胎動の隘路・其の九──殿上人の折衝・後編
──さすがに、早まったかな。
さしものタカシも、頬に冷や汗の一筋を伝わせる。
王弟のみならず王太子二人からも注目されているのだ。隣のヴェンデルからは小声で「よせ」と叱責が飛んできたが、下ろす機会を失い挙げられたままの片手もそのままに、三者の反応を待つよりない。背後のアンスヘルムからは掠れた口笛だ。
このおっさんの騒動好きは筋金入りだ。楽しそうでなによりである。
「度胸があるねぇ」クロエの、よく通る声が場に優しく響く。願望の反映だろうか、その笑みに慈愛が含まれているように見えるのは救いだ。「物怖じした様子も無い」
「無謀とも見えるがね」ギゼルヘアの言葉は厳しいが、漂う雰囲気は生徒を評価する教師のようで、こちらもすげない印象は無い。「評価はせねばなるまいな」
そしてふたり同時に「「嫌いじゃあ、ない」ぞ」と言葉を重ねてくれる。
気恥ずかしさに胸の奥がむず痒くなるのをどうにか堪えながらタカシは、発言を認められたと判断してエーデルトラウトに顔を向け──盛大なため息で迎えられた。一番の味方ではなかったろうか、このお方は。
「タカシ」エーデルトラウトは椅子の配置をそのまま後ろ向きに座り直し、背もたれに組んだ腕を乗せて、さらに顎まで乗せてやんわりと、じとりとした視線で刺してきた。「交渉は、残念だが失敗したよ。それを理解した上でなら発言を許そう」
浮かべる苦々しげな表情は、王太子ふたりに背を向け顔を見られずに済むからか、感心して評価するそれである当のふたり面差しと同じくをあらな、こちらをよく知る者と、みくびる者たちの差異なのかなと思わずともあなれ、下手に買い被られるよりはと居直るとす。
「私には、どうにもわからないのですが」タカシは立ち上がり、ともあれ促されたのだからと姿勢を正した。「洞窟城領内は保全されるのですか」
するとギゼルヘアが「騒動を謀った連邦とは、話がついている」と応えてくれた。「洞窟城領での、今後の騒ぎは奴らとて望むところでは無いよ。あって小物が付和随行者を集合、多衆でやらかすくらいだろう」
「現場の統制など、取れるんですかね──取るつもりもなさそうですけど」
なんの気もない呟きだった。目の前の三人は現状を事後処理と位置付けているようだが、立ち位置が国家運営ともなれば、足元の諍いなど拘うに及ばぬのだろうか。などと親指で顎の辺りを掻いてしばし。なんの反応も無いことに「あれ?」と意識を戻すと、ぴりと場の空気が硬直していた。
殿上人からの視線を受け止め続ける胆力など、もとより無い。だから慌てて言った。「とっくに現場は連邦など気にせず、気ままに動いちゃっているじゃあないですか」
「待て」エーデルトラウトが眉根を寄せて、疑問符すらも浮かべて問いかけてくる。「なにをもって、そう断言できる。支路生成を含め連中はなんら騒いでいないぞ」
「いや、だってエーデルトラウト様は予想されていましたよね。不埒者どもは、王室法案に日本人が選抜されたことを騒動の引き金に利用すると」
「それは確かに言ったが、動きは無いのだ」
タカシはとうとう首を傾げてしまった。
「ですが先ほどの、笑い話として出てきた公文書は──」
「ちぃと、いいか」腰の辺りを突くのはヴェンデルだ。なにやら必死に首を振るものだから顔を近づけると「この方々が眺める光景は雲の上過ぎてだな──加えて、頭の回転は誰もが同じだと考えている節があるんだ」と小声で伝えてくる。
「……つまり?」
「失敗や落ち度に見える状況は、すべてなにかしらの思惑のうち」
「あー……あぁ──ぅあ?」などと呻きつつヴェンデルを覗き込めば、察してもらうのは諦めろとばかりの頷きが返される。「じゃあ、あの笑い話とやらも、言葉通りに受け止めたら」
「ダメ」
──めんどくさいな!
と叫ぶのはさすがに自制して、三名に向き直る。これがユキヒトやコウイチならばうまく説明できるのかもしれないが、あいにくと彼らほどにおつむの出来はよろしくない。
「あの、ですね──連邦が現場にぶん投げた指示は、ダンジョンで騒動を起こせ、手段は慣れたものだろうから任せる、くらいの指示だったんですよ」たぶん、との単語は控えた。
「すると、どうなる」とはギゼルヘアの問いだが「いや」と、すぐに言葉を続けた。「指示したは良いが、背後から思わぬ攻撃を受けて、目論見の変更を余儀なくされた。公的な釈明文はそもそも奴らの予定に無かった、そう言いたいのだな」
あるわけないじゃん、と口をついて出そうになる。表情には出したかもしれない。「密輸は完了していてことも起こしているだろう時期でもあるから、あの連中のことだ、嬉々として騒いでいるに違いない──ってところでしょうね」
「なるほど」ギゼルヘアは──果たして素の態度なのだろうか──目から鱗といった様子で手を打つ。「要領を得ない抗議文は、とうの昔に現場を見てなどいなかったゆえのものか」
「それが事実なら」クロエは、頭を抱えていた。「手駒の連中は連邦も知らぬ第二幕を目的に沈黙を保っている、となるな」
もとより素地も高く、磨いてくれる環境にも恵まれている方々である。それだけに、なぜそこがすっぽ抜けるのか、タカシには理解が及ばない。だが、認識は共有できたのだからと気が緩みかけた。そこへ──
「第二幕」ギゼルヘアの声が響く。「ギルドは本件にどう対応するか訊いているか?」
不意をつかれたタカシは、口をつこうとする「えっと」との場繋ぎ語を危ういところで飲み込んだ。国家運営に携わる立場の男性の声はなかなかに心臓に悪い。「ユキヒトから聞いた限りでは、ギルドは連中など意に介さず眼中にあるはずもない、ゆえに通常業務である新規鉱床調査と扱う。とはいえ現場ではクランが支保工架設に少なくはない人員を投入していますから、ヨウアン様には治安出動要請を依頼しているとのことでした」
ギゼルヘアに耳打ちする騎士は秘書役だろう。情報を得たガルデ王太子が「ユキヒトとはギルド職員で、君の親友のひとりだな」と笑みを向けてくる。「勤勉で有能と聞いている」
賞賛に感謝を返すべきかと迷っているうちに、
「聞き覚えがあると思えば」クロエが声を挙げたから、機を逸してしまう。「王室法案に選ばれたコウイチくんも君の身内じゃあないか。口を挟むもむべなるかな。なんて運の無い」
「日々を真面目に過ごしているだけなんですけれどねぇ……」
遠い目を彼方に向けていると、エーデルトラウトが指を鳴らし注意を促した。「君たちの健全な生活態度によって、コウイチくんは孤立を避けられた、そう考えるべきだろう」そこで彼の頬がニヤリと歪む。「それで、理解させた上での要望はさて、なんだ。我々は、政治上の茶番がほとぼりを覚ますまで、機に乗じた不埒者たちの騒動はおろか予兆であってすら、動いてくれるな、後手に回れと釘を刺されたばかりなのだが」
「しかしそれは、明言こそされていませんけれど理由が、連邦や実行犯に向けての行動自粛が取引に含まれていて、かつ、連邦が事態を掌握している状況に限られますよね」
「まさしく。そうでもなければ間抜けがすぎる」エーデルトラウトは、よほど腹に据えかねているのだろう。その意思表示からか、感情的であることを隠そうともしない。「くだらぬ駆け引きだよ。ここまでで察するに、徹底できるとはまず思えんな」
見ればギゼルヘアはこめかみのあたりを押さえて「面倒なことを」とぼやいている。クロエからは首を後ろにガックリと倒し「こうくるか」と嘆き気味の声が漏れてきた。
もう一押しとなれば、強気の一手だろう。
「現場の試合続行は、現状は悪巧みが収束しようとしている現状、連邦にとっても望むところではない。なにせ口の端に掛けようにも無関係を宣言していますし」
「騒動が自治体警察の境界を超えてしまえば、国家地方警察が出張るしか無く、外野にとやかく言われる筋合いも無い、で、通るな」
「正気で言っているのか」焦りをあらわにしたのはクロエだ。「その語り口だとまるで、君たちこそがやらかそうとしているように聞こえるぞ。あたしたちの前で、これだけの騎士たちに囲まれ、よく言えたものだ。なによりタカシくん」
姿勢を正し待ち構えると、クロエの視線がまっすぐこちらに据えられる。
「ここまでの言葉の全てが、君の個人的意見だなどとは思わない。ユキヒトくんとコウイチくん、ふたりからか、いずれかのものであろうと、同意を得ているのだろうね。その──なにが起こるのか理解した上で、だ」
「そりゃあ、法規根拠に該当しうる状況をでっちあげるくらい当然じゃあないですか」
おい、と注意するヴェンデルの声が聞こえたが、手段が人道に反していようと、それがなんだというのだろう。情報のやり取りだけで実利が得られる外交と異なり、コウイチは実態で現地入りして危険に晒されるのだ。多少やましい手段を経ようが、組織的活動に保護もしくは協力を願うに代えられはしない。
「事件性は疑いようもなく、政治制限はなんらかの騒動に向ける治安維持活動にまで及ぼうはずもない。ゆえ、洞窟城への初動派遣を許諾いただけますか」
エーデルトラウトの表情には一転して明るいものが宿り、クロエには──困惑か戸惑いによく似た感情が浮かんで、ギゼルヘアだけが端然と落ち着きを見せている……目元にひとつまみの不愉快さが混入しているように感じるのは、多分に気のせいではないだろう。
「承認でも許可でも同意でもなく、許諾、ときたか」
ギゼルヘアのボソリとつぶやくような声に、タカシが平然を装いつつ、
──ごめんなさい、ぶっちゃけ、どう使い分けるのかよくわかってないです。
と内心の冷や汗を諾々と垂れ流していると、
「ありがとう、タカシ」エーデルトラウトが、ぱん、と手を打ち主導権を掻っ攫った。「私は物分かりが良過ぎたようだ。だが、ひとつ約束してもらおう。君の役割は楔だ。権限は、あくまでも情報収集の範疇に収まる。それで構わないな──ギゼルヘア」
こちらの返事を待たずにエーデルトラウトは、ギゼルヘアへと首を傾げる。
するとギゼルヘアは肩をすくめ、体重を預けた背もたれをギシと鳴らした。
「任を果たしてもらわねば困るからな。危機的状況と判断したのなら行動はやむを得まい」
「聞いたな、ヴェンデル」
「──やっぱり、こっちに来ますよね」エーデルトラウトの呼びかけに、ヴェンデルは頭を掻きながら息を吐く。「それで、どうしたらいいですかね。あんまりな無茶振りは無しで」
「王太子殿下の御裁可は把握したな。親友を思うタカシの心情を肝に銘じて手綱を握れ」
「だから難しいことをおっしゃいますなと──拝命します。不本意ですが」
「よろしく」「お前は遠慮しろ」
「タカシ」エーデルトラウトが、椅子に正しい方向で腰を落ち着かせるために正面に向き直りながら、後ろ手に指で招く。タカシが、腰も低く近づき傍に膝をつくのを待って「ユキヒトと話をする段取りをつけてくれ。カリルトとダリオに悟られぬようにできるか」
「難しいですね。ギルド内部は良くとも、いずれかのクランから漏れるかと」
やや考えたエーデルトラウトが「クロエ」と顔を上げる。
呼びかけられた王女は、なにかを吹っ切るように首を振ると「ルシュのギルドに越境学習目的の在籍出向を指示させる──タカシくんたちのことだから、どうせホアキンとも馴染みだろうし、業務に支障はないはずだ」
「……どこまで把握されちゃってるんだろ」
「君たちの、あまりに広すぎる顔ゆえだ」ギゼルヘアが口を挟む。「この場の騎士たちの、うち何名かとも知り合いだな。加えて洞窟城領の自治体警察とも面識があり、領主家族とも懇意となれば、ギルドにクランそして警察機構、それぞれの立場を活用しての背任を疑われても仕方なかろう」
──ユキヒト、目立つことで嫌疑を遠ざける、てな意図が裏目ってるぞ。
そこへ脂の焼ける耳触りの良い音と共に、ユリウスとパミーナの王孫二人が再登場する。ワゴンの群れには、先の呟きが拾われたわけではないだろうが、大きな肉塊が鉄板の上で湯気を上げていた。
「羊肉のコースとなります。まずは塩焼きでご賞味ください」
連れ立って現れたシェフたち、うちひとりが説明するのを聞いてタカシは「暗喩かな」と口にしてしまった。肉料理は嬉しい限りなのだが、羊肉か──
「なんだ、羊肉は苦手か」とのエーデルトラウトの問いは、
「今年の羊は絶品なのだぞ」クロエの視線もタカシに向かわせた。
そこにギゼルヘアの笑い声が加わる。「君らの世界での羊は、生贄を意味していたな。この場の転移者は君ひとりなのだから、気にすることもなかろう」
腰を上げたタカシは姿勢を正し「それが私にならぬよう取計いただけるのなら、これまで以上の忠義を制約いたします」
「お互いにな」クロエは気を取り直したか、母親のような笑みを向けてくる。「尽力が見られたなら、あたしからひとつ望みを叶えると約束しよう」
「さあ」ギゼルヘアが、切り分けられてゆく肉を指し示しながら言った。「味覚は懸念を凌駕するものだ。ここからは楽しくも嬉しい時間としようではないか」
席に戻る途中で女給から、切られた肉がごっそりと乗せられた皿を手渡された。その量に引きながらも礼を伝えて受け取り、口に運びながら座る。
クロエの言葉に違わず、その肉の味は格別だった。




