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じゅう


また眠ってしまっていたらしい。

遠出した帰りの子供みたいに、もうすぐ着くよ、という声を夢うつつに聞いて目覚めた。

細身で筋肉なんて無さそうな見た目だけど、久羅くんの歩みに疲れの色は見えない。

「私、重くない?もう歩けるから、降りるよ?」

「寝ぼけて転ぶのがオチだね。どうせすぐなんだから、大人しくおぶわれてな」

一戸建ての我が家の門扉を超え、信楽の狸がお出迎えしてくれる。外玄関の明かりに照らされた狸が、久羅くんにおんぶされて帰ってきた私を見つけて、ぎょっと目を見開いたような気がした。まぁ、気のせいだろうけど。

久羅くんは私を背負ったまま、器用にインターホンを押した。

そういえば親には、遅くなるとも、友達も一緒とも連絡していない。急に娘が遅くに、しかも美少年におんぶされて帰ってきたと知ったら、お母さんひっくり返るかもしれない。

そんな懸念をよそに玄関を開けた母はお帰りなさいと真っ先に私の顔を見て、安堵の表情を浮かべた。

母の眼球が濡れて光っていることに気が付き、急激に罪悪感が湧いた。

私にとっては二人目のお母さんだけれど、お母さんにとって娘はただ一人、私だけなのだ。

振り返ってみれば、この一か月、というか今日、私はあまりに無鉄砲で、自分の命に無頓着だったかもしれない。

一人反省し、私は小さくただいまと言った。

「さっきお電話した久羅です」

「うちの子をわざわざ送ってくれて、ありがとう。ほら、中に入って!まぁ、ここまでおんぶしてきたの?重かったでしょう、この子」

人を太っているみたいに言うでないよ、母よ。

「えぇ、まぁ」

突然の久羅くんの裏切り。

「降ります。降ろしてください」

手足をわちゃわちゃさせて、私は自分の脚で玄関のたたきに立った。

「アンタ、また倒れたんでしょ?入学式でも倒れたし、大丈夫なの?」

「うーん、たぶん」

今後も倒れないとは言い切れず、あいまいに首を傾げた私に、母は困ったような怒ったような顔をした。

「じゃあ、僕はこれで」

「あれ、寮だよね?門限大丈夫?」

今、何時かよくわかっていないが、もう閉まっているのではないだろうか。

咄嗟に尋ねた私に、久羅くんはあからさまに余計なことを、と言いたげな目を向けた。

「そうなの?じゃあ、いっそうちに泊まっていきなさい。ご飯もまだでしょう」

ほら、あがったあがったと、母に促されるまま久羅くんは靴を脱いで廊下に足をかけた。その瞬間、バキィ!と地震でも来たのかというレベルの家鳴りがして、私と母は驚いて顔を見合わせる。

久羅くんだけが驚かずに、胡散臭い笑みを浮かべていた。

「お家も歓迎してくれているんですかね。お邪魔します」

久羅くんが胡散臭い顔でこういうことを言うときは、だいたい逆の意味の皮肉である。というのは、久羅くんと実際に会話するようになって知ったことであった。


暖めなおされた生姜焼きとご飯、味噌汁が食卓に並ぶ。

甘く香ばしい匂いが鼻腔を満たすと、急激に空腹感がこみ上げてくる。

久羅くんは味噌汁の具のキャベツを見て、信じられないものを見た顔をしていた。

「キャベツの味噌汁、おいしいよ」

「最近はなんでもありが過ぎる」

「お爺ちゃん、食わず嫌いはいけませんよ」

机の下で脛を思いっきり蹴られた。

「反則!反則!」

「なに騒いでんの!早く食べなさい。久羅くん、遠慮せずおかわりしていいからね」

「ありがとうごさいます」

にっこり微笑む久羅くんに、母がきゃーと目を輝かせる。降ってわいた美少年の一挙手一投足にときめいて仕方ないという様子だった。娘が娘なら、母親も母親で美形に弱いってことか。さっきまで娘の心配をして泣きそうになっていたわりには、無事とわかったとたん扱いがちょっと雑じゃないですかね。

「電話してくれた時も思ったけれど、久羅くんってしっかりしてるのねぇ。今時、こんなイケメンで礼儀正しい高校生いないわ」

「久羅くん、真面目だもんね」

「破天荒からしたら、真面目だと自認してる」

「え、破天荒って、私のこと?」

「ごめんごめん、もっとわかりやすく言った方がいいよね。ぶっ飛んでる、とか」

「親の前で堂々と悪口やめてもらっていいですか?」

「仲がいいのねぇ」

母の言葉に、私も久羅くんも一瞬きょとんと箸を止めた。

「二人は付き合ってるの?」

「違います」

「違う」

二人して即答であった。

その様子に母はますます微笑ましそうに眼を細める。そして、自分も高校の同級生にこんな美少年がいれば~と大きすぎる独り言を垂れ流しながら台所へ消えていった。

なんとなく気まずくなって、ちびちび味噌汁を啜りながら久羅くんを横目にうかがう。

久羅くんが意外と大きな一口で生姜焼きを頬張った。

その向こう、廊下の奥から玄関の開く音がして、居間の入り口まで足音が近づいてくる。

「帰ったぞー」

久羅くん越しに父と目が合う。

父はえっと悲鳴じみた声を上げて、なぜか居間のドアを閉めた。

数秒おいて、再びドアをあけて居間を覗き込み固まる。

「おかえり、お父さん」

「お、おう……」

「こっちは同級生の久羅くん」

「お邪魔しています」

軽く会釈する久羅くんに、父は裂けるくらい目と口を開いた。そして腰が抜ける寸前みたいにドア枠に寄りかかり、そ、そんな馬鹿な……!と叫んだ。

何を勘違いしているかはなんとなくわかるけど、そんな馬鹿な!は違うでしょ。娘に彼氏ができて一大事っていうより、娘に彼氏ができるとか天変地異みたいな驚き方じゃないか。

「お父さん、彼氏じゃないから安心して」

「違うのか……まぁ、そうだよな。こんな美男子が彼氏なわけないか」

「そうだよ、久羅くんに失礼だよ」

まったく、うちの家族ときたら。

久羅くんが私の彼氏なんて、向こうに失礼な話だ。

当の久羅くんはもう自分は関係ないと判断したのか、気にしていない様子で味噌汁のキャベツをぱくぱく食べていた。


母の強い勧めにより、久羅くんは我が家に泊まっていくこととなった。

とはいえ夜も遅くなっていたので、お風呂に入って、居間にお客さん用の布団を敷いたりしているうちにあっという間に就寝時間になった。

彼氏ではないとわかっていても年頃の男女が一つ屋根の下にいるという状況に、父は妙に緊張しているらしく、私がベッドで首元までしっかり毛布をかぶるのを確認してから自分も寝室へ入っていった。

今日はいろいろあったけれど、寝ようとすると浮かんでくるのは恐ろしい化け物の姿ではなく、帰宅して一番に出迎えてくれた母の安堵した顔だった。

父も私が帰宅中に倒れて、久羅くんが連れ帰ってくれたと聞いて、ひどく心配してくれた。

転生後の両親は、死に別れてしまった転生前の両親と見た目は別人なのに、中身は驚くほど似ている。

だから心配をかけてしまった、と思うほどに申し訳ない気持ちになって、目が冴えた。

「……寝れない」

じっと横たわり目をつむっているのも辛くなってきて、私はそっと寝床を抜け出した。何か温かいものでも飲めば、眠れるようになるかもしれない。

電気をつけずにそろそろと居間へ向かった。台所へ行くには、ここを通らなければならないのだ。

久羅くんが寝ているはずの居間は、青白い月に照らされほんのりと明るかった。猫の額ほどに狭い庭に面した窓が開いており、風で膨らんだレースカーテンが、かげろうの羽のように透けている。白く発光する布団の上に、あぐらをかいた人の白い影があった。

髪も肌も瞳も、青白い月明かりに染まった久羅くんは、うつむけていた顔をあげてこちらを振り返った。

「何?」

信じられないほど整った鼻すじや、すっきりした頬の輪郭が淡く光り、幽霊みたいだった。

「いや、寝れなくて……何か飲もうかと……」

「そりゃあれだけ人の背中で爆睡してたんだから、目も冴える」

「その節はどうもすみません」

えへへ、と誤魔化して笑ってみたけど、久羅くんはそれ以上の皮肉も嫌味も言わずに再び顔をうつむけた。

何をしているのだろうと手元を覗き込むと、なんと月明かりだけで本を読んでいた。

そういえば、ヒロインが久羅くんと出会うのは図書室だったっけ。私があまりそういう場面に遭遇しなかっただけで、本を読むのは変わらず好きなようだ。とはいえ、電気もつけずに読んでいて目がつらくならないのだろうか。

「暗くない?」

「君たちにとって月明かりは暗いものだろうけど、昔はこれで十分だったんだよ。今はどこもかしこも明るすぎる」

またお爺ちゃんみたいなこと言ってる。久羅くんのいう昔は、びっくりするくらい昔を指している可能性が高いのだが。

本を読んでいる彼の邪魔をするのは忍びないので、私は当初の目的だった飲み物を作ることにした。

冷蔵庫に牛乳があったので、レンジで軽く温めてはちみつを垂らす。

はちみつが溶けきるまでスプーンでくるくるかき回して一口。

うーん、甘い!これは深夜に罪の味!

もう一杯、甘さ控えめで作り、静かに本を読んでいる久羅くんの近くに置いた。とはいってもいい感じのテーブルとかなかったので、床にマグカップを直置きした。

マグカップを置くついでに、自分も布団の端っこに座る。

久羅くんは垂れた前髪の隙間から、ちらりとこちらを見たけれど、何も言わなかった。

レースカーテンが視界の端で膨れたり、萎んだりをゆっくりと繰り返す。

少し肌寒かったが、温かいホットミルクを飲むとちょうどいい。

私は黙ってホットミルクを啜り続け、久羅くんも黙って本の文字を追い続けた。

マグカップの底が見え、器自体が冷え切った頃、私は自分の中から言葉があふれだしてくるのを感じた。

「あのね、今日は本当に怖い目にあったし、もしかしたら死んでいたかもしれないって思うんだけど、でもそれ以上にそうなると予期できていたのに飛び込んでいった自分の無鉄砲さとか、私がいなくなったら悲しむ人がいるということすら想像できていなかったこととか、自分が生きているのか夢をみているだけなのかわからないと感じていることとか、色々なことが今は恥ずかしくて……でも久羅くんが助けに来てくれたことや、おんぶして家まで送ってくれたこと、私の家族の前で真面目に人間のふりをしていること、その一つ一つが嬉しくて……すごく眩しく思えるんだ。だから私はこれからもやっぱり久羅くんの役に立ちたいって思うんだと思う」

久羅くんから返事はなかった。

でもページを捲る手は、長いこと動いていなかった。

「聞いてくれて、ありがとう。おやすみなさい」

空になったマグカップをさっさと洗って、私は自室へ戻った。

久羅くんが冷え切ったミルクを飲んだかどうかは、定かではない。



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