一章〔25〕呪われた牛
2364番は俺の隣の隣の牛だ。俺は2363番と3人でよく喋っていた。
最近体調を崩すことが多いと相談を受けていた。なので、隠れてたまに薬草を牧場に持っていっていた。まぁ隠れなくても大丈夫だとは思う。何故なら、森の契約がある。それに、ラヴィルは俺の存在を黙認している。
初めてラヴィルに襲われた日、
あの日は嵐終わりの夜だった____
牛舎が揺れ、風と豪雨によって屋根が何枚か飛んだ。怯える牛、泣き叫ぶ牛、周りはパニックに包まれていた。
それもそのはずだ、ここは砂漠の中にある森だ。
雨が降ること自体おかしいのだ。だから俺も周りの牛と同じように雨に怯えた。知らないものというものが怖かった。
助けてほしい。生き残りたい。死にたくない。そんな思いが胸の中を埋めた。そして願った。助かるための力を。
【狂牛病】
頭の中に文字が見えた。急に脳裏に浮かび上がってきた文字に驚いたが、心はすでに受け入れていた。
発動した瞬間、体が変わるような感覚。昆虫が蛹から成体に羽化するような感じだ。
妙な興奮を抑えきれない。全身から力が湧き上がってくる。
筋肉が叫び、鼓動が速くなる。頭の中に破壊衝動が押し寄せてくる。それを必死に抑える。
隣の牛が「大丈夫とよ?どうしたとよ?」と声をかけてきてる。だがそれに反応できない。このままだと自分が自分ではなくなってしまう。
そうなるのが怖かった。
怯えているのに身体はどんどん興奮していく。怖くなって、怖くなって、逃げ出した。何も考えず森に向かって走り出した。
柵を破壊し、襲ってくるモンスターをなぎ飛ばして進んだ。そして、ひときわ目立つ大きな樹木の下についた。
雨は上がっており、樹木についた雫が太陽に反射して光る。それはまるで星空のようだった。
そして、流れ星のように何かが上から落ちてきた。
近くに落ちたそれを見ると、それは魔物だったものだ。そして、もう一つ、いや、もう一人落ちてきた。
「クソ牛、アタシがぶっ殺してやるよ……」
何言っているのかわからない。怖い。ただ雰囲気的にこちらに敵意があることはわかる。怖い。血走ったような目、血濡れたハンマー、血管が浮き出た細い腕。怖い。完全にこちらを殺そうとしている。怖い。
〈死にたくない、やめてよ〉
「何言ってるか分からねぇよ、クソ牛が」
骨が折れる感覚。怖い。心臓がつぶされるような痛みが全身に渡る。怖い。一瞬の出来事だった。怖い。だから、何が起こったのかを理解できなかった。怖い。前を見ると木の破片がそこら中に散らばっていた。怖い。
「ギガネイラ……てめぇ、邪魔すんなよ。アタシのとこの牛だ。こいつは殺してもいいだろうが」
ギガネイラ、聴き馴染みのない単語に困惑する。怖い。ただそれが自分の命を救ったことは理解できた。怖い。
(これはもう牛ではない。これはもう魔物である。これは森の中にいる魔物である。これは先程来た嵐龍とは違う。これは殺すことを許さない)
脳裏に直接響くような音。低く、深い、しかし荒々しい。
「でも、こいつは明らかに突然変異種だ、何をしてかすか分からねぇぞ。アタシはこいつを殺すべきだと思う」
(これは他のミノタウロスと違う。これは心がある。これは分かりあえる。これはこの森の他の魔物よりよほど安心できる)
何を言っているのか分からない。怖い。ミノタウロスって、なんだろう。怖い。殺されるかもしれない。怖い。
目の前の悪魔のような女に恐怖を抱く。怖い。そして、どこからともなく脳裏に聞こえてくるこの声の主も怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
死にたくない。身体から止まらない血液。少しずつ痺れてきて、自由が利かなくなってきている。そして、体が縮むような感覚。怖い。
その時、心を繋ぎ止メてイた、自分ノ中の何かが壊レタ。
何も分からない。冷たい。寂しい。怖い。死にたくない。逃げたい。また友達と話したい。生きたい。
外の世界には光があると思っていた。夜空はもっと広いと思っていた。もっとおいしい食べ物があると思っていた。
外に出てもあったのは恐怖だけだった。
幸せを望みながら意識が途絶えた__
僕は、誰。僕は、牛てよ?
違う、俺は呪われた牛なんだ。
僕はどこに行くてよ?
俺はどこにもいかない。
俺は俺だってよ___
そして、大きな黄色の明かりに照らされて目が覚めた。そこは大樹の中だった。
(これは起きたか?これは回復した)
「ここは、ここはどこだってよ」
何か違和感を感じた。
(これは人の言葉を話せるのか?これは面白い)
「人の言葉ってよ……?あれ……」
呪われた牛 ミノタウロスは自我を持たない。
呪われた牛 ミノタウロスは言葉を理解できない。
(これはミノタと名乗れ。これは今日から森の仲間だ)
呪われた牛 ミノタは自我を持つ。
呪われた牛 ミノタは人の言葉すら理解できる。
呪われた牛 ミノタは突然変異種である。




