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いち


赤ん坊の泣き声が聞こえていた。

何を求めているのかはわからない。

母が恋しいのか、ただ腹が減っているだけなのか。

ただその切実な泣き声は鼓膜をビリビリと揺らし、ひどく落ち着かない気分にさせる。

あたりは暗く、じっとりと湿りを帯び、淀んだ水の臭いが満ちていた。

水たまりに足を突っ込んでいるのか、身じろぐとチャプチャプと音がする。そのたびに錆びた鉄のような臭いが鼻を掠める。

私は汚れた布に包まれたなにかを抱いていた。ずっしりと重い。

そこから赤ん坊の泣き声はする。

急き立てるような泣き声に促され、赤ん坊の顔を覗き込んだ。

白く、ふっくらとした幼い顔を想像していた私は短く息をのむ。

そこには黒く、冷たく光る、鉄の塊があるだけだった。


「ふごっ」

息苦しさと自分のあげた声に驚いて、私は目を覚ました。

何事かと視線を下ろすと、白い手が私の鼻を摘まんでいる。

な、なにごと!?

「いつまで寝てんの?」

摘まんだ鼻を左右に揺すって、久羅くんは半ば閉じた目で私を見下ろす。

「え!?な、なん!?」

なんでいるのと叫びそうになって、昨日から久羅くんがうちで暮らし始めたことを思い出した。

そうだった……。

両親いわく、実は久羅くんはうちの遠い親戚だったらしい。最近何かと一人でやらかす私を心配していたところ、海外にいる久羅くんのお父さんと電話で話し合って、久羅くんを我が家で預かることになったらしい。だから高校を卒業するまで久羅くんはうちで暮らすらしい。

らしいばっかりで申し訳ないが、全部昨日両親から聞かされたので勘弁してほしい。

というか、久羅くんが親戚とか絶対嘘だ。

だってそもそも久羅くん人じゃないし。

海外にいるお父さんって誰ですか!?初耳なんですが。

昨日は久羅くんの部屋の片づけとか、一緒に暮らすにあたってを整えるために二人で話す暇もなかった。

そんな怒涛の土曜が終わり、日曜の朝、惰眠を貪っていたら起こされたという状況である。


「買い物いきたんだけど」

久羅くんはあたかも約束したのに起きてこなかった人を責めるような口調だが、そんな約束はした覚えはない。

いやまぁ、久羅くんはいつもこんな感じなんだけど。

いまだ鼻を摘まんで呼吸を阻害する手を払いのけ、私は慌てて起き上がる。

「昨日、お互いの部屋には入らないって決まり作ったよね!?」

発案者父。決定者父。の掟である。

「お義母さんに起こしてこいって言われたからノーカン」

「ひぃ!久羅くんがうちのお母さんをお母さんって呼んでる!怖い!」

不条理ホラーって感じ。

そういえば、なんか微妙にホラーちっくな夢を見たような気がする。寝起きのインパクトが強すぎてあまり良く思い出せないけれど。

久羅くんはベッドわきにしゃがみ込んだまま、私を胡乱な眼差しで見上げていた。

俗に言うヤンキー座りというしゃがみ方だったが、久羅くんがすると雑誌の表紙みたいだ。

「親戚のお兄さんに対して随分な言いようだな」

「我々に血のつながりはない!」

「ないけど、あるってことになったから。よろしく。言っとくけど、同級生でも俺の方が年上だから」

「設定のこだわりよ」

ぐちゃぐちゃな髪を手櫛で必死に直し、私はベッドの上に正座した。なぜ正座を選んだのかはわからないし、はたから見ればますます状況は混沌とかしたことだろう。

「それで、なんでしたっけ?」

「買い物」

呆れ果てたと鼻で笑いつつ、久羅くんは答える。

買い物に行くという割には、彼は制服に似た白いシャツと黒のスラックスを見にまとっている。

いや、これ、制服だ。

胸元に校章の刺繍入ってる。

「えっと、私はなに着ていけばいいですか?」

「服」

「いや、それはそう」

「俺、制服以外持ってないんだよね」

「ああ、だから制服着てるのね」

「そう。だから買いに行くよ」

じゃあ行先は近所の大型量販店か。

久羅くんには下で待ってもらうことにして、私は大慌てで外出の準備を始めた。


梅雨明け宣言があったばかりの日曜の空は、気持ちの良い晴れであった。

バスを降りて見上げた青い空に解放感を覚え、思いっきり伸びをする。

私と対照的に久羅くんはうんざりした顔で太陽を見上げ、制服のワイシャツと同じくらい白い顔をうへぇと歪めた。

だだっ広い駐車場を突っ切って店内に入る。

冷房の効いた空気は、新品の化学的な匂いがする。

フロアガイドの看板を眺める久羅くんを見ていると、朝なんとなく流してしまった疑問が再び首をもたげた。

「ねぇ、久羅くん。制服しか持ってなくて、今までどうやって生活してたの?」

「別に困らなかったけど」

服を買いに来たはずなのにフードコートに入っている店の一覧を腕組みして見つめながら、平然と久羅くんは答える。

「でも寮にいたんでしょ?さすがに変に思われなかった?」

「寮に住んでることにしてただけで、住んではなかったから」

「えぇ!?」

「学校で生徒のふりするだけでも面倒くさいのに、放課後までちまちま人間のふりやってられないよ」

「あ、それ。久羅くん、どうやって生徒のふりしてるの?」

戸籍とか持ってるわけないだろうし。

「認識をいじる術とか使ってる」

おぉ、めっちゃ和風伝奇みある設定でてきた。

校長とか事務の人とかにコツコツ術をかけたのだろうか。それとも宇宙人を取り締まるスーツの人みたいに、一か所にあつめてピカッととかかな。

妄想を膨らませた私は、いや待てよと瞬きをする。

「それうちの両親にも使った?」」

顔を見合わせ、数秒。

久羅くんはニコッと笑い、それでと話を戻す。

深く突っ込んでも不毛な気がして、私はじっとりと彼を睨むにとどめた。

「どこに住んでいたかって話だけど、決まったところがあったわけじゃないんだ」

それって野宿ってことですか……?

戦慄する私に、久羅くんは付け加えて言う。

「あぁ、でもここ一か月は君んちの屋根で寝てた」

「なんて?」

「むしろ感謝してほしいよね。俺のおかげで、君はいままで安眠できていたんだから」

「いや、久羅くんがうちの屋根を不法に寝床にしていたことと、私の安眠になんの関係が」

「いい機会だから、現状についてちょっと話そう」

久羅くんの指がフードコートのある方を指さす。

あ、ご飯食べたい感じなんですね。

現状説明はこちらとしてもありがたい。

久羅くんがうちの居候になって、一緒に平穏そのものな大型量販店に買い物に来るなんて、前世の知識含めたって奇想天外すぎる。

素直にうなずく私と歩幅をそろえて、久羅くんは歩き始める。

いつも数歩前を歩いていた彼と肩をそろえて歩くのは、少し不思議で、どこか面映ゆい心地だった。



このような120パーセント趣味丸出しな作品に、感想やブクマ&評価ありがとうございます。大変励みになります。

第二章は書け次第投稿スタイルなので、週一、二話あげられるようぼちぼち頑張ります。

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