潜んでいた者・其の七──鼠窃狗盗
「……と、現場最高責任者から承ったわけですが」
ツグミは微笑をチェスターに向ける。当人としては愛嬌を惜しみなく注いだ笑みである。
だが受けたチェスターは「うわ」と身構えて、半歩ほど引き下がってしまった。
「なんだその、へらっとした軽薄な笑い」
底意があるように見えるだけならば、まだ救いがある。しかし反感のみならず不快さをも抱かせる微笑みなのだ。一周回って得難い才能なのかもしれない、使い所が限られるが。
ともかく、曲がりなりにもサコギの上司であるチェスターだ。問われたからには応える立場にあるのが口惜しい。「発熱分解の顕在化温度が分からないのに、希釈溶媒の大量確保というのがどうにもわからないのだが……ツグミくんの見解としてはどうなんだ?」
「軽薄言われた」両手でそれぞれの頬を撫でほぐしつつ、そんなに胡散臭いかな、とツグミは虚空を見上げた。「──極端に遅い可逆反応、引き換え無闇に大きな発熱量。なんらかの冷却要因で安定しているのは間違いないんだけどね。燻蒸との記載は言い得て妙かな。ねぇダフニーちゃん、液相というか魔力相の破壊は試していたりする?」
そっぽを向いたまま、その場にいたはずだからと問いかけたのだが、待てども応えが得られない。さては独り言をやらかす恥を晒してしまったか、などとおずおず周囲を伺えば、なんのことはなく、それほども離れていない場所に彼女はいた。
シンイーと超近接距離でのガンの付け合いに勤しむダフニーであった。
「あらまぁ」覚悟を決めるのに多少の努力を要した。ふたりの間にある確執など知りたくも無い。まして関わるなどもってのほかであろうし深入りしたくなどない。だからと事態の沈静化を待つ時間も惜しい。なれば指示対象は定まる。「はいはいはいシンイーちゃん、ボク、ダフニーちゃんに話があるんだから、離れて離れて」
シンイーは、ダフニーを睨みつける視線はそのままに、すると聞こえてはいたのだろう、すいっと間合いの外にまで後退した。ダフニーは格闘の類の訓練をなんら受けていないから、間合いとはつまりシンイー自身の攻撃可能範囲を指すのだが──
「あら、けっこう広いのね、シンイーちゃんの間合い」
五メートルは軽く距離を空けたシンイーが、それでも聞こえていたのだろう、むくれた顔でそっぽを向いた。構うな、との意思表示であろう。ちょっとしたケアがあとで必要になるだろうなと、内心で彼女に拝みつつ、ともかくこれで話が進められる。
「さてダフニーちゃん」
「なにか?」
「なんで睨むのさ」
「そう見えますか」
ダフニーは、外していた眼鏡をかけつつ深呼吸をひとつ──ため息そのものである──を漏らして、なにかしらの拘束を振り解くように、ぐいとツグミに正面を向け姿勢を正した。
「飼い犬の躾もままならない人と話したくないので、手短にお願いします」
「わお、塩対応」
ついと横移動で近づくのはチェスターだ。「うちのダフニーにもなにかしでかした?」
「しでかしてない」応えつつツグミは、ダフニーの眼力がシンイーに向けられた力強さそのままに維持されて怖かったものだから、額あたりを見つめて訊く。「燃焼反応は混相流によるものと結論を出していたようだけど、界面破壊は試したかなって」
「サンプルを用いての検証は行いましたが、満足ゆく制御には至りませんでした」ダフニーの目線が壁沿いにある棚に向けられた。並べられているのは円筒形の土壌サンプルである。「切り出してすぐに鉱石転化を終えてしまうんです。重合が反応を加速するとはわかっています。だからまさか直接試すわけにもいかず」
鉱石転化を終える、との言葉にツグミは首を傾げた。ダフニーが視線で示した円筒サンプルに足を向け、覗き込んで眉根を寄せる。一部に金継ぎのような稲妻状の線が走っている。魔力の糸で編まれた網が、前後を繋いでいるようにも見えた。鉱石に含まれている特定素材だけが変化したのか、いったん魔力結晶化したのちに土塊に戻った痕跡なのか判断はつかない。
「鉱石や加工物を見境なく魔力結晶化する、との報告もあるよね」
「魔力結晶化はあくまでも副次的な結果であって、変換生成物は可燃性物質ではないかと……なにか思い当たることでもありましたか」
「まあ、ね」軽く屈んだままの格好で、目線だけをサコギに向ける。こちらを見つめ続けていたらしい彼女が、彼女にしては珍しくもさっと顔を背けた。原因を仕込んだのがサコギであると知っているこちらとしては、さてこのまま喋り続けて良いものかと悩むところではあるが、とはいえ閉ざされた口を開かせるには情報開示もやむなしで。「その副次的な結果を完結させる信号だかなんだかが来ないから、機会を失って燻り続けているんじゃないかな。転移を正しく終えてジオード生成も恙なく終えていたなら、爆燃性や腐食性を持つ生成物質を頑張って吐き出し続けることもなく、とっとと雲散霧消していただろうと思うよ」
ジオードを生成する場が転移を誘引するのか、転移現象がジオードを生成するのか、さてどちらなのだろうね、などとブツブツ呟きつつ、棚の上に置かれているトリコンビットを持ち上げる。塗料缶に半ばまで落とされたかのように途中から結晶化している様は、正直興味深い。
「素材を投げ込み続けて必要分の魔力結晶を生成させたらもしかすると──」
「それって「待って」」ダフニーの言葉に被せて声を上げたのはサコギだ。「転移が完了していない、と言っているの?」
「そのとおり。来ちゃってはいるみたいだけどね。ジオード生成を途中で邪魔した実例は案外と多いけど、それで転移が取り消されたり帰還が果たされたり、なんてことは無かったみたいだから──それはそうとチェスター、なに戦線離脱してんの」
何気なく巡らせた視線の先に、考え込む体で足元を見つめるチェスターに気付いたものだから呼びかけてしまった。
「僕が知るべきは、作業員の安全確保が成るか否かだけ」応える際にも顔は上げず、そもそも回答を求めた立場が自分だということも失念していそうである。「情報精査は任せた」
「いや、わからなくてもいいけど、頭には入れといてよ。転移環境を整えようとして事故った惨状がこれなんだからさ。人為的な事故だと把握はできてるよね?」
「人為的?」と首をかしげるのはダフニーだ。
その問いかけにサコギは、弾かれたような挙動で自分の脇あたりを見下ろした。あるはずのなにかが失われた、といった様子で、慌てた様子で体ごと周囲を見渡す。
「マヌエル──マヌエルはどこ!」
ツグミが振り返り、シンイーに視線で問い掛ければ、気づけなかったと首を横に振られる。常々、あの巨体でどうやっているのだろうと疑問ではあるが、こればかりは仕方がない。誰にも気づかれずに姿を眩ませるなど、彼にとっては容易いことだ──気が付けば全員が殺されている、などということにならずに済んで良かったと思うべきだろう。
──神具を持ち去ったのだろうなぁ。
「って姐さん、手は打ってあるから追いかけなくていい」駆け出そうとするサコギを、やや強い口調で制する。これで彼女まで姿を消されては、事態がややこしく成る一方である。「こうなるだろうって予想して、タカシたちに任せてあるんだよ。ボクらはボクらでやれることをする。だから動いちゃあいけない、いいね?」




