胎動の隘路・其の二──管理者たるゆえんは
定時を回ったティアハイム社屋からは、社員の姿が潮が引くように消え失せる。これは代表取締役のザーシャの指示によるものだ。
負担が個人に集中せぬよう管理者を複数名配置。業務内容は部署全体で吟味して、人員は余剰分を確保。予想される超過勤務工数を先切りで請求し、各々の基本給に分配。その上でゼロ残業を徹底するよう厳命。これらは破綻した前身企業の教訓を活かした方針である。
前身企業は、業務をあまりにも手広く扱ったために繁多が過ぎた。その対応に外部から資材と人材を確保、成果物を闇雲に買い付け続けた結果、利益は増加しながら資産が目減する悪循環が始まり、買掛金の支払い遅延を発端にあれよあれよと破綻へと急落した。
事業再生による組織再編後は方針を、役務を放棄した上で受領者の指揮系統にも属さず、成果物提供にのみ責任を負う請負契約へと転換する。食材流通業を営むソアダや、金物流通業を主業務として自社工場も抱えるレッシナへの業務請負、ギルドに向けては委任契約、それらは現在に至るも順調そのものである。
だが外注の立場は長引くごとに、勤怠管理主導が次第に委託者へと流れるものだ。委託側にそのつもりがなくとも、納期と業務量で出退勤や勤務時間を自発的に融通させられるようになっては、前身企業の轍を踏むも同義である。
「残業はさせまいと必死なんだよね、ザーシャは」ツグミは、帰宅に一礼して去る社員たちにひらひらと手を振って応えつつ、誰にともなく呟きを漏らした。書類棚を両脇に並べて通路を形作る空間である。「残務があろうとお構いなしなんだもんなぁ」
「ええ、コウイチさんは帰宅しました」「だからシンイーもいないよ」
書類棚の整頓を続けながら言葉を返すのは、双子姉妹のフェリパとフィセラだ。狙ってのものではないのだろうが、見分けのつかぬ容姿を並べたその動きは見事に鏡写しである。
二人の、肩口で揃えられた赤毛が軽やかに揺れるのをぼんやり眺めつつ「ボクの帰社が遅れたのが悪かったんだな、仕方ない」と椅子を引いて背もたれを正面に逆に座る。「社長とイレーネは──」
「イレーネさんはダメです」「仕事させないよ」
「そらまたなんでさ。いや、定時回ってからの仕事なんて頼まないけどさ」屋外から差し込む日の光はまだ高く、帰宅するには心地の良い空模様である。かたわら屋内は見る間に閑散として、個々の机を照らす照明も人が去るにつれ順次消えてゆく。「理由を尋ねても?」
「食事だよ。二人を連れてね」
声に首だけで振り返ると、そこには取締役副社長のイレーネが立っていた。ツグミは、背もたれに組んだ肘を乗せてにまと笑うと、彼女の青い瞳から放たれる強い眼光をまっすぐに受け止める。その視線は音をあげてこちらの双眸を射抜いてくるようだ。
「おつ」と片手を挙げ、上半身をそらして彼女へと体をひねる。「今日は一段と、女性らしさに磨きをかけてるね。似合ってるよ」
彼女は、凛とした表情とその上背でフォーマル系の装いの印象が強い。その実、普段着は意外にガーリー系だ。スラリと手足の長い彼女だから、それほども違和感は無い。赤みの強いブロンドの長髪をきっちりと編み込んだ髪型もまた、端麗さを際立たせている。
「素直に受け取ろう。お前のセンスは嫌いじゃあないからな」拳の小指側でツグミの頭をぐりぐりと撫でるイレーネの頬がかすかに赤い。「ともかく二人との予約がある。話なら明日、聞いてやる。ザーシャならまだ部屋にいたが、用があるなら急いだほうがいい。帰り支度をしていたぞ」
「おっと、それはいけない」ツグミは頭の上に置かれたイレーネの左拳を、そっと支えるように手のひらで掬いながら肩の高さまで上げ、立ち上がりつつダンスのパートナーにするように軽く会釈した。「では副社長、お疲れ様でした──はいはいフェリパちゃんそれ、かして」
くるりと身を翻してイレーネから離れ、双子の片方の抱える綴込表紙をひょいと奪い取る。棚に綺麗に収まる書類の上に積み上げるように捩じ込むと「これで終了。さあさ、二人とも帰りなさい」と微笑を向ける。のだが、どうしてだか二人の頬が膨らんでいた。
「──なんかむくれさせるようなこと、ボク、したっけ」
「あたしはフィセラなんですけれどもー」「私がフェリパです。覚える気無いんですか」
「だぁって君ら、時々入れ替わって惑わすじゃん」
丁寧な口調のフェリパと気さくなフィセラ、そう覚えてはいるのだが、仕草を入れ替え見る者を混乱させるのが彼女たちである。とはいえ、フェリパの言葉遣いが丁寧なのはフィセラほどに言語を繰ることができないからであり、しばらく話せばフェリパからボロを出してしまうから長続きはしない。
「コウイチたちが見事に見分けてるんだよなぁ……そのうちご教示いただこう」
「ツグさんには多分、無理です。コウイチさんは『見分けるもなにも』と笑ってましたし」
「タカシくんは声でわかるって。双子の声って違うものなのかな?」
「ユキヒトは立ち振る舞いで判断するそうですが──」
「──あの人、見分けるだけで区別しないから、なんかムカつく」
──なんでユキヒトだけ呼び捨て?
「はいはい」イレーネが手を打ち鳴らし、会話を止めた。「二人とも遅れるから急いで。それじゃあツグミ、私らは帰るよ。ザーシャをあんまり追い込むなよ?」
「わかってますって」
「それじゃあ失礼しまーす」「えと、あ、お疲れ様でした。お先に失礼します」
「ん、お疲れー」
イレーネと二人が去ってゆくのを、その姿が見えなくなるまで眺めていたツグミは、後ろ頭を掻きつつ「じゃあ、捕まえますかね」と社長室へと足を向けた。
「いやー、二人が馴染んでくれてて安心しましたよー」
「もともと懐っこい二人だからな。帰るぞ」引き攣る笑顔のザーシャは、ツグミがゆったりとした口調で空々しくも放つ世間話もどきにそっけなく言い放つ。すでに帰宅の準備は万端なのである。着込んだ外套はそのままに自分の机に腰をもたれ、先ほど手渡された綴込表紙で膝の辺りを叩き続ける。「うちで引き取ることになった決定打のお前の言葉は未だよくわからん、が、なんにせよ未成年の姉妹を引き離したいなどと思う輩なんぞいやしないだろうからな、で帰るんだが?」
転移者は基本、共に現れようとそうでなかろうと、同郷というだけでも生活や就労に人数制限が課せられる。身内となればなおのことだ。しかし就労先は転移者で構成される受け皿企業群なのだから、この閉鎖環境では受け入れが続けば自然と制限は有名無実化する。未だ徹底されているのは日本出身者くらいだろうか。それにしたところで、同建屋内の別部署勤務であれば問題とされない辺りは相当に緩くなってきてはいるのだが。
そうだからと、まさか法令を真っ向から否定するような行動は当然、出来はしない。
だが一四歳にしてここエールデに投げ出された双子姉妹を前にしては、さすがの関係者各位も──そこにはエールデ王室の行政役員も多く占めていたのだが──躊躇いに眉を顰めたのだ。成人認証年齢を定めていないエールデの就労適齢は、一般的には八歳から一二歳とされてはいるのだが、それは生まれ育ったとの前例があってこそだ。社会通念が異なるうえに言葉も通じない世界で、訳もわからず離別させられたとなれば、それこそが反発理由そのものになるだろう。
「良からぬ企ての抑止が目的なら、衆目を集めちゃえばいいじゃん。同じ環境の同じ住居に置いちゃえば嫌でも知られる二人になるよ。それにほら、双子は揃ってなんぼだし」
「それだそれ。揃ってなんぼって意味わからん」
「でもさ」ツグミは書類棚から取り出した綴込表紙を確認し続けながら言った。「この言葉で二人が一緒にいられるようになったんだから褒めてよ」
「素直に褒められないんだよ、お前の場合。帰りたいんだけどなぁ……」
「もーちょい。たーしかこの辺りにあった気がー」
「なにを探してるんだか」ザーシャは、手に持ったままの綴込表紙をなんとはなしに開く。洞窟上ダンジョン内に新規に形成された支路の現況調査見積もり依頼だ。独断専行がすぎる彼だと理解はしているが、そこにある捺印にカリルトは当然として、洞窟上領主御子息であらせられるムーチェンも名を連ねている。ため息も漏れようものだ。「話なら飯を食いながらにしないか。だいたいコレ、デルグからの発注書よりも先に回覧されてるじゃあないか。急がずとも」
「ところが、ちょいと焦ってる」
「なにが──ああ、新規支路に王室法案も加われば、連中が介入しない理由もないか」
「御明察。だから関わる人員は厳選したいし、数も抑えたい。コウイチの参戦が強制決定してなければ良かったんだけど」
「コウイチくんが選ばれたのはたしか、ダリオくんの勇み足だったな。彼にしてみりゃあ恩を売れる機会と見たのだろうが──」
「──感謝を向ける相手は奨励金を出資する王室だと、彼、気づけないんだよね。そのうち売った恩を反故にされたとかむくれるんじゃあないかなぁ」
「ダリオくんはその辺りの教育が欠落しているからな。カリルトはどうにも彼に甘い。いや、ダリオくんも有能ではあるんだ。鈴と手綱つけて煽てつつ仕事に専念させておけば」
「おっとザーシャさんもなかなかに辛口──あった」
ツグミはニンマリと頬を歪め、開いた頁をザーシャに突きつけた。
唐突に眼前に出された文面を、顎を引きながらやや遠目に確認する。
「日本出身者参加四名の前例?」
「そそ。それが二件。系統に直接属さなければ、ボクの参戦も通る」
「人員の厳選で自分を勘定に加えるってことは、余程のことか」
「ティアハイムで関わるのはザーシャにボク、コウイチそしてシンイー。他、洞窟城出張の方々」
「仕様をまとめるのは?」
「コウイチ自身にやらせるつもりだよ」
「随分な曲芸だ」見積もり依頼の内容をざっと確認するが、ほぼなにも決まっていないことがわかるだけだ。当初から現場に入っているソアダから情報を吸い上げないことには、先行提出が求められるだろう工事工程表なんぞ作成できやしない。「ギルド担当はユキヒトくんか?」
「うんにゃ。彼、自分から辞退しちゃった。頭はいいんだけど経験が足りないね。楽観が過ぎる。彼が担当してくれていたら、なにかと便利だったんだけど」
「するとダリオくんと、今ならベネディクトくんが──」とまで言うとザーシャは「ん?」と首を傾げた。虚空を見上げて、コウイチ、サコギそしてツグミと指折り数える。「あと一人、四人目は誰になるんだ?」
「ザーシャもよーく知ってる、お甘い誰かさん。当人自ら宣言してくれないもんだから」
「誰かさん……?」と眉を顰め悩み、はたと思い浮かんだから、ぺし、と自分の額を叩く。「すっかり失念していたよ。そうか、ど真ん中に居座られてたら参戦できないな」
「当人が隠しきれてるつもりってのが、じわじわムカつくんだよね。のちのち発覚して、知らなかったじゃあ済まないだろうに」
「たぶん揉めるだろうな。まあ、その前例を知っての態度なんだと信じよう──なあ」身を乗り出すように半身を前に屈め、ザーシャは問う。「お前がここまで丁寧に下地造りをしているんだ。なにかが起こることは前提として、関与は何人くらいと見ているんだ」
「主犯は三人くらい」綴込表紙を片付けツグミは、書類棚に背を預けて腕を組む。「見学者を含めて一〇に届くかどうかかな。ティアハイムに潜んでるのは、人様の土地で花火ぶち上げるバカを冷ややかに眺めるだけてな良識があるっぽいから、その場に居合わせたところで直接参加はしていないだろう──けれども洞窟城詰所の異動があるなら、できれば後ろ倒しで、よろ。情報は近いうちにくれると嬉しいかな」
珍しくもおどけた調子を取っ払っているなと思えば、終盤で普段の口調に戻る。ザーシャはそんなツグミに失笑するしかない。素を出してくれていると考えることにしよう。
「まったく、先に相談してくれたと思えばこれか。安全衛生監査を突貫でやるもんだから心の準備はしていたが──待て」持ったままだった書面を表紙ごとパタンと閉じ、てから、はたと気づき慌ててページを再確認する。見間違いであってほしいと願った文面が、そこにあった。「冗談が過ぎるぞ! 両ギルドと洞窟城領主が参加する合同会議が一二営業日後だと? 初回仕様回覧から二営業日でなにができる!」
「まー、なんとかしますってば。予定は空けといてくださいね」へら、と笑うツグミは両腕を広げ、扉へと足を向ける。「さて、夕飯ですよね。奢り?」
「ふざけるな、自分の分は払え……だから俺の頭越しに仕事をするんじゃあないよお前は」
部屋の電気を消し、廊下へと並んで出るついでにザーシャは、ツグミの背を軽く小突く。頭の中で行程を組もうとしている自分に正直、うんざりするのだった。




