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勤労の転移者ども ~努力すれども頑張れども、さりとて暮らしは楽にならず~  作者: ぺるでらほにてん
エールデランドへいらっしゃい──転移とジオード、そしてダンジョン
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零地点・其の六──伝来技術は是

文字数(空白・改行含む):12759字

文字数(空白・改行含まない):12107字

 ウーゾ庁舎は東寄りに位置する講堂へと向かう、ダフニーの足取りは弾んでいた。

 美容室でのカットが稀有にも満足ゆく仕上がりだったからだ。栗色のショートボブは、毎度に何かしらの不満を抱かされていたというに、これはどうしたことだろう。頬を緩ませ鼻歌を漏らすのも致し方あるまい。

 こうなると、今度こそ思い切って瞳の色も変えてみようかな、との思いが込み上げる。

 こちらの世界(エールデ)の美容医療には、なんと虹彩色素変化があるのだ。

 濃い茶色の双眸には、幼い頃から不満を強く抱いていた。ほんの僅かにでも淡くあってくれたなら、ここまでの切望は無かっただろう。

 就職して間も無くの頃だったか、瞳の色を変えられるとの謳い文句に釣られ、ふらりと医療相談に乗り込んだことがあった。訊けば治験はとうに終えて、規制機関も承認済み。診療科目の中でも一般的な施術になったのだという。

 のちに職場で尋ねて回れば、すでに処置を受けた知人がいたりもして、満足の旨を聞かせてくれた。加えて彼ら彼女らの瞳の仕上がりには、不自然さがまったく見られなかった。

 ならばと踏ん切りをつけて実体験者の一員に加わる衝動に身を委ね──られずにいるのは、施術後に尋常性白斑や結膜母斑の発生が報告されていると知ったからだ。手術である以上は合併症や後遺症のリスクは避けられない。それが実施例のうち極少数であるとしても、尻込みはする。

 そもそも色素を明るくするのと濃くするのでは、安全の軍配はどちらに上がるのだろう。なんとなくではあるが、色素を取り除くほうが危ういように思える──

 ──まあ……言うだけだし。ただ思っただけだし。

 などと考えつつ歩を進めるうち、廊下の隅に置かれたスタンド案内板が、審議会総会の案内表示を知らせてくれた。依頼主である洞窟城領主も姿を見せているはずの集まりである。だから物々しい警備員たちの姿がやたらと目立つ、厳しい警戒が敷かれている。

 首を傾げたのは、そろそろ閉幕だろうと見越して来庁したのに、緊張を緩めていない警備が続いているからだ。延長戦に突入でもしているのだろうか。審議会総会は詳細報告会でしかないと聞かされていただけに、会議の遅延などぞっとしない。

 若干おそるおそる進む通路を、折れる手前で足を止め、首を伸ばし覗き込むその先に目を凝らし見えたのは、開放された複数の扉から慌ただしく出入りする作業者たちだ。困り顔の警備員には同情を抱いてしまう。これでは侵入する者が不審者か否かの判別など不可能だ。

「終わって──るんだよ、ね?」

 騒然とする光景に気後れしつつ、屋内を観察できる距離にまで近づけば、講堂内を満たすのは喧騒そのものだった。各企業の社員の集まりで形成された島が、広さを存分に活用していくつも形成されていて、それぞれに浮かぶ大きな表示板を見上げ指し示しながらの怒号のやり取りが繰り広げられている。

「この後に及んで一体なにを──」と表示板が羅列する項目を斜め読みすると、坑道内への調査侵入に関する法確認、持ち込み資材の該非判定即時開示の各社可否回答の有無、新規発注を要する特定機器点検表の穴埋め──「今更っ?」

 現況調査出立予定まであと数日と差し迫った現状で精査する内容では無い。この光景はあたかも、寝かされていた業務が期日間際に掘り返されたかの如くの醜態である。

 かくいう自身も明日には現地入りするというに、なんたる有様か。

「決定事項の確認会って話はいずこ?」

 巡らせる視線が捉えたのは、洞窟城領主は子息のムーチェンだ。着座し渋面で睨め付ける先は机の上に積み上げられる書面の山。

 ついと注意をそらせば、彼のすぐ隣に座るのはデルグ(ギルド)カリルト(部長)だ。こちらもまた苦悶に顔を歪ませているのは、さもありなん。顧客同席の場に嘆かわしい惨状が展開されるなど、承認を通した立場では針の筵もかくや、痛々しいことこのうえない。だが仕様詳細をクラン(請負い)に丸投げする実情が顕在化した結果であるし、容認し続けた責任はカリルト以外に最終適任者など居はしない。ここは鎮座し続けても破らねば困る──

 ──のだけど、まずい。この状況は、かなーり、まずい。

 チェスター(社長)には意見したのだ。不参加は進捗が順調であると宣誓したも同然で、議事録受領は議事内容を全面的に支持するも同義だと。加えて、この騒動がなんであれ現地入りしているソアダ(うち)が頭数に入っていないわけがない。

 いっそ見なかったことにして逃げよう。そう踵を返しかけるが、遅延した会議を前に、間に合わなかったなどと理由づけできるはずもないと、つんのめりつつ立ち止まりため息を漏らす。

 その耳に、名を呼ぶ声が聞こえた気がした。

 振り返れば講堂中央あたりで立ち上がり、大きく腕を振る女性の姿がある。遠視用メガネを外して目を凝らすと、レッシナのノーラだ。

 捕捉されてしまった以上は退散するわけにもいかない。そんなわけで、ようやく意を決することもできる。思えば決定事項は覆ることなどないのだ。ならば詳細を確認してしまうが精神衛生にもよろしい──はずとしておきたい。

 ともかく人の流れに気を配りつつ皆の邪魔にならぬよう近づけば、彼女の纏う雰囲気に違和感しかないことが知れた。

 ノーラは身だしなみに人一倍気を遣う性分である。だのに、笑みに細められる碧眼は隈も相まって落ち窪み、肌に浮かぶ粉がもはや痛々しいと思わせる。生え際に地毛の金色が滲み現れる栗色の髪も、さていつからアイロンをあてていないのだか乱れ放題だ。その佇まいは取り繕えぬ疲労に覆われていた。

 見渡すと、彼女の周囲に屯する同僚だろう者たちのくたびれ具合も相当なものだ。屋内の喧騒も我関せず他人事、と不参加を決め込んでこれ幸いと気を抜いている。

「……手持ち無沙汰なら撤収しちゃえばいいのに──なんなのこの騒ぎ。まさかこの後に及んでちゃぶ台返しとかじゃあないわよね。久しぶり、ノーラ」

「久しぶりってほど──」声の届く距離に迫ったことで腰を下ろすノーラは、失笑気味に返そうとして、はたと表情を失い、虚空を見上げて暫し考え、すぐにそのまま突っ伏した。「──久しぶりだったわ。年を越す前じゃん前回会ったの。うっわ、どんだけ頑張ってんだろあたし……てかソアダさんは欠席じゃあなかったっけか。会議は始まって早々にティアハイムさんがぶっちゃけてこの有様」

「……うん、とっとと帰って寝なさいよ、あんた」

 いわゆる燃え尽き(バーンアウト)を危険視したソアダのチェスターとティアハイムのザーシャは、連名で個人業務の負荷軽減を提唱していた。それはクラン全体に周知徹底を促されたはずなのだが、見る限りレッシナには浸透していないとわかる。

 あまりの多忙に睡眠を削れば、マルチタスクの幅は限界まで広がり、とんでもない作業量を消化()()()()()()。これは単に自己制限判断を失っているだけで、ゾーン状態のようにパフォーマンスを引き出せているわけではない。口を衝いて出る言葉全てを、優先事項を判断できぬまま確認しようとする今のノーラは、まさにその状態だ。

 ノーラの隣の席を引いて腰を下ろし、彼女の、まとまりのない髪を手櫛で梳いてやりつつ「ソアダ(うち)チェスター(ボス)は抜けてるから。別工程業務のソアダは聞きに回るだけになるから参加したくないって欠席したのよ。稟議に回した作業範囲変動詳細の資料、今回の会議で話題に出されなかったでしょう?」

「それどころじゃあなくなったから──その稟議って人工(にんく)代、上がる話っぽい?」

「変位制限構造の形式見直しが急務って内容だし。自浄反応遅延って話だったのにムラがひどいのよ。支承が真っ先に鉱石転化しちゃって」

「あー……今更、それ言っちゃう?」ノーラはうんざり顔を、机の上に置く組んだ腕から僅かに覗かせる。「なんで出席してくれなかったかなぁ。現況調査の工期を遅らせてでも優先するネタじゃんね、それ。ソアダさんが言わなきゃ、他の請負の誰が口に出すっての?」

「失敗は欠席のほうだったか──ティアハイムさんがなにを()()()()()()って?」

()()()()()()、だよ──まあ、おんなじことか」

「どうせ、あの──」とまで言いかけつつ屋内を見渡したのは、名前が出てこなかったからだ。顔を見れば思い出せるかと探すのだが、なにかと目立つ行動と態度のティアハイムの御仁は不在らしい。「つぐ……つむ──ま、いっか」

「ああ、あの人じゃあないわよ。ほれ、あんたがことあるごとに名前出してる──」

 ん。とノーラが伸ばす腕の指し示す先にあるのは、コウイチの姿だ。

 実のところ、講堂を覗き込んだ当初から、存在に気づいてはいたのだ。あえて顔を背けていたのは、目が離せなくなると分かりきっていたからである。誘導なんてされたものだから、やはり視線は釘付けとなってしまった。

「──ダフニーあんた、むっちゃ乙女の顔してんね」

 ぼそりと呟かれた言葉に息を呑んだ。見ればノーラの、僅かに上げられた顔の目元がにんまりと笑っている。

「ぅ……るっさいなぁ」慌ててコウイチから視線を逸らし──体ごと引き剥がすような挙動になった勢いついでに、肩で彼女を攻撃しつつ「いつもってほど名前出してないもん」と抑えた声で反論するが、さてどれほどの効力があるものやら。

「自覚が無いって重症よねぇ」然程も有効にはならない反応でノーラは、呆れ顔でこちらの頬をうりうりと、人差し指でつついてくる。「その可愛いとこ、普段から出しときなさいよ」

「あたしのことはいいから」ノーラの指をその手ごと払い除け、お返しとばかりに彼女の二の腕へと拳をねじ込むように押しつけてやった。「で、コウイチさんがなにを言ったのさ」

「んとね──ご立派なのは計画策定ばかりで実態は頓挫」言いつつノーラの手が腰から取り出すのは、口紅大の口述録音機だ。操作に指を滑らせ耳に当てると咳払いをひとつののち「発注前受注に納品後追いで現品合わせの行動様式は、挽回責任を押し付けあう格好の場と成り果てた。遅延理由に再発防止の優先を躊躇いなく挙げるなど、よくぞここまで落ちぶれたものだとむしろ関心すら覚える。一方で下請けには凌ぐ猶予を与えず、協力意思すら欠落し、就業環境を阻害し続ける有様に忍耐も限度を迎えた。すでにティアハイムは協力の限界に達したとこの場で明言させていただく」

 と、長回しのモノマネを披露すると、半身を起こした。

「──とかなんとかずらずらーっと」

「最っ悪……」誇張なく、気が遠くなりかけたのは、全くもって嬉しくは無い人生初の経験である。化粧をして()()顔色は蒼白に見えることだろう。「ドタキャン宣言も同然じゃない。あたし現地入り明日なんですけど?」

「はいこれ録音」

 差し出されるままに受け取り頬骨に押し当てれば、鼓膜に響くは怒張に濁る威圧的な音声だから身を竦ませてしまった。

 コウイチは、必要とあらば容赦のふた文字を言動や行動から躊躇いなく取り払う。それを理解してはいたのだが──見れば彼方に座る領主嫡男(発注主代理)は、安堵に表情を緩ませてこそいるが、目元にはかつてあったのだろう憤りの痕跡が見て取れる。

「いくらコウイチさんが懇意にしてるって言っても」骨を通して今も流れる演説は、場に集う関連各位全てに真正面から喰らいかかる全方位攻撃だ。「まさか発注主が同席するこの場でやらかすだなんて普通じゃあないわよ。ギルドはどれだけ無茶振りしてるの」

「そんで勢揃いしてるクラン各位が泡食ってこのざまよ。だからいっそ、工程後ろ倒しになるネタあるなら出しといてほしかったなーって」

「こんだけベテラン勢が揃ってて、誰ひとり把握も想定もできてないなんてことある?」聴いていられず再生を止めた録音機を、ノーラに押し付けるようにして返す。視線を移動させた先のコウイチの顔には笑顔があった。周囲に屯する作業者たちと朗らかに談笑している光景を見るに、暴露演説にあたっての根回しは終えていたのだろう。「それに……仮にソアダ(うち)が出席してたところで、工程見直しを狙っての事故報告なんて出せないわよ。のちのち遅延責任が押し付けられちゃうもの」

「あー……原因がなんであれ、ってやつね。そりゃ他所様は知ってても、なおのこと言えないわ」

「それに、企業総勢を相手取って喧嘩をふっかける人は、遅かれ早かれ出てたでしょ」

「そんなのコウイチくん以外にぞろぞろ出てきてたまるもんですか──あ」ノーラの人差し指が天井を差し、視線はこちらに向けられる。「思い出した。()()()って人ならもっと上手くやれてたんじゃあない?」

「どうだろ」机に頬杖をつき、カリルト部長に目をやった。「本当にツグミ(あの人)()()()立ち振る舞ったなら、議事録が記される場で、ギルドを配慮義務違反に問うような状況になんてならなかったはず。だから」

 確証は無い。証明もできないのだが──あの人なら、やるだろうと厚く信頼できる。

「コウイチさんをあえて矢面に立たせたんじゃあないかな。顧客の目がある場でぶち上げたんだから、監督署も出張らざるを得ないでしょ」

「それは──」と失笑しかけたノーラの、頬が引き攣り強張った。「──労働基準を満たしていないと見做されたら、罰則適用は避けられないか……でも逆にティアハイムさんが業務遂行義務違反で訴えられたりしない?」

「しない」断言して構わない。「そもそも、要因であるギルド回覧の初回書面不備を、この場にいるクラン総勢が知ってるから。これ幸いと好き勝手やらせてもらえてた恩もあるけど、業務減少で見積もり見直しが入った昨今、その()()()()に割くだけの工数の余裕がクランに無いのは──」

「──よく知ってる。そうよね、コウイチくんに、余計なことを、なんて悪感情を抱く人は今や少数派か。初回仕様と発注書は庁舎に先行送付されてるから隠しようもないし……お、帰ってきたかな」

 促される先に振り返れば、大股の早足で講堂を抜けてゆく女性作業員の姿がある。彼女が向かう先はカリルトの席だ。なんとはなしに、彼女が腰の辺りから取り出した書面が、伸ばされた彼の手に移動するのを見守ってしまった。

 斜め読みする時間すら惜しいのだろうか。カリルトは書面を机に置くと同時に承認印を押して控を抜き、背後に控えていた作業者に手渡す。すると、直上正面に大きく広げられた表示板の項目のひとつが、赤から緑へと色を変化させた。

 赤項目は残すところ五列。企業ごとに集う個々の島では、成すことは成せて後は待つのみなのだろう作業者たちが、雑談を交わしつつカウントダウンよろしく、それを見上げている。

「──ま、あんたじゃないけど」

 声にそちらを見れば、伸びをしつつのノーラの笑みがあった。

「コウイチくんがまずい状況になりそうなら、あたしらも腰を上げるわ」

「……レッシナさん(ノーラのとこ)の勤怠管理は生体認証?」

「そうだけど、なんで?」

「なにかある前にティアハイムさんと今日の件、話しておきなさいよ。ギルドの就業環境阻害で口裏合わせとかないと。ノーラたち、長時間労働にひっかかるでしょう?」

「それは終えてる。コウイチくんの後ろに立ってるの、レッシナ(うち)課長(ボス)──早々にティアハイムさんに全面協力を確約したの」

 この場にあるのは主任格(ベテラン)ばかりだから、短納期対応や突発処理などお手のものではあるだろう。だからと言って、こんな無茶振りに従う義理は無いはずだ。ウーゾのヤミ(施工管理技士)の姿も見えることから、想像する以上の裏工作を終えているのかも──とまで巡らせた思考は、投げやることに決めた。わからないことは考えても仕方ない。

「……あたしが来るまで、なにやらされてたのよ」

「仕様を()()()()()()()()()これまでの蓄積って馬鹿にならないよねぇ……撫でろ」

「はいはい」

 言われるままに彼女の背を撫でつつ、屋内に浮かぶ表示板を順に確認してゆく。共有する情報を個々に編集しているところを見るに、コウイチが目指していたクラウド環境()()()の雛形くらいには形になったのだろうか。レッシナ敷地内を借りてオンプレミス環境を試験的に構築する計画がある、とまでは聞いていたが、クラウドサービス設備として社外接続に対応できるようになるのは、主に金銭面の問題で、まだ先の話のはずだ。

「そっか──実演訴求(スポンサー集め)の場も兼ねてるんだ」

「なにが?」

 開きかけた口が、ノーラを挟んだ向かい側にすいと現れる人影に噤まれた。

「もう少しで終わるよ」と加わる声は、ノーラの同僚(レッシナ)で、長期間にわたり現場の第一線で在り続ける、ベテラン職員のビルギッタだ。「ノーラのおかげで残すは調達課の返答待ちになったよ。お疲れ様」

「ビルギッタさん、ちっす」ノーラは背もたれに崩れ落ちるようにだらしなく胸をそらし、そのままずるずると体を滑り落としてゆく。「お役に立ててなによりっすけどね……二度とごめんなんですけど、こんなの」

「まあまあ、そんなに腐らないでよ」

「お久しぶりで──」密かに憧れを抱く人物の登場であるから、声が弾むのを隠せない。ところが、上げた視線の先にあるビルギッタの頭部に顔をこわばらせてしまった。「──どうしちゃったんですかその頭っ?」

 ほぼ丸刈りの頭だった。彫りの深い顔立ちで、鍛えられた長身の体躯だから、似合っていないわけではない。存在感はいっそ頼りがいを増したようにも感じる。それにしても思い切りが良すぎるではないか。烏の濡れ羽色もかくやの美しい長髪は羨ましくもあったのに。

「おひさね、ダフニー」だがビルギッタはあっけらかんと言うのだ。「こないだ、思いっきり機械油かぶっちゃってさ。この際だからってんでバリカンでガーっと」

 夫と子のある立場のはずだが、年嵩を全く思わせない若々しくも眩しい笑顔である。坊主頭も、当人が気に入っているようであれば、もはや言葉は無い。

「いるって気づけなかったじゃあないですか──かっこいいですけど」

「ありがと」さらりと受け流す貫禄はさすがである。「ほら、ノーラ、しゃっきりしなさい。代替案も一緒に提出()してるから、これでしばらくは楽になるはずよ」

「依頼主同席は原価追加計上も早くて助かりますねぇ」ビルギッタに撫でられるノーラは、衆人環視も意に介さない、見事なまでの甘えモードだ。「あ──終わります?」

「なのかな」

 促されるままに再度、表示板の群れに顔を上げれば、残されていた赤字が一斉に、一列を残して緑色へと変化する。失笑気味の落胆の声が漏れるのも仕方あるまい。

「こういうとき」ビルギッタが伸びをしつつ言った。「企業が密集しているのは便利だね。走ればすぐだから」

「その気になれば、でしょ?」席に、ようやくしっかり腰を据えたノーラが、荒んだ表情で()()()を吐き出す。「自分らができるからって軽々しく押し付けないでほしいわ」

「──ねぇ、ひとついい?」直接に出向いての確認作業で時間がかかっている。だから顧客も含めて待機している。疑問はないのだろうか。「個人通信機を普及させていたら、こんな無駄な時間を過ごさずに済んだんじゃあないの?」

「「やだ」」すると、ふたりは、こちらの言葉尻に食い気味の否定を口にした。ノーラは「そこらに浮かんでるチャットていうかメール類似品だけでも充分じゃん」などと、その類似品こそ別個機器が情報共有を果たしている事実に気づいていない様子で、ビルギッタも「無くてもこうして業務が進んでいるわけだしね」と遅滞を支障に数えない立場を表明する。

「なんでそこまで忌避しちゃうかな──確認に走らなくても良くなるのに」

「ダフニー、いいこと?」と、ビルギッタがこちらの背に回り込んで肩を揉んできた。「即時に回答を得られるってことはね、能力以上の労務に追い立てられるってことなの」

「そそ。今のままでいーの──これ以上、忙しくされてたまるかっての」

 ──いいの、かなぁ。

 会場内にちらほらと混ざる現地採用職員は、この無駄な待ち時間を通常業務の一環と、粛々と受け入れている。かたわら転移者たちには、どこか呑気な気配が漂って見えるのは、はたして穿ち過ぎなのだろうか。

「時間の問題だと思うけど……まあ、電話もファックスもポケベルも飛び越えての個人所有通信機器だなんて、想像もつかないか」

「そういやあったね、ファックス」反応するのはビルギッタだ。「私が学生の頃は現役だったかな。スキャナ取り込みのメール添付に取って代わられるまで、けっこう長かった気がする。でかい図体の複合機はずっとあったけれど、コピー専用機に成り果てちゃっててさ」

「使ってた使ってた」ノーラも、懐かしさからの笑みを浮かべる。「元データがマイクロフィルム化ってのもありましたよね。アパーチャーカード(そこ)から印刷した図面をハサミとノリで図画工作して」

「そっちは今でもあるんじゃないかな。磁気とか光学保存は、ほら、読み取りドライブが先に無くなっちゃって倉庫にメディアが山と積まれてたり」

「なんとかデータ取り出しても情報を別媒体に移すとなると、目視で手作業になるとか」

 マイクロフィルムなる単語は、古い映画だか創作物でしか耳馴染みの無いこちらとしては、二人が共有する時代の作業など想像しようもない。

 またも置いてけぼりにされた心境で「カメラの映像にある文字を転記(コピペ)できない時代って、大変だったんでしょうね」と、回答も反応も期待せずに呟いてしまった。

「「うそっ!」」異口同音なるはふたりの叫びだ。

 見ればこわばり凍りつく形相が並んでいて、思わずたじろいでしまう。「え……っと、なんなの?」

「あっち今、そんなんなってんのっ?」「待って、え、その──え? 待って? 何年? あたし今、何歳?」「年齢はダメよっ、そこに触れちゃあダメ!」

対処(フォロー)が難しいなぁ……」揃って狼狽する光景を前に、なんだか周囲にある作業者たちにも動揺が走っているようだが、さてどうあるべきか。「書庫のデータ化が主流になってた時点で、手書き書面を自動読み込みする技術は遅かれ早かれ出てきたでしょうし、採用されたら発展も早いわよ。それまでもファイル名称でソートかけてたんじゃあないの?」

「そんなん引き出し開けて指で探してたっての。みんな好き勝手な名前つけるから、おんなじ内容の別名ファイルぞろぞろあったりしたし」

「うわぁ……新しい転移者()が来るの怖くなったよ。向こうの最新技術が採用流通されようものなら、ついていけそうにないかな」

「ずっと言い続けてましたけど、あたし」またそれを言うのか、と、座った目にもなる。「知識と経験の優位性があるうちに、とっとと技術を採用しちゃいましょうって。独自進化の制御を握っておけば、ついていけなくなることもないでしょうし。このままだと、新しい環境を否定するばかりで覚えようともしない老害に成り果てますって」

「老害いうし」とはノーラだ。

「言うわよ」この話題は、類似も含めればなんど繰り返したのだか、数えるのも面倒だ。「受け入れる側が否定するのは仕方ないわ。どれだけ利便性が高まろうと、将来的なコストダウンよりも現状のロスを避けたいから環境変化を見送るとか、それ以前に段階を踏まない技術を一足飛びに持ち込まれることに不安しかないとか、採用に倫理的な不快感があるとか色々ね。でも提供できる側が出し渋るってのはおかしくない?」

「忙しくなるのがやだって言ってんの。それに偏見かもしれないけどさ、やっぱ、あたしらの世界の技術のがすごいと思うのよね。こっちに持ち込んで進化発展なんて──」

「──するかな」見ればビルギッタが、人差し指を下唇にあてて小首を傾げていた。「エイジングケア。基礎化粧道具はコッチのが手軽な上に、ぶっちゃけ進んでるよね。保湿までいっぱつで持ってけるのが、とんでもなく楽」

 するとノーラは「化粧品は確かに」と渋々ながら認めた。「レッシナ(うち)の化粧水と美容油の生産が追っ付かなくて、営業部が悲鳴挙げてた」

「そっちの部署権限で手に入ったりする?」ビルギッタはぐいとノーラに顔を寄せ、訊く。その顔にはゆとりの無さが()()()()と滲み溢れている。「品薄続いてて店頭に無いの。どうにか融通できたらありがたいんだけど」

「無理言わないでくださいよぉ。あたしだって買えてないんですから」

「ダメかぁ……」ビルギッタは空いた席に腰を下ろし、しゅんと肩を落とした。「ところで、どうして金物屋のレッシナ(うち)が化粧品に手を出したのかな。飲食のソアダさんならまだしも」

「知んない。そっちの部門じゃあないし」

 ──科学製造業が化粧品に手を出すのは、そこまで不思議じゃあないけどね。

 とは思うが、あえて口は挟まない。理由を知りたいというより、話題のひとつで振ってみただけと理解している。ネタを掘り下げられても困るだろう。

 ただ、化粧品の話題だけに参加はしておきたい部分はある。レッシナ製が枯渇して久しくも対岸の火事であったのは、好んで使用するのがお隣のルシュはリジェカ製だったからだ。ところが先のダナーリーの不祥事が、本来なら無関係のはずのリジェカに飛び火してしまった。業務の大半を引き継ぎする羽目となったリジェカは、やむなく自社物流の制限で対応せざるを得なかったようだ。結果、店頭に並ぶ品目はレッシナほどではないが、リジェカ製もかなり寂しくなりつつある。

 ふたりなら代替品にも詳しかろうとは思うのだが──

「──ふたりがかりで来られると、圧がなぁ……」

 との呟きは、大会議室を埋める大きな拍手に掻き消された。

 ノーラが「完遂?」と顔を上げ、

 ビルギッタは「みたいね」と両腕を真上に伸びをする。「これで堂々と帰社できる──そういやダフニーはどうしてここに?」

「議事録を貰いに。コウイチさんにお願いしたらいいのかな」

 そう応えると、頬をつつかれた。見ればノーラの悪戯っぽい笑みがある。

「コウイチさんと話したかったから待ってました、って素直になったら?」

「黙っててよっ、もうっ!」

「あらあら、仲のよろしいことで」ビルギッタは自身の頭をゾリゾリと撫でつつ、今さっきおろしたばかりの腰を上げた。「だったら急いだ方がいいね。あれだけ仕事のできる人だから、移動するのも素早いよ、たぶん」

 ノーラが「ビルギッタ姐さんは、コウイチくんと前からの知り合い?」と問うと、

「昨日の顔合わせが初」と、ビルギッタは若干の引き攣る笑みを返した。「判断の速さが好印象ではあるのだけど──油断すると仕事をねじ込んできそうな気配がね、ちょっと怖いかな」

「あー……」ノーラも口元を笑みの形に歪め、冷めた目をコウイチに向ける。「今日の会議でそれは理解できちゃったかな──で、なんかまとわりついてるちんまいの、誰すか?」

「環境省で森林保護官やってるカステヘルミだけど──」

 人の往来が集中し、こぞって情報が持ち寄られるコウイチのある場は、本会議の(かなめ)と一見してわかる。なにかと視線が注がれる空間であるのは当然で、両隣には彼の補佐あるいは関連業務担当が陣取るのが道理だ。傍らに補佐官の資格を持つヤミがいるのは納得なのだが、逆の側に鎮座する森林保護官はさて、どう役立つのかわからない。

 そこに座るのは違うだろう、との疑問は眺める面々全員の総意であるようだ。なにせ、白金の髪に灰色の双眸を持つ小柄な美少女である。()()()()と視線を泳がせるその様子は、近づくのも憚られる雰囲気を漂わせる。せめてなにかしら作業のフリでもしておけば良いものを、緊張の面持ちでコウイチの腕に擦り寄る形で凍りつくだけの、文字通りの置物状態。となれば見えざる壁に取り囲まれたが如くに悪目立ちもする。

「──あそこだけ、ぽっかり浮いちゃってるねぇ」

「あの子は仕方ないよ」ため息も漏れてしまう。素直に言えば、そこに陣取られるのはおもしろくない。だが不請する他ない相手である。まったくもって、おもしろくない。「当人の意思と裏腹に男性を寄せちゃう子だもの。コウイチさんの隣にいるのは賢い選択──」

 はたと半身を伸ばし、周囲を見渡した。今日は平和だなとの疑問符はあったのだ。コウイチの側に異性の存在があれば黙っていないだろう人物がひとり、思えば見当たらない。

「──あの女の姿が無いのね」不機嫌顔の自覚はあるが、そこまで感情的になったつもりはなかった。

「急に怖いのやめて」応えてくれたノーラの顔は、引き気味で青褪めていた。「シンイーなら初っ端からいなかったよ。現況調査のメンツに選ばれてないのにいるわけないじゃん」

「呼ばれてもないのに居座るのよ、あの女は」

「ああ、見かけたよ昨日」あの娘がそうなのかな、とビルギッタが記憶を見上げる。「なんか妙に隙の無い、ボディーガードみたいな、表情に乏しい子──険悪だったりするの?」

「向こうから吹っ掛けてくるんですよ、喧嘩。一方的に」だからこれは防犯意識だ、とまでは言わない。ただ「ちょっと話してるだけでも睨みつけてくるし、コウイチさんも迷惑()()()し、注意もされてるはずなのに不機嫌隠そうともしないし、なんなのあれ」くらいの愚痴は零させてほしい。

 するとノーラが首を横に振りつつ「わかってて彼に近づくのも、肝が据わってるってのかなんてのか」とビルギッタと顔を見合わせた。「シンイーの、こっちの言語が不得手なのが拗れた要因に思えるけどね、あたしは。いちど腹を割って話してみるとかできない?」

「なんで、あたしから歩み寄らなきゃなんないの」なんだろう、ノーラとビルギッタの視線を交わし合う様子が意味深に見えてモヤモヤする。下手に出ない方が悪いみたいな言われ方をなぜ、されなければならないのか。「初手から剣呑な相手にお追従でもしろって?」

「まあまあ」ビルギッタが、すると顔をぐいと近づけ、ウインクをひとつ投げてきた。「コウイチとの接点をこれまで持たなかったから、出会わずに済んでいた相手っぽいね。今後の参考にさせてもらうよ。大変だろうけど、仕事だと割り切りな?」

 最初からそのつもり、と()()()()()()つつ頷けば、背を叩かれた。

「ほら、コウイチが帰り支度始めたっぽいよ。行った行った」

 どうにも釈然としないが、目的が空振りに終わるわけにもいかない。

「ん……じゃあ、コウイチさんのとこ行く。ビルギッタさん、お疲れ。ノーラも、また」

「ああ、現場で会ったらよろしく」

「またね、いってら」

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