じゅうに
ヒロインであるムクちゃんとの衝撃的な邂逅と、近づく六月に、落ち着かない日々が続いていた。
中間テストは久羅くんのおかげで、赤点を一つもとることなく、それどころか予想以上にいい点数で終えることができたが、心のモヤモヤは晴れないままだ。
あれ以来、ムクちゃんからの接触はない。こちらから話しかけようかとも思ったが、いつも人の輪の中や、攻略対象と一緒にいたりで機を逃し続けている。
でも、まぁ、私の目標は久羅くんに殺されて、つつがなくシナリオが進むことなのだから、彼女の余計なことをするなという要求には従うことになるはずだ。向こうから見て、大人しくしている、邪魔をするつもりはない、と思われればそれでいいのかもしれない。久羅くんに興味ない発言はまだちょっとモヤモヤしてるけど。
私は久羅くんが大好きだけれど、久羅くんを救いたいとは思っていない。
だって、彼は救いなんて必要としていない。そんなことはゲーム内で何度も語られていた。
彼は黒塚の呪いから生まれた鬼で、普通の幸せなんて欲しがっていないし、なんなら長すぎる生を終わらせたいと願っている。その過程で自分を生んだ黒塚の呪いが成就すればいいと考えて行動している。
だから私にできることは、彼の望みが叶うように、呪いの成就のための生贄になることくらいだ。
大丈夫。
久羅くんはちょっと仲良くなったからって、変わりはしない。
撒き餌として優秀ならば、きっと私はいい生贄になる。
彼はきっと私を選んで、私を本物の女子生徒Aにしてくれる。
その先で、彼が心行くまま暴れて、終わりを得てくれれば、私は幸せなのだ。
だから私の願いは、私だけがわかっていて、果たされればいい。
本音を言えば、今は死ぬことが少しだけ怖くて、今の両親に申し訳ないと思っているのだけれど。
そうして五月も、もう終わる。
黒塚市は例年より早い梅雨入りを迎えていた。
しとしと、と雨が降っている。
言いつけを守り、私は傘をさしたまま深く顔をうつむけていた。
ローファーのつま先が跳ねた雨粒で濡れ、鈍く光っている。
そろそろ、女子生徒Aの死亡予定場所である裏山の祠を下見しに行こうか。
手持ち無沙汰を持て余し、そんなことを考えていると、足元の水たまりに黒い墨汁のようなものが流れ込んできて、つんざくような悲鳴が聞こえた。女の甲高くひび割れた悲鳴はすぐに雨音に霧散して、雨粒が傘を打つ不規則な音だけが残る。
「もういいよ」
お許しが出たので顔を上げる。
久羅くんは傘もささずに、白い髪も学ランもしっとりと濡らして立っていた。
「終わった?」
雨の日に現れる赤い傘の女は、私が存在に気が付く前に久羅くんの栄養になったらしかった。
最近の釣りは小物ばかりなのか、こんなふうに私は何もせずにただ突っ立っているだけで済むことが多かった。
「最近は小物が多いけど、あまり食いでがないんじゃないの?」
初めて撒き餌として連れていかれたマンションでのことを思い出して尋ねつつ、濡れっぱなしの久羅くんに持っていた傘をさす。
彼は薄い肩をすくめ、私が差した傘に入りやすいように腰をかがめた。
「だから数で補っているんだ」
それで足りるのだろうか。
いまいち納得していない私の顔に、彼は薄い唇をくっと歪めた。
「君さ」
言葉はそこで途切れた。
時間が止まってしまったかのような錯覚を覚えたが、久羅くんの髪の先から滴る雨の雫が時間の流れを教えてくれていた。
私は静かに続きを待った。しかし彼は薄い唇を結んだまま開かない。
しびれを切らして名前を呼んだが、なんでもない、と話を切り上げられてしまった。
「傘、低すぎ。貸して」
ずっと腰をかがめていた久羅くんは、私の手から傘を奪い取り、バランスのいい相合傘にする。
「久羅くん、なんで傘持ってないの?」
「人間は雨に濡れたがらない生き物だって忘れてたんだよ」
「人間じゃなくたって、雨に濡れたくはないと思うけど。うちで使ってない傘、あげようか?」
「いらない。寮で適当に拾う」
「それ拾うじゃなくて、盗むじゃない?」
桃ジュースは買うくせに、傘は盗むのか。久羅くんの経済事情は謎だ。
傘を持った久羅くんが歩き始めたので、私も横をついていく。
なんだか今日の久羅くんは機嫌が悪いような気がする。もしかしたら、雨の日はテンションが低いタイプなのかもしれない。
なんだか黙っているのがいたたまれなくて、私は例えばさと少し声を張り上げた。
「私が一人で心霊スポット的なところに行ったらヤバいかな」
「自殺願望があったとは知らなかったよ」
呆れたと久羅くんの顔にはでかでかと書いてあった。
「そんなに!?」
「カモがネギと出汁と鍋まで背負ってくるみたいなもの」
「そんなに怪異から見たらお得なカモなの!?」
そんな鴨鍋販売促進キャラみたいな。
あれ、でも。
「私普通に生活できてるよ」
「それは……」
久羅くんはまたもや言葉を途中で呑みこむ。
そして何かひどく腹の立つことを思い出したかのように、きゅっと眉根を寄せた。
「とにかくお前は俺の餌なんだから、許可なしに変なところには近づくなよ。死にたいっていうなら、止めはしないけどさ」
「わ、わかった」
いつもの皮肉るような言い方ではなく、どこか突き放すような調子に、少しだけ及び腰になってしまった。
でも、久羅くんに俺の餌って言われてしまった。キュンです。
そのあとも久羅くんの機嫌は直らず、私は目的地もわからないままついていった。
傘を持つ青白い久羅くんの手とか、こちらに合わせて狭くされた歩幅のこととか考えていると、バス停につく。
「じゃ」
傘を私に返し、久羅くんはまた雨の中へ戻っていこうとする。
「久羅くん!」
慌てて呼び止め、私は手を振った。
「また明日!」
煙るような雨に街は灰色がかり、色彩を持たない久羅くんが振り返る様は、水墨画のようだった。
彼は灰色の瞳をほんのり和らげ、ふっと笑った。
「また明日」
けれど明日はもう、六月だった。




