零地点・其の一──凪は嵐の前兆
双王国はガルデに属するクランがひとつウーゾは、保護された転移者たちが足繁く通うことになる企業である。その役割は補助支援人材の育成をはじめとして、職業訓練に現場体験手続きや国家資格取得扶助など多岐に渡る。いわゆる職業相談所の位置付けだ。各種安全教育講習ほか各種現場への入場者教育の場も担うとなれば、就職後にも疎遠になろうはずは無い。
コウイチの今回の訪問目的は、現地入場許可を得るための簡易安全講習受講、ともない得られる教育修了証と受講証明書の受領にある。来局は半年ぶりほどになるが、行き交う顔ぶれには見知った者が多く、会釈を交わしあえる環境は慣れ親しんだそのままだった。
そう。ウーゾは馴染みの場所なのだ。
「なのに付き添いってなんですかツグさん」
すれ違う知人に笑顔で手を振る、そのままの姿でコウイチは、背後に続く上司へと表情とは裏腹の隠に籠る声音で問いかける。こちらに気づく馴染みが、明るい表情を浮かべた直後に気づくツグミの存在で途端「げ」と顔を顰めて足速にそそくさと立ち去るのだ。申し訳ないやら気まずいやらで、いい加減に腹も立つ。そも、ツグミ当人が飄々と鼻歌まで口ずさむありようには釈然としない。顔も焦燥に歪もう。
「来る余裕なんてあったんですか。なにかと普段から業務に追われてるのに」
「それ。本当に必要な場面にも建前が必要な立場って、煩わしいと思わない?」
「またなにか暗躍するつもりかこのひと」
「いやぁまさかぁ、そんな大それた人間じゃあないよボク」
空々しく嘯くツグミの笑みは、どの箇所を切り取れど胡散臭い。コウイチの胸中に根付いた彼の胡乱な印象が、その印象に拍車をかけていることは否定しようもない。
「今日はサボりの口実にコウイチくんを使わせてもらっただけよ。ほんとだよ?」
「ああ、嘘だな、絶対」
ツグミを知る誰もの口の端にかける評価は、遅滞なく確かで丁寧な仕事ぶりとの非の打ち所のないものだ。そしてどこでなにをどうしていようと、たとえ仕出かしていようとも、成果物が収支を上回るゆえに割り切るしかない人物。それが誰あろうツグミである。
振り向きその顔を確認すれば、ヘラヘラとした薄っぺらい笑みがある。その背後でまたひとり、見るなり踵を返して逃げ出す男性の姿が、コウイチの意識に被害者カウントを重ねた。一瞬の、こちらに向けられた視線は同情ではなかったか。
「なにやったらここまで嫌われるんですか──叱られるのなら巻き込まないでくださいよ」
「期待するものじゃあないといっても、感謝してもらえないのは悲しいものだねぇ」
目標は必ずしも完遂になにをもさておく必要は無い。そう教えてくれたのはツグミだった。さて現状を見るに、彼の評価が達成に代償を投げ打ち続けた結果なのだろう以上、謙虚に聞き入れていた自分になにかしらの補償をいただきたいところだ。
「あ、でもコウイチ、安心してよ。ボクは気にしていないから。ぜんぜん。これっぽっちも」
「アンタ自分が心配される側にあると思うなよ」少しは気にしろと殺意を抱く方々は、この分では一〇や二〇では済まないだろう。「こりゃあ──講習さておいても連れ帰ったほうがいいかな……?」
「おっとぉ仕方ないなぁ「なにがよ」コウイチくんはぁ。教えてしんぜようね」
珍しくも言葉に焦りの音調を交えつつツグミは大股で、ぐいとコウイチの隣に近づき、肩にその肘を乗せてくる。さてどこまでが演技なのだか疑うだけ無駄だろうか、時間の。
「ウーゾに洞窟城現況調査のパーティ名簿を提出するのが目的だよ。代表者のアルヴォがレッシナからティアハイムくんだりに受け取りに立ち寄るってんで、だったらふたりでフェリクスに直接持ち込もうよと、現地待ち合わせの約束を入れて今ココ」
「現況調査は俺の仕事でもあるのに、なに隠そうとしてるんですか」ツグミの言葉を文節ごとに咀嚼するように吟味してみるが、なぜサボりだなどと誤魔化されるのだかわからない。「説明義務を放棄しないでくださいよ」
「なんか面倒になっちゃって」
「……その足の二本ばかりへし折れば、首から上を働かせるしかなくなるかなぁ」
「名簿提出に付属させる転移者流動調査書面は、ボクの立ち会いが必須なんだよね、残念ながら」
「あ、本気でムカつくわこの人」糠に釘だろう素直な感想を吐き出してから、コウイチは気持ちを切り替えるために呼吸を整えた。のち、抱いた疑問を問う。「ウーゾなんですね、流動調査。てっきりギルドだとばかり」
「ああ、帰国先のない新参住民の所在を随時確認したいのは現地民だもの」
ほら、と視線を巡らせるのは、行き来する人々を示唆する意図だろうか。素直に従い周囲に目を配ると「……確かに、現地採用の職員が目立つかな」と気づく。
「ウーゾはもともと、この国の職業組合を原点としているからね。その流れで地域住民との繋がりがギルドよりも強いんだ。ここに来てから君が挨拶を交わした人たちの、うち半数ほどが現地の人たちだったでしょ。ひきかえギルドの知人はどう?」
問われて、それまで気にも留めなかった交友関係にはっとした。そんなことは無いだろうと思い返してみるのだが、ほぼ接点の無い管理者や役員クラスばかりが列挙される。「──逆に言えば、ギルドは転移者優位と見られている?」
「優位も劣位も、ボクらにはそんな意識すらありえませんよとは、都度に伝えてるんだけどね」
無い、と言われてしまうと、若干の否定の感情はある。転移者の立場を意識させられることは、日常的だからだ。だが、それは庇護してもらえているとの実感であり、現地の方々から受ける気配りや気遣いなどの厚意に感謝する部分が多分である。
一方で、差別的な応対で不快感を抱いたことが皆無というのは──不自然では、ある。
「バカやらかしてる連中のこともあって、日本出身だからと立ち振る舞いに気をつけていたけれども……もしかして日本云々は関係ない?」
「ボクらにとっちゃあ、ザーシャもイレーネも外国人なんだけどさ。現地の人たちには見た目の違いでしかないみたい。みぃんな転移者。どこの国から転移してきたかなんて関係なく」
「ギルドの現地採用職員の募集があまり無いとかは」
「随時受け付けてるんだなこれが。芳しくはないけどね。配属面談にまで残る人は、悲しいくらいに少数だそうだよ。上の人らは対策案を募っているっぽいけど、まあ、お察しかな」
「避けようとする感情は理解できる、けれどね……」だから失望だの不愉快だのとは言わない。ただ釈然としないだけだ。なにせこちらは溶け込まざるを得ない立場であるのだから、警戒するなとまでは求めずとも、無闇に避けてほしくはないのが正直なところである。「あんまり知りたくなかったかな、それ。信用されていないってのはちょっと」
「この世界でのボクたちはまだマシでしょ」ツグミは澄まし顔で、視線を人々に泳がせた。その瞳の色彩が冷めているように見えるのは、さて気のせいだろうか。「日本に来てた移住者なんて周囲ほぼ一〇〇パー日本人に取り囲まれての孤立だもの。かく言うボクも外国人を見たらつい目で追ってたとこあるし──」
つとツグミが言葉を途切れさせた。疑問符を浮かべつつ彼の視線を追えば、近づいてくる男性の姿がある。金色の短髪に茶色の瞳、背丈や体格はこちらと同程度か若干の小柄、そんな気さくな好青年といった体の男性は、目が合うと人好きのする笑顔を浮かべてくれた。
「コウイチくん? ティアハイムの」
こちらが頷くより先に握手を求めてくる彼に、ツグミを気にする様子は無い。どうやらこの建屋にいながら彼の洗礼を、幸いにして免れている稀有な存在であるらしい。それはツグミにも握手を求めている姿から確信となる。
「今回の講師を担当させてもらう、ウーゾのヤミです。一名と聞いていたけれど」
「コウイチです。今日はよろしくお願いします」握り返したヤミの手は、肉付きがありがっしりとしていた。同世代のようだが現場経験は長そうである。「ええ、一名です。こっちは上司のツグミで──」
「サボってます。お気になさらず」
「そのネタ、引っ張るほどのものですか」
「自由なお人なんですね」
朗らかに笑うその表情は、はたして本音か社交的なものだか、初対面ゆえ判断がつかない。
そして色彩が異なる二対の視線を向けられてもツグミは、腕押しされた暖簾よろしく態度を改めるでもなく「じゃあ知人にちょっかいかけてくるから。講習終えたら帰社するなり直帰するなり好きにしていいから。ボクとはここで解散ってことでひとつ」と背中を向け、手をひらひら振りつつ去ってゆくのだ。
どうにも不安を催す感情そのままで見送っていると、
「今度の洞窟城業務参加は、確定?」とヤミに問われた。
「ツグさん次第なんですよね」ほぼ本決まりなのだろうが、できれば遠慮したいのがコウイチの本意である。業務の仕様をまとめるだけでも手一杯だというのに、当人自らが現場に赴くなど過剰労働ラインを超過する。正直、許容量はとうに破綻を迎えているのだ。「とは言え今日を逃すと入場許可が間に合わなくなるし、修了証は無駄になりませんから」
「大変そうだね──アルヴォさんが来てたのは、その話が理由か。面識は?」
「顔と名前が一致する程度には」
「無いも同然ってことね。だったら顔合わせしておくのが無難だな」決めたが早いかヤミは廊下の先を指差し「扉開いたままのあそこ、第七会議室」と告げ、来た道へと踵を返した。「もうひとり、環境省からカステヘルミ嬢が先に来てる。彼女も現況調査に参加する予定だし、先に入って談笑してなよ。俺はアルヴォさんに声をかけてくる」
「ああ、だったら廊下で──」意思表示をする間も無く、ヤミの背は声が届かぬ距離に離れている。来た時もそうだが去る際も行動がいちいち機敏な人物である。「──待っていたいなぁと切に願うわけなんですけれどね……」




