P3Cの空3
敵潜水艦からも魚雷が放たれてしまった。
P3Cの短魚雷が敵潜水艦に向かって走り出すころには、既に白い雷跡が海にまっすぐ伸びて該船へと向かっていた。
何としても止めなければならない。
機長は声を張り上げ隊員に
「総員掴まれるところに掴まれ!これより本機は魚雷を止める!」
それは全く不合理な決断だった。P3Cに積まれた最も貴重な装備品は人の命だったが、機長の判断は隊員の命を危険にさらすのはもちろん、タイムマシンが破損すれば、元の時代に戻ることもできなくなるような決断だった。
幾重にも削り取られた板ガラスのように、青く、深く、鋭い海面すれすれを飛ぶP3Cは、左の翼を波に打ち立て、敵魚雷の鼻先に突っ込んだ。
鈍い爆発。海中から立ち上がった真っ黒な煙は、不気味なキノコ雲となって青空にあがり、その雲にはキラキラと輝く物が含まれた。
それは、体当たりして粉々になった翼の破片だった。
世界から音が無くなったように思えた。
元気だった子供たちの表情が曇る。
そのうち、爆発による耳鳴りで聴力を一時的に失った耳を、エンジンの爆音がゆらした。
真っ黒な煙を割るようにして天へと飛び出した機体は、機体左側面のほとんどが焦げ、爆発した魚雷の破片を受けて銀白色になったP3Cだった。
左翼の1/3とエンジン一基を失い、翼内タンクからは燃料を霧のようにたなびかせて飛んでいるその様は、まるで不死鳥のようであった。
それは避難船に乗る子供たちから見れば守り神に、海中の潜水艦からすれば死神に見えた。
敵潜水艦に向け放たれた短魚雷は信管が抜かれていた。
スクリュー音めがけて海中を進んだ短魚雷は、敵潜水艦のスクリューを食い破り、艦内に浸水を引き起こした。事実上の戦闘能力損失であった。
こうして、這う這うの体で任務を完遂したP3C部隊には次の任務があった。ここで死ぬはずだった児童全員を令和の日本に連れ帰ることである。
日本では年間2万人近い人が行方不明となる。400人近く総人口が増える結果となったが、報道すらされなかった。
問題は帰ってきたP3Cの翼が不自然極まりないことだった。
それは翼内燃料タンクを一部失ったために、できる限りの修復を受けて帰ってきていた。
日本各地の航空基地に正体不明機の存在と、それに給油するように指示した日本陸軍士官の存在が機密事項として記されたが、すべて敗戦時に焼却処分されることとなり、現代には残っていない。
ただ一枚、隊員が持ち帰った5式戦闘機と一緒に写るP3Cの写真を除いて。
現在、そのP3Cは役目を終え、自衛隊基地の滑走路の横でひっそりと訓練用の機体として残りの生涯を全うしようとしている。風雨にさらされてなお、鈍く輝く銀白色の機体は、確かに今、そこに存在している。もし航空祭などで、基地に見学に行く際には見てみるといい。もしかしたら、まだ機体に食い込んだ破片が残っているかもしれない。
これにてP3C編は終了です