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百三十九話 霧中幻惑残像四躰分身拳

 濃霧が立ちこめる、未明の中書堂。

 まだ建築途中で壁も天井も半ばスカスカな工事現場に、女二人の怒声が響く。


「その子は毒を使うからうっかり死なせんじゃないよ! あんたらが死ぬのは勝手だけどさ!!」


 とりあえず逃げて走り出した私の背中に、乙さんの叫びが浴びせられる。


「危ないから帰って寝ましょうよ~!!」


 忍び寄る足音の主たちに、私は平和主義な台詞を投げかけた。 

 乙さんの仲間である尾州びしゅうの情報員、あるいは武官たちが周囲に潜んでいたのだろう。

 もちろん私としても、彼らをひっさつの毒串で殺したいわけじゃない。

 まずはこの場をやり過ごすことが最優先事項。

 安全な場所に移ってからきょうさんたちの企みを正妃さまなり、皇太后さまなり、まだ司午しご別邸にいるはずの玄霧げんむさんにチクればいいだけだ。

 その上で、姜さんを直接ギャフンと言わせるためになにか仕掛けるかどうかは、仲間たちと相談して決めたいね。

 私としては「やり返す」の一択だけれど。


「大人しくしろっ!」

「前後で挟め! 手に持ってる串に気を付けろ!」


 大柄な男性が数人、もうすぐ私に手が届きそうなほどの距離に迫っている。

 実はこの鉄串に付着している毒は、人が死ぬほどのものじゃない。

 刺された箇所がジンジンと熱くなって、その後に軽い痺れが広く伴い、しばらく具合が悪くなる程度のものだ。

 私も相手もお互いを殺すつもりはないのだという時点で、やはりこれは首狩り軍師の掌の上で行われている遊び、じゃれ合いのようなものなのである。

 やるせなさにクッソ腹立つわ~。


「あ痛!」


 ニブちん私、肝心なところでずっこけるの図。

 体力はそこそこついて来たと思ったんだけれどな。

 生まれついての運動音痴はなかなか改善されないか。

 串も手放してしまい、麗央那、ぴーんち!

 と、そのときに絶好のタイミングで。


「でえーーーーーいっ!!」

「のわっ!?」


 にじり寄る男に向かって、元気良く猛烈な体当たりをぶちかます一つの影。


「こいつめ! 汚いなりで央那さんに近付くな!」

「ちィッ! 司午家の坊ちゃんかよ! 子どもは引っ込んでろ!!」


 情報員Aと想雲そううんくんが組んづ解れつ地面を転がるのを横目に、私は必死で起き上がる。


「ナイスガッツだよ想雲くん! 修業の成果だね!」


 偉そうにそんなことを言いつつも、慌てて足を踏み外し、またコケる。


「ぺぺっ、砂、噛んだぁ」


 あーもう、あーもうっ!!

 気を取り直し目指すは東庁、馬蝋ばろう総太監そうたいかんの下だ。

 彼に私の身を保護してもらえば、お偉方へのその後の説明もしやすいだろう。


「小娘一人になにを手間取ってるんだ! ボサっとするな! 行け! 走れ!」


 別の情報員が、近くにいる仲間に怒鳴る。

 口ぶりからして、少し偉い人らしいな。

 しかし、言われた方のひょろりと痩せた男は。


「あいにくと俺は、走るの嫌いなんだよ」


 そう言って私が落とした毒串を拾って、偉そうにしていた指示役の太ももにブッ刺した。

 ありゃりゃ、痛そう。


「いぎっ!? な、お、お前!?」

尾州びしゅうの間者も人手不足か? 少し変装したくらいでわからないもんかね」


 優男はそう言ってかぶっていたフードを外し、ぺりりと顎の髭を剥がした。

 付け髭とほっかむりで変装していた椿珠ちんじゅさんが、情報員たちの中に紛れ込んでいたんだね。

 スパイをさらに上回るほど自然な変装、お見事です!


「ぐががががが……!!」


 毒のしびれが瞬く間に回ったのか、刺された指示役の男は目を回して地べたに倒れ込む。

 ごめんなさいね、死にはしないと思いますんで、許してちょうだい。

 怨むなら姜さんを怨んでよ、マジで!

 って、そんな名も知らぬ哀れなおじさまのことよりも。


「椿珠さん、翔霏しょうひたちは!?」

「まだ戻ってねえよ。ったく、なにからなにまで急なんだっつうの」

「ですよねー」


 先日、お菓子の包みで軽螢けいけいに指示した内容、それは。

 

戌族じゅつぞくを殺し過ぎた呪いなんてのもどうせデマカセだから、さっさと翔霏を大海寺だいかいじから連れ戻して来て」


 というものだったのだ。

 軽螢とヤギのコンビならサッと行って帰って来られると思ったけれど、途中でなにか手間取ってるのかな。

 

「しっかりしろ、走れるか?」

「まあなんとか」


 椿珠さんの補助を受けて私は立ち上がり、東庁を目指す。

 たかが数百メートル、されど数百メートル。

 優男の椿珠さんと、意気軒昂ながらもまだ線の細い少年である想雲くんに、果たして立ちはだかる男たちを蹴散らすことができるだろうか。


「俺は傷が開くから走れねえ。ま、やつらの邪魔くらいはしてやるさ」


 そう言って椿珠さんは、薄い陶器製の球体を懐からいくつか取り出す。

 お腹の傷がまだ塞がり切ってないので、激しい運動はできないんだよね。

 一見すると鶏の卵にも見えるそれらを、向かってくる男たちにボコッと投げつけた。

 

「目、目が痛っえ! 痒い!」

「げ、げっほ、げほっ、咳、咳が、止まら……」


 何人かの情報員たちが、苦悶の声を上げ、足を止める。

 クマ除けの目潰しとか、そう言う系の道具か。

 刺激物が陶器の中に閉じ込められていて、目標に当たった瞬間に器が割れ、中身がぶちまけるんだね。

 腕力で戦えない椿珠さんらしい小技だよ。


「ありがと! その調子でお願い!」

「もう残りも少ないけどな。あとは頑張れ」


 椿珠さんが作ってくれた隙を見計らい、私は再び走り出す。


「央那さん、僕に構わず先へ……!」


 想雲くんはもう取り押さえられてしまったようだ。


「ごめーん、最初からそのつもりー」

「あうぅ……」


 少年の嘆く声が、胸に痛い。

 椿珠さんの小細工もいずれはネタが尽きる。

 いち早く私が、東庁まで飛び込まないと。

 正妃さまはまだ、若干信用ならん部分が残ってるからな。

 ここは皇太后さまに事の顛末を聞いてもらうのが、現局面でのベストだろうか。


「おーっとっと、すんなり行かせると思われちゃ困るねえ。あたしだって給料分くらいは働くときもあるよ」


 しかし、男たちがワチャワチャやっている間、私の前に立ちはだかるのはもちろん、乙さんだった。


「ぐぬう、どうしても、譲ってはくれませんか」


 ほぞを噛みたい気分である。

 この人を言葉で籠絡するのはほぼ無理であろう。

 聞く耳を持たないタイプであることは、戌族じゅつぞくの土地で大いに見せつけられたからね。


「手荒な真似はしないよ。あんたさえ、大人しくどっかに閉じこめられていてくれれば、ときが過ぎてだいたい上手い所に収まるさ。あのモヤシがそう取り計らうだろ」


 時間薬かよ、くだらねえ。

 そんなものの効果を期待しているようなら、私は最初から仇討ちの旅なんてしてねえんだっつうの。

 そう、私が怒って動いている理由は、たったひとつなのだ。


「自分が信用されていると自覚しておきながら、こんなことを仕掛けた姜さんには、それなりのツケを払ってもらわなきゃいけません。神台邑じんだいむらに戻れたとき、私は本当に嬉しかった。宝箱を開けるとき、本当にワクワクした」

「楽しかったなら、それでいいじゃないのさ。こっちの企みも漣さまのせいでご破産だし、痛み分けってことにしてくれないかね?」


 ふざけたことを言う乙さんに、私は。

 自慢の大声で返す。

 理屈ではないのだ、と。


「乙女の気持ちを弄んだクソ野郎には、鉄槌の裁きがお似合いだ!! あいつが『央那ちゃん、もう堪忍してえな〜〜』って泣いて許しを請うまで絶対に仲直りしてやらん! 絶交だよ!!」


 まるで子どもの喧嘩のようなセリフを口にして、私は仁王立ちする。

 乙さんと、仲間の情報員たちが私への包囲を狭めていく。


「悪い、こっちももう手一杯だ」


 制圧された椿珠さんの力無い声。

 私の準備不足のせいで、この場は負けてしまうのだろうか。

 半ば諦めかけてしまった、そのとき。


「どうして城の中だけ、こんなに霧が濃いんだ?」


 聞き慣れた平淡な声が、離れたところから届いた。


「翔霏! こっちだよー! 助けてー! でも殺したり大怪我はさせないでね!」

「麗央那、遅くなって済まない」


 霧の中からゆったりと歩み進む翔霏。

 くるりと首を回して状況を一瞥し。


「間者の姐さんを入れて、それなりに使えそうなやつが合わせて五人か。せっかくの機会だし試してみるかな」


 よくわからないことを気楽に言った。

 それと同時に、ぶわぁっ、と周囲の空気が歪んだように見えた。


「ふん」「はっ」「ていっ」「行くぞっ」


 掛け声とともに。

 四人に、分身した。

 視界が曖昧な霧と靄の中で、翔霏が四人に増えました。


「なっ!?」


 一人目の男は掌底で顎を打たれた。


「ど、どうなって、うわぁっ!」


 二人目の男はラリアートのように腕で倒され、地面に叩きつけられた。


「た、ただのまやかしっぐぶぇ!」


 三人目の男はみぞおちに前蹴りを食らって悶絶した。


「……夢?」


 四人目の男は、目の前の現実を受け入れられないままに、背後からキュッと頸動脈を絞められて気絶した。

 これら一連の出来事に時間差はなく、まったくの同時進行で行われた。

 文字通り一瞬のうちに、四人の翔霏が四人の男を無力化したのである。

 私だけでなく、乙さんも昼間にお化けを見たような、水田から鯨が飛び出してきたのを目の当たりにしたような、唖然とした顔を浮かべていた。


「視界が悪い方がやはり増えるな。四人は新記録だ」


 シュン、と謎の音とともに、増えていた翔霏が一人に戻る。

 両手をパンパンと叩いて払いながら、術の完成度を講評していた。

 いや、技なのか、術なのか、お呪いの類なのか、私にはまったく分からないんだけれどね。

 いわゆるあれですか、質量をもった残像ですか。

 翔霏は相手の虚を突いて、いたと思ったらいない、いないと思ったらいる、そう錯覚させる体術を元々、身に付けてはいた。

 けれど今回の分身の術は、誰の目から見ても錯覚などではなく、四人の翔霏が別々に存在していたように見えた。

 なにせ四人いた翔霏は、それぞれ同時に別のことを喋っていたのだ。

 

「なにをどうしたらこんなことができるのか、私にはさっぱりなんだけど」


 私の質問に、フンスとつまらなさそうに息を吐いて、翔霏が答える。


「寺に着くなり、体内の邪念と呪いを叩き出すんだと言われて暗い部屋に放り込まれてな。そこで訳も分からないまま、木で作られた動く人形と戦わされたんだ」

「木人拳じゃん」


 あの映画、暗くて怖いから地味にトラウマなのよね。


「壊しても壊しても次から次へと出てくる人形どもにずいぶんと閉口したよ。いっそ自分が何人もいればまとめて叩きのめしてやるのに、そう思い続けていたら、いつの間にか、もう一人の自分が横に立っていたんだ。ここに呼ばれる直前に三人目まで出せるようになった」


 まったく、意味が分かりません。

 翔霏が、私の認識できない遠い所へ行ってしまうよ~。


「おーい、麗央那、無事かー?」

「メエェェ」


 困惑の中で、軽螢とヤギが到着した声が聞こえるのだった。

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