潜んでいた者・其の八──袒裼裸裎
「……人の手だろうとなんだろうと」ダフニーが見つめる先には、支路を塞ぐ忌々しい魔力結晶の壁がある。「内側からじゃないと転移の完了条件は満たせないし、入ろうにも魔力結晶化で掘削機器が強度を失うから役目を果たさない。そもそも破壊できればこんな話にならないわけで」
「重合が反応を加速するとはわかってるんでしょ」ツグミは、ダフニーから先ほど聞いた言葉を繰り返し、うすら笑いをサコギへと向けた。「爆燃性混合気の活性化は可能なわけだ。今後の行動は確か、環境保持を兼ねた防爆壁による支路の閉鎖、だったよね」
「その閉鎖の前に」ツグミの視線を真っ向から受けたサコギが、震える声で応える。「自己発熱分解を活性化させて、有機過酸化物を強制生成することで発火点以上の温度を強制的に引き出せば、燃焼活性を燻蒸状態のまま促せるはず」
「許可できるわけないだろう!」たまらずチェスターが叫んだ。「それは坑内を爆破すると言っているようなものだぞ。この場に立ち会う全員を共犯者にするつもりか。リスク低減をすっ飛ばして事故顕在化などと誰が認めるものか!」
「対象のみの焼却は不可能ではないのよ、フラッシュオーバーさえ制御できたなら。ただ期待する生成量に届かせるには、周辺鉱物の必要消費が大きすぎる。ダンジョンが、坑内資材が大幅に欠損したと見做せば、代替消化対象が坑内全域に及んでしまう」
サコギの言葉に、チェスターの両手が頭を抱えてしまう。
「だから希釈溶媒の大量確保、なんて話になるのか」その顔にあるのは怒りよりも呆れだ。それは彼の人の良さを表している。「だいたい作業員の半数が撤収する時点で全面引き揚げなんだぞ。要救助者を見捨てることになってでも僕は、社員の命を最優先する。それをなんだ、壁を吹き飛ばすだなどと馬鹿なのか」
「まあそら言いたくもなるよねぇ」ツグミは同意しつつ、支路の入り口あたりにまで移動して顎に手をあて、上下をぐるりと観察する。「そもそもアレニウスの法則が通用するのかな。常温で反応増減できるんじゃあないかってのは、この業界にいたら思うことでしょ。それに、魔力密度は支路内部の方が間違いなく高い。万が一にでも溶融が向こうに抜けたらバックドラフト発生だ。コウイチたちのいる空間が炉心化するよ」
「制御してみせるから」サコギがツグミの右手に迫った。「ツグミ、あなたなら稟議書をヨウアン領主に提出できる。資材確保可能なのはあなただけなの」
「支路を塞ぐ魔力結晶の想定総量は出てたな……」
「勘弁してくれ」慌てたチェスターがツグミの、サコギとは逆の左側から詰め寄る。「資材があればできるみたいな雰囲気を漂わせないでくれ」
「顔ちかい顔ちかい」チェスターの顔面を右手で押し戻しながらツグミは、視線だけをサコギに向けた。「残念だけど、言うのが遅いよ。ヨウアン領主は王弟殿下を迎えにこの場を離れてしまった。なにより今から書面でっちあげるにしても時間が、ね」
ほら、とツグミは坑道の奥を指し示す。大勢の人の動きが気配となって漂っていた。
怪訝に眉を顰めるサコギが、状況に思い当たり顔を青ざめさせる。
ツグミが「滞在日数規定が限界なのは、ソアダだけじゃあないからね」とテーブルの近くに戻り、肩をすくめて首を横に振った。「双王国ルシュ側のギルド、イスタは傘下企業全体に向けて全面撤収を通達した。ついさっきのことだよ」
そんな、とよろめくサコギからチェスターは、気まずさから顔を背けて、ツグミにつかつかと近づく。「なぜそれを早く言ってやらない。人が悪すぎるぞ」
「サコ姐さんが、なんにも明かしてくれなかったのがねぇ──」へら、と口元を歪めてツグミは手を数回打ち鳴らし、全員の注目を集めた。「はいはいはい、お待たせしたね。ティアハイムのみんな、お仕事の始まりだよ。時間も限られてるし、ちゃっちゃとやろうか」
思い思いの姿で待機していたティアハイムの社員たちが、のそのそと「うーす」「へーい」だの気だるい返事でイスタ傘下企業の面々の元へ移動してゆく。どこかしらけた雰囲気を纏う彼らには違和感しかない。だからチェスターは「……なにを始めるのさ」と問いかける。
「いやだなぁ、チェスター、坑内全体の棚卸しの話してた時、一緒にいたでしょ?」
「いたけれども」とまで返したチェスターは、遅ればせながらゾッとした。「待て、いやほんとうにお前なにを始めるつもりだよ!」
「あー、後でね、お客さま来ちゃったから」
見れば、近づいてくるのは初老の偉丈夫だ。しかめ面は気難しさを思わせるが、彼ほど話のわかる者はそうそういないと、チェスターも知っている。イスタ職員のホアキンだ。
ホアキンは、ちらと支路を眺めやり「ほんとうに魔力結晶化しているのだな」と誰に言うでもなく呟く。「ジオード発生というのは本当だったか──貴様また場を乱しているのか」
その場に漂う気まずくもなんとも言えぬ空気に、ホアキンは書面を持ったままの両手を顔の横に上げた。「今度はなにをやらかした」
「やらかしてないです「嘘つけ説明しろ」」言葉をかぶせるのはチェスターで、ツグミはホアキンからの視線に観念した様子でため息をつく。「やらかすところです」「認めたぞこいつ!」
「……まあ、なんでもいいが「よくないですよ!」集積所はここで構わないんだな」
手渡してくるのは資材内訳が記載された書面を挟む用箋挟だ。
受け取ったツグミがそのまま虚空に差し出せば、ティアハイムの社員が物も言わず持ち去ってゆく。「うちの連中の指示に従ってくれたらいいよ。整頓はそちらの得意分野でしょ」
「言ってろ──領主殿の署名入りでティアハイムの買取だと通達があったが、どうせ貴様の独断だろう。あまりザーシャを泣かせるな。苦労が偲ばれる」
「じゃあツケといてよ」
「引当金繰入が現金化できる機会を逃すわけないだろうが」
二人が、あっはっはと笑い合うのを眺めるチェスターの顔は蒼白だった。視線を移動させると、撤収企業が持ち寄る資材を、ティアハイム社員に指示されるままに、ソアダ作業員が動いている。思えば来て早々にツグミは、整頓した書類をソアダ作業員五名に手渡していたのだから、その時点でなにかしら指示を回覧していたのだろう。対岸から火種を投擲された気分だ。
「だから!」チェスターはとうとう地団駄を踏んだ。「説明しろよっ、ティアハイムの許可で危険行動に出たとでも報告されたいか!」
「なぁにを言っておられるやら」空々しくも驚きの表情を浮かべるツグミが、これまた大仰な仕草でチェスターに向き直った。「想定される行動に向けて、可能な限りの思慮をはかり、準備を過不足なく整えたボクになんの責任があるのさ。これはザーシャ社長の薫陶の賜物よ」
主要運搬坑道中央付近に、企業群が持ち込んでいた資材の一切合切が積み上げられてゆく。用箋挟を手にしたティアハイム一同が、提出される内訳書と現物との確認を、それぞれの企業の社員を交えて行なうその様子は、初対面同士であるだろうに円滑そのものだ。
「──準備を、整えた?」
ぼそりと呟くサコギに「その通り」とツグミは、テーブルの上にどっかと腰を下ろした。組んだ膝の上に頬杖をつき、不敵な笑みを浮かべる。「言うのが遅いものだからさ、とっとと動いちゃったよ。坑内作業員の過半数が継続労働時間基準を超過しているんだから、全企業を撤収させるのに緊急退避なんて大仰な理由なんていらないじゃん、ってね。置き去りにしたらダンジョンに呑まれるだけの資材も勿体無いし、だったらってんで棚卸し名目で全資材買取の手続きをカリルトさん抱き込んで進めてやった。いやあ、結構な散財だけど、ザーシャ社長には感謝だよねぇ、頭が上がりません、はい」
「じゃあ、なに?」すい、とツグミの正面に移動したサコギが、その胸ぐらを掴んだ。「私を小馬鹿にしてからかっていた、あなたはそう言うのね」
「これで希釈溶媒は足りたってことだよ、姐さん」掴み上げられたままツグミは、上に向けた手のひらの人差し指でサコギを差す。「ただ、アイデアは修正する。先に、防爆壁で支路を塞いでしまおう。そうしてでっち上げた空間を回分式反応装置にするのさ」
納品を終えたのだろうイスタ傘下企業の面々が、あとは帰宅するだけだろうに、ソアダ社員に協力して防爆壁の設置に取り掛かる。ティアハイム社員も必要資材の分配を開始、こちらにも手が空いたのだろう作業員たちが加わっていた。
「内部の原料をゲル化か粒子化させて反応加速、機を見て一部を解放してやれば、内部のフラッシュオーバー発生って寸法さ。爆燃誘導も比較的単純な制御になるだろうね」
「それを、なぜ最初に教えてくれなかったの!」
「それをどの口で言うのかなぁ?」
絶句するサコギの向こうで「うわぁ」とダフニーがドン引きする。
「……あんたんとこの上司」シンイーに、そちらを見もせず問いかける。「ふざけてんの?」
「お約束。一度は突き落とす。だから嫌われる。別にいいけど」
「よかないよ!」チェスターの悲痛な叫びが轟いた。「今、一番の被害者予備軍は僕だよ!」




