零地点・其の七──試作の実践者
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「やりようを考えろ」
諦念の滲む重々しい言葉が、デルグは資材供給基盤整備部部長カリルトの口から漏れる。近づけばちらと視線こそ向けられたが、聞かれて困る話題ではないらしい、机を挟んだ向かい側にあるコウイチに、そのまま話し続けた。
「企業内労働衛生違反を顧客を前に暴露するだなどと、国家もろとも信用失墜させるつもりか。クロエ王女の綱紀粛正公示も間も無くだというに、まったく──ダフニー、チェスターはどうされた」
「おそらくは今頃、欠席を後悔していることでしょう」問われるだろうなと予想はしていた。だから理由を明言しない心の準備は整っている。「食材流通業にも、今の騒動は影響しますよね。私は議事録を受け取りに顔を出しただけですから、それ以上のことは」
「サボりか」しっかり見透かした上でカリルトは「いや、忙しいことは察するが」と若干の気遣いを見せつつ息を吐く。「なんであれ欠席したからには都合よく使われてもらおう」
「いましがた」と口を挟むのは顧客のムーチェンで、こちらもカリルトと同様の困惑顔だ。咎めようとの気配は感じられないのは、コウイチと懇意だからだろうか。「委員会から、配慮義務違反請願の審査附議を受理したとの報告が届いた。発注主だから署名を捩じ込めたが、王国内でやらかされては顧客の範疇を越えての発言力は無い──だのに君はまったく」
かくいうコウイチはとそちらを見れば、目が合うや否や面持ちに微かな引き攣りこそ見受けられたが、それはカリルトとムーチェンの姿があるからだろう。だが微かにでも笑みを返すのだから随分な余裕ではある。主犯は神妙にしておく場面であろうに。
「官僚を召集しておけ」とムーチェンは背後に控える秘書たちに指示を出し、何名かが駆けてゆくのを見送れば「聴取出席の前に口裏を合わせておきたい」とカリルトへ顔を向ける。「時間を空けてもらうが、よろしいな」
「無論です。感謝します」カリルトは即断だ。深く息を吸い表情を引き締めると、コウイチに向けて「請願と言うからには紹介人があるのだろうが──君の人脈だ、想像するだに肌が粟立つよ。ユキヒトが在籍出向中なのが痛いな……どうにかして呼び戻せないものか」と愚痴そのものを吐き出してしまう。
──まあ……言いたくもなるわね。
怒りよりも懊悩の色彩が濃い佇まいは、改善は必要であると自覚のある現状業務への忸怩なのだろう。これから彼に待ち受けるのは、再発防止だのなんだのと弁明もままならぬ晒し上げの場だ。さすがに同情も湧こうものだ。
「把握しきれません。正直なところ」コウイチも窮した様子で肩を落とした。交友関係の拡大は、彼自身が率先してのことでは無い。それはこれまでの付き合いで理解できている。彼の親友ふたりこそが問題なのだ。「ユキヒトとタカシの人脈作りが制御できないんですよ。一応、今回は調べた上で動きましたから、大ごとにはならな──」
「成り果てたよ」ムーチェンが顰めた目元を押さえ言った。凍りつくコウイチを前に「回覧印に気付けなかったのだな、君は」と、げんなりした口調と表情で首を横に振る。
「……それって、どういう」
「どうもこうも──」たった今、秘書から渡されたのだろう控えの書面をそのままカリルトに突きつけ、受け取れと若干乱暴に振ってみせる。「カリルト、君ならわかるな」
訝るカリルトは、拒絶の意志を隠そうとしない。だが相手は一国の代表でもある。渋々と手に取る書面に目を落とし──つとあらぬ方向へと顔を上げ、目頭を摘んだ。気づいた、思い至ったことを悔やむようにも見える。
「あー……コウイチ、つかぬことを訊く」その声音は不快感が露わだ。「君らは、さて、どこに向かおうとしているのかね」
なにが記載されているのか気になり横から覗き込めば、気づいてくれたカリルトが書面をこちらに向けてくれる。あるのは書き殴りの、馴染みのある名がいくつかと──ひとつ、几帳面な書体で記されるパミーナなる人物は何者だろうか。響きからして女性のようだが。
「どなたなんです?」
問う先はカリルトだったが、
「ギゼルヘア殿下の御息女だ」応えたのは、俯いたままのムーチェンだ。彼の立つ場だけ照明が落とされているように錯覚するのは、それほどにことが重い現れか。「やんごとなきお方ではあるが、企業に勤めるいち社員の立場を弁えておられるから、このような書面に名を連ねるなどご遠慮なさるはずなのだが──」
「あ」
名を聞き考え込んでいたコウイチの声に、カリルトとムーチェンの顔が、ゆっくりと、軋りを挙げながら、向けられる。
そこにあるのはコウイチの、やましさに強張る顔だ。
「……すっかり失念していました。クロエ殿下の抑止にギゼルヘア殿下が娘を要職に就かせるつもりのようだと──タカシから聞いていましたが、あまりに雲上の話だったものですから」
「想定の、外か」カリルトの声に追及の音色は無い。「然もありなんとはこのことだ」
「あー……」ムーチェンの唸り声である。かろうじての取り繕いはどうやら、維持も面倒と捨て去る所存らしい。「いいよ、もう。王室と縁を得るなどと本来あり得ない話だものな。やらかすに至った背景は理解しているし──パミーナ嬢との面識は?」
「ありませんね。ギゼルヘア殿下も、タカシの叙勲で遠目にちらと見ただけです」
「するとあれか、悪くともタカシくんの親友に助力することをダシにされるくらい──ギゼルヘア殿下のやることだ。損切りを検討し直す必要が出たかな」
「なんならアンスヘルムさんに相談を──」
「やめて、ほんっとうにやめて」ムーチェンの切実でかつ悲痛な念押しだ。「もっと有り得ないからそのひと。侯爵閣下になんて出てこられたら、うちの国が沈むから勘弁して。大丈夫だから、お願いだから、手駒も苦労を想定して揃えてるから、これ以上なんにもしないで」
「……アンスヘルムさん、とは?」
見ていると、ムーチェンはテーブル越しにコウイチの肩を掴んでの嘆願に必死である。問いかけた先のカリルトも、痛々しいものを見る目で洞窟城領公子を眺めつつ「現時点では双王国いずれもの王太子より優先して、政務を取り仕切ることが可能なお方だ」と自身の胃のあたりを撫で続けている。「ギゼルヘア殿下、クロエ殿下の双方を諌められる立場と聞けば、ムーチェン殿の痛切さも理解できるだろう」
「話した、との事実だけで状況が動いてしまう相手なんですね」
こちらも肩が落ちる思いだ。封建領主たる役割保持をギゼルヘア殿下に強要される状況は、それだけでも辛かろう。そこへ双王国どちらからも睨まれることになりかねない助力を、守ろうとしている相手から切り出されるとはまさか思うまい。
「──新規事業立てたらどうなんですかね、コウイチさんたちは」
「それがありがたいな。居並ぶ方々があまりに殿上人に過ぎて、もはや付いていけん。蚊帳の外に置かれたことに感謝しつつ、できる仕事に専念するとしよう」言いつつ肩を回し、屋内に視線を巡らせる。「アルヴォにも話を聞きたいが、なぜ彼も不在なのだ。メンバー選定は彼で自らも参加するのであれば、欠席など考えられないだろうに」
「ビルギッタさんに委ねられたのではないですか」
素直に言えば、出向を控えた彼女が顔を出していたことには驚いていたのだ。こちらで家族を築き生活を営むビルギッタである。家庭を長期に空けるとなれば、しばらくは出社しないだろうと考えていたのに、その姿があったのだから。
するとコウイチが「アルヴォさんなら今頃」と口を挟んだ。「うちのザーシャと一緒になって、輸出資材の在庫確認に駆け回っているはずですよ。そもそも発注資材を空欄でデルグに回覧したのがことの発端ですし」
言いつつムーチェンに手渡そうとしている用箋挟は、遠目にも納品資材表だとわかり、内心でギョッとした。気づいているだろうカリルトも頷くのみで、無言で見過ごしている。物の行き来が発生していない現場で差し出すものではなく、まして受領するなど論外だ。つまりこれは──「証憑偽造の黙認を見過ごせと?」
「前提が検収調整と確定している以上は、工事工程表を改訂するデルグが泥をかぶるしかあるまい──原本はティアハイムに送付で良いのだな」
語末はコウイチに向けたものだ。
コウイチは頷き「納品書はアルヴォさんに回覧させますね」と平然と口にする。
「アルヴォには、これでもかと仕事をふっかけてやれ」カリルトもカリルトで、仮装隠蔽の実行を認め、当然のように教唆する。「運の悪さを嘆いてもらおう。自業自得だ」
「──脱税なら、私のいないところでやってくださいますか」
冷静を装う口調と裏腹に、実のところ内心は気が気でない。あいにくと誰ひとりとして応えてくれるつもりは無さそうなのが甚だ遺憾である。
「では行く」ムーチェンは机を挟んで身を乗り出し、コウイチの肩を叩いて、精一杯なのだろう笑みを浮かべてみせる。「現地に着いたら、イーヌォと会ってやってくれよ。あれも寂しがっていてね──ヨウアンも半端に期待させるようなことを言うものだから、宥めるのに苦労しているんだ」
「……その場しのぎになにを口走ったんですか、あの人」
「会えばわかる。次は洞窟城で」
コウイチたちの前でのムーチェンは、どうやら若い父親といった立ち振る舞いらしい。逃げる足取りでカリルトを引きずるように去ってゆく彼は、先入観を取り払って眺めれば、そこまで年齢を重ねていないように思えてきた。
──そういえば娘さんが年頃だと聞いたような気がする。
「……現場で合流するんだから、あたしも同席できないかしら」
ぼそりと呟いてはみるが、気後れなく要望など出せるわけなどなかった。
同席していた殿上人が去るや否や、待ち構えていた他企業の社員たちがコウイチの背後に列を成し始める。腰を下ろしたコウイチは、隣のヤミやカステヘルミに手振りで指示を出し続けながら、背後から回覧される書面を受け取り確認しつつ、飛んでくる質問にも回答対応する八面六臂ぶりだ。眺める立場からすれば、感心より先に怖気のようなものを背筋に感じる。
連続作業の隙を突くようにコウイチの注意が、つとこちらに向いた。
「えー……っと、久しぶりという感じは、正直しないね、ダフニーさんとは」
話しながらも自然と捌く慣れた様子が、なぜだろう、腹立たしく感じた。業務を彼に押し付けようとする周囲の面々にも苛々が募る。なによりもどかしいのは、コウイチ当人に負荷過剰な業務をこなす自覚がなさそうなことだ。
「ちょっと待っていてもらえるかな──カステヘルミさん、ソアダの議事録を準備して」
「現地入りするんじゃあないんですか」だから語気を尖らせてしまった。現場で合流できると内心、うきうきとはしゃいでいた呑気な自分が悔やまれる。「明日にも倒れそうな顔色です。どれだけ仕事ができる人材であろうと、現場で使い物にならないようでは困ります」
ツグミとやらは今、いったいどこでなにをしているのか。見渡せどティアハイムからの出席者はコウイチひとりではないか。直接の上司が負荷軽減に動かないなどどうかしている。
テーブル越しに身を乗り出し、彼の右腕を掴んでぐいと引き寄せた。案の定、肉質の張りが失われている。水分も不足しているだろう。かすかに痙攣も受け取れる。逆の手で首に触れるとコリがひどい。顎の後ろにある風池を中指で軽く押せば、それだけでコウイチは痛みに顔を顰めた。筋筋膜性疼痛症だ。
呆れに吐き出した息は、思ったよりも大きなものとなった。「随分、鈍りましたね」
「今日が終われば、出立までしっかり休ませてもらうよ」
そっと、ではあるが明確に拒否の意志を持ってこちらの手をほどき、コウイチが浮かべる表情は、ぬるりとした気まずそうな笑みだ。くたびれやさぐれて見えるその面差しに一瞬ときめいて──もとい信じられないものを見る目で返し、二度目のため息を漏らした。
「対面は『実践者』開発会議が最後で、しっかりとご無沙汰しています。連絡こそ取り合っていましたが──避けていたのですよね?」
「そういうことじゃあないよ。仕事に専念しないといけなくてね。サボっていたのは確かだから、申し訳ないとは思ってる」
──ああ「鈍った」との言葉への返しか。
「そちらの心配ではありませんが……まあ、いいです。謝罪はご自身の体にすべきでしょう。だいたい、業務量調整の話はティアハイムさんにも回っていたでしょうにどうなって──」
「あ、あのっ!」
言葉を切り割り込むのは、舌足らずな呼びかけだ。耳障りが不快だったものだから、反射で睨みつけてしまった。その鼻先に突きつけられたのは、議事録書面と小型の録音機である。
コウイチの隣に陣取るカステヘルミの、両手に支えられたそれらは微かに震えていた。
「こ、これっ、ソアダさん向けの、議事録で、その、未編集の音声、です、これ……」
小柄な容姿が肩を窄めておどおどとしているものだから、こちらがまるで加害者に回ったようで気分が悪い。彼女の視線が挑戦的なのも気に食わない。なにより、二の腕をコウイチに押し付け寄り添う仕草が意図的だろうが無意識だろうがよくよくあざとく腹が立つ。
──ていうか、なんか今日のこの子、いつもより乳盛ってない?
もとより端麗なカステヘルミである。だから当人の否応なく誰もの印象に残る。過激なまでの存在感を放つ乳など避けられぬ代名詞だ。
自身がどのように見られ噂されているかを自覚していただろう彼女は、それゆえ体型をゆったりとした衣類で覆い隠し、猫背で体を縮こませて人目を避け逃げ惑うのが常だった。
だのに今は、劣等意識もあっただろうその武器を堂々と誇示しているのだ。小洒落た装いは華奢な容姿によく似合っており、清楚を全面に出すメイクなど、もはや天晴れである。そんな姿でコウイチの隣にあれば、ようやく落ち着くところに落ち着けたかと周知されることうけあいであろう。
「……環境省さん」真っ向から相手にするのも馬鹿馬鹿しいが、上か下かを競う腹積もりであるのならば、なぜこちらが引かねばならぬのか。「森林保護官として参加するのでしたね」
書面を受け取りつつ机に手をつき身を乗り出せば、額をぶつけんばかりの距離となる。
「ひ」と小さく漏れた悲鳴と泳ぐ視線にムカムカする。いざ仕事となれば泰然と構えることもできる彼女が、なぜこうも感情を逆撫でする態度を選び続けるのか。
──おもしろく、ない。
今日だけで何度目になるだろうか、この言葉をぼやくのは。カステヘルミに向けたものではなく、不快感を抱くほどに彼女を意識してしまう、そんな自分に向ける焦燥の吐露だ。
これ以上は八つ当たりになる。だからもう引くべきだ。そうわかっているのに「その体たらく──」と言葉が口をついて出てしまった。「現場に不慣れなコウイチさんのサポートなど、あなたに務まるのですか」
「き」と、カステヘルミの喉が鳴る。しばし待てば「期待に添えま、す」などと消え入りそうな声が続いたものだから、鼻で笑ってしまった。
「期待?」嘲りの響きを込めてしまったことには反省してもいい。だが、おかしいだろう。かろうじて踏みとどまって、ようやく絞り出して、放つ言葉が、それとは。「今のあなたの、どこのなにに期待できると──」
「サコ姐さんは現地入りしているんだっけか」
割って入ったのはコウイチの強い語気だ。抑揚こそ落ち着いてはいるが、場を狼狽させるに充分な圧力を有していた。腰を起こしてそちらを見れば、普段と変わらぬ柔和なコウイチの顔がこちらに向いている。
「普段なら姐さんが顔を出すよね、こういう場は」
「──はい」やりすぎた、との緊張は表に出ていないだろうか。失態もいいところだ。これ以上に落ち度を晒す前に、場を去るべきかもしれない。「ですから、あたしがこうして。不服はあるでしょうがご容赦くだされば。コウイチさんもお疲れのようですし、そろそろ──」
「言わなきゃわからないかな。君に来てもらえて嬉しいって」
「──帰ひゅっ?」とんでもないカウンターに心臓が止まったかと思った。彼の困ったような面持ちも加われば威力も倍である。全く油断も隙もありゃしない。「そ、そりゃあ、そのいってくれないと、わか──ってあげないというか、それって……ずるいというか」
なにを口走っているのだか自覚もできずもごもごとしていると、
「実は朗報がね──なんだよヤミ」足元を弄りながらのコウイチの注意が、隣の補佐官に逸れてくれたから助かった。「なんかムカつくぞ、その顔」
「いやぁ……さすがですコウイチさん。先生と呼ばせていただけますか?」
「教師はそっちだろうになにを言って──ダフニーさん、はいこれ」
「そのうえ物で釣ろうだなどと──なんですかそれ」差し出される、手のひら大の板が二枚を首を傾げつつ受け取れば、羊皮紙のような質感だ。怪訝に裏を返せば貼られた制作銘板には、レッシナの社名に型番は空欄、そして品名は──「実践者っ!」
「の、試作評価品が出来上がったから持ってきた。楽しみにしてたよね。レッシナは今、基本設計の再検証承認待ち。一気にここまで来れたのは、ダフニーさんの提案が正解を引き当てたからだよ。さすがだね」
「ほんとにできたんだっ!」
声は弾み頬も緩む。唖然とこちらを見つめる衆人など構うものか。待ちかねていた代物が、こんなにも無造作に手渡されるだなどと、まさか不意打ちにも程がある。邪魔な議事録など机の上に投げ出し、評価品の上に指を滑らせ憑依認識記号を描けば、ばらりと宙に散らばるのは記憶構造体だ。目的の式列を見つければ、二本の指を滑らせ目の前に引き摺り出す。見開いた目で式を追い、込み上げる歓喜が両の拳を、腰に勢いよく引いた。
「よしっ、運転継続時間、期待値超えっ!」
「一〇度半原則で二〇度環境だと連続五分程度。もう少し伸ばせそうだけど」
「んーんっ、待機動作確認ですら限定環境だったもの、すごいすごいすごいっ、やったぁ!」
林立する複数条件は共存不可能で、妥協を容認しなければならないと諦めかけていたのだ。それを一切損なわずに試作にまで漕ぎ着けたのだから、無邪気にならぬわけがない。
「それで、空中結像の偏光変調と触覚伝達は違和感取れたの?」
「非接触触感の取り組みを棚上げしたら、すんなりいけたらしいよ」
「そか、実体だものね。触覚生成にこだわっちゃったのが盲点だったかも──部分変換しても構わない?」
「先に解体式で栞挟まないと演繹崩れるから、まず──」
「はいはいはい、待った、そこまで」補佐官ヤミの呆れ声が割り込んだ。顔を向ければ彼は「見て」と周囲へと注意を促す。「盛り上がってるとこ悪いんだけどね、時間切れ」
ふと気づけば、コウイチの周囲に屯していた行列は捌き終えて無人であり、見渡せば閑散とした講堂がそこにある。残るは片付けに手間取る少数名で、彼らもじきに姿を消すだろう。
「議事録情報は各社漏れなく手渡せた。入力機器も回収完了。あとは会場内に配置した掲示板の片づけで終了。撤収だよ」
居座るわけにはいかない。それはわかるが、展開した構造体の魅力から目が離せない。
「でも……コウイチさん、これ、いただけるんですよね?」
「そのつもりで二枚持ってきたからね。受け取ってよ──で」コウイチの微笑は少年のようで眩い。そんな彼が示唆するのは、机の上に散らばる議事録書面だ。「目的を忘れないように。あと、ソアダの入門許可に名前を借りたいから、帰社に同行させてもらっていいかな。チェスター社長に動作品試作と開発継続許可申請の承認を貰いたくて」
「一枚は社内評価用サンプルなのね。わかった。じゃあ、行こ」
「だから議事録と録音を忘れてるって」
失笑で指摘を受けても、議事録など試作評価品の価値に比ぶべくもない──とはいかないから引っ掴んで鞄へと無造作にねじ込んだ。サンプル二枚は大切に扱い、腰のワークポシェットにそっと仕舞い込む。しっかりと封をしたことを確認すると、恍惚に火照る頬を両手で覚ましながら、思わず虚空を仰いでしまった。
「あぁ……まさか形になるだなんて夢のよう。目処すら立たないと断言されてたのに」
「ダフニーさんの協力があってこそだね──ヤミ、とんでもなく助かった。お礼はいずれ落ち着いた頃に。出立前夜のウーゾ合流もよろしく。カステヘルミさんも──」
「あたしもっ、向かいますっ!」
「うん。ウーゾで待ち合わせだから遅れないようにね」
「ソアダにっ!」
自社の名が聞こえれば自然と、そちらに視線が向かう。カステヘルミが、ちらと視線をこちらに絡めたのは気のせいではないだろう。
「コウイチさんとっ、今!」
「あ、一緒に来るってこと?」
「お邪魔しても、構いません、よね!」
などと挑む視線を向けてくる──が、どうでもいいし、なんだっていい。
急いて落ち着かぬ感情を抑えつけるにも限度はあるのだ。顔を向ければヤミが、我関せずと緩やかに帰宅準備を終えようとしている。コウイチは若干の困り顔で動きを止めている。
だから「来たら?」とジリジリしつつ返したのだが、望む立場だろうにカステヘルミは、キョトンと時を止めた。ヤミまでもがギョッとした様子なのは、訝りはするが、まあ、知ったことではない。「いいから早くしなさいよ。急いでるんだから」
「は、はひっ!」
ワタワタと所持品をバックパックに流し込むカステヘルミから目を逸らし、腰のワークポシェットの上から試作評価品を優しく撫でる。
一刻も早く記憶構造体を解体したい。
その一念しか無いのだ。今は。




