至る軌跡・其の三──説得する者
転移者の就労受け皿として準備された企業群が、かつての国家行政機関であることは前述した通りである。すると企業所在地は王城付近に集中する。
ソアダ本社に隣接する居酒屋に、転移者たちの顔ぶれが揃うのはそのためだ。所帯を持つことに抵抗のある単身者が多数あるのも理由の一つだろう。
一方で、仕事が終えてからも顔を合わせるなどうんざりな相手がいる、との理由から足を遠ざける者も多い。ベネディクトもそのうちの一人であるが、夜食に困れば利用する程度には入店に抵抗が無い。加えて、目当ての相手がいるとなれば躊躇はしない。
店内はほぼ満席で、埋まるテーブル席にサコギの姿は無い。すると座敷に腰を据えているのだろうか。そうなると相席はちょっと難しいか。困り顔で立ち尽くしていると、
「一名様ですか?」との男性店員の呼びかけと、
「相席する?」とのサコギの声が同時に投げかけられた。
店員が「よろしいので?」と表情で問いかけるのを、サコギが頷きで返しつつ「ベネちゃんがいいなら」と笑顔を向けてくる。すでに酒が入っているとわかる赤ら顔だ。
「じゃあ、せっかくなので相席で」店員が差し出してくる細い腕輪は結束バンドの仕組みで、装着すると退店まで外せない。ビルパスと呼ばれる、注文と提供そして会計を記録する入場券だ。それを手首に巻きながらベネディクトは、「決まりね」と笑顔を浮かべるサコギの後に続いた。「柑橘系のソフトドリンクを先に持ってきてください。ふたつ」
腕輪を差し出すと「ミカンがありますから、そちらにしますね」と店員が自分の腕輪を軽くぶつける。ベネディクトの腕輪の表面で、緑色が小さく明滅を始めた。
「『せっかくなので』」サコギが、ベネディクトの言葉を繰り返しながら喉を鳴らして笑う。向かう先はやはり座敷だった。座敷と言っても掘り炬燵の一辺が通路に解放されている造りだから、靴を脱がずとも済む。「白々しいとか思わなかった?」
「あんまり、いじめないでくださいよ」
するとサコギは「ごめんごめん。とりあえずはお腹を満たしたら?」と、座席に座り献立表を差し出した。「話しながらだと美味しい料理も台無しになるものね」
サコギの屈託のない笑みが魅力的で、ベネディクトはつい目を逸らしてしまうのだった。
テーブルの通路側に、終えた食事の皿が積まれている。そこにベネディクトは空けた酒瓶を並べ、四本を数えて「ペースを落としたら?」と呆れ顔をサコギに向けた。
「ベネちゃんさ」すでに出来上がっているサコギの舌足らずな言葉が、そっぽの方向へ投げかけられる。「こっち来て何年目だっけ。あたしは四年目になるけど」
「えっと……どうでしたっけ」
転移保護された直後には王室庇護から逃れ、ロクホウに駆け込んだベネディクトである。その期間が一年だったかそれ以上か、どうにも定かに無い。
当時は王室に向ける不信が勝っていた。転移被害者を労働力として扱うやり口が気に食わないとの感情からだ。しかし、今思うとその言葉自体が思想誘導された結果だったのだろう。
だいたい、ロクホウの活動は単なる迷惑行為でしかなく、主義主張の目的達成などが希薄に過ぎた。言えば、やらかした行為にその場凌ぎのそれらしく聞こえる理由を後付けするのだから始末に負えない。愉快犯そのものである。
なにより衣食が王室からの公的扶助制度に頼るありようで、その上で都度に論点がずれてゆく政治批判をいつまでも続けるのだ。付き合いきれるものではない。
「連中に見切りをつけるまでが長かったから……就労支援のお世話になってからは二年とわかるんですけれどね。三年くらいじゃあないかと──だから姐さん、やめときなって」
サコギの手酌を止めようとするのだが「大丈夫よ。酔いたいの」と体ごと逃げられる。
こりゃあ駄目だと店員に片手を上げ、身振りで「水を」と頼む。店員も気にしてくれていたのだろう、頷くとすぐにピッチャーとグラスを運んで来てくれた。
「それで最後にしてくださいよ」とグラスに水を注ぐと、
「そっか、三年……帰りたい?」サコギがようやく視線をこちらに向けた。
「帰りたくないと言ったら嘘になりますが、無理でしょ、もう」
かもね、とサコギはケタケタと笑い──ふと、その顔の感情が失せる。「──ほっとした感情があったの。これで介護から解放される、って思っちゃったのよ」
「姐さん」ベネディクトは慌てて身を乗り出した。「やっぱり酔いすぎだ。ほら水」
「思っちゃいけないって自分に言い聞かせるの。でも溢れてくるのよ。満足に産んであげられなくて、ごめんなさいって」
サコギの娘の障害がなんなのか、聞いたことはないし、問いかけるなどできもしない。ただ断片的な情報から脳性麻痺に類するものだろうとは察することができる。
ベネディクトは身を乗り出すと、サコギの手のグラスと、テーブルの上の瓶を取り上げた。店員を呼んで食器もろとも下げてもらうようお願いすると、彼女の前に水を置く。「誰も非難できないよ、そんなの。投げ出したくなる衝動だって自然なものじゃないか。だいたい、自分で選んでこっちに来たわけじゃあないんだ」
「……十一歳だったの。いつものように行ってきますって言ったら、あの子、笑顔をぶんぶんと振って見送ってくれたわ」
こちらの言葉が届いているのか、微妙にわからない。独り言をただ漏らしているだけなのかもしれない。無理にでも帰らせようかと腰を上げかけるが、彼女の悲しい笑顔に言葉すら失ってしまった。
「寂しい思いをさせているのにね。優しいの。体全体で元気づけようとしてくれる。ぎゅって抱きしめてあげると、ほんとうに嬉しそうなの」
ベネディクトの胸中に怒りが渦巻いた。
──呼び寄せることができるだなどと、よくも言ってくれたな。
「……今の姐さんは、やることを前提に、やめる理由を探してるよ。必死に」
ぴく、とサコギの体が揺れた。
「今回の話に、姐さんの選択肢がそもそも無かったんだ。姐さんに話を持ち込んだのは、必ずやると思われたからだ。だけど、今回は見送るんだよ姐さん。どうせ連中のことだ、他の誰かが実験と称してやらかす。その結果を見てからでもいいだろ」
そもそも転移は、鋭い結晶体が密集するジオード生成内部での落下を伴うのだ。
そこに思いが至っていないのかもしれない。さすがに言うのは憚られるが。
「誘惑に乗るのが間違っているとは言わない。だけど」──障害を持った子供を、こっちの世界で介護し続けるなど本当に可能なのか。確立したとは断言できない治療法に縋るくらいならまだ、日本に置くほうがまだましではないのか。帰還する手段だって、そのうちに……「頼むよ姐さん、こんな話に乗っちゃあ──」
「わからないのよ!」
サコギの叫びに、一瞬、周囲の物音が消え去った、そんな気がした。騒々しさが戻ると、彼女の俯く顔から、涙がぽた、ぽたと落ちてゆく。
「──ベネディクト」
久しぶりに名を正しく呼ばれたことに、顔を顰めていると、
「あなたこそ、妙な気を起こして、この件に関わろうだなんてしないで。絶対に」
強い口調だった。
「……わかってますよ、姐さん。ただ、俺の言葉も、気に留めておいてください」
肩をすくめ、ベネディクトは笑みの形に頬を歪めた。
サコギから返されたのは「いい子ね」との言葉だった。




