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走馬灯とはよく言ったものだと思う。
さながら駆け抜けていく馬のように、様々な情景が次々と現れては消えていく。
優等生の仮面をかぶってヒロインに近づく久羅くんのスチル。
初めてのテストに苦戦するヒロインに、優しくアドバイスしてくれる久羅くんのスチル。
夏休み、たまたま図書館で出会い、夜道を家まで送ってくれる久羅くんの以下略。
二学期の始まり、クラスメイトの女子生徒Aが死体となって発見され、困惑するヒロインと攻略対象たち。
ヒロインと攻略対象たちのめくるめく甘酸っぱくもどこか不穏なイベントの数々。
そして妖鬼としての正体を現す久羅くん。
力を抑えていた美少年の姿から、がっちりとした体躯のまがまがしくも美しい鬼の姿は神々しくすらあり、はだけた着物の袷から覗く大胸筋のけしからんことよ。普段の物静かで儚げな姿も最高だけど、やはりうちに秘めていた邪悪さを全開にしている久羅くんも楽しそうでいい。あの美少年が成長すると、バキバキの最強の鬼になるというギャップの恐ろしさよ。最悪死人が出る。少なくとも私は死ぬ。あ、もう、一回死んでるんだった。
でもそのあとの、ヒロインたちに倒され、苦痛と憎悪に顔を歪める久羅くんがまたたまらないんだよなぁ。
感情が読めないミステリアスなキャラだったからこそ、企てを阻止された時の悔しさと、ヒロインに拒まれた悲しみ、愛憎、孤独。あらゆる感情がないまぜになった、あの目!イラストを担当してくださった絵師様が神であることは言うまでもない。
あ、いや、待って!
やっぱり一番は久羅くんルートのエンディングで見ることができる、初めて誰かを愛し、誰かに愛されることを知って、彼が心から微笑むシーンかもしれない。
いやでも、妖鬼の時の久羅くんの格好良さも……。
その瞬間、カットインしてくる指。
根元から切り落とされたとしか言いようのない、まんま指。
私の上履きによじ登ろうと、うぞうぞとうごめく、指。
よっ、と挨拶でもするみたいに、まるで意思があるみたいに、指先を持ち上げてみせた指。
「ギャーッ!」
絶叫をほとばしらせながら、私は跳ね起きた。
はぁはぁ息を荒げながら思う。
カットインすな、指!!
「だ、大丈夫!?」
パタパタと駆け寄る足音ののち、見知らぬ白衣の女性が慌ててカーテンを開けて入ってきた。
「こ、ここは」
「保健室よ。あなた、入学式の最後で倒れちゃったの。覚えてる?」
保健室。
ということは、さっきのは夢ではない。
ゲームのスチルそのままの入学式も、久羅くんが同じ世界に存在していたことも、指だけが動いていたことも。全部、夢ではない。
いや、本当にあの指なに?
右手?左手?人差し指?
そんなことはどうでもよくて。
叫びながら飛び起きたものの、すぐに色々思い出して虚無に入った私を見て、保健室の先生は思ったより落ち着いていると判断したらしかった。
「お父さんとお母さんを呼んでくるわね」
「あ、はい。すみません……」
ペコリと頭を下げると、まだ少しクラクラした。
迎えに来た両親に連れられ、私は早退することになった。
入学式初日から早退しちゃったよ。
でも、倒れた理由を素直に「推しがいたので興奮してたら、上履きに人間の指だけが登ろうとしていたので、びっくりして倒れました」などと言っても信じてもらえるわけがないので、体調が悪いことにしてしまった。
そうしてフラフラと車に乗り、今は帰路についている。
でも失神したおかげで、「君待ち月」の内容をざっくりとだが思い出すことができた。
内容に大きく偏りがある気がしないでもないけれども、大事なことはちゃんと思い出せたはずだ。ほとんど久羅くんに関することだけだけど。
久羅スガネは何百年も生きている妖鬼で、ヒロインを狙うラスボスで、攻略対象であるということ。
そして彼が六月の雨の日に憐れな女子生徒Aを殺して物語が本格的に始まるのだということ。
この世界のヒロインは誰を選ぶのだろう。
久羅くんだったらいいな。
だって久羅くんはずっと一人で、孤独で、悲しい人だから。
もしもヒロインが久羅くんを選ばなくても、どうか彼の長すぎる生に穏やかな終わりが訪れてほしい。
もちろん推しには死んでほしくはないけれど。
あと正直、自分がヒロインでなくてほっとしている部分もある。
ヒロインだったら、ホラー展開に巻き込まれて恐ろしい目にあうこと必至だ。
「君待ち月」を平気でプレイしていたくらいだから、ホラーはどちらかと言えば好きだけど、自分が実際に体験したいわけではない。普通に怖いし、最悪死ぬし。
そういう意味では、一般生徒?一般人?でよかった。
いや、指は、なんか、あれだよ。
たぶん、ホラーだよって、思い出すためのイベントっていうか。
私、幽霊とか見えないし。
転生したみたいだけど、指以外の変なもの見てないし。
たぶん指の方も、なんか手違いで私にちょっかいかけただけだろうし。
いやいやいや、本当に、マジで霊感とかないから!
「朝から様子が変だったけど、まさかあんたが貧血で倒れるなんて、明日は槍がふるわね」
入学式で倒れた私を迎えに来た母が、心配半分、からかい半分の調子で言う。
私は一人百面相をやめ、助手席と運転席の間に身を乗り出した。
「自分でもびっくりしちゃった」
「もう気分は良くなったのか?」
無口な父が珍しく車を運転しながらたずねてくる。
不思議なことに今日初めてあったはずの両親とは、自然と会話できている。見た目は違うけれど、二人とも転生前の両親と性格や雰囲気がほとんど変わらないからだろう。だから自然と私も、十代の頃の振る舞いに戻っている。
「うん。大丈夫。でも入学式から悪目立ちしたから、明日からのことを考えると憂鬱かも」
「いっそのことか弱い女子のふりしてみたら?モテるわよ~」
冗談めかした口調で言う母に、なんじゃそりゃと私は口を曲げた。
「無理だな」
「そうね、無理ね」
「失礼な!」
そんな即答しなくたっていいじゃないか!
抗議とともに拳を振り上げると、両親は愉快そうに笑う。
「でも本当に一瞬、あんたが死んじゃったんじゃないかって、お母さんもお父さんも心配したんだからね」
「大げさだなぁ」
まさか推しに会えた感動と、唐突なホラー要素で血圧がジェットコースターしたとは、口が裂けても言えない。そもそも今朝、転生してきたっぽいことも考えると、あまりに濃すぎる一日だった。そのわりには私もすごい適応してるけど。
倒れこむように後部座席に身を沈め、私は窓へと目を向けた。
ぼんやりとガラスに映りこむ顔は、どこにでもいそうな平凡な女の子だ。
可もなく不可もなく。
化粧をしたらある程度綺麗にはなるかもだけど、今日は天然の美少女を見たばかりだから、どうしても自己評価は低めになってしまう。
「せいぜい女子生徒Aってところかぁ……」
ゲームに登場するその他大勢の生徒。
立ち絵も使いまわされるやつだ。
だとしても最推しと同じ空気を吸うことのできる存在になれただけでも、望外の幸せというものだ。
あとこのゲーム、結構ヒロインはホラーな展開に巻き込まれるし、なんならヒロインが祓っていく系のゲームなんだけど、普通に生活してたらそんなに怖い目にも合わないよね。たぶん。
だから女子生徒Aでも十分。あー、女子生徒Aって、久羅くんに殺されちゃうんだっけ。じゃあ女子生徒Bとかで……。
そもそも女子生徒Aは誰なんだろう。
ヒロインとか攻略対象とかヒロインの友人役とか、そういう役があるキャラは見た目でわかる。
けれど女子生徒Aは女子生徒Aだ。
量産型立ち絵の顔のない生徒。
ゲームではそうだったけれど、この世界に彼女もきっと生きている。
私みたいなモブにも生活があるように、きっと彼女にも家族や友人や生活があるはずだ。
ということは?
死んでしまう命を見過ごしていいのだろうか?
私のような平凡な人間が、久羅くんを幸せにするなんておこがましいことできるわけないけれど、だからといって傍観者でいたいのだろうか?
私はモブだ。
女子生徒AだかBだかCだか知らないし、決まってもいないかもしれない。
けれど私が女子生徒Aとして、久羅くんに殺されたら。
私でも彼の役に立てる。
どこかで何も知らずに生きているかもしれない本物の女子生徒Aを救うこともできるかもしれない。
というか推しに殺されるなんて、むしろご褒美なのでは!?
え、もしかして、殺されるってことは、久羅くんの手にかかるってことで!?
手にかかるってことは、久羅くんに触れられる……久羅くんが私に触れる……!?ふ、触れる!?
「うわー!」
窓ガラスに突然頭突きをするとい奇行を繰り広げる娘に、母が何事かと驚く。
ごめん、お母さん。今、とんでもない可能性に気づいてしまって、それどころじゃない。
鈍い痛みが広がる額をおさえ、私は決めた。
私、女子生徒Aになる。
推しに殺されるキャラに、私がなる!