潜んでいた者・其の五──意馬心猿
──転移者の追加をなぜこれまで伏せていたんだ。
──分解吸収に余裕は出るだろうが、今はまずいぞ。
──燻蒸の自己反応が臨界で安定した理由が、それかもな。
──スクリーニングが崩れる前提は、どの項目にあたる。
──魔力回生の希釈溶媒が不足する状況は変わらんわけだ。
口々に放つのは作業員たちである。疑問をただ吐き出すだけの彼らであるから、稀に回答らしき言葉が出てはくるものの、成り立つ会話はそこに無い。しかし彼らの耳は情報を仕入れてはいるようで、各々がテーブルの上の書面を掻き回しながらも、発言に向け必要記載箇所を回覧しあっている。
現時点での最優先事項は、環境の保全に切り替えられたのだ。不安要素を排除できれば越したことはないが、燻蒸反応が定常しながらしかし化合物を生成しない不自然な状況にあっては手詰まりだ。つまり手段は観察を続けるのみの保留に結論する。
そこへ向けて、内部質量の前提変更が情報としてもたらされたのだから、膠着していた考察の運転再開は当然、作業員たちを活気づかせるのだ。
ダフニーの耳にだが彼らの声は遠く、意味を持つ響きとして届かなかった。視線はサコギの背に定められている。サコギの、通信機を前に喚く声はくぐもって明瞭さを欠く。目の前に靄がかかるようで、焦点を合わせることすら困難だ。
──いま、なにをされたの。
突き飛ばされた、というほどではなかったが、サコギにまさか粗雑に扱われるなどとは、想像だにできていなかった。邪魔者として扱われた、それだけで思考が真っ白に染まった。ダフニーは動揺していたのだ。
「なぜこうも厄介なことになりやがる。ジオードなんざノミとツルハシで破壊すりゃあいいだけの代物だろうが。緩んだ岩盤の掘進なら技術も有り余るってのによ!」
突然だった。作業員の一人の喚く声が、くっきりと耳に滑り込んできた。とたん、周囲の物音が轟音となって脳裏に注がれる。耳を思わず塞ぎかけてダフニーは、ようやく呆然としていたのだと自覚できた。
同時に聞こえてきた、サコギの声はひどく弱々しいものだった。
「聞こえているのよね、お願い、教えて、どんな子が、現れてしまったの」
「サコ姐さん──!」その声に、苛立ちが掻き立てられる。理由はわからないし、はっきりさせようとも思わない。ただ、聞いていられないと感じさせる声だった。だから遠慮など不要だと居直ることもできる。「指揮をお願いします。現場で揃えられた情報の精査には、あなたが必要なんです。確認と承認さえいただけたなら、あとは各々で完結できます」
「──助け出すの」
その言葉は、はたしてこちらに対する回答とは思えない。だが構うことはない。
「助けたいとの気持ちは、この場の全員が持っています。しかし状況はもう、ソアダの手に負えません。引き継ぎのためにも、こちらに注力を頂けますか」
「引き継ぎって、誰によ!」
激しく振り返る、その勢いにサコギのヘアコームが外れた。シニョンが解けて下りる長い髪が乱される。彼女の瞳孔は開いて爛々と光る。形相は笑みのように歪んでいる。
息を詰まらせるダフニーにサコギは、相手が誰なのかすら理解していないのだろう、半ば裏返る悲鳴のようにがなりたてる。
「引き継げる相手なんて、もういないでしょうっ、私たちでやるしかないのよ!」
「やるってなにをですか!」ようやく意志持つ言葉が返ってきたと思えば、なんだこれは。泣き出しそうになりながら踏みとどまろうとしていたのが馬鹿馬鹿しい。見るに耐えられない。だから、とうとう喚いてしまった。詰め寄りもした。「転移者がいるとの想定は初めからのものでしょうにっ、いるとわかったからって私たちのなにが変わるって言うんですか!」
「転移が成功していただなんて信じたくなかったのよ!」
「なにをふざけたことを──!」
「そこまでに、しておけ」割り込む声は、マヌエルだ。ダフニーの肩に手を置き、庇うようにサコギとの間に割って入る。「方針は定めたはずだ。燻蒸が操作可能なうちに抑制準備を整えて現場を封鎖、二次被害を避けるために作業員たちを詰所に帰社させる。協働が不可欠な状況下で騒ぎ立ててどうする」
整然と話すマヌエルに驚きはしたが、言いたいことを伝えてくれていることにダフニーは、口をつぐみ静観することにする。
「ダフニーの言葉は正しい。要救助者は増えた、だからと作業方針に変わりはない。思うところはあるのだろうが──」
「思うところ?」サコギは鼻で笑った。「この場にいる全員が思ったはずよね、なに一つわからないままに、理解できる理由は与えられず、納得するまでの余裕すら取り上げられて、かつての生活は捨て去るしかない、こんな理不尽にどうして従わなきゃならないのかって」
──なにを、この人はなにを言っているのだろう。
ダフニーの不審な面持ちは、彼女の言葉を聞く全員のそれだ。この場の誰もが被害者であることは今更だろう。新たに現れた転移者に同情しろとでも言いたいのだろうか。
「経験も学も白紙にされて、なんのとっかかりもなくいちから覚えた言葉で仕事をこなせるようになって、生活基盤を築くことができたあなたたちは、それだけで特別なのよ。だけど五体満足じゃあない子はどうなるの。魔法頼りのこの世界の医療で対応しきれなかったらどうしたらいいの。働けないとなったら終わりなのよ」
理解の埒外だ。聞く者たち全員が顔を見合わせて頷き合うのは、もはや意見など伺わずに事後承諾ありきで、個々の職務に専念すべき、と暗黙裡に通じ合った結果だ。包み隠さずに言えば不快だったのだ。一人増えようが、残念にも減ることになろうが、できることをやるのみだ。向ける意識に差異などあろうはずもない。それを、新たに現れた人物に向けては「振り返り見た自分に、置き換えて考えろ」では筋が通らない。
「保証の無いこの世界に、本当に呼ばれてしまうだなんて考えられない。願ったりだなんてしていな──」
「いい加減にしたらどうだ!」
マヌエルの怒声が口内に響き渡り、総勢を震撼なさしめた。
「人命救助も業務の範疇を越えはしないのだぞ。転移者の存在が発覚したから手抜きをやめましたなどと誤解されるような言い分はやめろ。いいか。ソアダの従業員は数名を残し撤収。現場は防爆壁による環境保持措置を兼ねて閉鎖。爆燃性混合気の発生要因を可能な限り洗い、以降は警察機関に現場を引き渡す。決定事項だ。駄々をこねるのはそこまでにしておけ」
「だけど今のこの状況は私が──!」
「サコ──」
「取り込み中っぽいけどさ」会話を止めたのは、場にそぐわない、のんびりとした軽薄な声だった。「ちょいと失礼しますよっと。やあサコ姐さん」
飄々とした態度で近づくツグミの隣には、シンイーとチェスターが並ぶ。その背後には数名のティアハイム社員が続いている。
一同の中でなぜか、チェスターがもっとも気まずそうにしていた。愛想笑いのつもりだろうか、引き攣った弱々しい笑みで周囲に会釈を続けている。




