胎動の隘路・其の五──供犠をささげる対象
後頭部が熱く火照り、目の奥が痛い。膨れ上がる怒りの感情が、頭蓋を内側から破裂させようとしている。
ベネディクトのポカンとした表情が癪に障る。油を注ぐ、に、とどまらず煽るつもりなのだろうか。やることはもう伝えた。なのになんだ、その呆けた面は。
「なあ、言ったよな、言いましたよね、時間がないんですよ、時間が。お前のお勉強に割く余裕なんざ、これっぽっちもございません」
難しいことはなにひとつ言っていない。なのにベネディクトは首を傾げている。まま同じで構わないとの指示が伝わらず、あまつさえこちらが苛立つ理由もわかっていないとなれば、もはや理解が及ぶところにない。なぜいらぬ手間をかけようとするのか。
「ああ、そうですか、わかりませんか。やる気がないならもう帰れよお前」
ところがベネディクトは言うのだ。
「やる気云々の話じゃあなくてですね……なにか問われた際に、ただコピーしただけの提出物では、ひとつとして答えられないじゃあないですか」
「おんなじことを以前にも注意したよな」なにひとつ説明できない知識しか持ち合わせていないと宣言したのか、こいつは。「どうして伝わらないかな。何度も何度も何度も何度も何度も何度も言わせないでください。それはお前の勉強不足なだけだ。普段から仕事をぼんやり流しているからそんなことになるんだろうが。学ぼうとするのは結構なことだが、まさか今日明日かけて業務そっちのけで読書に勤しむつもりじゃあないだろうな」
「そのつもりはありませんが、だったらせめて、参照元と本件が類似していると判断した理由を教えてくださいませんか」
「なにを──お前な」手に持ったままだった長物で殴りつけたくなる衝動を制したのは、かろうじてのことだ。取り掛かれば見えてくることも、新たな発見もあるだろうに、把握できるまで手を動かすつもりはありません、ときたものだ。「ふざけるなよお前。ぽかんと口開いて馬鹿面晒すお前の育成にいくら費やすつもりだ。ソレがほんとうに今やることなのか。だいたいだな、なんにも身についていませんなどと、よくもまあ堂々と宣言できるな。俺のいない間なにをしていたんだ。いっそ尊敬するよ」
「わからないことと、教わることが多すぎなんですよ」
「『多すぎなんですよ』」半笑いで繰り返してやる。「じゃあないだろ。今回の依頼と参照元に目を通せ。もう一度言うからな、とにかく手を動かせ。必要かどうかの判断はするな、手配品目は過剰に計上しろ。準備するのは初回見積もりだ、正式見積もりを仕上げてもらうティアハイムさんには、不要分を除外してもらうようにするんだ。不足を追加より手間が無い」
「では先に、ティアハイムさんに相談を持ちかけても構いませんか」
「依頼前の企業に工数をかけさせるつもりでどうする。まずはお前がやるんだ」
「ですが依頼が決定しているんですよね。仕様確認も含めて、経験と知識のある請負に依頼してギルドは補佐に専念するほうが無駄がないでしょうに。知ったかぶりの資料を作っても」
「知ったかぶりとか胸を張って言うな、情けない。まずはギルドだ。なんの準備もなく依頼するのは相手に失礼とは思わないのか。あ? 思いませんか?」
物を知らないうちは、言うことを聞くだけの道具で構わない。なにを質問して良いのかすらわからない者がむやみに資料を掻き集めたところで、それらを前にして、やるべきことすら見失うだけなのだから。
「せめて、と言うなら、どこを解消したら前進するのかくらいは頭に入れてから質問しろよ。不備や不手際の責任は、立場上からも俺が責任を負うんだ。お前じゃあない。だから考えるより先に経験しろ。納得しようとするな。形にすることが最優先だ。わかったな」
かなり強い口調で伝えているつもりなのだが、ベネディクトの様子は、首を傾げるだけでどうにも頼りない。これはいっそ、もう取り上げてこっちで処理してしまうべきなのだろうか。おかげさまで勤労意欲も復活してくれたからちょうどいい。
「──もういい。俺が」と言いかけると、
「とにかく形にしてみますよ」ベネディクトが、納得しきれない様子ではあるが言った。「ところで──ずっと手にされているソレなんですが」
促されるままに視線を手元に落とすと、すっかり意識の外に追いやられていた杖を握ったままであると再認識した。よくぞ振り回さずに済んだものだ、自身の忍耐力を自賛しつつ胸の高さに持ち上げる。
「これがどうかしたか──」
途端、ダリオは卒倒した。
収縮する四肢に、体は床に転げる。か細く吐き出されるだけの息は、おそらく叫びなのだろう、吸い込むことができないのか、苦悶に歪む表情が見る間に赤く、そして青くなってゆく。忙しなく視線は移動し続けて、握りしめたままの神具に定められた。手放そうとしていることが傍目にわかる。だが体の各部位は伸ばせず曲げられてゆくだけだ。
騒動に、慌てて駆け寄ってくる職員たちを、しかしベネディクトが止めた。
「用途不明品です。触れないで」
その言葉だけでギルド職員は理解する。共通する認識は漏電だ。この世界に浸透する魔力を概念としてでも把握するには、電場か磁場に置き換えるのが都合が良いからだ──なにより、魔力に電磁気学を振る舞わせるのが一般的だから、大多数は区別をつけられない。しかしかつての生活圏に満ちていた電気とは対応が異なるとの知識はあった。だからベネディクトの指示に疑問を挟む者はいなかった。
よくよくダリオを観察したなら、もやのようななにかが体から湧き出ては潜り込むさまに気付けただろう。その正体はベネディクトだけが知っていた。走査、更に言えば将来の置換条件を整えてもいる。つまり彼は──苗床だ。
──そのつもりは、無かったんですよ。触れるなら貴方だろうなとは思っていましたが。
ダリオの腕にかすかな弛緩が見えて、ベネディクトは足を踏み出した。体内外に散っていたなにかが神具に戻り始めた兆候だ。だから戻りきる前に、神具を握るダリオの手首辺りを踏みつけ、緩んだ手から神具を蹴り飛ばす。
すると、収縮が解けたのだろう、ダリオは弾かれたように体を仰け反らせ、精一杯に息を吸い込み、あまりに激しい呼吸に咳き込んだ。
四つ這いになりうずくまるダリオの背に手を置き、ベネディクトは「呼吸をゆっくり、落ち着いて。もう大丈夫なはずです」と声をかける。「指先から順に、自分の意志で動かせるか確認を──医療従事資格を持つ方はいますか」
ギルド職員は全員が普通救命講習の受講義務があり、応急処置程度は修得している。だが勤務庁舎内で発生した以上は、労働災害と見做されるだろう。だから、のちのことを思えば初めから資格持ちに対応してもらうのが都合良い。二人が挙手して、位置を変わってくれた。
ベネディクトは顔を巡らせて、転がした神具を探した。見当たらないと思えば、予想よりも遠くの机の下に潜り込んでいる。そちらに近づいて腰をかがめ、伸ばした指先で表意認識記号を神具の表面に描く。
すると浮かび上がる魔力記号は現状解説と案内文だ。だが、文字化けと言えば良いのだろうか、たかだか数行の回路列だというのにほぼ意味を成していない。
「──やってくれたな」
唐突に現れた、すぐ傍に立つ人物の声にベネディクトは、しかし驚かなかった。「どうやら成功したようです。これで、こいつから配列要素の誘導トリガが消え失せました」
「素性変化だけになったわけだ」到着したばかりのアルヴォは体躯を揺らして椅子を引き、腰を下ろすと床にあぐらをかくベネディクトへと半身を乗り出した。「これで本当にそいつは、自殺以外のなににも使えなくなった──使うつもりか?」
「……使わざるを得ないでしょうね」アルヴォの碧眼の視線を受け止め、失笑する。「次の俺に、よろしく言っといてください」
まったく、とアルヴォは茶色の長髪を掻く。体を起こして顎で、正気を取り戻したらしいダリオを促し、自らも声を掛ける。「もう大丈夫なのか、ダリオくん」
「酷い目に遭いましたよ」ダリオは床に座り込んだまま、触診を受け続けている。時折、顔を顰めるのは、床で転げていた際の外傷による痛みからだろう。「ベネディクト、お前……こっちの世界の技術を盛り込んだ代物は、外観から用途が見えない物ばかりなんだから、無造作に転がしておくなよ」
「使用用途がわからないから、と注意しようとした矢先だったんですよ」立ち上がり、尻の埃を払いながらベネディクトは、アルヴォと同じように手近な椅子に腰を下ろした。「取説欠品で注釈すら見当たらないから返却を予定していたんですが、ルシュの騒動で返す先が無くなってしまって──下手な場所に保管してむやみに触れられても困るなと考えたんですが」
「ダナーリーでの捕物か」ダリオは、心配そうな顔を向けてくる社員一人ひとりに「大丈夫」と声をかけ、頭を揺らした。「いや、無造作に手にとった俺が不用意なだけだ。すまん」
ダリオは基本的に責任転嫁をしない。それを知っているベネディクトは軽く手を振って応えるだけだが、部下に向けて頭ごなしな態度の姿を見慣れているアルヴォは、素直に驚きの表情を浮かべて小声で「神具の影響か?」と半ば本気で問いかける。
「自分の思い通りに段取りが進まないことが嫌いなだけなんですよ、うちの課長は」
だからと罵倒され続けるのは御免を蒙るが。
「計画納品書の提出ですか」ダリオの問いかけだ。
「ああ、それと」アルヴォは椅子を滑らせて、ダリオの近くに向かう。「ベネディクトくんに余剰在庫の転用のお願いも兼ねているよ」
眉を顰めたダリオの視点が、ベネディクトの机の上に落ちる。ぴら、と積まれた書面を捲り現れるのは簡易通信機だ。「──お前、余剰在庫を私物みたいにだな」
「教材化の承認は部長にいただいていますから安心を。検査証銘板は破棄済みですが、急遽、必要となった現場が出まして、レッシナさんで商品化後に発送予定です」
「なんならご教示してもらえ。アルヴォさん、工数は三くらいで教育お願いできますか」
「そりゃあまあ、よろこんで」
簡易通信機を手にするアルヴォに、ダリオが「よろしくお願いします」と頭を下げた。診察していた二人の腕を借りて立ち上がり、ベネディクトに言った。「医務室でもう少し詳細な検査を受けてくるよ。復帰即日に病欠なんて洒落にならないからな」
ダリオの「二人もいらない」との言葉聞こえてくるが、勤務中の事故であるから報告書は連名が良いとの説得に、その背が渋々と応じていた。
「……ベネディクトくんを責め立ててくれていたなら、まだ良かったと思うがね」
アルヴォの、ひどく気まずそうな呟きにベネディクトは、肩をすくめるに留めた。
釣り餌を撒いたのはあわよくばの意図があったからだが、正直、そのままボウズでも一向に構わなかったのだ。だが、保険が手に入ったとなれば、根回しは遠慮なくさせてもらおう。
──まあ、俺には関係のない話にはなるけどな。




