至る軌跡・其の四──たばかる者
ガルデとルシュの諸官庁は共通の設計により営繕されている。加えて幹線街路もほぼ同一配置であるから、そこに住む者でも混乱は免れない。地図上では、大河を挟んで鏡写しに配置されているとわかるが、双方を同じ視野に収める展望が無いので確認する術は無い。
これは、双王国が連邦国家体制を執る以前の時代、内乱や外敵侵入に対抗することを目的とした都市設計の名残である。有事の際にはいずれかの王城を捨てられるよう、一般建築物を偽装した回廊で繋がれているのだから徹底している。グローブランドで類似するのはフィレンツェのヴァザーリ回廊だろうか。
ベネディクトが腰を下ろすのは、そんなルシュ王城を一望できる公園のベンチだ。見渡しても差異などほぼ無く、デルグ付近にいる錯覚が拭えない。もし観光するのであれば双方を跨ぐ必要など全くもって無いだろうな、などとごちつつ燻らせるタバコに視線を向ける。
「……なにやってんだか、俺」
「まったくだ」呟きに間髪入れずサレハの声が返される。隣に、どっかと腰を下ろして深々と息を吐き出し「今からでも遅く無いぞ、やめとけ」と、ベネディクトの口からタバコを取り上げ一口吸う。「お前が、あの姐さんを慕っていることはよく知ってる。だからなおのこと、今回は関わるな。ロクホウがバカやらかして未然に阻止、ちゃんちゃん、で終了だ」
「阻止は確定か?」
「王室に勘づかれた」タバコをベネディクトの口に戻し、サレハは背もたれに両腕を投げ出して天を仰ぐ。「立場上、偽装はせにゃならん。巻き添えで捕まりたくないしな。だから債務不履行をでっち上げてダナーリーに警察の監査を引き込むよう誘導した」
「資金洗浄に見せかけるってことか。モノはまだ双王国に?」
「ないない。今頃はメッゼリあたりだろうよ。ただ、物品の所在を有耶無耶にする目論見は読まれてるだろうから、押収は時間の問題だな」
──洞窟城までは届きそうにない。
口元のタバコから灰がぽろりと落ちる。「つまり、ダナーリー経由はバレている」
「実態の有無に関わらず、送り状は必ず残るからな」
「痕跡をデルグに紐付けすることはできるか。それらしい物があればなおいい」
携帯灰皿に吸い口を捨て、新たなタバコに火をつけるベネディクトに、サレハは視線だけを向け「俺にもタバコ、くれ」と人差し指と中指を差し出す。「今の生活が続けられなくなる、だけじゃあ済まなくなるぞ」
「うんざりしていたところだから、ちょうどいい」サレハの指に挟んだタバコが、そのまま口に運ばれるのを待って、火を点けてやる。「時間稼ぎくらいは、してあげたいんだ」
二人の口元から吐かれた紫煙が、ゆるゆると立ち昇る。
緩やかな風に煙が乱されるのを見上げていたサレハは「失敗作と言われている代物を、デルグ傘下のレッシナ経由で、ソアダに流す。明日中に、遅くとも明後日の朝一に処理できるよう、なにかしらの適確請求書をでっち上げてくれ」と一息に言う。
「恩に着る。済まない」
「うまくいくかは保証しないぞ」ベネディクトが立ち上がるのを見上げるサレハの顔には、諦めが色濃くあった。「引き際を間違えるなよ」
背中を向けたまま手をひらひらと振って返す姿に、サレハも腰を上げ、頭を横に振ったのちに彼とは逆の方向へと歩を進めた。
ダナーリーの債務不履行は、止むを得ない履行不能にあると認められ、代替品で債権側へと補填された扱いとなり、国家地方警察の強制執行を免れた。つまり不祥事が社内で無事に完結したのは第五営業日前のことである。
サレハとしては、帳簿の不備をでっち上げては改竄して置き換える辻褄合わせを残すのみである。言えば安堵していたのだ。
その日、ダナーリー職員たちは、窓際から階下を見下ろしざわついていた。
事故でもあったかと当初は気にしなかったサレハも、上司までもが注意を向け始めたことでさすがに眉を顰め、腰を上げた、途端だった。
「全員その場から動くな!」
騎士たちがフロアに踏み込んできたのだ。廊下を駆けてゆく姿も見えたことから、各階の制圧が順次に終えているのだろうことが察せられる。
「組織的犯罪処罰法により、ダナーリーの現時点の保有資産は没収保全措置対象となった。こちらを向き両手を挙げ動くな。書面一枚でも隠そうものなら即時、国家地方警察に送致する」
騎士の宣言に両手を頭の後ろへと回し、ちらと書面に目をやる。すでに大方の隠滅は終えているが、包括外部監査となれば信頼性はともかく正確性に難が出る。それに、締めまで日のあるこの時期に踏み込んできたとなれば「……売られたかな?」と気づきもする。
案の定、騎士三名が真っ直ぐにサレハへと近づいてきた。腰の後ろに腕が拘束されるのを素直に受け入れながらフロアを見渡すと、社員の何名かも同じように連行されようとしていた。別件で踏み込んだかと考えていたが、逮捕勾留または捜索の理由づけだろうと余罪扱いとはならなさそうだ。
「ひとつ、訊いてかまわないかな」だからサレハは純粋な興味で問いかけた。「俺はなんの罪でしょっぴかれるんだ?」
「仮装隠蔽行為だ」
つまり経費捏造の疑いが持たれた。
であれば、この場の全員に拘束理由をでっちあげることもできるわけだが……
「まあ、さすがにそこまでの無体は働けやしないわな」
サレハは視線を虚空に上げ、歪んだ笑みを浮かべた。
屋外に、簡易な間仕切りでしつらえた複数区画の取り調べの場は、物々しい光景とは裏腹に淡々とした雰囲気に包まれていた。反体制派の一斉検挙となれば喧騒に包まれるのだろうが、言えば経理臨検なのだから捉えられた側もどこか緩い空気を纏っている。
「建前上では」小さなテーブルを挟んだ向かい側に座る、若い小太りの騎士は手元の書面をぱらぱらと弾いて捲り続けながら言った。「二重帳簿だな。被害と呼ぶには軽微だから、君なら追徴も然程の苦もなく払えるだろう」
「三五〇〇万ディナール相当を軽微と言いますか」サレハは拘束された後ろ手を、簡易椅子の背もたれの外に投げ出し肩を竦めた。「現金化はしていないんですよ。口座から持っていってもらえますかね。で、本命は?」
「いくつか追っていた物品があってね。メッゼリとアリュヤで網を張っていたんだが、一向に現れなかったんだよ。調べたところ、どうやらガルデのデルグで見失ったとわかった。そこにあったのは備品扱いの簡易通信機の納品証で、やられたと思ったね」お手上げ、と両手を挙げた騎士は、サレハから一瞬も目を離さない。「デルグ発注でダナーリーからレッシナに納品させた手腕は見事だったが、お前さん、仕事が丁寧すぎたな」
投げ出された書面にしばし首を傾げていたが、記載された出納の誤った値に気づいたサレハは「あいたた」と視線を一周させる。「まいったなこれは」
「発注元の計算ミスをレッシナが、まま受領していてね。中継のダナーリーだけが正されていた。おかげで辿り着けたわけだ」
「自分の有能さが憎らしいね」
「さて、君の身柄は、このままだと国家地方警察に送致されることになる。とは言え、無い物の証明などできない以上、釈放もあるだろうが──なあ、訊かせてくれ」
「なんです?」
「君ほど仕事のできる人材であれば、こんなくだらん密貿易、横流しなど無視できたはずだ。言う立場では無いが、この件が無ければ、我々が君の横領に気づくことはなかっただろう。あまりにつまらんことだ」
まったくだ。とは口にせず、サレハは自嘲気味に笑う。「なにをしたかったのかな、俺は」
「愉快犯としても理解が及ばん。ロクホウの馬鹿どもを喜ばせるつもりでもあったか?」
「まさか」それだけはない。連中の片棒を担いだところで、得なんぞなにひとつ無い。「まあ、そうか、そうだな、うん──面白くなかったのかもしれない」
意味が掴めず、騎士は首を傾げる。
サレハの笑顔が、その怪訝な表情に向けられた。
「苦痛とまでは言わないが、この世界で準備された生活が、退屈だったのかなって、そういうことですよ」




