吾輩は発達障害である
これは、発達障害と境界知能を持つ、空気を読めない作者の恥ずかしい過去の話です。読む人が共感羞恥で居た堪れなくなることがないように、脚色を加えて配慮した物語です。
仕事中、ある女性に言われた。「あなたの目と声が好き、あなたの声を聞くとドキドキする」と。もちろん、私は彼女の感性豊かなその感想にお礼を言った。私は自分についてそう思ったことはないけど、彼女は気に入ったのだろう、そして「ありがとう」と言った。紳士はいつだって感謝の言葉は忘れないものである。そして颯爽と仕事へ戻った。
後日、男友達が私のもとに来て言った。「お前、あの子のこと振ったんだって?可愛い子なのに、他に好きな子でもいるの?」意味がわからなかった。彼女から告白なんてされた覚えはないのだが、どういうことだろう?だから言った。「告白なんてされてないよ、なんか私の目とか声が好きだとか言ってた気はするけど」
「いや、お前…それはどう見てもそういうことだろう」友人は呆れていた。
「いや、どういうことだってばよ」彼の言葉に困惑した私に、友人はさらに説明を続けた。「彼女、顔を赤らめながら言ってなかった?」
「言われてみればそうだったような?きっと、恥ずかしかったんじゃないかな?褒めることが。人を褒めるのって意外と勇気がいるからね、でも、容姿を褒めるのはなんか違う気がするんだよね、頑張ったと思うけど」
「間違ってないけど、間違ってる」友人は深いため息をつきながら言った。そして、彼は何が起きたのかを説明してくれた。彼は、私の良き友なのである。
話を聞き終えると、私は彼女のことをかわいそうに思った。桟橋でなくうみねこもこんな気持ちなのかな?
我が友曰く、彼女は私に一目惚れだったとか。我が心の友曰く、私のことをいつも話題にあげていたと。我が魂の友曰く、私に告白する前に恋人と別れたのだと。
この世界の残酷さに、私は涙を流した、心の中で。でも、そんな残酷な世界でも、親切な友でいてくれる彼に真理を告げねばならない。「世界は残酷だね」。
彼は静かに言った。「いや、お前がな」。
一つの悲しみを乗り越え、新しい明日が来た。希望に満ちた朝が。耳から離れない、どこかできいたフレーズと一緒に我が友と出社した。
そして、目にしてしまったのだ。あの哀れな女性が、男性と手を繋いで出社するところを。
良かった、彼氏とよりを戻せたんだと、この世界も捨てたものではないと歓喜した。やはり、物語はバッドエンドよりハッピーエンドがいいよね。そして友に共感を求めて言った。「良かったね、彼氏とよりを戻せたんだね」
しかし、友の口から出た言葉は冷たいものだった。「いや、あいつじゃない」
私は、彼になんと言っていいか分からなかった。彼はいつも私の良き友でいてくれたのに、私はこんな時、彼にかけてあげられる適切な言葉を持ち合わせていないのだ。それでも、なんとか弱気になる心に鞭打って言葉を絞り出した。「…世界は残酷だね」
彼は、言った。「…そうかもな」
私は、初めて彼の心に寄り添えたのかもしれない。
こうして私はこの世界の真理を悟った。努力が必ず報われるわけでは無いのだと。誰かが得た幸せは、どこかの誰かが失った幸せなのかもしれないと。世界は残酷なのである。