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じゅういち


「まずいよ、中間テストが始まっちゃうよ……」

文字通り弱々しく呟く私に、久羅くんはだから?とだるそうに返した。

「だって小テストだって嫌なのに、中間テストだよ?それが何科目?」

折った指の数が両手で足らなくなったところで気分が悪くなり、数えるのはやめた。

「んぎぃ」

気持ち悪いうめき声をあげるが、騒がしい食堂では隣で丁寧に魚の骨を取り除いている久羅くんにしか聞こえない。もちろん今日の昼ご飯も私の奢りだった。

「いいから早くそのピンクの気持ち悪いラーメン食べなよ」

手が滑って大量の紅ショウガが入ってしまった豚骨風ラーメンは、サイケデリックなピンク色に染まっている。

のろのろと箸を手に取り、麺の上にこんもりと山をなす紅ショウガを崩した。

食べ物を粗末にするのはポリシーに反するので、ちまちまと紅ショウガだけ食べ続ける私は、さながら新種の妖怪めいていたことであろう。

「あんなの出るものを覚えておけばいいだけだろ」

「それができたら苦労しないよ……」

一度は乗り越えたはずの高校生活。

それがどうしてこうも憂鬱なのか。

だいたいにして乙女ゲームに出てくる学校のくせに、進学校なもんだから、初めての中間テストなのに範囲が広すぎるのだ。日本史なんて授業中に配られたプリントが札束くらいあった。本物の札束持ったことないから、知らないけど。

ああ、紅ショウガが酸っぱい……。

「何がわからないわけ?」

「数学、はまだ大丈夫なはず……化学とか物理とか。久羅くん教えてよ。いつもご飯奢ってる代わりにさ~」

「いいよ」

「ダメにきまって……え!?」

予想外の返事に器官に紅ショウガが入って、盛大にむせた。

危ない、ピンクの鼻水でるかと思った。

「ほ、本当に教えてくれるの?」

「やっぱりやめようかな」

「先生!お願いします!」

机に頭をこすりつけてお願いすると、久羅くんはわざとらしい嫌そうな顔をしつつ放課後ねと呟いた。



進学校というだけあって、黒塚高校には自習できる場所が三つもある。

まずはオーソドックスに自習室。ここは三年生に占拠されているため、一年生はほぼ入れない。

次も定番の図書室。本来の用途は閲覧席ということになっているのと、司書さんが見回っているので、使い方とかがかなりきっちり決まっている。

そして最後が図書室に併設されている、話したりしていいフリースペース。椅子と机もあるし、自販機もある。ただ黙々と自習したいのなら、おしゃべり目的や委員会活動の人もいるので少し騒がしい環境だし、席も多くはない。

私たちが勉強場所として選んだのは、ここだった。

ラッキーなことに中間テスト前だというのに、意外と空いている。

適当なところに座り、さぁ勉強するぞと気合を入れた瞬間、凄いデジャヴに襲われた。デジャヴというか見覚えというか、記憶にひっかかるものがあったというか。

あたりを見回し、隣の久羅くんのツンとした横顔を見た瞬間、見覚えの正体に気が付いた。

「あ!」

これ、ヒロインと久羅くんが初めて話すイベントじゃない!?

ヒロインが自習しているところに、久羅くんが話しかけてきて、初めて会話をするイベントのスチルに似ている気がする!というか背景、ここだ!

あれって中間テスト前だったけ!?

でも六月に女子生徒Aが殺されて個別シナリオに入っていくわけだから、初めて会話を交わすイベントはその前のはず。

ヒロインは久羅くんの左右どっちの席に座ってたっけ……うわー!思い出せない!親切な同級生顔した儚げ美少年の久羅くんの姿は覚えているけど、背景とか、ヒロインの立ち位置とかなんも思い出せん!

万が一だけど、私がヒロインの席を奪ってたりしたら……。

それは駄目だ。

だって私は久羅くんの役に立ちたいのであって、ヒロインになり替わろうとか、久羅くんと付き合いたいとかこれぽっちも思っていない。むしろシナリオが円滑に進むことを祈っている。それがきっと久羅くんの願いに沿うことだと信じているからだ。

それにしては、久羅くんにくっついて色々なことというか、怖い目にあったり、飛び込んだりしているのは余計なことではないかと言われれば何も言えないのだけれど……!

「どこからわからないの?」

久羅くんが物理の教科書を開いて、問いかけてくる。

けれど私はそれどころではなくて、ただダラダラ冷汗をかくばかり。

ど、どうしよう……これはまだ取り返しのつく状況なのか……それとももう泥棒猫的状況なのか……。

「Aさん」

「え、あ、うん」

冷ややかすぎる灰色の目で、久羅くんが私を見る。

「な、なに?」

ドギマギして答える。

久羅かんはくわっと眉間を寄せ、びっくりするほど低い声で言った。

「俺が教えてあげるんだから、次ぼうっとしてたら深夜に裏山の廃墟に投げ込むから」

「……はい」

本当にやりそうなラインで脅してくるあたり、本気度がうかがえて怖い。美少年なのに顔面がカタギじゃないもん、もう。

今度は違う冷や汗を流して、私は教科書を開いた。


久羅くんの授業はわかりやすいというわけでなく、ひたすらに山はりと暗記だった。ただここを覚えないと次が理解できないからとか、覚えつつ系統立てることを意識するとか、基礎になる例題の解き方を完璧に覚えて応用できるようにするとか、ただただ丸暗記するというわけではない。地頭が良いって、こういうことなんだなぁと思った。

あとヒロインに勉強を教えていた時は、相当に猫かぶってたんだなぁとも思いました。

「これでテストの点が五十点超えなかったら、深夜の学校で七不思議全部釣るまで帰れない耐久させるか……」

腕を組み、ふんぞりかえるようにして天井を見上げ、久羅くん、もといスパルタ講師は呟く。その向こう、久羅くんの隣に誰かが座った気配がしたが、私はノートと参考書以外を見る余裕すらなかった。

「私、朝まで生き残れるかな……」

諦めるんじゃない、と教科書で頭を叩かれた。教科書の面ではなく、背で。骨に染み入る痛さであった。

教科は物理から化学に変わっており、ノートは物理法則の公式から化学用語と元素周期表に様変わりしていた。

「だいたい日本史は覚えられるくせに、なんで元素とか同素体になると覚えられないんだよ。意味がわからん」

「そんなこと言われましてもぉ」

半分本気、半分演技でメソメソしながら手を動かす。

「とにかく、覚えるまで写せ。覚えたかどうか十分後にテストする」

そう言い残し、久羅くんは立ち上がった。どこかに休憩でもいったのかもしれない。

一緒に勉強くらいの気持ちでいたのに、とんだスパルタ指導塾に紛れ込んでしまった。

久羅くんに失望されたくなくて、私がペンを持ち直した時だった。


「すみません」

鈴を転がしたような声に呼ばれた気がして顔を上げる。

久羅くんが座っていた席を挟んで、黒髪の美少女が私を不機嫌そうに見ていた。

いわゆる姫カットにされた長く艶やかな髪。姫という言葉がふさわしい整った人形のような相貌。

ヒロインのムクちゃんだ。

目を見開きアホ面で固まる私と対照的に、ムクちゃんは柳眉をひそめ痛みに耐えるような顔をしている。

「ここに座っていた人と仲がいいんですか?」

ここ、と久羅くんが座っていた空席を指さす。彼が置いていった三色ボールペンが、その不在を守っていた。

「えっと、仲がいいっていうか」

奴隷とか下僕って言ったら後で怒られるし、だからといって友達ですって言っていいのか。ヒロイン相手に、仲がいいですってどんな伝え方してもマウントみたいになってしまいそうで、下手なことが何も言えない。

ムクちゃんが話しかけてきた真意がわからず、私は口をもごもごさせるしかできなかった。

そんな私に焦れた様子で、彼女はキッと眦を上げた。

「もしかして、わかってやってる?」

わかってやってる?

「何を……」

何を言っているのか、と口にしかけて、まさかという思いが過る。

まさか、今日ここでヒロインと久羅くんがファーストコンタクトをとることを知っていて邪魔しているのか、という意味だったら?

彼女も前世の記憶として、この世界がゲームだと知っているのだとしたら?

まったくありえない話ではない。むしろ私という異分子がいる時点で、十分ありうる話ではないか?

目をキョロキョロさせて言葉を探していると、ムクちゃんはハッと乾いた笑いをこぼした。

「あ、そう。そういう感じ?いいよ、私、久羅スガネには興味ないから」

ヒロインらしからぬ嫌味な仕草で彼女は髪を払う。

そして手元に出していた筆記用具などを片付け始めた。

「余計なことしないなら見逃して……」

「いやいや、ちょっと待って」

「なに」

「いやいやいや」

さっき、この人、なんて言った?

「久羅くんに興味ないと?」

「だからそう言ったでしょ」

ムクちゃんはアーモンド形の目の下を引くつかせ、変なものを見るような目で私を見た。

「嘘でしょ?だって、久羅くんほどの美少年この世に他にいないし、確かに近寄りがたいけど意外と優しいところもあるし、ああ見えて桃ジュース飲んだりもするんだよ?」

「は?なんなの?」

「大丈夫。私、同担拒否とかしないし……」

推しは良さを共有したいタイプだからと続けたかったのだが、残念ながらそれは相手によって遮られた。

バン!とムクちゃんが机をそこそこ大きな音で叩いて立ち上がる。驚きで反射的に口をつぐんだ私に身を乗り出し、周りには聞こえない声量でこうすごんだ。

「なんでもいいけど、私の邪魔したら呪うから」

の、呪うって……。

絶句してしまった。

確かに久羅くんに興味ないって言われて、良さをまくしたててしまった私も悪いけれど。いや、でも、生涯の推しのこと興味ないって言われたら悲しいじゃん。おそらく同じ乙女ゲームをやったのであろう相手ならば、なおのこと悲しいし、なんか悔しい。ムクちゃんの推しが誰かは知らないけれど。


「何してんの」

頭上から降ってきた呆れかえった声に、正気に返った。

いつの間にか戻ってきていた久羅くんが、不機嫌をあらわにムクちゃんを見下ろしている。その手には似合わない桃ジュースが二本あった。

灰色の瞳が冷たくムクちゃんを見下ろす。

それを直に受けたムクちゃんは、みるみるうちに顔を青ざめさせ、決して目を合わそうとしない。

……もしかして久羅くんのことが怖いのだろうか。

唐突にそんな考えが浮かんだ。

「ごめんなさい、なんでもないの」

先ほどまでの尖った眦をぱっと下げ、彼女は何事もなかったと笑う。どこか不格好な笑みだった。

「はぁ?」

なんでもないわけないだろ、と久羅くんが片眉を器用に吊り上げる。

てっきり優等生モードになって終わらせてくれると思ったのに、予想外に久羅くんは不機嫌なままだ。

「く、久羅くん、大丈夫だから」

学ランの裾を引いて、大丈夫だと何度も頷く。正直、周囲の視線も痛いくらいだ。ここは穏便に終わらせよう、そんな願いを込めて見上げる。

久羅くんの灰色の瞳がやっとムクちゃんから外れて、私の方へ向けられた。

その隙に鞄をひっつかみ、彼女は流れるように立ち上がる。

「私の言ったこと、忘れないでね。それじゃ」

しっかり捨て台詞を残した彼女が去った後には、ほのかに甘い花の香りだけが残った。

近くにいた生徒たちが何事かとこちらをうかがっている。

すみません、なんでもないんです、とペコペコ頭を下げる私とは対照的に、久羅くんは彼女の去った方をしばらく見つめていた。

「何、今の」

「私が、気に障ることをしてしまったみたいで。……ちなみにこのジュースは」

「間違えて二本買ったからあげる」

んなアホな。

突っ込みつつ、あの久羅くんが私のためにジュースを買ってきてくれたという事実が、あっという間に胸を占領していく。

「久羅くん、桃ジュース好きだね」

前もこれの缶を飲んでいた記憶がある。

意外と甘党なのか。知らなかった。好物、怪異の丸呑み、だと思ってた。

「ありがとう」

お礼を言うと、久羅くんはフンと鼻を鳴らし、どっかりと椅子に腰を下ろした。それからジュースの蓋を開け、ゴッゴッと男らしく半分ほど飲む。

「何を言われたの」

「え?」

「俺について何か言われたんだろ」

むしろ興味ないって言われましたけども。と言うわけにもいかないか。

「久羅くんのことは何も言っていなかったよ」

じゃあ何を言われたんだと目で問われるが、上手い返しが思いつかず笑って誤魔化す。

「あ、そう。それはそうと、ちゃんと覚えた?テストするけど」

「エッ!?」


その後、死に物狂いで久羅くんのテストを合格した私は、かろうじて深夜の学校で七不思議全部釣るまで耐久を免除されたのであった。

ヒロインもまたゲームとしてのこの世界の記憶を持っており、敵認定されてしまったっぽい、という新たな悩みを残したまま。



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