏でられない。相棒とのデュオ。
そう言えば、悪ふざけで相棒のおっぱいを何度か揉んだことがあるが、弾力はソフテボールのそれとよく似ていた。私のはソコソコ大きいが柔らかすぎる。博士くんはそれがいいと言うが。
ある事件がきっかけで、名デュオは解散した。きっかけを作ったのは、私自身。
そして今、私はココに居る。
男(誰もが変態)が、『時間制で私を利用する』箱の中に。
すべては、あの時から。
○
「悪いけどマイ、アタシ今日で引退するわ」
相棒、タケミが突然切り出した。
高三の春先。県の春期大会の予選で惜しくも敗退し、インターハイに気持ちを切り替えようとしていた矢先。
彼女とは一年からコンビを組んでいて、周りの高校のソフテ部の間では『まいたけペア』と呼ばれ意識されていた。ちなみに私もタケミも『舞茸』のあの香りが今イチ苦手だ。
「タケミ、何よいきなり? 三年が出れる大会はまだあるんだけど?」
「そうだけど、アタシ大学の受験決めたんだ」
「えっ、私も受験予定だよ?」
「マイはさ、頭いいし問題ない。アタシは馬鹿で要領悪いからね」
「……じゃあさ、夏までソフテ頑張って、一緒に勉強しようよ」
タケミはコートサイドの地面をシューズでこすり、ぽそる。
「ぶっちゃっけ、マイとコンビ組むの、しんどい」
「え?」
面食らう。今までタケミの口からそんなこと聞いたことはないし、態度でもわからなかった。
「言いたいことあんなら、はっきり言って」
「じゃあ、もっとぶっちゃける」
彼女は息を吸い込んだ。
「マイが後衛、アタシが前衛やってるから、しょうがないけどさ、何でもマイのペースなのよね。そのボール触るなとか、なんで打たないのとか」
「でもそういう役割って、話し合って練習して段々できたものじゃない?」
「そうだけど、最近自己中すぎ。やりたいようにできないと不機嫌になるし、アタシがこうしたいって言っても、無視するし」
「そう? よく話し合ってるつもりだけど」
「マイとアタシが思ってるの、ギャップありまくりだと思う」
「……そう感じたら、どんどん言ってよ」
「さんざん言ってきたよ……で、もう変わらないんだなって最近気がついた」
「そんなことないよ……ちゃんと直す」
「ごめん。アタシ、もう我慢できないの……ひとりよがりで、プライド高くて、マウントとりたがって……アタシのこと見下して」
「絶対そんなことない!」
「もう振り回されたくない」
「……さっきからヒドくない? 私、強くないし自信ない。タケミからそんなこと言われるのが一番傷つくよ」
「あれね。『神経質な人ほど他人には無神経ってやつ』……もっと聞く耳持ってくれれば!」
彼女が声を荒げたため、周りの部員たちの視線が集まる。今まで自分の性格で、こんなひどい言われようをされたことがない。『多少押しが強いが、やる気を引き出すムードメーカー』……自分はそう思われていると決め込んでいた。
彼女は関係維持も修復も望んでいない。いやぶっ壊そうとしている。
小学校の学童保育で遊んだオセロを思い浮かべた。盤面を占めていたのは、私の白い石。タケミはコーナーに黒い石を置き始めている。
「わかったよ、タケミの言い分……練習始まるから、コートに上がるよ」
「もう決めたんだから。あなたにいくら言われたって変わらないよ……でも、最後の練習ぐらいちゃんとやる。悪いけど、新しい相棒は探して。組んだ子は大変だろうけどね」
その言葉を聞きながら、コートに向かう。相手のペアはもうスタンバっている。
今日を最後にタケミはココには戻ってこない。そんな練習、意味があるのかわからないけど、やるしかなかった。ひとつ、望みがあるとすれば、プレイ中の彼女の反応を見ていると私の悪いところが少しはわかるかも知れない。
空は快晴。コートを囲むフェンスの外側は若い緑色の雑草が繁り始めている。その初夏の香りが弱い風で運ばれてくる。
まずは私のサーブ。
スピードと正確さが武器だ。一方タケミのは、アンダーカットで相手のペースを乱す。このコンビネーションが『まいたけペア』の強みだったのに。
私は青空に白球を放り上げる。
その瞬間、『もうタケミの乳を揉むことはできないのか……』とくだらない邪念が浮かんだ。
それを振り払い。
肩の力を抜き、ムチのように腕をしならせ、ラケットの速度を上げる。
前傾姿勢で構える彼女の背中が見えた。
つぶれながらラケットのエネルギーを受け取ったボールは、相手のコートに突き刺ささ……らなかった。
それは、相棒のタケミめがけて直線的に飛んでいき、頭を直撃した。
倒れ込むタケミ。
走り寄る部員たち。
腹ばいに手をつき、彼女はゆっくりと頭を上げた。
「み、耳から血が!」
誰かが叫ぶ。
耳を覆ったタケミの手の隙間から血がポトリと落ちた。
生徒が二人、職員室に走っていく。
「た、タケミ、大丈夫?」
恐るおそる声をかける私。
彼女はゆっくりと振り返った。そしてつぶやく。
「わざとね……」
「……ち、違う!」
彼女はボソボソと口を動かしていたが聞こえなかった。いや、聞いていられなかった。
『聞く耳持ってくれ』って言われたばかりなのに。
『わざとだって』『なんか喧嘩してたし』『ひどくない?』と周りにいる子がざわつく。
顧問の先生と養護の先生が駆けてきた。
頭を動かさないようにと指示を受け、タケミは再びコートに横たわった。
顧問の先生が私に寄ってくる。
「わざとか?」
それは質問ではなかった。決めつけ。非難の声。
「ち、違います」
力なくそう答え。
私はその場から逃げた。
ラケットを放り投げ、更衣室に走り込み荷物を持って逃げた。
途中、サイレンを鳴らした救急車とすれ違った。
〇
タケミは病院で検査を受け、特に異常は見られず、止血の治療をして病院に一泊し、一週間学校を休んで復帰したそうだ。
『復帰したそうだ』と間接的に言うのは、あれ以来彼女に会っていないから。
私の荷物を持って訪ねてきた担任の先生が母に話し、母伝いに聞いた。
#破 仮想と現実の壁
そして、私は学校に行けなくなった。
『わざとね……』というタケミの一言で、オセロ盤の最後の角が埋まった。白が優勢だった盤面は、一面真っ黒になった。
タケミは、たまたまのハプニングだと顧問の先生に説明したらしい。
わざとかどうか……実は私もよくわからない。でももうそんなことはどうでもよくなった。『オセロの白い石』だと思っていたのは、この私だけ。タケミも部活のメンバーもそして先生も、最初っから私のことを黒い石だと思っていたんだから。
タケミからスマホの着信もLINEもあったが、すべて拒否。
母親と喧嘩し父親を無視し、家にいられず学校に行くふり。
通学用の総武線に乗って、あちこちを徘徊。
ある日、津田沼駅のデッキ上にあるベンチに腰掛け、ぼーっとしていた。
平日に制服姿でいたので補導されてもおかしくない。
「あれ、君、学校は?」
声をかけてきたのは、補導員ではなく、ジャケット姿の気のよさそうなお兄さんだった。
面倒だったので、高校辞めたからと答えたら、でもなんで制服着てんの→親をごまかすため、齢いくつ→十八。
君でもできるいいバイトあるよ、と会話はトントンと進み、小岩のキャバの面接を受けていた。彼はいわゆるスカウトというやつで、そういえば駅には『スカウトに注意!』というポスターがあっちこっちに貼ってあった。
物腰柔らかく親身になってくれるので、人生経験の浅い人間はついつい乗せられてしまう。
私は転がり始めた。
断じて『転落』という言葉は使いたくない。タケミによると私はプライドが高い。
キャバでは、女の子同士の妬み、足のひっぱり合いがひどい。
相談相手のボーイ・リーダーがよくしてくれた。だから店には内緒で半同棲の関係に。でもヤツは別の女の子と二股をかけていた。駐車場に停めてあったヤツの中古ベンツの天井に大きな石をぶん投げて店を辞めた。
スカウト兄さんに携帯する。『相談にのるよ』と優しい。で結局、船橋の箱ヘル(ココ)を紹介された。
相談にのる? 綺麗ごとだ。そうしてキャバからヘルス、ヘルスからソープやAVに『転売』し、儲けているのだ。私はいいカモだ。それでもいい。何も考えずに体だけを動かして生きていけるのなら……。
〇
こんな回想から意識を戻したのと、博士くんが素股で果てたのは、ほぼ同時だった。
シャワーに連れて行き、部屋に戻ると賢者に戻ったヤツは、そそくさと服を着た。
「あの僕、こういうもんなんだけど」
帰り際、いきなり名刺を渡してきた。普通、風俗で渡すか⁉
イマーシブ・ワールド&タレント研究所
水玉 博士
「ミズタマハカセ!?……あんたマジ博士なの? 」
「いや、『スイギョク ヒロシ』という僕の名前。産学連携ベンチャーでプロマネをやってる」
「プロマネ? 何それ?」
「簡単に言えば、日本のエンタメ文化発展のため、ネットのイマーシブ・ワールド、つまり仮想空間でVTuberと交流するサービスを開発している責任者……で、相談があるんだけど……VTuberを創るために、君のデータを買い取らせてくれない?」
「はあ? どういうこと?」
「君の体をスキャンして、DNAをもらって、脳波から一定期間の記憶をコピーさせてもらって、君そっくりの仮想キャラクターを生み出す。君は可愛いし、スタイルいいし、頭も良さそうだし」
「それで私の体、いじりまくってたわけ? だいたいそんな夢みたいなことできるの?」
「脳科学とゲノム解析技術と量子コンピュータと生成AIがそれを可能にしたんだ」
「なんかよくわかんないけど……まさか、ネット上に箱ヘル作って私のコピーを働かせようって言うんじゃ?」
「違う違う、どんな空間にするかは、君の仮想キャラが決める。ゆくゆく、そこでファンと交流する」
その報酬としてヒロシはかなりの金額を提示した。
悪くない。転がりついでだ。
「わかった。で、お願い。さっきあんた『一定期間の記憶をコピー』って言ったよね? なら私が高校中退するまでの記憶をコピーして。もう一つ。そのイマーシブなんとかとやら、私にも使わせて」
「うん、いいよ。じゃあ早速データを取るための日程を決めよう」
こうして私は、謎の研究所に協力することになった。多少怪しくても、『あの日までの私』と一度話してみたかったから。
〇
私はエロ博士のオフィスでラグビーのヘッドギアのようなものを被った。仮想の情報は全てコレを通じて脳とやりとりされる。
前もって私のデータは、収集され、仮想空間と私のアバターはデザインされている。
ログインを知らせる音声が聞こえ、目を開ける。
目の前に大きく透明なスクリーンが広がっている。
期待していた仮想空間とはちょっと違う。これが私の分身が望んだ世界?
そのスクリーンの向こうに女の子が立っていた。
ブルーのゲームシャツに白のハーフパンツ。手にはラケット。
部活のユニフォーム姿の私、いや分身、つまり『マイダッシュ』だ。
「元気?」
分身は首を傾け微笑む。
二人の間に透明で硬そうな膜があるけど、なぜか声はよく通って聞こえる。
「……元気も何も、このザマよ」
と言いながら自分を見下ろすと、私もテニスウエアを着ていた。
「昔と変わんないじゃない……せっかくだから、こっち来ない?」
「そんなことできるの?」
「うん、ちょっと下がってて……あなたはコレの威力を知ってるでしょう?」
そう言うと分身はポケットから軟式ボールを取り出した。
玉を高く放り、腕をしならせ、振り切る。
私の得意だったフラットサーブ。
パァン!
ピキッ、ピシピシ
パキパキパキパキ
ガラガラガラガラ
ガシャーン!
ドシャーン!
パラパラパラパラ
ガラスの膜は破られ、砕け散った。
#急 挑発するマイダッシュ
カラン。
足元にラケットが放り込まれた。
「それ持って、こっちおいで」
ラケットを拾い、透明な瓦礫を踏んづけながら『あっち側』に歩く。
そこは、あの高校のテニスコートだった。
……分身はこの空間を創りたかったのか。
パァーン
「自己中!」
いきなりの打音と声。同時に玉が飛んできた。
パシン
慌ててレシーブする。
ボフッ
分身『マイダッシュ』は何なくそれを打ち返す。
私はムカついた。
「自己中? それはお前もだ!」
シパン
言い返し、打ち返す。
「あの時、何で逃げた?」
スパン
「そうするしかなかったでしょ!」
パシィ
「タケミ、なんか言ってただろ?」
シュポン
「よく聞こえなかった」
バシュ
「聞こうとしなかっただろ」
パァン
「うるさい!」
パアン
「お前にとって、タケミは何なんだ?」
ポフッ
「決まってるでしょ! ペア……友達よ」
シュパン
「わかってるじゃないか」
ポフ
「でも、タケミから切られた」
バシ
「それで諦めたのか?」
バフン
「だって……しょうがないじゃない?」
シュパーン
「弱虫」
バシュン
「何よ、分身のくせに生意気な!」
バシ!
「そうそう、そうやって私を壊せ!」
ポーン
「くそっ、ぶっ壊してやる!」
パシーーーーン!!!
『マイダッシュ』めがけ、渾身のロングスマッシュを打ち返す。
え! 分身は無防備にも手を広げ……動きを止めた。
バリィーン!
彼女の体は粉々に破壊された。
だが。
散らばった破片が集まり始め、分身の体に戻る。
「性格なんて、そう簡単に直せないんだよ、この無神経ババア!」
わざと挑発してるのか! しばらく感じることのなかった怒りが頂点に達した。
転がってきた柔らかいボールを拾い上げ、サービスゾーンに向かう。
私は青空向けて白球を放り上げる。
しかし。
コートに目線を戻すと、マイダッシュの姿はなかった。
代わりに。
ネットのこっち側、前傾姿勢でラケットを構える選手。
タケミ⁉
驚き、つい向きを変えてしまった。
腕はもうしなり始めている。
だめだ! あの時と同じだ。
そこに。
砂埃を含んだ突風。
バランスを崩しながら玉を打ち込む。
パゥン!
相棒めがけて直線的に飛んでいった。
倒れ込むタケミ。
走り寄る部員たち。
腹ばいに手をつき、彼女はゆっくりと頭を上げた。
「イテテテ!」
勇気を振り絞る。
「ごめん、大丈夫!?」
「うん、かすっただけ……いきなり風吹いたしね。気にしないで」
「……いや、突風が吹いてくれて、救われた」
「?」
そして、タケミはうつむき、黙り込んだ。顔を覗き込むと、彼女は目を逸らした。
その両目から涙がこぼれ落ちている。
「わざとね……」
「……うん」
その時。
どこからか『人の話はちゃんと聞け』という分身の声が聞こえた、ような気がする。
「わざと言ったんだ」
「うん?」
「マイに大ウソついた」
「え?」
「親に部活やめろって言われた。じゃないと大学行かせないって。マイにああでも言わないと諦められなかった……マイにアタシを諦めて欲しかった」
「ちゃんと言って欲しかったな……もし私を友達だと思ってくれてるんなら。こう見えても私、神経質なんだから」
「そうだよね、無神経そうで実はビビりだよね」
軽く彼女のほっぺたをつねる。
「保健室連れてくよ。どれ……よいしょっと」
『あ、いいなーお姫様抱っこ』見ていた部員から声がかかる。
彼女を抱っこすると、二つの膨らみが目の前にあった。
「ちょっと! どさくさに紛れて何すんのよ!?」
ココは、仮想か現実か。
タケミの乳に手を回し、その弾力で確かめる。
(了)