零地点・其の二──取説の売買店
もとよりコウイチは異性が苦手な質である。加えてこちらの世界に来ての約二年で、明け透けな好意を向けてくる女性それも複数名に連続遭遇してしまい、それら全ての状況をうまくあしらい損ねていた。そんな悔恨を順当に積み重ねて成り果てたのは、異性にすっかり身構えるようになった性分である。
せっかく接してくれるのだから、せめて不快にさせまいと言葉を選ぶよう心がけてはいる。だが、さて凌ぐとの意味合いではどれほどの効力が発揮できているのだか、思えばいささかならず憂いに沈む。気の利いた会話で場を繋ぐ、そんな技能はどこに向かえば買えるのだろう。ありものを磨こうにも、そも持ち合わせが貧相どころか皆無なのだ。空っぽな収納を天板地板までツヤツヤに洗浄したところで、得られるものは満足感か達成感と形なきもの実のなきもので虚しい限り。販売店を紹介してくれた者にならば、出来うる限りの便宜を図るのもやぶさかではないのだが。
タカシやユキヒトからは、考えすぎだと指摘を受ける。事実であり、その通りなのだろう。だがもし、こちらの不手際に気を遣われていたならばと考えてしまうと、申し訳ないことこのうえない。で、あればいっそ、退屈な男なのだと失望に一蹴される立場となるが幾分──否、随分とマシだ。聞いたタカシには呆れにくたびれた笑みを返され、ユキヒトには「つまらない男と称されるには無理があるだろ、コウイチは」と大きくため息を漏らされたが。
「──そんなこと言っていたら仕事にならない、とはわかっているんだけどね」
せめて初邂逅は複数名であってほしかった。
などと思い倦ねるままに妙案も出ないまま、第七会議室の正面である。両開きの扉は片側が開け放たれていて、覗ける屋内は煌々とした灯りに満たされている。見える範囲を体を伸ばし確認するが人影は無い。気配があるようにも思えず、首を傾げながら二歩ほど踏み込んでみるが、いく列にも並ぶミーティングテーブルがあるだけの無人の空間だ。
机の影にでも隠れていたりしないかな、と閉じた側の扉の裏に横移動。ノックしてみようと後手に下がりかけた、その時である。
「はっ、はじめまし、て!」
「どぉっ!」
全くの背後からの唐突な大声に、思わず弾かれたが如くのけぞった。その挙動のままに体ごと振り返れば、小柄な娘が真後ろの扉の裏に忽然と出没していた。否、こちらが気付けなかっただけで、彼女は初めから扉の後ろで待機していたのだろう。そこへ大きな図体の背中が迫ってきたのだから声も張り上げようものだ。
「ご──ごめんっ、いるとは思わなくて」
「カステヘルミで、す!」ところが、こちらの狼狽などお構い無しに彼女は、半身を折り頭のてっぺんをこちらに向けたまま、自己紹介をそのまま始めてしまう。容姿の全容を晒すまいとしているかのようだ。「今日は、えと、よ、ろしくおねがいし、しま、します!」
白金に輝く髪が包む小さな頭が、発声音節ごとにふらふら揺れる。呆気に取られたまま拍子抜けの心情で、まだ距離が近いかなと一歩後退り、そんな彼女の頭頂部を見つめ続けることしばし。しかし待てども体が起こされる気配は無い。
「あー……ティアハイムのコウイチです。こちらこそよろし──」
「いえまさかそんな恐れ多いこちらこそなにとぞ、です!」
返ってきたのは恐縮しきりな、震えを帯びる早口な言葉。なんだか苛めている気分だ。柔らかい口調を意識したつもりなのだが、その気遣いはどうも伝わらないらしい。こうして共に講習を受けるからには、年齢はともかく社会人であるのは間違いない──はずなのだが、声音と容姿そして態度から受ける印象が著しく幼いために、果たしてこれで業務遂行に支障は無いのだろうかと不安になる。
しばらく口をつぐんでみたが、待った分だけの静寂が続くだけ。廊下を行き交う人々の喧騒がやたらと大きく聞こえてくる。カステヘルミを、小さな頭だなぁ、などとなんら実感の伴わぬ感想を抱きつつ見つめ続けるのにも飽きた。その感想すらただ思い浮かべる端から消失するに委ねるだけではあったが。「あの、話しづらいから顔、上げてくれないかな」
いいかげん、とは続けなかったが、嘆願の口調は平坦だったように思う。
「しっ、しつれいをば!」
それが功を奏したか、彼女は顔を勢いよく上げ真っ直ぐに、こちらに向けた。その容姿にコウイチをして目を奪われてしまった。緊張に紅潮するきめ細やかな肌は白く、そんな銀世界に灰色の大きな瞳が愛らしく煌めいている。小さな頭を支える首は華奢で、現場に出るとは到底思えない。だからか、体型を隠す意図か彼女を包む衣類は、ゆったりを通り越してダボついてすらいる。それでも手足の長さは隠しようも無い。
とんでもない美少女だ。それがコウイチの感想だった。
「あらためましてカステヘルミ、です!」胸の前で組み合わせる両手の指を忙しなく組み替えながら彼女は、合わせているようでその実、微妙に外した視線を彷徨わせつつ、語調だけははきはきと挨拶を連ねた。「環境省所属、出身はフィンランド、油断して失効した修了証の再発行にこのたび赴いた次第です。えとえと、ちんまい背丈ですがこれでもなんと二一歳です。あ、驚かれないようですね、そうですか、ではでは、灰色と思われがちのこの双眸ですがその実、青が混ざっていたりするのです、さあさ、お近くに寄ってご覧あれ!」
「はいはいはい口閉じて黙って止まってじっとしてー」
なぜにここまで狼狽えるのだかわからないが、ここらで制しておかねば碌でもない暴露発言が飛び出しかねない、そんな気がしたのだ。それは聞かされる側も困るが、口走る側こそが苦悶に後々のたうつだろう、いわば傍迷惑な巻き添え覚悟の玉砕に等しい。
──巻き込まれてたまるか。
「深呼吸しますよー、すー、はー、吸ってー、吐いてー」
「吸ってー、吐いてー……なんで?」
「会話できるくらいに落ち着いてくれないと困るから」あと心的外傷後圧力回避も兼ねている。「こっちは安全講習すら初めての、未だ現場にすら出てない新米同然でね。だから先輩である君には胸を張ってどっしり構えていてもらえないと困るんだ」
カステヘルミの大きな瞳が、ようやく視線を絡めてくれたことに胸を撫で下ろしつつ、深呼吸を続ける。素直に付き合う彼女が、なぜだろう、絶望的な顔をしていた。
「むっ……胸を張るのは、ちょっと、その──」
「はい、きをつけ!」
「ひ、ゃい!」
カステヘルミは、自身の胸を両腕で抱きしめたまま背筋を伸ばす。猫背が解消されたところで小柄には変わりないが、頭身が高く細身な肢体であるから随分と見違える。
「うん、それでいい」
どうやら、異性に向ける苦手意識は取り越し苦労に終えそうだ。危惧するに彼女はあまりに美形が過ぎて、鑑賞物としか認識できないらしいと確認できたことがひとつ。そして幼さを印象付けてくれる彼女の振る舞いがひとつ。さらになにより、これほどに頼りない態度を見せられては、いっそ保護対象としか思えないことが決定打である。
だから、随分と気が緩んでいたことは否定しない。
「君は愛らしい顔立ちで、誰の目にも理想的な造形をしているんだから、堂々としていたらいいんだよ。自信を持って、カステヘルミ。君は、綺麗だ」
「ひゃ! ……いぅ」
とたん、カステヘルミの背が丸まり、うつむきの再来である。励ますつもりで言ったのだがどうも逆効果のようだ。見れば組み合わせた手が微かに震えている。無理を強いたかなと反省するが、こちらの至らぬ点を指摘できる程度には砕けた態度であってもらわねば困るのだ。
──すぐには無理だろうけどね。
などと若干くたびれた面持ちで視線を、開けられた側の扉に向けた。来室する気配に気付いたからで、予想通り現れたのはヤミだった。踏み入れて早々の近距離に位置するこちらに、彼はぎょっとしつつも「なんで入ってすぐのところにいるのさ」と笑いながら正面教卓へと進んでゆく。「アルヴォさんはあとで顔を出すって言ってくれたよ。で──」
もうひとりの気配に顔を戻せば、ひょいと現れるのは国家地方警察の革鎧を纏う女性、カルラだった。うねる金髪を揺らして、小首をかしげるようにこちらをまじまじと見つめると、なにかを納得したかのように「ああ」と頷いてウィンクを見せると、彼女は人差し指を口元につけて「了解」と囁く。
いやなにが?
「──突発で参観者が追加になったよ」ヤミが教卓付近できょろきょろと視線を巡らせながら言う。「いないものとして扱ってほしいとのことだ。まあ、相手は国家地方警察の騎士様だから、詮索は適切ではない。やましい部分があっても素知らぬ顔で過ごしてほしい」
「……珍しいところで会いますね、カルラさん」
「理由は君だから」小声はそのままに、カルラが応えてくれる。「挨拶は後でね」
王室法案に選抜された日本出身者で、異変が発生した現場に向かうとなれば、警察が動かない理由は無い。姿を見せてくれたのはむしろ安心を得られるというものだ。
に、してもタカシから聞いた話だと、彼女は基本的に斥候を務めているとのことだから、本山のあるガルデに所在する状況は稀有であろう。
「……隠れ蓑としては最適な俺に、形だけでも接触した、ってとこかな」
その気なく口に出てしまっていたことは、ぎくりと身をすくませたカルラに気付かされた。いや心の内に留めなかったこちらが悪いが、侵入偵察行為派遣要員としてそのわかりやすい態度はいかがなものか。ここは「なにを言っているのか」と疑問符を浮かべる態度くらいがちょうどいいはずだ。
「──君らは、ほんとうに、まったく」
ぼやく彼女の言葉に「はーい、じゃあ始めようか」とのヤミの声が被さった。
「二人しかいないから一番前に。寂しいから」言いつつ、簡易椅子を引きずりミーティングテーブルの正面に腰を下ろす。なにを探しているのかと思えば椅子だったか。「ぶっちゃけ床に車座でもいいけど不真面目に思われるだろうからね」
そりゃそうだ、と失笑を漏らしつつ移動すると、カステヘルミがこちらの進みに合わせるように続く。声をかけたほうが良いのだろうかと考えはするが、言葉が思い浮かばない。やはり必要なのは販売店の斡旋者か。まったくもって、この子がよくわからない。
小さく息をついて頭を掻く様は、最前列の隅の席に陣取るカルラのニマニマとした笑みに見られていた。なにかにつけて色恋と結びつけようとするのは、彼女の出身である北欧の土地柄ゆえか。その態度はカステヘルミにこそ不快感を与えると思うのだが。
そんな無言のやりとりをしながらヤミの正面の席に手をかけると、
「あ、コウイチくんの隣に来て」と机を挟んで向かいのヤミが、声を挙げる。見ればカステヘルミが、カルラと逆方向の端に腰を据えようとしていて「ひぇ」と悲鳴を漏らしていた。ついと顔を見合わせたヤミから「君ら、なにしてたの」と問われてしまうのも道理である。
「……挨拶していただけ、のはずなんですけれどね」
ぐいぐいと来られたから、知らず距離を詰めていた自覚はある。それがいけなかったのだろうなと、やりにくくなったなと、思考をぐるぐる回転させながら椅子に腰を下ろす。
直後、とす、と二の腕に当たる感触にそちらを見れば、隣に位置するカステヘルミの肩が触れていた。近い。わざわざ椅子を寄せての接触である。怪訝に見つめたところで、顔を上げない彼女だから表情が見えない。感情も読めない。
「──ほんとうに、なにしてたの」
「……始めてくださいよ、講義」
考えるのはやめることにした。どんな挙動がなにを引き起こすのだか、皆目として見当すらつかない以上は裏目回避のためにも触れないに尽きる。だから開始を促すほかになにができようか。
──いや、どうするのが正解だったんだよ。実際。




