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百二十一話 塀紅猫貴人と除葛漣美人

 河旭かきょく城下の、深夜。

 息の音が止まった野良犬を背中の籠に負い、私たちは皇城の通用門を潜り、中に戻る。


「宦官の作業場を借りましょう。誰かしら、起きて詰めているはずです」


 雅の極致である後宮の中で、殺した犬の解体作業なんてするわけにはいかない。

 私たちは詰め所で寝ずの番をしていた宦官さんたちに事情を話し、水場の一角を借りて犬を捌くことにした。


「必要なのは肩甲骨だけですし、首のあたりの皮を裂きましょうか。と言ってもどうしたものですかね」


 孤氷こひょうさんも獣の解体に慣れているわけではなさそうだ。

 用意していた小刀だけではまったく手に負えないので、宦官さんからノコギリなども借りる。

 私と二人で、ああでもない、こうでもないと言いながら、首を落とし、皮を剥ぎ、肉を削ぎ、血まみれに悪戦苦闘し、なんとか目的の肩甲骨を取り出すことができた。

 作業そのものに集中してハイになっていたから、取り掛かっている間は怖いとか気持ち悪いとか、あまり感じなかったのだけれど。


「ふう……」


 付着した血液を水で洗い流している孤氷さんの手は、震えていた。

 私も同様に、奥歯がガタガタ鳴りっぱなしである。

 寒さのせいだけではあるまい。

 私が確認を怠ったばかりに、私が無知だったばかりに。

 殺さなくても良かったはずの犬が一匹、余計に死んだ。

 作業をしている私も孤氷さんも、平気であるわけではないのだ。


「ほ、本当にごめんなさい、私が迂闊だったせいで」


 今になって、ボロボロと涙が零れてきた。

 買い物リストを見たときに、どんな骨が必要なのか、前もって聞いておけばこんなことにはならなかった。

 孤氷さんは喜怒哀楽の判別が難しい顔を浮かべ。


「私たち二人の業、ということにしましょう。あなた一人が抱えることではありません」


 疲れと優しさの混じった声で、そう言ってくれた。

 続けて、私にお説教するのではなく、あくまでも自分自身に確認するように、孤氷さんは淡々と説く。


「犬が憎い害獣だから打ち殺したのではないのです。犠と言うのは義に通じ、神に『善いもの』として捧げられるのですから」

「犠牲となる捧げものは、善いもの、ですか」


 ああ、いつか月の夜に、ヤギの毛並みを整えていた軽螢けいけいを思い出す。

 悪いものは取り込まず、善いものだから、天地に捧げ、私たちもその命をありがたく頂くのだ。

 ま、あのときのヤギは今でも元気いっぱいで、むしろ周囲の人間をからかうような振る舞いをしているけれどね。


「ええ。犬は強く賢く勇敢で、邪を払い魔を退ける力があります。その命を祈りの中に捧げることで、私たちもその力を分けてもらうのです」


 死なねば一粒の麦。

 死ねば多く実るだろうという、有名な説話を思い出した。


「めそめそ泣いて後悔するんじゃなく、感謝しなきゃいけないんですね」

「そういうことだと、私も思います。なんにせよ殺してしまったものは、取り返しがつかないのですから。せめてその命が善いものとして天地に迎えられるよう、私たちには祈ることしかできないのです」


 犬の解体作業を終えた私たちは、完全に徹夜の状態で日の出を迎えた。


「おはよーさん。今日は忙しいんやったっけね」


 昨日に引き続き上機嫌で口数も多いれんさま。

 私と孤氷さんの憔悴などあずかり知らぬという、にこやかな顔で起床なされた。

 この人、日中はダラダラしてる割に、寝覚めは抜群に良いんだよな。

 侍女の誰に起こされることもなく、日の出前には自分でしっかり寝台から起きて出て、毎日の祈祷の号令をかける。

 侍女たちから「お祈りのお時間です」なんてことは、絶対に言わないのだ。

 漣さまが部屋にいる日々において、太陽への祈祷は完全に彼女の主導と監督下で行われており、侍女たちは文字どり、そこに侍って雑用をこなすだけの存在である。

 この日もまず、昇りつつある太陽に十六回の拝礼を漣さまは捧げた。


「朝食の後で、へい貴妃がお越しになります」

「うん」


 早めの朝ごはんを済ませ、漣さまに孤氷さんが報告した。

 もうすっかり日は昇り、他の部屋の妃や侍女たちも活動を始めている。

 春の訪れを祈念する祭事のために、南苑統括のへい紅猫こうみょう貴妃が、漣さまの部屋にいらっしゃるそうだ。

 椿珠ちんじゅさんから渡されたルビー玉の使いどころは、ここかな。


「孤氷さん、私、かん貴人に関係する方から、こういうものを預かっているんですけど」


 きらりと輝くルビーの小石を見せる。

 私個人が勝手に、漣さまの頭越しに、塀貴妃へこれをプレゼントするわけにはいかない。

 体裁としては「漣美人を通して、環貴人の宝を塀貴人に贈る」としなければ、秩序にもとるからね。


「紅玉ですか」


 クールな孤氷さんでも目を見張るくらいに、この宝石は美しい。


「はい、塀殿下は赤いものが特にお好きと聞いたので、南苑に勤めている私を通して、塀殿下に贈って欲しいと、環家の方が」

「環貴人の……確かに、あの方にふさわしく、素晴らしい品物です」


 称賛の言葉に似つかわしくなく、孤氷さんは渋い顔をしてしまった。


「なにか、問題でもありますかね?」

「漣さまにこれを見せたら、おそらく塀貴妃に差し上げるのを渋って、自分の懐に入れてしまうでしょう」

「ぶっ」


 漣さま、ごうつくばりかよ~!

 いや、確かに誰でも欲しくなるくらいのお宝だけどさ。

 塀貴妃に届かないと意味がないので、この段取りは不味いな。

 孤氷さんは少し考て。


「あなた、銀月ぎんげつ太監と親しいのでしたよね」

「おかげさまで、仲良くさせてもらってます」

「では彼から塀貴妃に渡してもらいましょう。そうすればどこにも角は立ちません」


 結局そうなるんかーい!

 なら昨日の段階で、銀月さんに預けてしまっても良かったな。

 とにかく宝石の処置はそのように決まり、私は多少の消沈を心に抱えながら、次の仕事に取り掛かる。

 南苑の中庭で「希春きしゅん」という、季節の祭事が行われるので、その準備である。

 冬に別れを告げ、春をねがうための、年中行事だね。

 主催者が塀貴妃で、お祈りに実働するのが漣さま、という構図だ。

 要するに後宮南苑としての公務であり、自分の部屋単位で漣さまが自主的に行っている毎日のお祈りとは、行事の性格が少し異なる。

 お部屋では段取りの確認として、塀貴妃と漣さまがお話し合いをされている途中のはず。

 二人がどういう関係性なのか、目にしたことがない私にはわからなかったのだけれど。


こうちゃん、少し肥ったんちゃうかあ? ほっぺたぷにぷにやで~」

「あ、朝だからむくんでいるだけです。それより、その呼び方はやめなさいと、何度言ったら……」


 凄いぴったりとくっついてイチャつきながら、二人が中庭に出て来た。

 漣さまに頬を突っつかれている、私よりさらに背の低い女性。

 着ているものの立派さから、その方が南苑統括の貴人、塀殿下だとすぐにわかった。

 けれど想像していたのとは大きく違い、眉も薄く細く、髪の色も薄く、適度に日焼けした肌。

 まるで童女のような容姿をしていた。

 本当にこんな、運動系部活帰りの女子みたいな人が、呪縛、結界術のスペシャリストなのだろうか?

 なんか、中学校みたいな平和なノリだよ、このお二人さん。

 私の出身中学は、実はそこまで平和でもなかったけれどね。


「お、お初にお目にかかります。麗と申す、新しく来た下働きです」


 初対面なので深く拝跪し、塀貴妃に自己紹介する私。


翼州よくしゅうから来たんやで~。元々は司午しごさんとこの子やねんけどな。お産の里帰り中で人が余っとる言うて、うちらが借りてるんや」


 塀貴妃にしなだれかかりながら、漣さまが補足情報を説明してくれた。

 漣さまが他人とこれほどコミュニケーションを取っている姿を、私ははじめて見た。

 腰を曲げて控える私を見て、あっ、と軽く驚いた小声を塀貴妃は放ち。


「確か、神台邑じんだいむらの」

「は、はい。そうです。運良く、生き残りました」

「そう……」


 憐れみと労わりの混在した面持ちで、塀貴妃は私を見やった。

 神台邑で起こったことを、知ってくれているんだな。

 

「お勉強がよくできるらしいわ。きょうのおいちゃんが言うとった」


 私にまったく興味がなさそうだった漣さまが、珍しくそんなことまで話す。

 ああ、漣さまはきっと、塀貴妃が大好きなんだな。

 にこにこしながら塀貴妃に甘えるように話しかける漣さまは、本当に子どものように、純粋で邪気がなかった。

 見た目は圧倒的に、漣さまの方がお姉さんなのにね。


「いいことです。努力したのですね」

「あ、ありがたいお言葉、恐縮でございます」


 すっかり縮こまってへこへこしている私を観察し。

 寂しそうに笑って、塀貴妃は意外な名前を口にした。


「邑の長老だったおう老人も、お亡くなりになられたのですね」


 軽螢けいけいの祖父、雷来らいらいおじいちゃんのことだ。

 え、知ってるの?

 あんな小さな邑の住民、その個人名を、塀貴妃が?


「は、はいっ。邑を守るために最後まで必死に戦い、私たち子どもを逃がしてくれて……」

「なんという勇士でしょう。なにもできなかった私たちを、さぞ怨んでいるでしょうね。遠慮なく、面罵してくれていいのですよ」

「い、いえ、とんでもございません。妃殿下からこのように温かいお言葉を頂けただけで、身に余る光栄です」


 神台邑が滅茶苦茶にされたからって、塀貴妃になんの責任があるものか。

 悪いのは覇聖鳳のクソッタレだし。

 私がそう混乱していると、塀貴妃も怪訝な顔を浮かべ。


「まさかあなた、私が翼州公爵家の娘だということを、知らないのですか」


 私たちの会話の間にある齟齬を、見事に看破した。


「え、あ、あの、ええぁ?」


 塀、という珍しくもある姓。

 どこかで、聞き覚えがあると思ったら。

 神台邑の入り口にあった、石柱の碑文!

 翼州公の塀さんが、濠を掘って土地を囲み、結界と成したという、あれだ!!

 私たちが住んでいた翼州を治める、一番のお偉いさんの家系が、塀貴妃殿下の出自なのだ!!


「ありゃま、そないなことも知らんかったんかい。常識やろ~」


 けらけらと、楽しそうに漣さまに笑われた。

 うううう。

 無知は、恥である!!

 少し離れたところで、ハァと力弱く、孤氷さんが溜息を吐くのだった。

 顔、顔から火が出て燃えそうに、熱い~~!!

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