零地点・其の四──逃れ得ぬ業務
「はーい、長い時間お疲れ様でしたー」
朗らかな口調での宣言はヤミのものだ。同時にコウイチは、カステヘルミと共にぐったりと脱力してしまった。
簡易と表現されているとはいえ、現場への入場者教育である。履修の課程に手抜かりなどあろうはずはない。ましてこの世界は講義の密度が全般的に、只事ではないほどに濃い。情報の積み上げに容赦はなく、解きほぐす猶予などろくに与えられぬまま開始される討論は、自ら放つ言葉ですら見失わせるほどに混迷する。それは惨状となんら差し支えなく言い換えられるだろう。事実、精神疲労は耐え難い水準に陥っている。
天井を仰いで暫し、つと隣に目をやれば、机に突っ伏すカステヘルミ嬢の姿がある。前方に投げ出された両腕の間に小さな頭が収まるその姿は、それだけで愛らしく見えた。眺めることで癒しを得ていると、
「あ、頭が」彼女からくぐもる声が聞こえてくる。「ぼわんぼわん、してます。覚えているんだか、どうなんだか、まったく自信ありません、です」
「俺も同じだ……ちゃんと身についているのかな、これ」
エールデの鉱業は確立した鉱床保持手段により、採掘量が安定維持されている。ゆえ、第一次産業の印象が色濃い。だが位置付けは転移元と同様の第二次産業だ。思えば、資材生成と加工、製錬と精錬までをも含む複合業務なのだから予想して当然ではあった。講義内容の大半を占めるのは安全衛生管理であり、試掘や採掘に伴う建築技能も加わるとなれば、要綱範囲は鼠算的に拡大する。
のみならずダンジョンの性質である。採掘により欠損した質量を、人体などの生体を含んだ代替資材を用いて転化再生しようとするダンジョンであるから、必修知識として初期症状を早期に自覚他覚する作用機序も範囲のうちだ。労働継続時間の制限など無論のことだろう。
それらの履修が大変だろうことは、ぼんやりとはいえ理解していたつもりではあったのだ。だが見積もりが随分と甘い認識だったとの痛感が、終えた今、ある。
書き殴りに汚れた書面を顔の正面に掲げ、視線で復習がてら斜め読みすると「案外──頭に入ってるもんだね」と自分を褒めたくなった。直後、ふとした疑問にカステヘルミへと問いかけを向ける。「カステヘルミさんは、更新だからまだ大丈夫じゃあないの?」
「現場入りすると、だばだばーって漏れて、流れて、無くなるん、です」
「……まあ、実地で上書きされる部分もあるだろうしなぁ。自国語が許されていたら、多少は楽だったとか」
「それは人による、かなぁ」応えるのはヤミだ。肩をすくめ失笑する姿は、どうやら同じような思いを一度は抱いたのだろうと思わせてくれる。「転移者たち多国籍の複数名がたむろする現場で、初対面はもとより途中合流も珍しくない、となれば結局は共通語に頼らざるを得ないのが実情だから、自国語はむしろ邪魔になるかもよ」
「それもそうか。自国語でも専門用語いっぱつで思考が止まりますものね」
「それを踏まえた上で」とヤミは、机を挟んだ向かい側から身を乗り出し、右手を差し出してくる。「現場入り初回のコウイチくんには補佐官が同行するよう義務付けられている。洞窟城領現況調査参加が確定なら、誰あろうこの俺。よろしく」
「それは正直、本当にありがたいですよ。こちらこそ」改めての握手は安堵から、若干に力のこもるものとなった。出会ったばかりではあるが、話すに気兼ねなく接する相手と把握を終えている。重ねて、講師もこなせる現場経験者の補助が得られるなど願ってもない。「業務工程は頭に入っていても、立ち振る舞いまではわかりませんからね」
「コウイチくんは建前上、監察の役割となるから、基本的には立ってるだけになるけどね。ともかくこれにて教師と生徒の役割は完了したわけだし、これからは口調解禁タメ口でよろ。カステヘルミさんもね。同年代だから敬称も取っ払ってくれて構わない」
「いやそれは──」所属が異なり、教えを請う立場は継続するのである。加えて、同僚であっても業務となれば一線は引くものだ。「就業中では、そうもいかないでしょう。せめて現況調査を終えてからとしませんか。それなら周囲にも察してもらえますし」
「なあなあになろう、とは言っていないよ。危険現場では、情報伝達がなにより優先される、その訓練の一環と考えてほしいかな。もちろん、ことがいざ起きれば事務的が望ましいのは間違いない。が、遠慮や配慮が優先されるのは避けたいんだ。それに、君らが調子に乗る人柄じゃあないと見込んだから言っているんだ。だからお友達からお願いしゃす」
──それが敬語でも、言いたいことは言えると思うけどな。
とはいえ、これだけ熱心に言ってくるのである。固辞するのも失礼だろう。少なくともこの場では受け入れるのが無難か。
「では友人のヤミくんや。教育修了証と受講証明書は、明日の午前には準備できるのかね」
「遅くとも明日の昼にはお渡し仕り候──なんならティアハイムに送付しようか?」
「いや、それは困るんだ」力無い笑みを浮かべて、遠い目を虚空に向ける。見えぬその先に描かれるのは、ツグミの胡散臭い表情だ。「明日、ここで開かれる会議への出席で提示しなきゃいけないからさ。カステヘルミさんも、だから今日だったんじゃないの?」
「明日?」ヤミも、こちらが見上げる先に視線を向けるが、そこにあるのは天井と壁の繋ぎ目だけであろう。どこからともなく取り出した手帳を、親指だけでパラパラ捲り、見当をつけたあたりで顔を落とす。「まさかギルド主催の、洞窟城領主を交えた、関連企業一斉参加の審議会総会のことだったり──カステヘルミさんとエルノがいるのはわかるとして、なんでコウイチの名が出席依頼にあるのさ」
目的の箇所で指を止めたヤミが、妥当に顔色を失っている。業務負荷から思うに代理を立てるのが常例であろうし、なにより指導する補佐官ヤミが出席するのだから、実業務で監察の役割しかないコウイチの出る幕ではない。それは出席名簿作成の時点でわかるはずで、ヤミが愕然とするのは真っ当な反応ではある。
「いやあ……お仕事が終わる目処がまるで立たないから、出ないわけにはいかなくって。発注書と仕様書の履歴更新が留まるところを知らない──カステヘルミさんの出席は、環境省の立場からだった?」
「もっ、申し遅れましたっ、森林保護官なる役目を拝命しておりま、す!」
素直な驚きにヤミを見れば、知っていたのだろう頷きで返された。「常々、オドオドとしたところを無くさないとマズいと注意しているんだけどねぇ……俺が指導できる立場のうちに改善できたらいいんだけど」
「ちょっとどころじゃあないエリートじゃあないか」見るにヤミは地位に執着がなさそうである。必要となれば役職を得るタイプだろう。一方でカステヘルミの就く森林保護官は事実上、幹部候補の足がかりとされている。カステヘルミがヤミよりも、当人にその欲求が無くとも先に昇進するだろうことは確定だ。「採掘資源の調査立会人だったとは」
「け、けどけど、修了証失効してたので、その──」
「珍しい話じゃあないっぽいけどね、そういうの」
ギルドのダリオが出社停止指令を受けていたのは、同じく教育修了証の未更新によるものだ。結果、体制台帳がティアハイムに回覧されないままに下請け業務が先行する、などという禁止行為が発生、現在に至るも先行業務を吸収しきれずに継続している。
納期遅れの回避のためには、関係者各位一丸となって検収を期限に帳尻を合わせる工作を施すしか無い。金額を含めて相当に派手な動きであるのに、今のところ国家地方警察に追及されていないのは、検収後に入るだろう警告指導でおそらく、手打ちになるよう話がついているのだろう。
そんな隠蔽工作の一翼を担う立場に置かれたコウイチであるから、当日に間に合うようこうして講義に参加しているカステヘルミの姿は、その目に随分とまともに映った。
「ああ、ダリオさんのことだろ、それ」察したのだろうヤミの言葉には、隠しきれない疲れが宿っていた。「あの人は毎度、テンプレ回覧で修正改善報告待ち前提のトスしてくるから、印象が悪いんだ。その割に、仕様はまずギルドから、とか言い出して改訂は遅いし」
「使用制限指令の規制物質該当品を羅列しといて、なにを言っているのだかって話だよ。妙な体裁なんぞ捨てて白紙回覧してくれた方がまだマシで──」とまで愚痴をこぼしたところで、はたとした気づきに顎のあたりをさする。「──投げ返した追加原価請求を、きっちり計上してくるのは、さすがではあるか。納期調整にも隙がないのは管理責任を問われるからかな」
「あの人のことはさておき」ヤミは、教卓へと移動して片付けを始めつつ言った。「間に合わなくなるって、現場じゃ無くて明日の会議の入場許可の話かよ。修了証発行が遅延でもしようものなら工程全般が停滞するなんて、綱渡りも極まったな」
「納品リードタイムが確認できてない資材がまだあるんだよね。ソアダの回答は遅いし。全社合同なら、その場で見積もりでっち上げてもらって発注書の回覧まで突っ切れるかなと」
「いや、そのくらいなら俺が動くからさ、出なくていいって」
「むっ、無理はダメです!」
黙って聞いていたカステヘルミが、とうとう口を挟んだ。見ればこちらの袖に縋り付くようにして、上目遣いの顔を寄せてきている。その距離に思わず引いた顎の下、喉元に彼女の手が触れるのを許したのは、虚を衝かれたからか。
「ほら、期外収縮出てるじゃあないですか。睡眠が足りてません。健康管理が確保できていないのなら、参加許可なんて許しませんよ」
──職務となると、はきはき話せるんだな、この子。
「本当に無理なら」笑顔を向けようとしたのだが、カステヘルミの双眸から向けられる、あまりに真っ直ぐな視線に、ついと顔を背けてしまった。喉から彼女の手を外しつつ「工程調整の荒技繰り出すからさ、できるところまではやらせてくれないかな」と辛うじて伝えた。
「ダメだこれ、聞く耳ないわ──」肩を落とすヤミが、机を挟んだ向かいの簡易椅子へと、いささか乱暴に腰を下ろす。「──仕様の一部、俺に回して。レッシナ分なら、このあと来るアルヴォさんに話をつける。明日の会議で必要な情報を全部出してくれ」
「なっ──」カステヘルミは両手で机を叩き、その勢いのまま立ち上がる。「なんでヤミさんまでがコウイチさんを参加させようとしちゃうんですか!」
「コウイチくんの言う荒技で得られるのは時間的猶予じゃあなくて、複数名の共犯者の確保投入でしかないからね。回っていないからと人だけ増やされて、分担と指示なんて余計な仕事を上乗せしてくるってこと。そうなった際にもうひとり」とヤミは自身の胸を親指で差し「業務指揮できる人間がいれば、負荷を軽減できるだろうね──まあ、そうなる前に、とっとと終わらせて楽になろうか」とこちらに向けて呆れたように笑った。
「大丈夫よ」
そこに口を挟んできたのはカルラだった。座席を選り分けるように近づいてくる彼女の表情は、見るに見かねたといったそれだ。隣に腰を下ろすと、机の上についた肘の先の両手を組んで顎を乗せ、小首をかしげるようにして微笑を浮かべる。
「王室法案で一躍時の人の、話題沸騰コウイチくんを投入するには場所が悪すぎるもの。動静監視にあたしが出張ってる状況を鑑みてよ」
「かこつけた別件来訪じゃあありませんでしたっけ?」
「理由に通る時点で、あるも同然。実際、良からぬ輩が君と接触しようとするのをどれだけ牽制してきたことか。ここにこうして待機しているのもその一環よ。だいたい──」言いつつカルラはがっしとこちらの頭を抱きかかえて、わしわしと頭を乱暴に撫で回し始めた。「──自分を低く見積もりすぎ。あんたに万が一にでもなにがあれば、ムーチェンさんをはじめ、どれだけの偉い人たちが血相を変えることになるのだか。それをいいかげん理解しなさいね」
「えと……なに?」両目を見開き両手を口元に当てるのはヤミだ。「コウイチくんてば、まさかの結構な要人だったり──」
「しない」コウイチとしては、著名人と顔馴染みであるだけでしかなく、それで立場が苦にも楽にも悪くも良くもならないのだから、せめて迷惑をかけないようにと心掛けるだけのこと──では、あるのだが「友人たちがね……なにやらえらい勢いで質も量もありえない人脈を広げてくれちゃって。そろそろ手心が欲しいなと祈り始めたところだったりしてる」知り合いだというそれだけで、無闇矢鱈と面倒ごとがまとわりついてくるのだ。「有名な人たちと懇意にさせてもらうことが、羨ましがられたり敵視されたりと碌な目に合わない、いや本当に──ヨウアンさんやムーチェンさんは頼りになるし、出逢いには本当に感謝してるんだけれど」
などとくたびれた笑みを顔に貼り付けていると、カルラが「よしよし」と背後に回り込んで抱きしめてくれた。背に押し当てられる革鎧が硬くて痛いのが残念極まりない。
「承認欲求を満足させるのに他人の名声や地位を欲する人、少なくないものね。あまつさえ法案に選ばれたせいで贔屓されていると妬む人も出てきているし──でも安心して、アルヴォはコウイチをメンバーから外すって言っていたわ」
「そこで残念なお知らせなのだが」
渋い男性の声が、場に新たに加わった。振り返り見れば、開け放たれたままだった扉半分、その上下左右をぎりぎり埋めないほどの巨漢の姿がある。
「コウイチくんの参加が、ツグミに押し切られた。申し訳ないがコウイチくん、このあと時間をもらえるかな。明日の合同会議出席の前に参加者全員との顔合わせを──」
「──どういうことよアルヴォっ!」「痛い」
初っ端にこちらの背を半ば踏み台としたカルラは、幾列もの長机を八艘飛びもかくやとばかり踏み越えてゆく。どうやら彼がアルヴォらしい、その巨体に物怖じもせず壁に追い詰める様子をため息で眺めやりつつ「知ってた」と我知らずぼやいてしまった。抑揚も消えようものだ。
「……まあ、ツグさんがわざわざウーゾくんだりまで足を運んだ時点で、決定事項だったんだよな」




