胎動の隘路・其の七──殿上人の折衝・前編
足を踏み入れた洞窟内は、緩やかに折れる奥行きに先が見えず、左右は競技場を丸ごと抱え込めるほどにひらけていた。組み構造の柱が規則的に並んで支える天井も高さがある。光源が見当たらないのに全体を浮かび上がらせる照度が途切れなく続いている。
双王国郊外に開墾されたワイナリー、その地下空間に置かれたワインカーヴである。
「なんて場所だったか──」それとなく視線を泳がせていたタカシは、光景から受ける既視感に首を傾げていた。実体験ではなく、映像として近い印象の場所があったはずだが。たしか特撮映画の──「ああ、首都圏外郭放水路だ」
すると背後に続く少年の姿が「このような設備が日本にもあるのか」と声をかけてきた。軍事組織の指揮命令系統として最上位に座する、エーデルトラウト王弟殿下である。「実のところ建築技術が幾らか途絶しているのだよ。類似する建造物を現代でも継承できているのならば、是非ともご教示いただきたいが」
「残念ながら、その知識の持ち合わせはないです」タカシの肩がすくめられる。掘削痕がそのまま残される天井を見上げれば、アーチ面を形作る迫石に支えられているのがわかる。どうやって積み上げた──組み上げた?──のだかは、見当もつかない。「高層建築技術は近代だろうから、同じ技術じゃあないにしても代替技能者がそのうち──」
「それは新たに君たちのような被害者が現れるということか」残念だ。そうエーデルトラウトはかぶりを振る。「それは期待してはいけないな。いや、失言だったよ。忘れてくれ」
「──いえ。ご配慮、ありがとうございます」迂闊な発言だったと、タカシは正面に注意を戻しつつ後頭部あたりを掻いた。王弟殿下としては本心はどうあれ、そう言わざるを得ないのだ。気を遣わせるつもりなど無かったのだが。「ところで殿下、なにも聞かされていないのですが」
床上にはワイン樽が横倒しに三段積まれて列となり、延々と続いている。それが四本の通路を形作る。馬車が余裕を持って行き来できそうなその場に、警護だろう、少なくはない数の騎士たちが端々に潜んでいる。その立ち振る舞いは明らかに栄位の立場にあるとわかる。時折、慇懃かつ鷹揚に方向を示してくれる彼らはおそらく、エーデルトラウトを護衛するという立場がなければ、その姿を前にしただけでも傅かなければならない相手であるに違いない。
「まさかここが対談の場だったりしますか」
王弟殿下をちらと振り返り見る。挟んで後方対角線上に位置するヴェンデルにも視線で問いかけるが、彼も「俺も聞いていない」と小さな仕草で返してくる。
「そうだが?」悪びれる様子もないエーデルトラウトが、なにを今更とばかりに応えた。「この先におわすは双王国それぞれの次期国王であらせられる。物々しさはそれゆえだ。だから肩の力を抜いて構わんよ。護衛対象に我々が加わったとて、誤差にもならん」
──そうだがって言われちゃったよ。
「あー……」どういった顔を浮かべたものか。見れば殿下は一五歳の年齢相応にあどけない表情である。微かに揺らめく戸惑いは、素で理解されていないからか。「──そうですね、と気を抜けるだなどと、本気で思われていらっしゃいますか」
「現時点で、この場所ほどに安全な場所がどこにあろう」エーデルトラウトはしかし、きょとんと首を傾げた末に、両腕を大きく広げて見せるのだった。「仮にも王弟自らが許可しているのだから、緊張など捨てて、物見遊山に訪れたとでも気楽に構えたら良いではないか」
──そりゃあ殿下は身内だろうから、そう言えるだろうけどさぁ……
思い出すのは、父の実家に向かう際の母の愚痴である。当人は生家に戻るのみで自室もママ残るのだろうから良いだろうが、親族の一員になったとはいえ他人だった者が、手土産の一つも無くどやどや押しかけてくつろぐなどできようはずもない──子の立場ではピンと来なかったその感覚を、ここにきてまさかの痛感である。
「なによりお前たちは──」
しばし進めばワインキャビネットに円をかたどられた空間が、ぽっかりと現れた。中央には湧水を静かに吐き出す筧に水面を見出す手水鉢が、涼やかなせせらぎを奏でている。
そこに人物がひとり佇んでいた。鉢に揺れる水面から取り出した、冷えたグラスの水滴をウエスで丁寧に拭き取るその姿は、この国で知らぬ者はまずいないだろう人物。
ガルデ王太子、ギゼルヘアだ。
「おう、叔父貴どの」
ギゼルヘアが、気づいたのは今ではないだろうが、気の張らない口調で声をかけてきた。一見してひょろながいとの印象を与える男性である。神経質そうな面立ちではあるが、その性分に屈託は無い。
「そろそろかとグラスを準備していたところだ。水割りで蜂蜜入り──あと柑橘系か?」
「よく覚えているものだ──ギゼルヘアとは騎士号授与で対面しているではないか。加えて今回は私的な会談に位置付けられた場だ。話せる機会など双王国六〇〇万うち何名に与えられることか」
「覚悟もないまま前線に投げ出された騎士ならきっと、大勢いたのだろうなと理解しました」
皮肉である。正しく受け止めたらしいエーデルトラウトは失笑に声を挙げ、タカシに近づくとその背をパンと叩いた。「その調子だ。二人ならきっと喜ぶぞ」
エーデルトラウトは、立ち止まり控えるタカシとヴェンデルを置き去りにギゼルヘアに近づいてゆく。その様子は、気の良い叔父に懐く甥のそれだ──血縁関係の立場は逆ではあるが。
「ライムとレモンの両方で頼みたい。クロエは──まさか潰れてやしないだろうな。アレは酒に弱くはないだろうに器以上を喰らおうとするから不安だ」
「そうそう簡単に潰れるタマじゃあないよ。掘り出し物を求めて奥に向かったところだ──さて二人とも授与式で会って以来となるか」
ギゼルヘアの視線が向けられ、タカシとヴェンデルは姿勢を正した。騎士号授与に拝謁した際には毅然とした気難しそうな人物だなと考えていたが、今の彼は気さくで親しみやすい。
「その節はお世話になりました」とタカシが言えば、
「今は我らが力を借りる側だよ。良い面構えになった。味方として頼もしい限りだ」との賛辞を返す。「ヴェンデルも息災でなによりだ──二人とも叔父貴に振り回されてやしないか」
「保護者気取りはやめてもらいたいな、ギゼルヘア。二人が困っているだろう」なあ、と振り向かれたところで愛想笑いをさて、浮かべて良いかすら判断がつかない。「ユリウスとパミーナは来ているのか」
「当然、側近として連れてきているが」とギゼルヘアは声を──こちらに聞こえる程度の気配りくらいに潜ませて言う。「先に叔父貴どのを見ているからかな、どうにも頼りないよ。形になるのはさて、いつになることやら」
「成長はひとそれぞれだ、あんまり厳しくしてくれるな。私が二人に懐いていたことを忘れてはいないだろう。感謝しているのだ、ずっと。もちろん今も」
「救われるね。あとで声をかけてやってくれ。子供たちも喜ぶ」
誰の話かと思えば王孫二人の題目である。護衛の選抜に、ほんとうになぜ、見合った出自を選んでくださらなかったのだろう。実のところ、これまでも歩調や振る舞いに相応以上の気を張っていたのだ。なのにどうだ、警護の騎士ですら殿上人ばかりが集う衆人に観覧されるなどと罰ゲームとしても酷すぎる。
ちらと隣のヴェンデルに目をやった。確か彼も爵位持ちの家系のはずだから、倣わせてもらおうとの救いを求める一心からだった。だが残念なことに彼こそが緊張に顔をこわばらせていた。
「……タカシはそのままでいろよ」視線に気づいたヴェンデルが、虚勢めいた笑みを返した。「ていうか余計な気遣いはむしろ邪魔だ。自然体だぞ、自然体」
「場慣れしていることを期待してたのに」
「半端な爵位持ちは気苦労が絶えないんだ。察してくれ」
顎で正面を促されてそちらを見れば、キャビネットの裏から長身で筋肉質な体つきの女性が現れる。
ルシュ王太子クロエである。
「来てたんだね」
との声とともに、自らのグラスに手酌でワインを注ぎながらの登場だが、堂々とした態度を崩さずに闊歩されてきては、そういうお方なのだと口をつぐむしかない。
「お早いお着きだこと。もっとのんびり生きたらどうさね」
「邪魔者が来たかのように言ってくれるな」エーデルトラウトが呆れたように言った。「たしかに政治の場では顔を合わせる機会が多い我々ではあるが、気兼ねなく話せる場などそうそうありえん。だというのに、遅参してしまったと悔やんでいるところなのだぞ」
「そいつは悪かったよ。さあ、こちらへいらしてくださいな王弟殿下」ケタケタと笑うクロエは肩のあたりでグラスを揺らし、背を向ける。「取り揃えた肴で、我が双王国が誇る酒を酌み交わそうじゃあないか。そちらの坊やたちも同席しな。ルシュ第一王女のもてなしを断るなんてな無粋は無しだよ」
なにかしら返さねばならぬだろうかと惑う隙も無く、ヴェンデルに背を叩かれた。観念した様子の表情が、いっそ居直りの色彩に汚染されつつあるのが見て取れる。
「ご相伴に預かるしかないんだよ。俺たちの立場は、な」とヴェンデルの確認がエーデルトラウトへと向かう。「失態があれば、庇ってくださいますよね」
「媚を売って損のない相手だぞ、彼女は」エーデルトラウトはギゼルヘアと肩をすくめあい、笑みをこぼす。「買い叩くようなお人ではない。そこは安心しておけば良い」
──他はどうなんだろうね。
考えたところで得られる答えなど無いのだろうから、タカシはエーデルトラウトと王太子に引きずられる思いで足を進める。ちらと見渡してこちらを確認している護衛騎士たちからの視線には、応援めいた感情が込められているような、そんな気がした。
同席が許されたとは言えど、王族三名が囲む円卓にまさか連座で加わるなどできようはずもない。
タカシとヴェンデルは腰を下ろせるだけ充分と、そそくさ各々椅子を持ち、エーデルトラウトの席から若干離れた背後に陣取った。これ以上なにか言われようとも固辞させてくれ頼むから、などと内心祈り続けたことが功を奏したか、クロエはこちらを一瞥するのみでなにも言ってはこなかった。
「とりあえず、しのげたかな」とタカシが呟き、「最大の山場は抜けたと願いたい」とヴェンデルが返したところへ
「労いをするにも機会が無くてね」
と第三者の声が加わる。
胸を撫で下ろして気を抜いた、そんな油断を突いて現れたのが、王孫がひとり王位継承権第二位のユリウスであった。
「受け入れてもらえるとありがたい」ユリウスは言いつつ、肴とグラスを乗せたワゴンを二人の背後に位置付ける。「将来に至るも知人がある、そんな投資を受け入れてもらえるだろか」
あたりは柔らかだが、取り繕う機会までをも与えた上で、給仕の真似事を継続させうる彼はやはり、ギゼルヘアの子であり王位継承権を持つひとりなのだと心胆を寒からしめる。
ユリウスが離れるのを見計らってタカシは「……心臓に悪すぎる」と呼吸を整える。「この場でほんのわずかでもなにか失態があれば、最悪、政治問題になるんじゃあないのか」
「失態はいらないかな」ヴェンデルも小さく肩を回し、こりをほぐしている。「抜かりはないと信じたいが──どうなのですかアンスヘルム閣下」
新たな人物名に思わず姿勢を正す。椅子を持参して現れるのは、ルシュ警保局の部局長アンスヘルムだ。国を跨ぐ所属でありながらなにかと目をかけてくれる、父親のような印象の男性である。姿が見えないことをまず疑問に思うべき人物だった。なにせ彼も侯爵──王族上位のひとりなのだから。
「久しいな、二人とも」と柔らかな笑みを浮かべるアンスヘルムが「よっこいせ」と腰を下ろす。「緊張しすぎだぞ。肩の力を抜け。待ってろ、今、飲み物を作ってやるから」
「──このご時世になぜ地下空間など選んだのですか」タカシの純粋な疑問である。
「連中の介入は無いからさ。それは断言していい」言いつつアンスヘルムは、両手にあったグラスをタカシとヴェンデルに差し出した。「タカシが生まれた日本のように民主主義で運営される国家なら、それらしき動きをでっち上げて、為政者の危機管理意識が希薄だと騒ぎ立てるだけで行政権移譲もありうるだろうが──主権国家体制のこの地では、まあ困難だろうな。なによりも、気づいているだろうが連中の標的は中間団体より下位にしか向かわない」
「それ、領主嫡子に聞こえないようにしてくださいよ」洞窟城ダンジョンは成り立ちが特殊で、採掘権は複数企業にまたがりはしているが、鉱業権は領主にある。今のアンスヘルムの発言はつまり、洞窟城領がギルドと同列に扱われているとの暴論だ。その理解が愉快犯どものものであったとして、まさか侯爵が口にして良い言葉では無い。「あの人たちも自覚してはいるでしょうけれど、閣下に言われるのはあまりに残酷です」
「そういえばタカシは、彼の国の姫君に懐かれていたな。なるほど、自重しよう。さあ素直に酒を楽しめ。日本では来訪早々にビールを出すとなにかで聞いたぞ」
田舎に向かえばそうかもしれないけれども、と返す間も無く、背後から伸ばされたアンスヘルムのグラスが、先ほど手渡されたグラスにカチンと当てられる。
「せいぜい味わって呑め。私でもそうそう手が出せる酒じゃあない。この一杯で二日は贅沢な飯が食える金額はするとのことだ。口に合うかどうかは保証しないがな」
「出されたからには頂きますけどね──だったら同じ金額のいい肉が食いたい」
後半のぼそりと呟く言葉に、アンスヘルムとヴェンデルが顔を見合わせた。
「「違いない」」




